06.ラルフ視点
「第一騎馬隊前へ!!」
号令に従い、第一騎馬隊は縦一列で前進する。馬上という統制の取りにくい状況で隊列を乱さず馬を進め、木枠の前まで来ると先頭から右に馬の進行方向を変えて進んでいく。
「第一騎馬隊その場に止まれ!! 左に向け!!」
馬が一糸乱れず止まり、指示に従い頭をこちらに向ける。
「第二騎馬隊!! 一列横隊にて、第二騎馬隊後方固めー!!」
第一騎馬隊と同じように縦一列で侵入してきた後列の第二騎馬隊は、第一騎馬隊から馬体5頭分の間隔を開けて先頭から右に進行方向を変える。最後尾の騎士の合図で一斉に馬の頭を左に向け、そのまま横一列に歩幅を合わせて進ませるのが一列横隊。第一騎馬隊の真後ろで停止した彼等は、やっと馬上訓練が始まったばかりの新人騎士達に見せつけるようにお手本を披露していた。
まぁ、悪くはない。高山活動も可能な強靭な心臓と肺を持つスレイプニル種の馬は扱いが難しい。それをここまで的確に扱えているのならばいい方だ。
隊長として彼等の連隊訓練を見守っていたら、ウィスリーが駆け寄ってきた。
「隊長! ラルフ隊長!!」
「何だ?」
「先程、シャフロフ王の近衛兵より『早急に王宮へ来られたし』との知らせが参りました」
「分かった。下がっていいぞ」
「失礼致します」
騎馬隊訓練中の軽装備では、王宮に足を踏み入れられない。一度寄宿舎で着替える必要があるな。
何故呼ばれたのか、分からないほど鈍くはない。理由は明白だ。魔族の軍団が動いたのだろう。今度はどの国を襲う気なんだ? 忌々しい。いつまで、人類を脅かすつもりなのか。
「すまないノイン。今回もまた遅れそうだ」
ほとんどの時を神への祈りの時間に充てている神の巫女ノイン。ノインの唯一の楽しみは、外界の世界の話を聞くこと。囚われの身のように神殿に身を潜めて生きるノインには、外の世界は遠い国のようなものだ。数日だけ、祈りを捧げずに済む日に休暇が取れれば会いに行く。それぐらいしか、お前にしてやれることがない。
幼馴染みとはいえ、本当にノインが幼い時ぐらいしか一緒にいてやれなかった。今ではもう、村出身の若い奴は俺とノインしかいない。騎士になりたいという俺の夢を幼かったノインは応援してくれた。年の近い子供がいない寂しさを押し殺して送り出してくれたのが、遠い昔のことのようだ。
連なる頂の要所に設けられた小さな村の中でも、俺達の村は神殿の側にあった。神の巫女を輩出するノインの家系は特に大切にされ、強固な魔法で護られるほど大事にされている。ノインの姉のフェリシアも神の巫女をしていたが、今や帰らぬ人だ。
神の巫女の迎える人生は過酷だった。神官とは違い、神の巫女は直接神の御声を聞く。いわゆる啓示とは異なり、未来の可能性を明示し、選択肢を委ねられるものなのだという。
だからこそ神の巫女の役割はとても重要で、貴重だ。だが一部の愚か者達は、神の巫女を手籠めにできれば神の威光を手に入れられると勝手に思い込み、結果として神の巫女が心身を病み巫女としての力を失ってしまう事態を引き起こした。その上で、役立たずだと捨てるのだ。
神の巫女とて人。愛し愛される当然の関係性を築けない相手に無理やり暴かれてしまえば、心が壊れる。純粋さを失った彼女達は、純潔を失ったと共に命を絶つ者がほとんどで、悲惨な境遇を生き抜いたとしても、もはや神の巫女としての力はない。
誰を攻めるでもなく、ただ己の不幸に涙を流しながら散っていく神の巫女。彼女達の絶対数が減って初めて、愚かな勘違いをしていた者達への非難が巻き起こるが、時すでに遅し。神の巫女は数名しかいなくなっていた。
大切にされ、無体な目になど合わなくても、神の巫女は若くして死ぬ。フェリシアが、そうであったように。
悔しくて堪らない。姉の死を目の当たりにしたノインが、空虚な表情のまま神の巫女になることを決めたのをただ見ていることしかできなかった。男として生まれ育ちながら、神の巫女を輩出する家の出身だというだけで神の声が聞こえたからと己を犠牲にする。
『世界中のお花を集めて、お花屋さんを開くんだ! だって、お花を見ているとみんな笑顔になるでしょ?』
夢を捨てて、人生を捧げる決意を固めたお前に、本当にそれでいいのかと問うことはできなかった。俺の夢を応援してくれたお前が、自分の夢を捨てた姿を見ていられない。お前の決意を尊重する。だが、もしお前がその重圧に耐えられなくなった時は教えて欲しい。お前だけは、絶対に失いたくないから。
正装に着替え、謁見を求める。近衛兵は声高らかに俺の入場を伝えた。
「騎馬隊隊長ラルフ・ソレンス!」
扉が開き、謁見の間に敷かれた絨毯の上を歩く。騎士としての忠誠を尽くし跪くと、陛下はいきなり砕けた口調で問いかけてきた。
「お前、今からノインのところに行くんだろう? 悪いが儂からの土産も一緒に持って行ってくれ!」
「……はい、承知致しました」
「なんだ? 不満そうな顔だな?」
「いえ、そのようなことは御座いません」
言付ければいいだけのことのために呼んだわけではないだろうに、王たる威厳をかなぐり捨てるところから始めるのはやめて頂きたい。しかしさすがの国王陛下。玉座に深く座り直すと、本題を口にする。
「魔族が攻めて来る。メビウス王国が落とされるだろう」
メビウス王国と言えば、周辺を海に囲まれた孤島の国。と言っても、隣国と橋で繋いでいるから完全なる孤島ではない。橋がなくとも、潮が引けば地続きになるところがある。
航行に恵まれた環境なため商業が盛んな国で、海産物が主力産出国。建築の技術力も高く評価されていた。森の次は海か。魔族め、徹底的に人類を縛り上げていくつもりなんだな。
ノアの森は妖精やエルフが住む穏やかな太鼓の森だった。往来はあまり多くはないが、人類と良好な関係を築いていたというのに。それが火の海になったのは、たった数か月前のこと。ノアの森の多くの生き物は魔族の侵攻により死に絶え、エルフは奴隷にされた。耐えがたき苦痛を与えられたエルフ達は、ほとんどが自決したという。
失った森はノアの森の半分ほどだったが、半分も魔族の狂気に触れたことで森の静寂は脅かされた。魔族の蹂躙が止まらない。どうすれば止められるのかすら分からない。
次は、メビウス王国が滅ぶのか。
無力さに思わず拳を握る。メビウス王国はこのガルメンディア王国とはかなり離れているとはいえ、3つしか離れていない。間にあるアダモフスキー王国が横長だから離れていると感じるだけで、実際には魔族にとって遠いということでもないだろう。
何より、そこに暮らす人々の営みが失われるかもしれないという現実が受け入れられない。腹立たしさでおかしくなりそうだ。
ガルメンディア王国は、最も高い山の山頂にある王国として有名だ。神に最も近い国、と称されている。火口の中に大きな王都を造り、そこから連なる山脈の頂に点々と村が存在していた。ガルメンディア王国と同じように山の火口に国を作る形式のクロイツェル王国は、何年も前に魔族の侵攻で滅亡している。ただ、クロイツェル王国の滅亡はどうも不自然な点が多く、魔族の手によるものかどうか未だ判明していないそうだが。
王族が二人ご存命だというが、今はどうしているのだろう。
国が落とされれば、路頭に迷うのは皆同じ。いつ何時どこが侵攻されるか分からない以上、油断はできない。