07.ラルフ視点
「お前を呼んだのは他でもない。他国との共同戦線を張ることとなった。お前にはその一人として戦場に赴いてもらうぞ」
「承知しました」
拒否する理由はない。勿論、戦場に向かえば死ぬことだってあり得る。それでも、このまま見ているだけなんてできない。
人類が共に立ち上がるために、年に数度、戦力強化の交流を深める機会が設けられていた。それぞれの国でお互いに切磋琢磨した戦術を披露し、伝授し、戦力強化に努める。そこで多くを教えてくれた諸先輩方は皆、戦場で散った。一方的な蹂躙は、まるで人類の抵抗など無意味だと言わんばかりの悲惨なものとなる。
どうして俺達は、貪られるだけ貪られて打ち据えられなければならないのか。望みはただ一つ、奴等からの解放。恐怖に慄き、ただ絶望を待つだけの世界が平和になることを願っている。そんな些細な願いすら叶わないのは何故なんだ?
神の巫女であるノインには申し訳ないが、俺は神を信じられない。人類に目の前にある脅威を取り除ける手段を与えてくれない神に、歯痒い気持ちになる。
俺達は一体何なんだ? これでは、悪魔への生贄ではないか。神に縋り祈っても、救いがあるわけではない。信徒はただ、祈りながら死ぬ。それが神の望みなのか? 俺達に救いの手を差し伸べてはくれないのか?
絶望が横たわっている。俺達は俺達の手で、命を賭して戦い勝ち取るしかない。勝てるかどうかも分からない戦いに、戦場に、弔われることのない屍になるために向かうのだ。
心は既に決まっている。陛下が命を下さなくても、俺は行くつもりだった。ただ一つ気がかりなのはノインのこと。あいつはきっと悲しむだろう。村の出身でノインに会いに行ける立場の者は俺以外にいない。俺がいなくなれば、ノインは一人寂しく生きることになる。
我慢強いから、決して弱音は吐かないだろう。だが……いや、考えてはいけない。迷う暇さえないのだから。
陛下は、それに際してマスティカ王国より魔法使いが派遣されて来ると言った。七日後には到着するというので、それまでに戻って来いと言う。
「ノインには悪いが、くれぐれも遅れずに戻ってくるのだぞ」
「はい、必ず」
王宮から出て、急いで寄宿舎に向かう。今から出れば、愛馬ファルコで半日もせず神殿に到着できるはずだ。軽装に着替え、腰から剣を下げて愛馬に跨る。はやし立てて愛馬を急かし、暗くなる前に到着できるよう速度を上げた。
神殿は、雑念を持たないようにと書物の持ち込みが禁止されている。そうは言ってもただ安穏と慎ましい生活だけをさせられるわけではない。外での出来事を話して聞かせてやるぐらいは許されている。
あいつの唯一の楽しみだ。それ以外に見出せる楽しみがないのだから。
ファルコのおかげで、日暮れ前に神殿に到着できた。だが、すぐに入ることを許可されるわけではない。魔法で、俺の姿をした誰かがやってくるということも有り得る。確かに俺自身であると証明されるまで数時、見極めの間と言われる場所で待たなければならない。
俺が持ってきたものはすべて、魔法による身体検査や所持品検査をされ、それらが終わりようやく入ることを許される。ここに来るには、裸になることを恥じらうようでは無理なのだ。着ているものも確認されるのだから当然のこと。勿論、その間何も着ていない状態で放置されるわけではない。ちゃんと簡易的な服を渡される。
確認が済んで中に入ると、陛下より預かったものは聖女に預け、別の聖女の案内でノインのところまで連れていってもらう。いつもなら部屋に連れていかれるのに、こっちの方向は浴室だ。何故?
あ……
「ラルフ」
入浴するための薄着のローブに身を包んだノインがいた。聖女達に甲斐甲斐しく世話をされながら、大浴場へと向かう所だったようだ。だがどうして今なんだ? 大浴場を使うのは、祈りの前の清めの儀式のための準備のはず。祈りは数日前に行われたばかりだろ?
困惑する俺に、ノインは申し訳なさそうに微笑む。まさか、また祈りを捧げようとしているのか?
「話は、入浴しながらでもいい?」
「ノイン、どうして……」
儚げに微笑むばかりで、ノインは理由を言わない。祈りは、誰に強制されてするものでもない。己の意思で行われるもの。つまりノインは、自らの意思で行おうとしている。
ほとんどの時を祈りの捧げ、やせ細っていくノイン。頑なに祈りを捧げている間飲食を取らないから、祈りを捧げる度に体への負担は大きくなっていく。今時の神の巫女は、祈りを捧げている間でも気力を補う飲み物を口にするものだ。だがノインは旧式の、一切の飲食を口にしない方法を取っている。
神が飲食を禁止した訳でもないのに、何故自分の体を犠牲にする? 何故なんだ。
ノインは振り向かない。俺もそれ以上問わない。俺が命を賭けて魔族の軍団と戦うことを決意したように、ノインもノインのできることで戦っている。止められるわけがなかった。
大浴場の湯船を取り囲むように薄い天蓋が掛けられていた。白濁湯と呼ばれる湯からは酸欠を促す成分が出ているため、ここの大浴場は換気のために特殊な造りとなっている。
決して外部からの侵入ができないように、しかしながら浴室内が籠ってしまわないように、最新の技術を用いて安全を確保している。天蓋に使われているベールもその一つで、新鮮な空気が取り込めるよう魔法が施されていると聞いた。
ベールの切れ目の部分にある階段を下りて入浴するノイン。俺はそれを視界に捉えないようにしながら、剣を壁に立てかけて柱にもたれ掛かる。何から話そう。何を話せばいいだろう。ノインが楽しめるような話をしなくてはと思うのに、上手く会話が続かなかった。
やれ、ノインも幼い時に会ったことがある近衛騎士のカフカが妻帯しただの、村で飼っていた犬のワンドがまた大家族の父親になっただの、ノインも幼い頃からの知っている人や動物の近況を話す。世界情勢や魔族の侵攻など、ノインに話せない内容は多い。ここで許された会話は、取り留めのないものばかり。それ以外は教えてはならなかった。
当然、話せる内容が限られている以上会話は止まる。顔を見て安心したいという気持ちもあったから来たが、ノインは以前よりももっと元気がなくなっていた。こんな世界じゃ、笑顔を絶やさず生きていくことは難しい。それでも明らかに笑顔が減っている。こんな頻度で祈りを捧げ続けて、ノインは無事でいられるのか?
「ノイン?」
会話が途切れて少し経ったが、物音一つしない状況に不審に思う。嫌な予感がする。
「ノイン!?」
ベールをかき分け湯船を見るが、ノインの姿がない。まさか、溺れている!? 迷わず飛び込んだのと、ノインが湯船から顔を上げたのは同時だった。
「ノイン、無事か!?」
「え?」
頭から浸かったからか、まつ毛まで濡れていた。驚いて瞬きするノイン。濡れた髪から滴る水滴が顔を伝って落ちていく。しばらく見つめ合っていた。
急に、頭が冷静になる。
「すまん!!」
潜っていただけだ。なんで俺は溺れていると思ったんだ? ノインは、村の側の湖でよく泳いでいたじゃないか。溺れるわけがない。溺れたとしても、助けも呼ばずに湯船の下に沈むわけがないのに。
冷静さを失っている。死と隣り合わせの世界で生きていると、すべてのことに敏感になってしまう。失うのは一瞬だ。フェリシアだって……
服が掴まれて進めなくなる。強く掴まれているわけではないのに、動いてはいけない気がした。振り返ることはできない。
「服が濡れてしまったのだから、このまま湯船に浸かって行けばいいよ。僕はもう行かなきゃ」
そう言って、ノインは横を通り過ぎていく。目を背けた。そのまま階段を上がって湯船から出て、浴室を出て行くノインを感じ取る。拳を握り締めた。
俺が戦地に赴くことも、ノインには告げられない。もしかしたら悟っているのだろうか。神はあらゆる選択肢を神の巫女を通して人類に託す。時勢に疎くとも、神を通して知ることができることもある。
無茶をしている理由が人類のためだとしたら、魔族の軍団との戦いに備えた俺達のためだったとしたら……
もう、神の巫女などやめてしまえばいいのに。お前一人が人類の未来を背負っているわけじゃない。どうして弱音を吐かない? どうして助けを求めてくれないんだ。
死に急ぐようなノインの行動に胸が冷える。俺はノインまで失ってしまうのか? フェリシアだけじゃなく、お前まで。
清めの儀式に向かってしまったノインは、そのまま出てくることはなかった。
何も言えない、何もできないまま、ファルコに跨り神殿を後にする。お前にしかできないこと、俺にしかできないことがある。俺達は、お互いの役目を果たして生きていく。
違う生き方をしていても、願いは同じ。俺達はただ、抗い続けるしかないんだ。