第18話 「病院に行先を変えて!」いつか殺そうと思った瞬間
大和憐、10歳の時。
彼は優しさが顔にまでにじみ出ている、そしてその優しさによて大いに人生を狂わされてきた母と共に遠出していた。
「久しぶりに二人きりで旅行ね」
「いつもはアヤメから一歩も出してくれないのに、今日に限って許可したんだろう」
「それは憐の誕生日だからじゃない?」
しかし大和は斜め下を向いて自嘲気味に笑う。「普段は邪険に扱っといてたまに飴を使うやり方が気に入らないんだよ」
だが母は隣を歩いている大和の頭を優しく撫でて諭すように言った。
「そんなに父さんを嫌わないであげて。彼も頑張ってるんだから」
「組の事をね。子供の事なんかどうでもいいと思ってるに決まってる」
「そんな事ないよ」
あくまで母は父を擁護する。その事実に腹を立てながら、しかし大和はそんな母だからこそ全幅の信頼と愛を抱いていた。
「今からどこに行くの?」
母はいつも通りの優しい顔で言った。「とっても楽しいところ」
大和には予想がついていた。母がそう言う時はいつも動物園に行かされる。
昨年も一昨年も、その前の年も。誕生日は決まって同じ動物園なのだ。
だが母に同情もしていた。父に束縛されてアヤメ以外に娯楽の場所を知らないのだろう。そんな中精一杯楽しませてくれようとしている母の事を誰が責められようか。
大和は子供にしてはませていた。だからそんな風に自分も大人になったように物を見ていた。
「すごい!キリンだ」
隣で大きな声を出す子供がいた。大和は驚いてそちらを向く。自分と同年代だろうか、その子供は柵を乗り出すくらいの熱気でキリンを見ていた。その背後に彼の母親がいた。大和の関心はそちらに向く。彼の母は大和の母とは対照的に腕組みをして子供を見ていた。
「粕!柵から乗り出すと危ねえぞ」口調も荒々しい。彼女を見て大和は言葉を失った。
(母親なのにあんなに厳しいなんて……)
しかし母親を無視してその子供は走り回る。結果的に他の客にぶつかって母親に雷を落とされていたがその叱責の中に大和は愛情を感じ取っていた。誰よりも愛情を尊い物だと知っている彼だからこそ他の家族の愛情にさえ気づけた。
「そろそろ帰ろうか」
母は咳込んでいた。その日は気温も低かった為か彼女は朝から体調が悪かった。
(まだ……全然回れてないのに)
大和は内心不満だった。だけど母に疎まれたくなかった。そうなってしまったら一人っきりになってしまう。だから彼は自分の気持ちを押し殺して、本当はもっと見たかったキリンに背を向けて母のもとに駆け寄る。繋いだ手は温かかった。
「私ビール買ってくるから、あんまり遠くいくなよ」
「分かってる」
先程の家族がそんなやり取りをしていた。大和は顔だけ後ろを振り返った。その家族なんてちっとも羨ましくなかった。だけど何故か心にわだかまりを抱えていた。
結局、その日は微妙な誕生日になった。
帰りの車で母はずっとぐったりしていた。そんな母の熱い左手を彼はずっと握りしめていた。
しかし段々と彼女の体から力が抜けていく。それを見て大和は叫ぶ。
「林さん!病院に行先を変えて!」
林と呼ばれた運転手は唸るような低い声で返事をして黒いセダンをUターンさせた。
病院は大島組のナワバリにあるので他の組からの襲撃の心配はなかった。
だが一応大和は父へと連絡した。彼は自分の携帯電話を持たされていた。しかし父に電話を掛けるのは初めてだった。直接話したのも3ヶ月前が最後。だから連絡したはいいものの言葉が出てこなかった。
「どうした?」
一言も発さないまま震える手でかろうじて携帯を握っていた。あまりに話せないので運転手の耳元に携帯をかざし代弁してもらった。
そしてそこからしばらくして、ようやくセダンは病院に到着した。ロビーには車椅子を持った看護士数人が待機していた。母はそれに乗せられて素早く病室へと運び込まれた。
結局その夜中ずっと母は高熱で苦しんでいた。
病室で運転手の林と共に大和は必死に母の看病をした。その間、組長である父の部下は来たが、父が姿を見せる事はなかった。そしてそれは翌日も同じだった。
退院するまで一度も父は来なかった。その時に大和は決意した。
いつかこの人を殺そうと。そして母と共に幸せな生活をすべくアヤメから出よう、と。
時は現代に戻る。
「やべ、電車乗り遅れる」
別所は三浦とは違って予備校に通っていた。しかし遅刻癖があった。なので早足で二車線の道路わきを走っていた。歩道は1メートル程の幅しかないが車がほとんど通らない道だったので危険はない。しかし彼の後ろから一台のSUVがやって来た。そして別所の進路をふさぐように歩道へ乗り上げ停車した。
「?」別所はその車が何なのか分からない。足を止めてから、避けるように車道側に歩き出す。だがその瞬間。車の扉が開き目出し帽の男が出てくるや否や別所を車内に引きずり込んだ。
声を出す時間さえなかった。
その車の窓にはスモークフィルムが貼られていて外からは中の様子が見えない。別所は危機を感じ、男に飛び掛かる。だが相手が馬乗りになっているので力は入らない。
そのまま後部座席でたこ殴りにされた。
「悪いな、お前に恨みは無いんだが」
別所は顔から血を流しながら目出し帽の奥にある瞳を見つめる。その瞳にも声にも覚えがあった。
だが誰かは思い出せない。そして彼はそのまま気を失った。
「あと誰だっけ三浦の友達って」
それが最後に聞いた言葉だった。
大和は目出し帽を取り、後部座席から運転席に座りなおす。




