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健太 一周目( 一周 10.55km )を走る

三か月前に、健太は妹にフルマラソンに出ると宣言する。それを聞いた妹は呆れる。小学校のころから健太は運動オンチであったからだ。

マラソン当日、健太のことを馬鹿にしていた妹が応援に来てくれた。

 2  ■ 一周目


 前方を見ると、スタートライン際でひしめき合っていた精鋭たちはずいぶん先を走っていた。背中は見る見る小さくなっていく。

 健太の周りを走る最後尾のランナーたちは、若くない男性と、走力のない女性で占められていた。

 健太の横をいくぶん太った中年の男性が走っていた。こちらを見ると話しかけてきた。

「きみはずいぶん若いねぇ。学生さん?」

 やはり奇異な目で見られていると思った。走りながら会話を交わすのは慣れていない。呼吸が辛いから勘弁してくれと思いながら

「えぇ、高校二年です。ハァ、ハァ……」

 正直にこたえた。

「若いころからフルマラソンを走るなんて、行く末が楽しみだなぁ」

 男性は白い歯を見せた。

「俺は少しペースをあげるよ。がんばれよ」

 それでは、といった感じで先へ行った。健太は長丁場をどれだけのペースで行けばよいのかが分からないので、このままを維持することにした。男性が声をかけてくれたことで、少し落ち着いた。 


 三か月前、中学三年の妹にマラソン大会に出ることを伝えた。

「なに寝ぼけたこといってんのよぉ! 運動音痴のくせして」

 妹は開いた口がふさがらないといった様子だった。

 兄に向ってもっとましな口のききようがあるだろうに、と思ったが、妹が呆れるのももっともなことだった。

 健太がスポーツ嫌いになったのは、小学校高学年のころからだ。幼いころより球技が苦手だった。

 ある日運動場で、休憩時間を利用して、クラスメートたちがドッヂボールで遊んでいた。クラスの多くの生徒が参加しており、試合形式で両チームに分かれてボールを投げあっていた。ひとチーム一〇人以上になっていた。遅れていった健太は、ゲームの最中にどちらかのチームに入れてほしいと頼んだ。遊びだから、これまで参加者はゲーム中でも自由に出入りしていた。

ところが、クラスのボスである少年が

「へたっぴぃはいらないよ」

 と健太に向かって面倒くさそうにいいはなった。

 実際、健太はボールを受けるのが苦手で、そのうえボールから逃げる敏捷性もなかった。すぐにも標的にされて外野に出ていた。そしてそれっきり内野には戻れなかった。

 ボスがいないほうの相手チームも、めいめいが顔を見合わせると、倣ったかのように健太を無視した。それ以来、健太は休憩時間のドッヂボールの輪に入ることはなかった。

 野球に関しても健太は苦い思い出があった。

 当時、ほとんどの小学生は地区の少年野球団に入っていた。健太も例外ではなかった。

 野球が苦手な健太は、下級生に追い抜かれて、高学年になってもポジションにつくことができなかった。父は見かねて、練習をしようといってくれた。父の休みの週末に家の前でキャッチボールをした。

思うようにボールを父のグローブへ投げることができなかった。健太の投げたボールが逸れるたびに、父は道路わきの側溝まで転がり落ちたボールを拾いにいった。背中を見せて、しゃがんでボールを拾う父。繰り返すうちに、父の背中を見るのがつらくなった。

 周りの同級生からもこんな声が聞こえてきた。

「あいつ、野球下手だから、お父さんと特訓しているんだぜ。練習しても無駄なのによ」

 途中で投げ出すんじゃないぞ、という父の言葉も聞き入れず、キャッチボールをしなくなった。

 しばらくして健太は少年野球団をやめた。

 中学は文化部に所属し、高校になってからは部活を行っていなかった。高校の体育の授業も、大学受験には関係ないと手を抜いた。それがいきなり高校二年になって、年明けの大鳥川市民マラソン大会に出るなどと、大見えを切ったら、誰だって驚くはずだ。普段から運動していない者がフルマラソンなんて走れるわけがない。


 運動オンチの健太であろうと、なんの準備もなしに長い距離を走ろうなんて思わない。

 夕刻の町を秋の涼やかな風が吹き抜ける。そのなかを走れば、夏の残滓に息苦しさを覚えていた自分を救ってくれそうな気がした。

 決断してからは、自宅からの練習コースを走った。学校から帰ると、鞄を自室に放り込み、ジャージに着替えた。

 自宅は小高い丘を削って造った団地にあり、走り出しはなだらかな傾斜を下った。坂の下にあるコンビニの角まで来ると、そこを右に曲がり道路わきの歩道に沿う。ここまでで二キロは稼げる。

 大きな電子部品関連の工場が見えてくる。周囲は高い塀が巡らされ、塀に沿ってきれいな歩道が敷設されている。この工場周りの歩道は登り坂と下り坂とが交互にあり、ここで三キロの距離になった。

 自宅からコースを回って帰ってくると、距離にして七キロ、坂もあるので手ごたえがかなりあった。

これまでの運動不足のため、一か月たっても練習コースを走り切ることはできなかった。半分も走ると足が止まり、あとは歩いて帰った。それでも、雨の日にはカッパを着て、毎日走った。

 七キロのコースを走り切れるようになったのは、二か月近くたったころであった。その後、年末になるとその距離は延びて、コースを部分的に重ねて走ることで、一〇キロまで達した。

 年が明けるとすぐに大鳥川市民マラソン大会であった。大会コースは一周の距離が一〇.五五キロある。健太にとっては、最初の一周分がこれまで練習で走った最長距離であった。


 サイクリングコースの一周目の終盤に指しかかろうとしていた。周りを走るランナーたちは、健太の普段の練習よりも少し遅いくらいだ。練習でもコースの約一周分の一〇キロは走り通したことがあり、ここまでの距離に関しての不安はなかった。気になった耳の冷たさも体全体の火照りで楽になっていた。

 堤防の斜面にすわっている妹の姿が見えてきた。ボアの襟がついたコートを着て、寒風に身を縮めながら、レジャーシートにすわっている。あれほど健太がマラソン大会に参加することを馬鹿にしたくせに、応援には来てくれた。

 妹は健太の走る姿を見つけると、立ち上がって

「兄ちゃん。がんばれ!」

 大きな声を出した。

 気恥ずかしいが、体のなかにポッと熱さを感じた。マラソンのときに家族が応援してくれることはありがたかった。その一方で、こんな寒いなかにわざわざ応援に来てくれなくても、という気持ちもあった。

妹のまえでは走りを整えようと

「スッ、スッ、ハッ、ハッ」

 と二回吸って二回吐いてと、マラソン用の呼吸法を意識的におこなった。このぐらいはマラソンの教本で勉強していた。


       ( 続く )


健太のマラソン挑戦は二周目となります。

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