11. 真夜中の白い光の中で
ウィルの精神が宿ったことは、俺にとっては思わぬ効能をもたらしたわけだ。が、ウィルはどう思っているのだろうか──彼は俺が人格の交代を申し出ても、何も文句を言わなかった。心の奥底で俺の行動、俺の見ている風景をじっと見つめ、交代した時にはすぐさま俺の望んでいる通りのパフォーマンスを発揮した。雑な言い方を知れば、俺は俺自身が不得意とすることを彼に押し付けていたわけだけれども、彼は何も言わずにそれを遂行した。何も言わないので感情を伺い知ることはできない。もしかしたら、俺が苦労を感じていることが、未来人の人格にとっては片手間でこなせるような取るに足らないことなのかもしれないが。
ウィルは以前、自分には目的があって過去へとやってきたのだと言っていた。そしてそれは、所謂人探しであることは、彼の言葉や桂博士との会話の中から察することができた。
お前は一体どんな人間を探しているのだ、と俺は心の中に尋ねてみた。けれど、
──迂闊には教えられないな。情報の取り扱いというのは、慎重に行わなくてはならないからね。
と釣れない返答が返ってくるばかりである。とはいえ、俺自身、未来人の目的になんて大して興味を持っていなかった。そのことに関しては、俺の体を抜け出た後に存分にやればいいや、と。つまり、俺には何か、大きな流れの中に巻き込まれたのだという当事者意識が皆無だったのだ。
が。
ある日の夜のことだった。俺はなんとなく近くのコンビニに出かけて、夜食とばかりに小さいスイーツを買って、家へと歩いて戻った。その道中にある公園を何気なく眺めた時、街灯の光の下に見覚えのある人影を見たのである。
「桜川……?」
桜川澄香──同じクラスメイトの一人であった。俺が言えた立場ではないけれど、クラスでも目立たない、淡い印象の女の子である。彼女は白い光に照らされたベンチの上に立って、虚空を見つめていた。
俺はそのまま通り過ぎようと視線を一瞬外したのだけれども──しかし何やら様子がおかしい。彼女の見つめている方向には何もないように見えた。鮮やかなネオンの看板もなければ、星や月も出ていない。ただただ夜の暗黒の中に、虚ろな表情を浮かべている。
──空君、ちょっと。
と、唐突に胸の奥から声がしたので、俺はどきりとした。
──彼女は、君の知り合いかな?
「うん? ああ、まあ……同じクラスの女の子だ」
──悪いけど、もう少し近くで彼女の顔が見えないか?
「なんだ、唐突に」
俺はウィルの声に素直に従って、公園の外周をぐるりと回って彼女の背後からゆっくりと近づいた。数分間かけて、彼女からニ三メートルの位置に近づくまでに、彼女は全く、微動だにさえ動かなかった。それは白色の光に照らされた、少女の形の彫刻のように。
──そんなはずはない、しかし。
胸の奥に、ウィルの声が反響する。どうやら彼は彼女に対して、何かしら思うことがあるらしい。俺の方はというと、普段特段親しくもないクラスメイトの顔を、こっそりと眺めているというその状況に、形容しがたい気恥ずかしさのようなものを感じていた。
と、唐突に彼女の顔がこちらを向いて、目が合った。俺は急のことで吃驚して、うわっという小さな呻き声を上げながら尻もちをついた。
「……藤明君?」
桜川はきょとんとした表情で、俺の方を眺める。
「ああいや、別に他意はないんだ! ただ、この辺りで見かけるのは珍しいなと思ったから……」
俺は言い訳がましくそういった。
「……?」
桜川はきょろきょろと周囲を見渡してから、視線を再び俺の方に戻すと、
「……何やってたのかしら、私」
と呟くように言った。
彼女は立っていた椅子の上から土の地面へと降りる。俺の方も立ち上がって、桜川と相向かいの格好になる。それから、お互いが喋らない時間が数分間。気まずい雰囲気に耐えかねたか、桜川の方が先に動き出した。
「ちょっと疲れて、ぼんやりしてしまっていたみたい。……じゃあ、藤明君。また明日」
「あ、ああ」
俺のぎこちない返答を背に、彼女は公園の出口の方へと歩いて行った。
「変わった子だな」
俺は自然にそう呟いた。彼女がどんな人間かは、あまり印象に残っていないので知らなかったけれども、しかし先ほどの状況はどう考えても奇行の類である。
「静かな子だと思ってたけど、意外な面もあるのかもな。……ウィルは、何か気にかかったのか?」
俺は虚空に向かってそう呟く。
──可能性は極めて低いが……あいつ……
ウィルの人格はこの日、それ以上の発言をしなかった。まあ確かに、妙な一幕を目にしてしまったわけだけれど、何が彼の琴線に触れたのだろうか。その日は結局何もわからないままに、俺は一日を終えたのであった。




