9「……もう、話しかけないでください」
――りおんはほみかを嫌っていた。
いや、嫌いというのは正確ではない。激しく憎悪してると言うべきだろう。
一体僕は……どうすれば……。
そんなことを考えながら、僕は二年A組の教室に入った。
「おはよう。アリサさん」
僕は着席し、読書をしてる隣の席の女子生徒に挨拶をした。
彼女は読んでいた本からチラリと僕に視線を移す。
「……おはようございます」
そして、心の声。
(あうう……朝から見る神奈月さん、凄くかっこいいです)
そう、彼女もまた奇病にかかっている。
病名は『クーデレ病』。発症した者は、誰に対してもクールで興味のなさそうな態度をとり、周囲から距離を置こうとする。この病気を患う者の共通点は、強いコンプレックスを抱えている者が多い、とのことだ。
白輝アリサ。
私立安寧学園二年生。白髪のロングヘアーをした白皮症の美少女で、大財閥のお嬢様でもある。日本人とドイツ人のハーフで、きりりと引き締まった目元、一切の歪みもない整った鼻梁と美しい顔立ちをしているが、とにかく人形のように表情が乏しい。あまり人と喋ることはなく、そっけない態度と特異な見た目もあり、周囲からは孤立している。
「……何ですか? 人の顔をジロジロと」
(……恥ずかしいので、あまり見つめないでください)
そう言えばいいのに、彼女はわざわざつれない言い方をしてくる。
「ああ、ごめんね。アリサさん、今日も早いんだね」
「……そんなことないです。神奈月さんが来るのが遅いだけです」
(き……教室に入ってくる神奈月さんの表情を、見逃さないためです……)
心の中でそう説明するアリサさん。
この態度が表に出せれば可愛いのになあと常々残念に思う。
「あはは、そうだね。実はさあ、昨日父方に引き取られてた妹が七年ぶりに家に戻ってきたんだよ。遅くまで歓迎パーティとかで盛り上がってね。それで今朝は僕だけ寝坊してきたんだ」
でも彼女はクーデレ病にかかっているので、
「……そんなこと聞いてないです。言い訳とか見苦しいですよ?」
(……妹のこと話す神奈月さん、何だか楽しそう。私、ヤキモチ妬いちゃいます)
このように、冷たい返事が返ってくる。
雪のように白い肌、絹糸のような艶やかな髪、そして、ルビーのように赤い瞳。
この目だ。この目に見つめられると、誰もが平然としていられなくなる。見ると周りの男子生徒たちも、見てないふりをしてチラチラと白輝さんの様子を窺っているようだ。白輝アリサという人間の美は、どうしようもなく人を惹きつける。
「……まあ、私にはどうでもいいことですが」
(神奈月さんの妹さん……どんな方なのか会ってみたいです)
この無愛想な話し方さえなければ。
りおんを凌ぐ学園のアイドルにだってなれたはずなんだけどなあ。
「だよねー。ところでさ……さっきから何の本読んでるの? 面白い? よければ僕にも教えてもらえないかな?」
「……お断りします」
そう拒否はするものの、心の中ではバッチリ教えてくれる。
(……興味あるんですか? これはドイツの高名なミステリー小説で……よ、よければ、今度神奈月さんと一緒に読みたい……です。なんて……言えません)
そう、彼女は引っ込み思案なだけなのだ。本人は否定するだろうから言わないが。勇気を出して自分をさらけだすことを恐れている。共感性症候群がなければ、僕も多くの生徒達のように、アリサさんに話しかけられずに放っておいたかもしれない。
「……………………」
これもいつものことだ。会話が広がらず、沈黙だけが流れるというのは。
(まあ、それはうわべだけのことで、心の声は結構饒舌なんだけどね……アリサさんって)
ほみかのあのハイテンションさを、少しでも分けてあげられたら……。そんなことを考えていたときだった。
「……あの」
ポツリとアリサさんが、口を開いた。
「あ、うん、何? アリサさん」
アリサさんから話しかけられるのは滅多にないことなので、僕は驚きながら聞き返した。
「いえ、その……どんな方なんですか? 神奈月さんの妹って」
(知りたいんです……神奈月さんの妹さんだから良い人に決まってますけど……私より綺麗な人? 勉強は出来ますか? どんな人なのか……知りたいんです)
「ああ。なるほどね」
僕は文字通り、アリサさんの真意を理解した。
「じゃあさ、放課後でよければ、ほみかのこと紹介するよ」
「……紹介って、いきなりですか? 急な方ですね」
(……神奈月さん。ありがとうございます。こんな無愛想な私のためにそこまで気をつかってくださるなんて)
「特に用事もないですし……私はかまいませんよ」
それだけ言うと、アリサさんはまた視線を本へと移し読書に勤しみだした。
「――うちの妹、なんていうか元気いっぱいな子だから、もしかしたら迷惑かけちゃうかもしれない。その時は許してね」
僕がそう言うと、真っ赤な目で視線だけをチラリと僕に向けた。
そして、答えた。
「……もう、話しかけないでください。この本を読んでしまいたいので」
(……あ、あ、あんまり人と話すと緊張して倒れそうになるんです。神奈月さんと話す時は特に……。だからごめんなさい、また話しかけてください)