4. 気が狂ったようなアポイントメント
「どうしてこうなったのかは、正直なところよく分からない。俺はこの時代の、桂先生という研究者を当てにして渡航してきた。彼はもともと未来からやってきた人間で、こういう『魂の渡航』についても詳しい。俺は博士のところに精神を宿すように設定して過去へと飛んだ。しかしどういうわけか、お前の中に俺の精神が宿ってしまった」
お前の目的はなんだ、と俺は心の中で念じる。ウィルとやらの言説は全く信用していなかったけれども、しかしこんな奇妙な状況に陥っている以上、情報を集める以外に俺にできることはなかった。
「とある人物を追っている。そいつは俺と同様に、精神を未来から過去へと飛ばした。そいつの精神が、俺に先んじてこの時代に来ているはずだ。恐らくは、今君が置かれているの状況と同様に、誰かの肉体を間借りしている可能性がある」
こんな訳の分からない目に合っているのが自分一人ではないとは──俺は名も知らぬ被害者に同情の念を抱いた。
「そいつは非常に危険な犯罪者だ。奴は精神だけを過去へと送り、過去を改変しようとしている。こ推測するに、そいつは誰かの肉体を乗っ取って、すぐにでも行動を開始するだろう」
そいつは何を企んでいるのだ?
「詳しいことは言えない。時空管理法に引っかかるからな。だが、碌でもないことだとは明言しておこう」
では、お前は何をするつもりなのだ?
「奴を捕まえ、精神を未来へと送り返す。そうすれば、俺の任務も完了だ。それで、……少々俺に協力してくれないだろうか?」
内容による。
「俺の精神が君に宿ってしまったのは、先ほども言った通り想定外の出来事だ。俺も任務をこなすために、正規の体を是非とも見つけたい。そうしなければ、俺はお前の体を乗っ取ったまま、奴の捜索を行わなくてはならない。それは嫌だろう?」
当然だ。
「と、いうわけで、突然巻き込んで済まないと思っているが、桑の木大学の桂という人に会ってくれないか? 彼だったら、俺の精神を君の体から引っぺがす方法を知っているはずだ。俺の情報では、彼は現在東京に住んでいるはずだ」
その声を最後に、体の自由が戻った。唇は勝手な動きを止め、長々と続いていた藤明空の独り言は終幕した。ウィルという奴が胸の奥に引っ込んだので、自分の体の管理権が俺の方に戻ってきたのだろう。
俺は天井を見つめて長々と息を吐いた。まるで草臥れたサラリーマンが、たばこの煙を吹かすように。
なぜこんなことに巻き込まれたのだろうか。いやそれよりも、俺は正気なのだろうか。未来から魂がやってきて、俺の中に入り込んだ? そんな狂気じみた現象が、現実に起こりうるのだろうか。ひょっとすると俺は、先ほどの落雷で頭でも打ったのかもしれない。あるいは気が付かないうちに電撃を頭に喰らって、脳の回路が二三本焼き切れたのではないか? そう疑いたくなるほどに、ウィルとやらが語った物語は馬鹿馬鹿しく聞こえたし、信じがたいものだった。
気が付けば二階に上がってから、随分と時間が経っていた。俺はベッドから立ち上がって一つ大きく伸びをすると、学習机の上のラップトップPCの電源を入れた。そして検索する──桑の木大学、桂博士。そして結果はすぐに出た。俺はウィルの言葉を聞く以前に、そんな大学のことも博士のことも、調べようと思ったことすらなかったのだけれども、しかしそれは、実在の人物であるようだった。
桂博士の簡素なホームページには、大学用のメールアドレスが記載されていた。俺はメールソフトを立ち上げて、さっそくメッセージを送ろうと考えたが──いや、待て待て。こんな頭がおかしい状況を、どうやって説明すればいいというのか。未来人に精神を乗っ取られました? そんなことを描いたって、精神を病んだ人間からの狂ったメッセージとしか受け取られないんじゃなかろうか。
そんなことを考えていると、まるで遠くの山から聞こえてくるこだまのように、頭の中で声がした。
──『魂の渡航』に関して、重大な連絡があります。ウィル、とだけ書いてメールを送るんだ。とりあえず、それだけでいい……。
悩むまでもなく、胸の中から響いてくるその声は、ウィルのものだと理解した。恐らく先ほどとは、立場が逆転しているに違いない。つまりそのウィルとやらは、俺の胸の中に引っ込んで、俺が今見ているものと同じ映像を見ているに違いない。
俺は内なる声に従って、極めて簡素なメールを書き上げて送信ボタンを押した。それから一時間ほど、俺はメールの返信が来ないかと奇妙な高揚感をもって画面を眺めていたのだけれど、返信はなかった。やがて段々と瞼が重くなって、俺はいつの間にかラップトップの前に突っ伏して意識を失っていた……。