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貴方と見たかった夢の続きを  作者: らんたお
生前の彼等
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08.ノイン視点

「巫女様、煎じ薬で御座います。お祈り際に必ずお飲み下さい」


 ここでは、僕の名前を呼んでくれる人はいない。皆、巫女様と言う。それは僕の名前じゃないのに……

 でもしょうがない。自分で選んだことだから。だけど時々、自分の名前を忘れそうになる。いっそ忘れた方が楽なんじゃないかとさえ思う。ラルフが会いに来てくれなければ、自分がノインであることを忘れていたかもしれない。


 神の巫女の重圧は凄まじいものがある。使命という名の重りに、心身の自由を奪われていく。世界のために、最も安全な場所にいる僕にできること。例えこのまま死ぬことになったとしても、人々のために祈り、神の与えてくれる未来の選択肢を得る。僕にできることはこれぐらいだった。


 ラルフが来てくれる日だと知っていて、祈りを捧げる準備を始める。本当は、ラルフに会うこともためらった。顔を見ないで済むようにすれ違わせることもできたけど、僕の人間性を証明してくれる唯一の存在だから一目会いたいと思ってしまった。

 僕はちゃんと人だろうか? 神の巫女という名の塊ではなく、僕という存在は実在している? 最近は、それすら確かめられなくなっていた。


 少し、無茶をし過ぎたのかも。神殿の人達は、義務的な行動を取る人達ではなく、神の巫女である僕を大切にしてくれる人達だ。心から心配し、大事にしてくれている。それなのに空虚な気持ちを抱えてしまうのは、僕のわがままに他ならない。



 深呼吸をし、神の巫女として己を律した。私は、神の巫女。人類のために、神へ祈り続ける信徒。神の与えて下さった機会を逃さず、人類存続のために身命を賭す。私は、そのためにいるのですから。






 長い祈りが終わり、祈りの間を出る頃には足元もおぼつかないほど衰弱してしまう。煎じ薬を飲んでと言われたのに、また私は飲み忘れてしまった。一度瞳を閉じて祈り始めると、意識が祈りから離れたとしても煎じ薬を飲もうと思えなくなってしまう。

 古来の方法に(なら)いたいという願望のせいもあるけど、前に一度口にした時、祈りを捧げるための集中力が途切れたことがあったから。気力を補う代わりに、感情も高ぶらせてしまう効果があるのでしょう。それではとても、祈りを捧げ続けられない。


 祈りの間を出た私を聖女達が支えてくれる。遠のきそうな意識を押し止めて、後で護衛隊長のダグラスを呼ぶようにと言った。彼はこの神殿の中で一番の実力を持った人物であり、神託を王宮に伝える役目を追っている。

 強固な護りを施された神殿の中は、いかなる攻撃も弾かれる使用になっているため安全だけれど、神殿から王宮までの道はそうはいかない。神託を狙う者がいないとも限らない以上、不測の事態に備えるため、彼ほどの実力者に託すしかなかった。


 ただ、今回は少し事情が違う。手紙を認める(したた)のではなく、直接王様に伝える必要があった。

 聖女達に補薬を頼み、湯船に浸かって謁見用の服に着替える。神の巫女は後ろの裾を引きずる動き辛い服が多いけれど、今回は少し短めの裾のものを用意させた。引きずる長さであることには違いないけれど、歩き辛さは減るはずと、その上から外套を羽織る。


 神の巫女が、予定のない外出をすることはとても稀なことだ。王宮のお伺いを立てることなく勝手に出ることは本来できない。けれど、一つだけ例外がある。可及的速やかに伝えなければならない問題が生じた時、それがいかなる問題の内容であっても神の巫女は神殿を出ることができる、という。


 通例であれば、手紙でのやり取りに数日かかってしまうけれど、今回はすぐにでも陛下に判断して貰わなくてはならない。もう既に祈りの準備を含めて十日も経っている。隣国エスパーダ王国の神の巫女の国葬に間に合うよう準備するには、最低でも七日はかかるだろうから。

 一度も会うことなく、彼女は亡くなった。恐らく、このガルメンディア王国にその知らせが届くのは明日のことになる。それを先んじて知ることができるのが神の巫女の能力でもあるけれど、今回のように悲しい知らせを聞かされることになるのは耐え難いものがあった。


 彼女の犠牲を無駄にしてはいけない。私達は、私達のために生きるのではなく、人類のために生きている。決して、立ち止まってはいけない。私達の犠牲は、すべて人類のためだから。

 いつの日か、私の番がやってくる。嘆いている暇などないほど、遠くない未来の話として。



 今から馬を走らせても、恐らく日暮れ遅くに王都に到着することになる。本来ならば世話をする侍女の代わりとして聖女達を伴わなければならないけれど、同行させている余裕はない。

 彼女達には他の護衛と共に後から来てもらうことにし、私達は先に王都に向かった。

 馬に跨って疾走するのは、久しぶりのことだった。


 ダグラスは、僕の決断を反対しない。ラルフだったら止められただろう今回の行動も、私に何か意図があるのだと拒否しないでいてくれた。それは、心配しながらも決断を受け入れてくれた聖女達も同じこと。皆、長く私と共にいるため理解してくれている。

 意味のある事をする時の私が誰にも止められないということを。


 馬を走らせ王宮の門に到着すると、門番の兵士に止められる。目深に被ったフードの人物が私であると知らないため警戒していたけれど、身分証とダグラスの顔を見て入ることを許可してくれた。

 中に入ってすぐに魔法での検査が行われる。神殿ほど強固ではないものの、ここでもやはり簡易的な検査が行われていた。本来ならば通行証のない入城は許可されていないのだけれど、私やダグラスなどは通行証がなくても入ることができる。


 私が直接来たことで、今頃陛下の耳に私の入場が知らされているはず。服の上からの検査とはいえ直接私に触れることをためらう騎士達に代わって、女性騎士のエレナが確認を行ってくれる。

 私も男なのだから気にする必要はないと言ったのに、皆気を使ったようだ。一時期、姉のフェリシアの護衛騎士の一人として神殿にいたエレナ。神殿から王宮の騎士に任命されてから久しく会うことはなかったけれど、こんな状況下でながら懐かしく思う。


 検査も終わる頃、近衛騎士のブライトウェル卿が直々に訪ねて来られた。卿の案内で謁見の間へ行くのだと思われたのだけど、何故か階段を上がっていく。

 一体どこまで行くのだろう。決して広くはない王都の土地を確保するため、王宮は縦長に建築されている。庭は一つしかなく、他の国に比べて王宮自体の土地は小さい。

 後宮も王宮もすべて一つの建物の中に集約され、一階は許可証のある者であれば一般市民でも入ることができる大きな広間になっていた。謁見の間はその上の階にあるのだけど、既に通り過ぎて久しい。上に行けば行くほど王族の居住に近くなるというのに、一体どこまで行くのか。


 通されたそこは、どう見ても陛下の執務室だった。その上、陛下は軽装になっている。急な来訪だったせいで装いを変える時間がなかったのだろうと申し訳なくなったのだけど、そうではなかったのだとブライトウェル卿の言葉で知る。


「陛下、正装に着替えて下さいと申し上げたはずですが」

「何、別によかろう。ノインと儂の仲だ。くたびれたおっさんの姿だったとて、ノインなら許してくれるわい」

「そういうことではないのですが?」


 巫女様に失礼ですよ、とブライトウェル卿は陛下に物申す。陛下はどこまでも、ノインはノインだ、と譲らない。

 そうだった。陛下もまた、私をノインと呼んでくれる人だった。私を一人の人間として、個別の名前で呼んでくれる貴重な人物。少しだけ、胸のつかえが取れた気がした。


 それはそれとして、と陛下は私を見る。その表情は、悲しみに満ちていた。何故そのように悲しそうな顔をするのか分からなくて見つめていたら、陛下は私の前までやって来て、カウチに座らされた。

 陛下より先に着座など、と恐れ多くて立ち上がろうとするのを押し止められる。


「ノイン、こんなにやつれて……すまない。本当に、すまない」


 ほとんど間を開けず祈りを捧げたことを詫びられているのだと分かる。けれどそれは私が決断したことであり、誰に強制された訳でもない。それなのに、陛下がなぜ目を潤ませて悲しまれるのか。

 私のせいだ。私が、この身を顧みなかったから。陛下を悲しませてしまった。


「いいえ、私は大丈夫で」

「お前のこんな姿を見たら、ラルフは悲しむだろうなぁ」

「!?」


 返す言葉がなかった。ラルフが、どれだけ同郷の最後の子供であり、幼馴染みの私の決断を悲しみ、心配しているかは知っている。目を塞がれ耳を塞がれた異空間な神殿の中で、ラルフだけが外界の人間でありながら定期的に訪ねてくれる唯一の人だった。

 情勢を知らず、人々の営みの息遣いすら感じられない世界に、ただ一人、外の情報をくれる人。彼がわざわざ休暇の度に訪ねてくれるのは、偏に、私も姉の二の舞になってしまうのではないかと恐れているからだ。


 神の巫女となった瞬間から、私は覚悟していたことだったけれど。ラルフはまだ、私には逃げ道があると信じているのでしょう。不幸な死を回避し、平穏な人生を送れるものと考えている。

 そのような奇跡があるのなら、世界はもっと人類に優しかったはず。今の世界の状況こそ、誰かの犠牲なしに何も変われないことを証明している。


 ラルフには、強く出られない。偽りが増えれば増えるだけ、言葉が出て来なくなる。彼は私が、男性でも女性でもない性別であると知らない。恐らく一生、言うことはないでしょう。

 己の死が、何時であれ確実に起きる事だとも。


 唇を噛んで耐える。その為にここに来たことを忘れるな、と自分に言い聞かせながら、陛下にお伝えした。


「陛下、私は陛下にお伝えしたことがあり参りました」

「まずはゆっくり休んではどうだ? 明日でもよかろう?」

「隣国エスパーダ王国の神の巫女が亡くなりました」

「!?」


 明日には知らせが届くとしても、先に伝えなければならなかった。国葬に間に合うようにエスパーダ王国に向かいたい旨を伝えると、陛下はとても難しい表情をされる。


 無茶なお願いだということは分かっていた。国にとって、神の巫女は王族よりも大切な存在。替えの効かないものだから。

 どんな理由があっても、国外に連れ出すことはない。当然、神の巫女の国葬が行われるからと言って、神の巫女を抱える国が自国の神の巫女を葬儀に参列させることなど有り得ないこと。


 長く思案された陛下は、重い口を開く。


「どうしても、必要なことなんだな?」

「はい」


 私一人のわがままで陛下を困らせる。けれどこれこそが、私にできる最大の貢献。

 国葬への旅路が、人類の明暗を分ける。どうしても、行かなくてはならなかった。

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