嫌い嫌い讃歌
わたしは潮見チカが嫌いだ。
わたしと同じ年、高校3年にもなって、化粧もしてない。
眉毛すらろくに整えてない女子力ド底辺。校則通りのスカート丈。校則ですらない白のミドルソックス。
ダサすぎるにもほどがある。
隣を歩かないでほしい。そばに来てほしくない。わたしは、そんなチカが嫌いだ。
「ひまりちゃん、おはよう!」
朝っぱらから後頭部に刺さる、甲高い声。同時にスルリと手をつながれる。
わたしはそれを振り払った。
「やめてよ」
「なにぃな、手ぇつなご思っただけやん」
「それをやめてって言ってるの」
「ええやん。ひまりちゃん一緒にガッコいこ。――あ、そのヘアピンすてきやね。どこで買ったん? あたしもおそろい欲しい」
関西弁なのに、糸を引くようなとろくさい喋り方。甘ったるくて、眠くなるようなことを言う。
わたしは前を向いたまま吐き捨てた。
「どこだっていいでしょ。真似しないでしょ」
「なんで真似したらあかんの? あたし、ひまりちゃんアコガレやねんもん。ほんまひまりちゃん素敵やわぁ」
……ヘアピンの話じゃなかったのか? なんで「ひまりちゃん」になってるんだ。
わたしは一瞥もくれないで、さっさと歩き進んでいった。
チカとわたしの身長差は、およそ20センチほどもある。
わたしが早足になれば、チカは普通には付いてこられない。
チカは小走りになっていた。トコトコ、忙しなく、小さな足音が付いてくる。
わたしはひそかに、舌打ちした。
潮見チカが転校してきて、もう4カ月ほどになる。
当初、こいつがこんなに厚かましく鬱陶しいやつだなんて思いもよらなかった。
教師に紹介されたチカは今にも消え入りそうなほど縮こまって、俯き、もじもじと、自己紹介をするのがやっとだったのだ。
しおみちかです、という声も、ようやく聞き取れたくらい。
興味があったわけじゃない。
ただ、ちょっとだけ心配になった。わたしも小学生の時に転校をして、居心地の悪い思いをした記憶がある。だからちょっとだけ、声をかけてやろうと思ったのだ。
「――潮見さん? 次、移動教室。場所分からないわよね。一緒に行こうか」
チカは目をぱちくりさせた。わたしを見上げて、ふわぁー、と声を上げる。
「背が高いひとやぁ。めちゃめちゃかっこえぇ」
わたしは笑った。たしかに、わたしの背丈は女子平均よりは高い。だが見上げるほどの身長差は、むしろチカが小さいせいだった。150をいくつか下回っているだろう。至近距離まで近づくと、ちょっと色素の薄いツムジが見える。
チカは全体的にちいさな少女だった。
クラスメイトなのに、みっつもよっつも年下に見える。
そのふんわりした白い顔に、わたしは微笑んで言った。
「わたし、羽曳野ひまり。よろしくね」
……ここまでは、よかった。
だが、それから4カ月。なにをもって懐いたのか、チカはずっと、わたしの後ろをついて歩いている。
「朝イチからひまりちゃんに会えたら、今日は1日ええ日やわ。眼福、眼福。ひまりちゃん髪の毛さらっさらやし、足ほっそいし、ほんまきれい」
「……どうも」
「その声がまた素敵やねん。ちょっと低めで、あったかくって。ああ、ええわあ。なんでそんなええ女やの。ええわあ」
「親戚のおばちゃんか、あんたは」
「あっあっいまのナイスツッコミ! ひまりちゃん、ちょっとあたしの関西ナイズドに染まってきたんちゃう?」
「いい加減にしてよ」
「クールなとこがまたソソる。ほんまあたしひまりちゃん好き好き」
「あっそうありがと、わたしはあんたが嫌いよ」
きっぱり、言い切る。チカはそれでも挫けない――先ほどよりもなお距離を詰めて、ひまりちゃん好き好きと繰り返してくるのだ。
……いつもなら、そうしてくるはずだった。
しかし。
ふと、足音がやんだ。わたしはそのまま数歩を進み、なんとなく振り向いた。
チカは数歩ぶん、うしろで佇んでいた。
まわりを過ぎる同級生より、頭はんぶんちいさなチカ。
華奢な肩、ふくよかな頬、穏やかに垂れた眉。
長く伸ばした髪が朝日を浴びて、ほんの少し、茶色く見える。
染めてもいないのに色素のうすい、柔らかそうな髪の色。
化粧をしていない彼女の顔は、年よりも幼く、儚げで。
瞬きのたびに薄くなり、そのまま消えてしまいそうな気がしてくる。
季節外れの転校と同じように、唐突に。
懐いてきたのと同じように、意味もなく。
あるとき突然、いなくなってしまいそうな気がしてくる。
「……どうしたの。遅刻するよ」
わたしが言うと、チカは笑った。
「ひまりちゃん、好きやで」
……なんだ。わたしは呆れた。
……なんだ。いつものチカじゃないか。
……なんだ。もしかしたら、傷つけたかと思ったじゃないか。
もう追いかけてこないのかと、思ったじゃないか。
馬鹿馬鹿しい。
わたしは背を向けた。
校門が見えてくる。腕時計をチラリとみれば、まだまだ、登校時間には余裕があった。
わたしは少し歩くスピードを落とした。わたしの横に、チカの歩みが並んだ。
「ねーえ、ひまりちゃん」
「なによ」
「あたし、ひまりちゃんのこと大嫌い」
わたしが足をすくませるより早く、チカはわたしを追い抜き、振り向く。
「ひまりちゃんのマネしてみただけやで!」
チカは笑っていた。
わたしの横に戻り、手を掴んで、指を絡ませてくる。
わたしはそれを握り返す。
そうしてわたしたちはいつものように、並んで歩き始めた。