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野心家令嬢の謀 後編

ミリアナは宿を探した。手続きをおえ、部屋に入ると緊張の糸が途切れた。

ミゲルの様子を思い出すと涙が止まらなかった。

優しいミゲルが迷惑と言うのは相当だった。生まれて初めて聞いた言葉だった。ミゲルのことを思い出しながら泣き崩れて、眠りに落ちた。


眩しい光で目覚めた時には昼過ぎだった。ミリアナは何も口に入れていなかってので食事を頼もうとすると、女将がミリアナの顔を見て悲鳴をあげた。

女将は年頃の少女の腫れぼったい瞼を放ってはおけなかった。


「姉ちゃん、その顔、」

「お見苦しい所を申し訳ありません」

「旅の恥は掛け捨てだ。同じ女として聞いてやるよ。話してみな」


ミリアナは弱っていた。女将の優しさに、涙を流しながら失恋を語った。どうしても自分を選んでもらえず、他の男と婚姻するのが嫌で飛び出したと。女将はミリアナが罪人の送られる修道院を目指している話に放っておけなかった。罪のない少女が失恋の痛手で駆け込む場所ではない。女将はミリアナにしばらくうちで手伝いをしてほしいと頼んだ。

失恋は新たな出会いと時の流れで癒やすしかない。ミリアナは急ぐ旅でもないので、頷いた。生家も忙しいので、自分を探すことはないと思っていた。

伯爵令嬢のミリアナは給仕の経験はない。女将はミリアナに根気強く教えた。ミリアナは記憶力は良かったので、注文を受けることと会計は得意だった。


ミリアナは宿屋の食堂でミイとして働きはじめた。

美少女の給仕に男性客が殺到した。肉体労働が初めてだったので働いて、眠っての繰り返しに自分が何をしているかわからなくなった。でもなにも考えずにすむ時間はありがたかった。

宿屋で働き始めて一週間がたち、女将に休めと追い出されミリアナは村を歩いていた。平民だったら、好きな相手と一緒になれたかなと周りの恋人達を見ながらぼんやり歩いていた。恋人達を見ていると、ミゲルのことが頭に浮かんだ。余計なことは考えないために宿に帰ることにした。

扉を開けるとヘンリーがいた。ミリアナは気づかないふりをして、通り過ぎようとした。腕を掴まれて失敗を悟った。


「いらっしゃいませ、お客様、なにか御用ですか?」

「用があるのはお前だよ。何をしているんだ?」


ヘンリーはミリアナが修道院に行くと思っていた。修道院に姿を現さないため情報を探したら、宿屋で給仕をしていると知った。男に囲まれて笑顔で給仕している様子を聞き、慌てて駆けつけた。


「人手不足の宿屋のお手伝いです。」

「代わりに人をやる。お前は勝手に飛び出して何をやってるんだ?」

「ミイ、話すなら食堂で話しな。」

「女将さん、人違いです。こんな人は知りません」


ヘンリーはミリアナの様子に笑った。


「平民のミイなら俺の命令には従うよな」

「横暴な命令をだすなんて、お貴族様はなんて恐ろしい」

「女将、借りてくぞ」


怯えたフリをするミリアナは引きづられて、部屋に放り込まれた。女将は助けたくても貴族の命令には逆らえなかった。

観念して纏めた髪を解いてミイからミリアナの姿に戻った。


「用件はなんですか?貴方の秘密はバラしてません」

「せっかくだから一杯やろう。良い酒が手に入った。」


ヘンリーはグラスに酒を注いで、ミリアナに持たせた。

相手が強引な性格であることを知っているミリアナは酒に口をつけた。自分好みの味に思わず笑顔がこぼれた。


「うまいだろ?今日は俺の奢りだ。好きなだけ飲め。お前の仕事はうちの侍従にやらせる」


女将に迷惑がかからないのなら、ミリアナはヘンリーの誘いに頷くことにした。それほど酒が気に入った。ミリアナはヘンリーの話に耳を傾けながら、酒に酔っていた。ヘンリーの語るミゲルとミリアナの話に違和感を覚えながらも、ぼんやりした頭ではわからなかった。


「ミリアナ、迷子になったことを覚えてるか?」

「うん」

「いないことに気づいて、必死で探したんだ。足を挫いたお前を背中に背負って。」

「うん?」

「幼い頃だから忘れたか。まだ体が小さかったからフラフラして、そんな俺にお前は笑っていたよな」


ヘンリーが懐かしそうに語っているのはミリアナとミゲルの記憶である。ヘンリーは弱っているミリアナの隙につけ込む気満々だった。ミゲルとの大事な記憶を塗り替えようとしていた。長年、ミリアナの話に耳を傾けたヘンリーだからできることだった。ヘンリーの話に耳を傾けながらミリアナが船を漕ぎ出したので、ミリアナの部屋まで送って立ち去った。女将に金を握らせて自分が来たことはミリアナに内密にすることを頼んだ。また自分の部屋を一週間ほど借りる契約をして立ち去った。


***


ミリアナは朝起きてぼんやりしていた。


「ミイおはよう!手伝ってくれるかい?」


ミリアナは女将の声に慌てて支度をして部屋を出た。女将はミリアナの普段通りの様子に安堵していた。ヘンリーとの関係はわからないが、深い事情があることは気づいていた。

その夜、ミリアナは宿屋に食事に来ているヘンリーを見つけた。食事を注文するヘンリーに自分のことは気づいてないことに安心したが、名前を呼ばれて諦めた。

その晩もミリアナはヘンリーの部屋で酒を飲み、ミゲルとの思い出話がヘンリーに置き換えられた話を聞いていた。ミリアナはお酒が好きだ。ただ飲みすぎると記憶を飛ばす悪癖があった。ぼんやり残っていても夢か現実かわからなかった。


ミリアナは女将に部屋を追い出されて時間を潰すために市に出かけると男に絡まれた。


「ミリー」


自分の名前を呼んで背中に庇う男の姿に違和感を覚えた。


「探したよ。一人で出かけたら危ないだろう?」


ミリアナはヘンリーに連れられて、その場を後にした。


「ヘンリー様?」


路地裏に行き、肩に手を置き自分の顔を覗き込む男の姿に違和感を拭えなかった。


「探した。心配したよ。無事でよかった」


昔のミゲルの行動そのままだった。ミリアナは2回瞬きをして、目の前にいるのが、ミゲルではないことを確認した。動揺しているミリアナにヘンリーは笑いそうになるのを隠した。


「ヘンリー様、具合が悪いんですか?」

「絡まれたから助けてやったのに」

「ありがとうございました。それでは」


ミリアナは礼をして立ち去ろうとする腕を掴まれてた。


「お礼に付き合ってよ。俺、暇なんだよ」


ヘンリーはミリアナの返答を聞かずに手を引いて歩いた。ミリアナはヘンリーに腕を引かれることに懐かしさを覚える自分に戸惑った。いつも振り払うのに、静かに手を引かれているミリアナにヘンリーは満足そうに笑った。

二人はベンチに座った。ミリアナは差し出されるパイに噛り付いた。食べ終わったミリアナの頬についた食べかすを払いながら、ヘンリーらしくない優しい笑みを浮かべた。


「ミリアナ、俺と一緒に過ごそう。俺ならずっと一緒にいるよ。離れていかない。絶対に。」


ミゲルにそっくりの行動をするヘンリーの言葉はミリアナがミゲルから貰いたくてたまらない言葉だった。


「わたくしは」

「俺とのことを考えてみて。」

「わたくしは、」


ミリアナは首を横に振った。欲しい言葉の相手が違った。目を閉じて愛しい人を思い浮かべた。


「病気になっても、怪我をしても手を握ってるよ。ミリアナが眠るまで、側にいる。ミリー」


うまく思い描けなかった。零される言葉が愛しい人の言葉と同じだった。

ミリアナは混乱していた。自分のなかでミゲルとヘンリーの記憶がぐちゃぐちゃになっていた。


「ミリーは悪い夢を見ていたんだ。ミリーは誰に恋してたの?」


ミリアナを愛称で呼ぶのは家族とミゲルだけだった。ミリアナは決して他の人間に愛称で呼ぶことを許さなかった。ポツポツと雨が降り始めていた。ヘンリーとミゲルの声が重なって聞こえていた。


「悪い夢?」

「いつ恋したか覚えている?」

「迷子になって、見つけてくれた」

「俺の頼りない背中に助けたいって思ってくれたんだろ?」

「え?」

「ミリーの気持ちは嬉しいよ。これからもずっと一緒にいよう。」


ミリアナの欲しくてたまらなかった言葉だった。でも違和感は拭えなかった。

気を失ったミリアナを抱きとめたヘンリーは宿を目指した。雨はどんどん強くなり宿に着くころには二人はびしょ濡れだった。女将は二人を見て悲鳴をあげた。ヘンリーはミリアナの着替えを女将に任せた。女将に着替えさせられてもミリアナは眠ったままだった。

翌朝、ミリアナは高熱を出した。ヘンリーは別邸に連れて帰り医者を手配した。風邪という言葉に安堵した。ミリアナに死なれてはヘンリーの苦労が水の泡だった。


ヘンリーはミリアナの手を握りずっと付き添った。時々目を開けるミリアナに微笑みかけて、お休みといい寝かしつけていた。ミリアナがミゲルをますます好きになった思い出の一つだった。目を開けると優しい笑顔がむけられるのが堪らなかったという話しをヘンリーは覚えていた。


高熱で意識が朦朧とする中、ミリアナは自分に優しくし声をかける相手に手を伸ばすと自分の手が握られることに安心して再び眠りについた。


翌日にミリアナの熱が下がった。目を覚ますと、自分の横で手を握っている相手に目を丸くした。ミリアナはゆっくり起き上がり、眠っているヘンリーに目を向けた。

ヘンリーはミリアナにとっては取引相手だ。

具合の悪い自分をわざわざ看病してくれたのが意外だった。自分勝手な性格の相手だと知っていた。布団をヘンリーに掛けようとするとヘンリーが起き出した。

起きているミリアナを見て、ヘンリーはきつく抱きしめた。ミリアナは突然の行動に驚いた。


「なに!?」

「無事でよかった」

「看病ありがとうございました。まさか貴方に看病されるとは思いませんでした。令嬢に抱きつくものではありません。離れてください」


いつもの素っ気ないミリアナにヘンリーは複雑だった。抱擁しても全く照れもしない相手に自分が意識されていないことを認識した。ヘンリーはミゲルの振りをやめて、いつもの調子で話しかけた。


「冷たいな」

「突き飛ばさないことを感謝してください。私、女将さんに連絡しないといけません。失礼します。お礼は後日用意させていだきます」


胸を押しても腕を解かない様子にミリアナは睨みつけた。


「離れてください。」

「容赦ない。」


ヘンリーは腕からミリアナを解放した。確かにミリアナに殴られなかったのは進歩である。ミリアナは必要以上に他人に肌を触れさせることはなかった。私的に会うミリアナはヘンリーの差し出す手を握る事さえなかった。ふざけて肩を抱いたら、足を強く踏まれるような殺伐とした関係だった。



「女将には伝えてある。そろそろ帰らないか?」

「私は」

「お前のミゲルはお見合いしてたよ」


ミリアナは呆然とした。ミゲルの動向がわからなかった。今まではわからないことなどなかった。全く相手にされないことはわかっていた。でもミリアナがいなくなって探しもしないでお見合いという言葉に心の中で何かが崩れる音がした。幼い頃からずっと大事にしていたものが。いつもいなくなれば探しにきてくれた人。ミリアナの家族は放任主義だ。ミリアナを探してくれるのはミゲルだけだった。いつも見つけて傍にいたのはミゲルだ。心のどこかで姿を消せばまた探しに来てくれると思っていた。女将の誘いを受けたのは最後の賭けだった。忙しい日々におわれた中でミゲルを探していた。ただいなかった。いつも差し伸べてくれる手は自分のものではなかった。


「平民に産まれたかった」


ポツリとこぼしたミリアナにヘンリーが手を差し伸べた。


「平民ならできないことをやろうぜ。俺とお前が組めば最強だ」


ミリアナはいつも通り、ヘンリーの手を無視した。


「私は貴方みたいにお気楽じゃないのよ」

「婚約邪魔しなくていいのか」

「なんだろう。酔いが冷めました。追っても無駄ならやめます。」

「嫁ぐ気になったのか」

「なりません。どうせなら一人で自由気ままに生きていきたい。でもさすがにそろそろ帰らないとまずい気がします。」

「俺が飼ってやるよ」

「私は飼われる趣味はありません。看病ありがとうございました。お礼として後日情報を送ります」

「うちは今は情報はいらない」

「無駄な情報などありません。では後日、別の何かを届けさせます」

「それなら今もらうよ」


ヘンリーはミリアナの額に口づけた。ヘンリーの様子にミリアナは妖艶に微笑んで、唇を重ねた。ミリアナから与えられる熱にヘンリーは酔いしれていた。ミリアナはヘンリーの体が熱くなるのを感じて唇を離した。


「これで充分ですか?では私は失礼します」


赤面して呆然とするヘンリーを残して、別邸を後にした。近くで馬を借りて、女将に挨拶をして家に帰ることにした。固まったヘンリーのことなど頭には一切残っていなかった。


ミリアナは好奇心旺盛の人間だった。幼い頃から町に出て、色んなことを学んでいた。人を意のままに操る快楽のことも知っていた。

ミリアナの親しい妖艶な情報屋はミリアナに様々な知識を与えてくれた。色仕掛けや口づけの仕方を教えてくれたのもその女だった。男は愚かよ。心が伴わない口づけでも気付かない。甘い笑顔と言葉と口づけで意のままよと。ミリアナは女とかわした口づけに何も思わなかった。ただ安売りは駄目だと教わった。最終手段と。ミリアナは伯爵令嬢だった。最後のラインは守らないといけないことはわかっていた。

ただミゲルのために必要だった。ミゲルの父親は善良な人間だった。すぐに人に騙され、借金を作った。ミリアナは監視役が必要だと考えた。ただ当時のミリアナには監視を雇えるほどの力はなかった。だからミリアナは自分を使った。ミリアナに陥落された男はミゲルの父親の秘書をつとめている。子爵は自分の秘書の忠誠がミリアナにあることは知らない。だからミゲルの情報もミリアナには筒向けだった。


ミリアナは屋敷に帰ると父親に呼び出された。


「ミリアナ、予定が詰まっているのに抜け出すとは」


ミリアナは父の長いお説教を静かに聞いていた。流石に2週間も抜け出したのはやりすぎだと思っていた。予定が詰まっていたことも知っていた。


「お父様、申しわけありません。明日からまた予定通りで構いません。療養があけたらしく振舞います。お見合いも好きにいれてください。縁談はお父様の意思に従います」

「諦めたのか?」

「さすがに婚約者を迎えた方を想うほど愚かな人間ではありません」

「耳が早いな。婚約までは決まっておらんよ」

「誠実な方です。お見合いすれば決まったようなものです」


伯爵は娘の成長を喜べばいいかわからなかった。

オリバーは父の部屋から出て来た妹の頭を叩いた。


「お兄様!?」

「修道院まで迎えに行った俺の苦労を返せ」


ミリアナは叩かれた頭を抑えながら目を丸くした。


「お兄様が?心配してくれたんですか?」

「罪人が送られる牢獄の名ばかりの修道院に妹を送れるか。ミリアナが入れないよう手を回しに行ったんだよ。ミゲルに振られたんだろう?」

「私は迷惑だったみたいです。もう迎えにきてくれません。もう疲れてしまいました」


いつも強気な妹の頭を撫でた。兄は手を振り払わない妹に驚きながらも、優しく撫でることにした。

ミリアナは珍しく心配している兄に笑った。オリバーはミリアナから見れば不器用な人間だった。今まではミゲルのために生きていた。でもミゲルには自分はいらない。なら不器用な兄を支えるのもいいかもしれないと思い始めた。ミリアナの兄は平凡な人間だった。家を大きくしたら兄は慌てふためくだろう。想像したミリアナは愉快な思い付きにニヤリと笑った。これからは兄で遊ぶ人生にシフトチェンジすることにした。隣の子爵家のことは捨て置くことにした。自分を選ばなかった人間に尽くせるほどミリアナは優れた人間ではなかった。



ミゲルはミリアナが帰ったことを知っていた。会いにこないことに寂しさを覚えながら、自分からは会いにいくことはしなかった。ミリアナと一月も会わないなんて初めてだった。

窓から見える元気な姿にほっとする自分の気持ちには目を背けることにした。



ミリアナは社交と夜会に積極的に参加していた。お見合いも継続中だった。

毎日、午前のお見合いの時間に会う相手を睨みつけた。

2回目までは我慢した。ただ3回目は無理だった。


「暇なんですか?」


ヘンリーはミリアナの午前中の時間を抑えていた。嫌そうな顔をするミリアナに笑った。迷惑そうにするのに律儀に最後までヘンリーに付き合うミリアナに内心喜んでいた。


「一緒にいるって言っただろう?」

「了承した覚えはありません。」


「将来、毎日顔を合わせるんだ。今から慣れておいてもいいだろう」

「暇なんですね。暇な貴方にあげます」


ミリアナは勝気な顔で笑うヘンリーに紙束を渡した。ミゲルの家のために立てた計画だった。自分の生家では利が少ないため、必要なかった。ただもう契約だけすませれば済む段階までこぎつけていた。秘書に子爵を説得させて契約の場を整えるだけだった。せっかくなので幅広く事業を展開する目の前に相手に譲ることにした。ヘンリーはふざけた顔をやめて書類を静かに読みはじめた。


「これがうまくいけば爵位上がっただろうな」

「私の成人までに伯爵まで上げる気でしたよ。でも必要ありません。」

「俺に譲ってくれるのは?」


ヘンリーの淡い期待を容赦なく打ち砕く無関心な表情だった。


「うちには必要ありません。ただこの計画が頓挫すれば困る民が出ます。必要ないなら他に回します」

「お前の貴族の伝手は俺だけだろ?」

「最近は貴方以外もありますよ。中々話が合う方が多くて楽しいです。うちの事業は全く手をつけていなかったので」


ミリアナはお見合いを通して人脈作りをしていた。伯爵はミリアナに1年の猶予をくれた。上位の貴族達が強引な手段をとらないようにミリアナは手を回していた。ミリアナは社交も得意だった。

ミリアナの言葉にヘンリーの機嫌が悪くなった。ミリアナの秘密の顔を自分だけが知ることに優越感を抱いていた。


「まずはお得意様優先じゃないか?」

「優先すべきは家の利です。私と貴方の間はなにもありません」

「一夜を共にしたのに?」

「栓なきこと。私たちの間に特に何もありません」


ヘンリーはミリアナの呆気からんとした様子に茫然とした。


「ミゲルとはどこまで」

「ミゲル様にはしません。潔癖ですから。私も選んでます。ヘンリー様が思っていたより純情で驚きましたが、お嫌ではなかったでしょ?」


首を傾げたミリアナのふっくらとした唇に視線を奪われヘンリーは赤面した。

愉快に笑ったイリアナはヘンリーの手土産に口をつけた。毎回手土産に好みの菓子を用意するところは商談相手として気に入っていた。

ミリアナはヘンリーで遊ぶ時間が嫌いではなかった。


夜会に参加したミリアナはミゲルが連れている令嬢をそっと見つめた。穏やかそうな二人の様子はお似合いに見えた。自分が穏やかな性格ではないことはわかっていた。いつものように邪魔する気もおきなかった。ミリアナもそれなりに人気があった。本当に欲しい相手が手に入らない虚しさを忘れるために喧噪の中に紛れていった。


ミゲルはミリアナの様子に気付いていた。顔をプイっと背けて消えていく幼なじみに。

自分のエスコートする令嬢の視線を感じ慌てて微笑みかけた。あの背中を追いかける権利は自分にはないと言い聞かせて。


ミリアナは何曲かダンスを踊り、バルコニーでたたずんでいた。珍しくいつもしつこく絡んでくる相手がいなかった。静かでいいかと思い直した。

お開きの時間も近づいたので挨拶をして帰ろうとすると、庭園の噴水で寄り添うミゲルを見つけた。ミゲルは酒に酔った令嬢に甘えられていた。ミゲルの胸に手をあてて、口づけをねだる令嬢はミリアナには不快でしかなかった。戸惑いながら肩に手をおいたままのミゲルにも。ミリアナの目から涙が溢れていた。ミリアナは礼儀など頭から抜け落ちでその場から駆けだした。

庭園の奥にすごい速さで走っていくミリアナを、ミゲルは追ってしまった。令嬢の言葉は耳に入らなかった。頭の中にはミリアナの泣き顔しかなかった。



ミリアナは腕を引かれて立ち止まった。振り返ると、もう決して追いかけてこないはずの人物だった。

ミゲルはミリアナの顔を覗きこんで、涙を優しく拭った。


「どうした?」


ミリアナの頭はごちゃごちゃだった。


「どこか痛いか?馬車まで歩けるか?」


下を向いたミリアナをミゲルが抱き上げた。


「家に帰って手当しよう。また靴が合わなかったか」


ミリアナが合わない靴を履いて、ダンスして怪我をしたのははるか昔の記憶である。

かわらない優しさがたまらなかった。


「好き」


こぼれた言葉にミゲルは悩んだ。儚気に呟く顔から目が離せなかった。いつも勝気で強気で強引なミリアナからは想像もできなかった。顔を合わせずに物足りなかった日々に気付いていた。毎日笑顔で婚約を迫る幼なじみとの時間を自分は本当は嫌ではなかったことも。

令嬢とのお茶ではミリアナと比べてしまっていた。続かない会話に見惚れられる姿に違和感しかなかった。


「苦労させる。逃げるか?」


ミリアナはミゲルの言葉が信じられず、首を傾げた。

ミゲルは自分の零した言葉に気付き焦った。


「もう1回言って」


ミリアナは黙り込んだミゲルの胸を引っ張り、見つめた。


「全部捨てても俺を選ぶ?」


ミリアナは頷いた。


「いらない。家もお金も、綺麗なドレスも。ミゲルの手だけあればいい。」

「俺は平凡な男だよ」

「貴方のことは誰よりも知ってる。貴方が傍にいてくれるだけでいい。連れてって」

「行くあても、何も決めてない」

「二人ならどうにでもなる。」

「わかってる?」

「ミゲルの手が手に入るなら明日死んでも後悔しない。ミゲルに殺されるなら幸せ」



勝気に笑って自分の首に手を回したミリアナにミゲルは諦めることにした。お互い貴族として生きることが幸せだと思っていた。

違う幸せの形を見つけることにした。

二人は人混みをさけて夜会をひっそり抜け出した。

それから社交界でミリアナとミゲルを見た者はいなかった。



夜会から2週間たち、オリバーのもとに手紙が届いた。

事業計画書だった。

父親に見せると苦笑した。


「あやつはまた飛び出したな」

「反省しませんね。今回は痕跡を消しているので、戻ってくる気があるかわかりません」

「困った娘だ」

「父上がミゲルと婚約させてあげればすんだのでは?」

「ミゲルにやる気がなかった。残念ながらミリーとは釣り合わん。家格もおとり、つり合いも取れない男に嫁がせることはできん」

「まさかミゲルが折れるとは。さすが俺の妹です」

「ミリーに来た縁談は断るしかないな。ミリーが選んでもよし。ミゲルが闘志をもやしてもよし。結局は予想外を選んだな」

「ミリーが幸せなら構いません。さて俺は準備を進めますね。せっかくの妹の計画を台無しにしたら怒られそうです」


お兄様と笑顔で自分の足をヒールで踏みつける妹が脳裏によぎっていた。

伯爵はミリアナの縁談相手に病につき療養のため遠方に旅立ったためと謝罪の手紙を送っていた。放任主義でも、二人共ミリアナには甘かった。


ヘンリーはミリアナとミゲルが姿を消したと知りミゲルに近づけた従姉と言い争っていた。


「なんでミゲルを見てなかった!?」

「自分だってミリアナ様を落とせなかったくせに」

「あとは時間の問題だった。縁談相手の中で一番ミリアナに近かったのは俺だ」

「なによ、あっさり捨てられたくせに。」

「お前が焦ったからだろう」

「だって、私といるのにミリアナ様ばかり見て失礼でしょ?女として自分に夢中にさせたいじゃない」

「相手の性格を考えろ。迫られて、手を出すタイプかよ」

「引いてたけど、豊満な私の体にくらっとくるかなって。まさか、突き放されるとは思わなかった。まだ私の誘惑の途中だったの。あそこにミリアナ様が現れなければ上手くいったわ。ヘンリーが夜会に来なかったのが悪いんじゃない」

「俺はお前と違って忙しいんだよ。外せない商談があったんだ」

「成果をあげて、爵位をあげて迎えにいく準備をしている間に逃げられるとはね。貴方、バカなんじゃないの?さっさと既成事実を作れば良かったのに。なんでミリアナ様を酔わせたときに手を出さなかったのよ」


とんでもないことを言う従姉に本を投げつけた。


「できるか!!」


本を枕で叩き落し、従弟にカップを投げつけた。


「ミゲルに成り代わろうとしてたのに?自分に恋させる気概がないから駄目なのよ」

「うまくいっていた」

「バカみたい。本物に奪われて当然よ。まだ傷心のミリアナ様の傍で健気に愛を囁き続けたほうが心惹かれたわよ。こんなことならヘンリーに任せるんじゃなかった。」

「ミゲルに捨てられたお前の言葉を信じられるかよ」

「時間が足りなかったのよ。ミゲルはミリアナ様のことばかり気にしていたし。無意識に比べるし、私が相手をしてあげてるのに失礼な人。悔しい。」


似た者同士の二人の罵り合いに家臣たちが静かに見つめていた。自分たちの主人は恋多き人間だがいつも敵わぬ恋に終わっていた。同属嫌悪で罵り合う自分達の主が恋を叶えるには性格をかえるしかないと失礼なことを思いながら、物が飛び交う部屋を見ながらため息をつく家臣だった。



ミリアナとミゲルは山奥の村で生活していた。

ミリアナが自給自足の生活に憧れて提案した。ミゲルと一緒に狩りに行き、食事をして、眠るというずっと一緒にいられる生活にご満悦だった。町に降りて生活することもできたが今は誰にも邪魔されたくなかった。ミゲルは楽しそうなミリアナに今の生活も悪くないと思っていた。


「ミゲル、私、幸せでおかしくなりそう」


自分を押し倒したミリアナを見上げていた。


「すでにおかしくなってるだろ?」


「据え膳食わぬは男の恥」


ミゲルはミリアナの体を抱き寄せた。軽く口づけるととろけたように笑う妻が愛しかった。何度、口づけ、体を交わしても生娘のような反応が堪らなかった。ミリアナはミゲルとの初めての口づけで甘さにおかしくなりそうだった。うっとりするミリアナにミゲルは照れくさそうに笑った。その顔が嬉しくてまた強請った。ミリアナは自分に色々教えてくれた女に甘い笑顔と言葉と口づけで意のままになるのは女も同じみたいと心の中で告げた。



ミリアナはミゲルの腕の中で、思い出話を交わしていた。


「ミゲル、覚えてる?」


自分の髪を梳く手は幼い頃の手とは違う。自分の話に耳を傾け、懐かしい顔をするのもミゲルだけだ。目を閉じると浮かんでくるミゲルの顔に安心した。

昔の情けない自分に夢中なミリアナにミゲルは複雑だと零した。


「俺の腕の中で他の男を考えるとは」


ミリアナが笑った。ミリアナの手を取ることを選んだ男が零す独占欲が堪らなかった。


「幸せ。貴方がいれば何もいらない」


自分の言葉を聞き流してご満悦のミリアナに、敵わないなと夫が思っていた。

ミリアナは兄と子爵の秘書に時々手紙を送りながらミゲルとの生活を満喫することにした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 女はタフでなければ生き残れない…! とコピーつけたくなるようなお話でした。 まぁ強い女に愛される男が一番の果報者だと古今東西の物語は語っている訳だなぁと改めて。 [一言] ミゲルがたぶん一…
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