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7. 内因性監視カメラ

 桂博士はそれから、藤明空という人間の身に何が起こったのかを滔々と語ってくれた。数式や方程式交じりの彼の言説を、俺は九割九分九厘理解できなかったのだけれども、専門家である彼にとっても珍しい事象に直面しているのだということは表情を見ればよく分かった。


「……こういう事象が過去になかったというわけではないのだが、ではどうすればいいのかというとちょっと難しい問題でな。藤明君……大変申し訳ないとは思うのだが、今の君の状況をすぐにどうにかしてやることは出来ないのだ」


 俺はふざけるな、と心の中で叫ぶ。


「大分怒っているようです」


「当然だろう。本当に申し訳ないと思っているのだ。……少し時間をくれ。君の体からウィルの人格を引っ張り出す方法をすぐに考える」


「どれくらい掛かりますか」

 俺の内心と対照的に、ウィルは至って落ち着いた様子の口調である。

「明言は出来ないが……一月くらいだろうか。藤明君、すまないがしばらくの間、第二の人格のことは伏せて、普段通りの生活を送ってくれないか。どうにかできる目途が立ったら、また君のところに連絡をすることにしたいのだが」

「……しかし、博士。そんなに悠長に事を構えていてよろしいのですか? 『奴』の人格は、すでにこの時代にたどり着いているはずです。一月も奴に与えては、取り返しのつかないことになるのではありませんか」

「しかしウィル、一般人を巻き込んだままにするのは適切な状態とは言えない。優先して解決すべき課題だ」


 桂博士はきっぱりとそう言って、俺の目をじっと見つめた。


「先ほども言ったが、君の体の中には二つの人格が共存している。そして、君の体の管理権は、より強い意志のあるほうに自動的に移行するようになっている」

 博士らしからぬ抽象的な物言いに違和感を覚えながらも、心の奥底で俺は耳を澄ませて声を聴く。

「ウィル、藤明君に一旦体を返してやれ。そして、私が再度連絡を入れるまで、君は心の奥底に引っ込んでいるんだ。……退屈だとは思うが、我慢してくれ」

「……了解です。では彼の心の奥底に引きこもっていることにしますよ。退屈と言いますが、奥に引きこもっていても彼の目を通して外界の映像は見ることができますからね。過去の風物を眺めながら時間を潰すことにしますよ」


 ウィルが俺の体にそう喋らせた瞬間、全身に軽い悪寒のようなものが走った。かと思えば──俺は両の掌を見つめて、閉じたり開いたりを繰り返した。管理権が戻ってきたのである。


「切り替わったね」

 桂博士はそう言ってにっこりと笑った。

「……多少の違和を感じるかもしれないが……ウィルが心の奥に引っ込んでいるのなら、君は普段と何一つ変わりなく、日常を送ることができるはずだ」

「そうでしょうか」

 俺は自分の口を動かしてそう喋った。

「おそらくはな。なるべく早く連絡を入れるから、頑張ってくれたまえ」


 桂博士とはそれ以上の会話をせず、俺は大学の敷地を去った。

 俺はようやっと、自分の身に起こったことを理解し始めていた。もちろん、自分の頭がおかしくなっていて、あの桂博士という人物も頭が狂っていて、イカレた二人が訳の分からない会話をひたすら繰り広げていたという可能性を排除したわけではなかったけれども。


 桂博士と別れた後、心の奥底に沈み込んでいったと思われるウィルの人格は、一言も声を発さなくなった。恐らく博士の言いつけ通り、心の奥底から自分の目を介して風物を眺めることにしているのであろうが……。


 君は何一つ変わらない毎日を送ることができると博士は言った。しかしよくよく考えてみれば、それは可能なのだろうか? おそらく今のウィルは、心の中から自由の効かない体を通して外界を眺めていた自分と同じ状況にあるはずなのだ。ともすれば、俺は心の内側から、俺の視線や俺自身の行動を見られている──監視されているということなのではなかろうか。


 日常生活や他人との会話、一挙一動が全て、自分の中に潜んでいる他人の人格に見られている。そんな状態で、俺は果たして以前と同じような生活を送れるのだろうか。俺は自宅へと帰る電車に揺られながら、そんなことを考える。

 電車のガラス窓には、自分の顔が映っていた。ひどく歪んだ、不安感の滲んだ恐ろしい表情だと俺は思った。すると、心の奥底から微かな声が聞こえてくる。


 ──ひどく不安そうな顔じゃないか。安心したまえ、桂博士がああいっているのだ。君は普段通りの生活を送り、彼の連絡を淡々と待っているえばいいのだ。


 俺は危うく、自分の胸元を殴りつけてやろうかと思った。寸前で必死に衝動を抑えながら、少なくとも、明日からの日常が以前のものとは確実に異なっているものになるだろうという確信を抱いた。

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