第9話 地下室での出来事
「君が三浦か……大島組組長のせがれを逃がした」
三浦の隣で同じく拘束具をつけられているその男は体に無数の傷があった。拷問をされたのだろうか。しかしそんな事はおくびにも出さない、飄々とした態度で三浦をガン見している。
口には拘束具が付けられていなかったので喋る事は可能だった。しかし痛々しい体を見せられて、自分も同じように拷問されるのではと恐怖心に襲われている三浦には喋る事なんて不可能だった。
しかしその男は言う。
「あ、多分平気だと思うよ、君は。素人だから拷問される事はないと思うよ。痛みで気絶して何も考えられなくなったり虚偽の発言される事の方が彼らにとって損失だから」
そうやって励ましてくれた、同じように監禁されているその男は声を出すのもやっとだ。口内が腫れているのだろう。
「いや、俺は逃がしてませんよ」
「でもそういう噂が広まってる」
「俺は彼が逃げるという情報をたまたま聞いちゃっただけです」
「へぇ、でも俺には理解出来ねえよ。あれだけ立場が上の家庭に生まれながら逃げる感覚が」
三浦の方こそ分からなかった。
「アヤメがいやなんじゃないですか?それは普通だと思いますよ。だから彼女と逃亡した」
「彼女と一緒なのか?彼は」
三浦は隣にいる百戦錬磨に見える男よりも自分の方が情報を持っている事で優越感に浸る。
「はい。一緒に北海道に逃げるらしいですよ。そこに住んでいる彼女の親戚を頼って」
「本気で逃げきる気だな。仮に多少の不自由があっても、この街で生きる以上の娯楽もスリルもよそじゃ手に入らないだろうに。ま、大島組の戦力が削がれるなら俺にとっては良い事なんだが」
三浦はふと疑問に思った。隣の男に威圧感が無いので、軽い気持ちで訊ねた。
「あなたは誰ですか?」
「俺はあいつら大島組にとっての脅威。あいつらは俺を恐れてる。だからこうやって痛めつける」彼は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「しかし大島組も堕ちたもんだなぁ。関係ない奴を捕まえるなんて」
「……」
隣の男はしばらく考え込んでから三浦を見る。
「いや、そんなポカするか?普通。君、俺に嘘ついてない?」
「ついてないです!本当に彼らの勘違いで巻き込まれただけなんです」
「……ならマジで巻き込まれたタイプか。まあそういう奴も時々来るよ、アヤメには」
三浦はその男を少しだけ信頼しつつあった。10メートル程離れた所にいるので会話はスムーズにとは行かなかったが、声が届く位置にいて心底良かったと三浦は思っていた。
「よく分からないんですけど……アヤメって何なんですか?何が特殊なんですか?」
「特殊なのはこの街の慣習さ。他に何処にもな特別な慣習がここにはある。それは暴力だ」
「暴力?」そんなものどこにでもあるではないか、と三浦は内心思った。
男は続ける。「正確に言うと暴力が正しいとされる風潮、もっと正確に言うなら暴力のみが正しいとされる風潮だな」
「つまりどういう事なんですか?」
「―――いずれ分かる」
その瞬間、二人の頭上で何かがへこんだ音がした。その音はゆっくりと天井を這っている。
蓋が外れる音がする。
「何ですか?あれは」三浦が訊ねる。
蓋を蹴り飛ばし、ダクトの中から出てきたのは一人の女。その女は天井から飛び降りて二人に近づいてきた。「えらく派手にやられたな、日野」
「やっと来たか、野庭。来るの遅いぞ」
野庭と呼ばれたその女性は日野の拘束具を靴から取り出したナイフで次々切っていく。両腕を臍の前でクロスしていた彼は両手が解放された事により生き生きとしている。彼は両腕をぐるぐる回して上半身のあざを手でさする。「肋骨折れてるだろうな、こりゃ」
そんな彼に野庭は訊ねる。「それよりこの少年どうする?」
「ああ、その子も助けといて」と彼は言う。その言葉に三浦は安堵する。置いていかれる可能性が低くはないなと考えていたから。
野庭は彼の拘束具を先ほど同様ナイフで全て切っていく。
「あんたは殴られてないんだな」と興味なさげに彼女は言う。
「……今連れてこられたばかりですから」
彼が解放されるや否や、二人はジャンプしてダクトに手を掛ける。そしてみるみる内に中に入っていく。「君も来なよ」と日野の低い声がダクトの中から聞こえる。慌てて三浦はダクトへとジャンプした。
体育館のバスケリングに届くか、野球部の連中と試した事がある。三浦はゴールネットに触れるのがやっとだった。あまりジャンプ力は高くなかった。
案の定ジャンプするもダクトには届かない。彼はしばらく思案する。そのダクトは壁に近かった。
(……この距離なら)彼が考えていると再び日野の声が聞こえた。「置いてくぞ!」
考えている時間は無かった。
彼は壁へと走る。そして壁を蹴りダクトへと跳んだ。ちょうど届いた。
そのまま身を捩りダクトへと体を捻じ込む。日野の尻は大分前にあった。三浦は急いで彼を追う。這って前に進むのは難しかったがすぐに慣れた。こんな感じの這い方を彼は野球部の練習で経験した事があった。
(雨の日はこんな感じの意味わからない筋トレを死ぬほどやらされてたな、校舎の中で)
廊下を上半身のみの力で這うというトレーニング。それを彼は思い出していた。
その時の手が擦れる感覚、肺が自らの体重で押しつぶされる痛み。全てが懐かしい。
そして三浦は地下室を出た。縦にダクトを昇る時は死ぬ程きつかったがそれでも何とか辿り着いた。
しばらくぶりに外気に触れた。外壁のダクト穴は板金ごと外されている。
「静かにしろよ」
辺りは暗いが三浦は自分の服が相当汚れている事に気付く。だがそんな物を払う時間は無い。
前の2人は体勢を低くしてどんどん先へと進む。野放図に生えた芝生の上を足音を立てずに。
そしてフェンスに辿り着くと、一か所だけ有刺鉄線の外れている所へと二人はまっすぐ昇って行った。
三浦もそれに続く。
フェンスから飛び降りるとそこには黒いSUVが停められている。日野は三浦をその中へと招き入れる。
「失礼します……」そして彼ら3人を乗せたSUVはその場所を去っていく。
警戒態勢はそれ程強くはなかった。監視カメラにも死角があり、見張りもいない。
それもその筈、この大島組はアヤメに於いてそれ程大きな規模の暴力団ではない。三浦はそれすら知らない程、まだこの段階ではアヤメに対して無知だった。