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2. 少々ショッキングな日

 かくして、高校一年の俺は将来に漠然とした不安を抱きつつも、特にこれといった行動を起こすことなく、日々をやり過ごしていた。部活には入っていなかったし、塾にも通っていなかった。放課後の俺は、全くの自由だった。何だってできたはずだったが、何もしなかった。俺はただ、高校から自宅までの数キロの道のりを、訳もなく急かされたように自転車を走らせるばかりだった。


 とある日。俺はいつものように自転車を漕いで自宅へと急いでいた。突然、雨が降り始めた。地面ばかり眺めていた俺は、空が急に曇ったことに気が付かなかったのだ。雨はたちまちのうちに強くなって、数分と立たずに土砂降りとなった。地面から立ち上がる白煙のような水しぶきに、急に視界が悪くなる。これはたまらないと、俺はペダルをこぐ足を速めた。周囲に雨宿りになりそうな建造物はなく、まだ背の低い稲が延々と並んだ田んぼだらけである。一刻も早く自宅へと帰らねばなるまい。


 雨はますます勢いを増して、遂に雷の鳴動まで響くようになった。そして──おそらくその時点で自転車を止めていれば運命は変わったのだろうが──事件が起こった。俺の進行方向、前輪から数メートルほどの地面が、劈くような轟音とともに輝いた。


 その時のことはほとんど覚えていない。気が付いたら俺は、アスファルトの上に一人倒れていた。そして首を上げると、前方の地面が機雷でも吹き飛ばしたかのように、真っ黒に焦げていた。自分が乗っていたはずの自転車は、数メートル後方の田んぼの中に突っ込んでいて、ひしゃげていた。


 俺はすぐに、何が起こったのかを察した。落雷である。目の前の地面に雷が落ちて、辺りが焼け焦げた。さしずめ、その凄まじい衝撃波で自分は気を失ったのだろう──体中に擦り傷を作っておきながら、俺は妙に冷静だった。


 俺は歪んだ自転車を泥の中から引っ張り出して、フラフラと歩き出した。雨は相変わらず激しかった。もし俺が仰向けに、口を開いたまま気絶していたら、俺はきっと口に溜まった雨水で溺れ死んでいたに違いない。そんなバカげた想像と、雷が直撃しなかったことへの神への感謝を胸の内に浮かべながら、俺は再び自宅への道を進み始めた。


「やだ、どうしたのそんなずぶ濡れで」

 我が母親である藤明充子は、心配と非難の半々といった口調でそう尋ねた。

「今日は濡れたい気分だったんだ」

「馬鹿言うんじゃありません。それに、全身泥だらけじゃないの。どこかで転びでもしたの?」

「今日は加えて泥遊びをしたい気分だったんだ。……いや、冗談だよ。さっき自転車漕いでたら、近くで雷が落ちましてね……」


 俺は極めて簡潔に説明を加えた。ずぶ濡れになったせいか、全身が気だるくてまともに会話をする気にならなかったのだ。俺は手渡されたタオルケットで全身の雫をぬぐい、玄関で服を脱いでからシャワーへと直行した。全身に熱い湯を被って一息ついたところで、俺は初めて自宅に帰ってきた実感を覚えるのだった。


 程なくしてシャワーから上がり、適当なパジャマを身にまとって二階にある自室へと駆け上がる。すれ違いざまに、母があと一時間で夕食が出来上がるという旨を伝えてきた。俺はとりあえず一眠りしてから夕食にありつこうと願った。自室に入るなりベッドの上にダイブして、低反発枕へと顔をうずめる。風呂上がりの肌と細やかな繊維とが触れ合う至福の感触に震えながら、俺はあっという間に眠りに落ちた。そして──夢を見た。


 奇妙な夢だった。ベッドで寝ていたはずの俺の体が、急に動き出したのだ。体は俺の意志に関係なく動き出した。そして俺は、勝手に動作する体の動きを悠然と眺めていた。俺の目が、俺自身の両手を眺めていた。しかしそれは俺の意図する行動ではなかった。続いて、俺は辺りを警戒するように見渡し始め、ベッドから徐に立ち上がった。そして医者が聴診器を当てるように、両の手を壁に押し当ててまさぐるような行動をとり始めた。


 ……俺は一体、何をしているのだろう。自分の体が勝手に動き、自分の慣れ親しんだ部屋を徘徊している。きっと夢に違いないのだが、それにしても奇妙な行動だと俺は思った。そして不思議なことに、夢の中であるに違いないのにもかかわらず、自分自身の意識ははっきりとしていた。それでいて、体の自由は全くと言っていいほどに効かない……。


「夕ご飯ができましたよ!」

と、唐突に母親の声がした。その途端である。何か想像を絶する事態でも起こったかのように、俺の全身がびくりと跳ねた。そして、まるで操り人形の糸が切れたかのように、俺の体はぐにゃりと力なく曲がって床へと倒れこんだ。俺はとっさに受け身を取ろうとしたのだけれど、相変わらず手足の自由は戻っていなかった。俺の頭は勢いよく床へとぶつかり、その瞬間、俺の意識も途絶えた。


「ちょっと、ご飯ができたって言っているでしょう?」

 母親の二度目の声で目を覚ました俺は、驚いた。ベッドで寝転んでいたはずの自身の体が、数メートル離れた床の上に横たわっていたのである。そして、後頭部に鈍い痛みが走っている。


「……夢遊病?」

 頭をさすりながら、俺はそう呟いた。先ほど見ていた映像は、実際に自分のとった行動だったのか? 何かの与太話として聞いたことがあるが、そういう病気も世の中には存在するのだという。雨に打たれ、雷にさらされ、全身に疲労感がたまった挙句、突発的にそういう症状が出たのかもしれないな──俺はそんな風に納得をしてから、夕食を目指して一回への階段を目指して歩き始めた。

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