世界と世界の間で
花の咲き誇るだだっ広い庭園で二人が二組のガーデンチェアに腰かけていた。その内一人はゆったりとしたワンピースの妙齢の女性。もう一人は長い前髪とメガネのセーラー服を着た少女。妙齢の女性は上品にお茶を飲み、少女はただ女性を眺めていた。
「あなたが、神道 アリサさんね。あなた、自分がどうなったのか知ってるかしら」
妙齢の女性が微笑みながら尋ねる。
「……屋上から、落ちた。と思う」
「いいえ。身を投げた、よ。お嬢さん。あなたの場合は自殺ですもの」
女性は相変わらず微笑んでいるが、少女は気まずそうに視線をそらした。
「ああ、勘違いしないでほしいんだけれど。私は悪いこととは言わないわ。誰だって死にたいときはあるもの」
それでも、少女は目をそらしたまま、女性を見ない。
「私が訪ねたいのはね、あなた……普通の人とは違うところがあったでしょう?例えば……瞳とか」
「っ……」
少女は目をそらしたままだが、その瞳は揺れ動いた。
「あなたの世界では普通ではなかったけれど、それは当然なのよ」
「とう……ぜん……?」
「ええ」
少女が呆然としているのをいいことに、女性は身をのりだし、少女のメガネを押し上げ、前髪を横へ流した。
「この1つ目。間違いないわ。あなた、私達の世界の住人よ」
少女の瞳を眺め、覗きこむ女性。
「私達の世界はね、ユースラグリア。魔法と剣と学問の世界よ。あなたは、元々私達の世界の魂だったの」
少女のメガネをかけ、前髪を直し、席についた女性は満タンのティーカップへ手を伸ばした。
「まあ、ゆっくりと話しましょう。お茶でもいかが?」
「…………いただきます」
少女がティーカップに手をつけたのを確認してから、女性はユースラグリアの昔話を語りだした。
昔、この世界は一人の神によって治められていました。真面目で優しい神でした。真面目な神は生命が誕生する前から、この世界を育てました。やがて生命が誕生し、生命は増え、発展を見せました。
神がこの世界を育て始めてから何千年、何億年とたったある日、一人の女性と恋に落ちました。女性は何の変哲もない普通の外見でしたが、神を見、神に触れることができる人間でした。
神はその一人の女性を溺愛しました。その溺愛は凄まじいものでしたが、ずっと一人だった神は気がつきませんでした。
神は度々女性のもとを訪れ、子を成しました。ところが、女性の生んだ子ども達は皆、神の力を持っていました。神は下界で生きていけません。神は子ども達は天界へと連れ去りました。それでも女性はなにも言わず、神のそばにありました。
それから、何百年の月日がたち、女性が八回転生したとき。とうとう女性は泣きました。子を何度生んでも、自分で育てることはおろか、成長した姿を見ることすらできない。もう、神にも会いたくない。それでも、神はこの世界にいる。何度死んでも、神は迎えに来る。女性は死んでしまうまで泣きました。泣いて泣いて泣いて、死んでしまった後、神に初めて願いを言いました。
「私を、こことは違う世界に生まれ変わらせて欲しい」
それは、神の世界の禁忌の願いでした。神は、この世界の神であり、他の世界には干渉してはいけません。
しかし、神はその禁忌を破って地球へと繋がる亀裂を作り出しました。
神が女性を見送り、閉じようとした、その刹那。女性の後を追うように数もわからないほどの魂が飛び込みました。
神は急いで亀裂を閉じましたが、もう手遅れでした。
今もユースラグリアの魂たちは地球で生き続けています。
「…………それが、私?クッキー食べるよ」
「ええ。物分かりが良くて助かるわ。私の仕事は元ユースラグリアの魂を拾い集めることなの。クッキーくらい、いっぱい食べてちょうだい」
「そっか」
少女は無表情でクッキーをかじった。
「神が亀裂を作ったのが地球で、本当よかったわ。あそこは度々戦があるから、拾いやすいのよ」
「へー」
それから、女性の愚痴が少し続き、その間少女は無表情でクッキーをかじり続けた。
「ああ、それからね。あなたの母親も今、ユースラグリアにいるわ」
爆弾が投下されるまでは。
「母さんが、いるの?」
少女の取りこぼしたクッキーがティーカップの中へ落ちる。
「昨日ご案内したわ。あなたの事を心残りだって言ってたから、よく覚えてる」
「……行く。そこへ行く」
今度は少女が身をのりだし、女性を引かせた。
「も、元からそのつもりよ。もう少しちゃんと聞きなさいね。紅茶でも飲みなさい」
「……はい」
少女が女性の有無を言わせない目に耐えられず、ティーカップに口をつける。その中にはクッキーはおろか、紅茶の葉1欠片すら入っていない。
「さて、良いかしら。ここからは、私のお仕事よ」
女性は先程までの微笑とは違う真剣な顔で少女を見た。
「人間。ここで契約を。汝、地球には戻らないと誓うか?」
「……誓い、ます」
抑揚のない声に戸惑いながらも何とか、答えらしいものを返す少女。
「汝、魂曇り消えるまで、我らがユースラグリアにて生きると誓うか?」
「誓います」
「そう。これで、私の仕事はおしまい。本当はこれで放り出してもいいんだけれど、あなた達親子は特別に願いを1つ聞きましょう」
女性の真剣さが消え、微笑と言うよりは笑みといった方が合うような笑顔が浮かべられる。
「さあ、願いをいってみなさい。私にできることなら、何でも叶えてあげる」
「なら、母の近くに生まれ変わらせて」
「清々しいほどの即答ね。でも、ごめんなさい。できないわ」
その言葉を聞いたとたん、少女はまるで絶望を見たかのように、顔を歪めた。
「ああ、そんな顔しないでちょうだい。何も、会えない運命なんて言うのじゃないのよ。ちょっと長くなるけれど……」
そうして、女性は話し始めた。
《従来の転生の行程》
《異世界転生の行程》
《その注意点》等。
とてつもない時間が流れた。ちょっと何て物じゃない時間が流れた。
「というわけでね、転生はランダムなのよ」
「へぇ」
それ、色々あってで短くできなかったんだろうか、なんていう少女の心の声は誰にも聞こえなかった。
「他に願いは?」
「……母の記憶を、消さないで欲しい」
「それは、願いにはならないわ。元々そのつもりだもの。他には?」
「……他」
少女は頬に手を当てて考える。度々、唸るような声が響いた。数分がたった頃、少女は目を輝かせて女性を見た。
「私の"お友達"をその世界に転生させて欲しい」
「お友達?」
少女の願いを聞いて女性は怪訝そうに眉をひそめた。
「見てる中で、そんな人間は……」
「私の、ハムスター。ゴンちゃんをその世界に連れて行って欲しい」
「ああ、ペットね。わかったわ。今すぐにでも――」
合点のいった女性は、今すぐにでもハムスターを連れてこようと右手を上げかけた。
「あ、ち、違うの。今すぐじゃなくて、死んでしまってから。死んでしまってから、連れて行って欲しい」
慌てて少女は言い直す。
「そう。願い、聞き届けるわ。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
女性が言い終わったのとほぼ同時に大きな扉がモヤのように現れ、開いた。
「それが、亀裂の代わりにできた扉。それを1度通ってしまえば、死ぬまで私に会うことは無いし、死んでも地球に帰ることは出来ない。いいわね?」
「……」
少女は無言で頷く。少女には帰りたい理由なんてないし、ここに残り続ける気もさらさら無かった。
「じゃ、さっさと通りなさい。この後も3人くらい来る予定なんだから」
「ん」
立ち上がった少女は扉の前に立ち、ゆっくりと開いていく。扉の先には、先の見えない闇が広がっていた。確かめるように、一歩踏み出す。足がつくことを確認した少女は、全てが闇に飲み込まれる寸前ふりかえった。
「ありがとう、おばさん」
「おば……!?」
お母さんの時のお返しとばかりに爆弾を投下して、闇に消えていく。
「……やられた」
少女が消えてから女性はお返しに気付き、少し悔しそうに呟いた。悔しそうな割には、美しい笑顔だった。