第12話 「俺の邪魔をすんじゃねえ!」和式便所での騒乱
「トイレ行ってきます」
「おお、行ってこい」
同室のおじさんはいとも簡単に許可をした。昼食の牛丼を掻き込みつつ三浦をチラ見する。
席を立った三浦は自らの牛丼をトレーごと席に置き、食堂の出入り口から外に出る。久方ぶりの外の空気を肺一杯に吸い込む。
「よし」
トイレのある方向へと三浦は歩き出す。2つのトイレは既に使われていて、更に3人が並んでいた。
彼はその後ろに並ぶ。「あの……」一番後ろに並んでいた白髪で背筋の伸びた汗まみれのおじさんに話し掛ける。
「ここの近くにコンビニってありますかね?」
最初はあくまで自然に、脱走するとばれないように。しかしそのおじさんは訝しがる。
「あ?なんでそんな事訊くんだ?」
「いや、飲み物でも買ってこようかなと思いまして」
「ここから出たらすぐに連れ戻されるぞ」おじさんは鼻で笑いながら言う。
「コンビニもダメなんですか?」
おじさんは半ば無視しながら返す。「俺は平気だけどお前がどうかは知らない。働き始めて一か月以内の奴は逃げたら半殺しだしコンビニに行っても数発は殴られる」
なんて世界だ、と三浦は思わず絶句してしまう。
結局そのおじさんはそこからは一言も返してくれなくなった。
(だがリスクがあるとしても絶対に抜け出してやる、出来ればこの昼休み中に)
時刻は12時15分。あと45分で昼休憩が終わる。時間の余裕があるようでなかった。
そのまま5分ほど突っ立ったまま待っていた。前のおじさんがトイレに入った。三浦は後ろを確認する。彼の後ろには誰も並んでいない。
彼の脳裏に一つのアイデアが浮かぶ。ここまで何の情報も聞き出せていない。彼の口が達者でないのも理由の一つだろうがそれ以上にこの工場で働いている連中は自分に関わるなというオーラを体から発している。故に彼は近くを通る人にも話し掛けられないでいた。
だがチャンスは来た。
彼は白髪のおじさんが入っていったトイレにずかずか入っていく。大便中に三浦がトイレに入ってきた事にそのおじさんも驚きを隠せない。「おい!何してんだ」
三浦は口元に人差し指を当てて冷静に諭す。「落ち着いてください。俺今3000円持ってるんでそれで情報を売ってください」
おじさんの目を見てそう言った。彼は咀嚼に時間を使った後、口元を綻ばせた。
「本当に3000円くれるのか?」
「はい。その代わり、ここの住所とアヤメの外に最短で行けるルートを教えてください」
白髪のおじさんはにかっと笑いながら便を勢いよく放出する。「俺はなぁ、3年前までこの工場にはいなかった。外で組の情報収集を請け負ってたから道には詳しいぜ」
余計な事は言わなくていいから訊いたことだけ答えろ、と三浦は内心思っていたが、口に出すと機嫌を損ねそうなので黙って同調する。「そうなんですか」
「ああ。結局楽に食っていく為にこの工場で働く事になったが、ここが本当に労働者の待遇がひどいぜ。丸一日働いて1000円しかくれねえからな。家畜の餌みたいな飯と馬鹿狭い宿には泊まらせてくれるから野ざらしにはならないがな」
「はい」
「で、ここがどこかだっけか?詳しい住所は知らねえがここは佐竹町の北に位置しているアヤメって場所だ。そんくらいは知ってるか?この工場はそのアヤメの中でも南側にある」
三浦は聞き洩らさないように集中していた。
白髪の男は尻をトイレットペーパーで拭きながら続ける。
「このトイレの裏っかわにある林を抜けたら公園に出る。その公園の奥に二車線の道路があるからそこで適当に拾ってもらいな」
「拾ってもらう?」
白髪のおじさんはサムズアップで腕を横に伸ばす。「こうやってやったら車が止まる。数千円渡せば外までは乗せていってもらえるだろう」
三浦は微笑む。これでようやくこの忌々しい街から出られる算段がついた。
「おい、金は?」と要求してきた白髪のおじさんに約束通り三千円だけ渡す。それを受け取り彼はにんまり笑いながらトイレを去る。三浦は一人残されたトイレで深呼吸をして頭を整理する。色々やるべき事はあるがまずは……
(ばれないようにまずはここを出る。それが大事だ)
彼はしゃがみ込み、僅かに隙間のあるトイレの扉から外の様子を伺う。一人だけ並んでいる男の足が見える。そいつ以外に人はいない。そいつが自分と入れ替わりにこのトイレに入った瞬間、トイレの裏にある林へと逃げる。気を付ける事は絶対に走らない事。もしも誰かしらが工場からトイレ側に出てきて、目撃されたとしても逃げていると思われないように。
(堂々と歩いていれば、新入りが逃亡しているとは思わないだろ)
彼は再び深呼吸をしてトイレの扉を開けて外に出る。
だが―――
「逃げるんだってな」
見下すような目をしてそこに立っていたのは、あの同室のおじさんだった。
(あの白髪じじい裏切りやがった!)
白髪のおじさんが笑顔で振り返って三浦を見る。三浦の落ち度だ、金を渡してしまえば最後、行動は縛れない。
同室のおじさんは拳を握りしめている。そして三浦の方向へとみるみる内に近づいてくる。気付いた時には三浦は顔面を殴られていた。
トイレの奥の壁へと吹き飛ばされた。三浦は頬を押さえてへたり込む。
(痛い……)
だが学校で気を失った時とは状況が違う。もしもここで気を失ったら何をされるか分かったもんじゃない。
「逃げようとする奴には教育してやる許可をもらってるんでな」
同室のおじさんは再び拳を振りかぶる。
その時、三浦の中で何かが切れた。目の前の男に対する殺意がむくむくと湧き上がってくる。
「てめえぶっ殺すぞ」三浦はかっと目を見開く。
そして目の前のおじさんの鳩尾に鋭いアッパーカットを入れる。おじさんは口から汚い何かを吐き出して和式便所の便器の中に片膝を落とす。ちょうどいい高さに落ちてきたおじさんの頭に三浦は思いっきり膝をかます。鈍い音がした。
おじさんはそのまま膝立ちの状態で後ろに倒れる。
「俺の邪魔をすんじゃねえ」
おじさんの体を踏み越えて三浦は再び外に足を踏み出す。幸い誰にもこの暴行を見られていない。
ようやく運が自分に味方しているのだと三浦は理解する。
そして堂々とした態度で林へと歩いていく。




