7「うん、間違いなくかかってるな。ヤンデレ病に」
「ふわぁ~~あ……ああ」
朝日が目に差し込む。僕は眠たい瞼をこすりながらゆっくりと身体を起こした。ふと横に目をやると、布団の中にほみかの姿はなかった。
「む……寝坊したか」
それもそのはず。時計を見ると、時刻は七時五分だった。一時間前には起きる予定だったのだけれど。
「ほみかのおかげで、興奮して寝れなかったからなあ……」
ぶつぶつ文句を言いつつもパジャマから制服に着替える。
リビングに下りると、テーブルの上にスクランブルエッグにトースト、サラダにコーンスープを並べる母さんがいた。
「あら、透。おはよう」
そこにもほみかの姿はなかった。ということは、ほみかは既に家を出ていて、僕は置いていかれたということか。
「おはよう母さん――ほみかはもう学校に行ったの?」
「ええ。あなたが寝てる間にね。起こそうか? って言ったんだけど、『バカ兄貴と一緒になんて行きたくない』ですって。ごはん食べたらすぐ行っちゃった」
「そう」
僕は答えると、テーブルに着いてテレビの電源を入れた。
そこでは、あるニュースが流れていた。
どうやら、長年付き合っていた彼女が、彼氏を刺し殺したらしい。
男は浮気性で、他にも付き合っている女性がいたらしい――まあ最低だ。浮気がバレて、当然女と口論に。激しい言い争いになって――と、ここまではよくある痴話喧嘩だが。ここからが違う。女は男を包丁で刺し殺したのだった。
「やあねえ。ここのところ発症してる人が多いらしいじゃないの――ヤンデレ病」
「え? ヤンデレ病……? 何それ?」
母さんが呟いた言葉に、僕は思わず問い返した。
ヤンデレ病――初めて聞く病気だ。
「ヤンデレ病っていうのはね、最近見つかった病気よ。ある日突然、精神的に病んでしまい、異性への思いが激しくなりすぎて止められなくなって、過激で病的な行動に出てしまうというものよ。好きな人が自分以外の子と仲良くしてるのを見て、気分よくする女の子はいないでしょ? ヤンデレ病って、そういうところからくるらしいわ」
「へえ……そんな病気があるんだ」
思わず昨日のりおんを思い出す。
りおんはヤンデレかと聞かれれば、間違いなくヤンデレではない。むしろ、心の優しいお淑やかな女の子と言えるだろう。しかし、僕が他の女の子と話をする時、嫉妬の目を向ける時がある。幸い、僕は女子から言い寄られるほどモテないんで、そういった機会はほとんど無かったのだが。
「透」
そんなことを考えていると、不意に母さんが僕の名を呼ぶ。
「あ、ああ。何? 母さん」
母さんの目は、とても真剣だった。思わず視線をそらしてしまいそうなほどに。母さんは、まるで悪戯っ子をたしなめるような口調で、僕に言った。
「ほみかちゃんのこと……まだ許せてないの?」
「え? 何さ、いきなり」
「いいから。正直に答えて」
ああ、なるほど。僕とほみかのこと気にしてたのね。
僕は少し緊張した面持ちの母さんに答えた。
「許すも許さないも、気にしてないさ。ほみかは僕の――大切な妹だからね」
そこで、緊張の糸はピーンとはち切れた。
母さんはホッとしたように息をつきながら言う。
「よかった……お母さん、あなた達のこと、心配してたから。ほみかちゃんのこと。病気とはいえ、透が怒ってるんじゃないかって。それに、あの事件のこともあるし」
母さんの言う病気とはツンデレ病のことだ。しかし僕は何も気にしてない――たとえ、共感性症候群がなかったとしても。僕がほみかを嫌うなどということは、未来永劫ありえなかっただろう。
「いいんだ。ほみかのツンデレ病にも慣れてるし」
「うふふ、いいお兄ちゃんじゃないの。流石は『ほみかを将来僕のお嫁さんにするんだ』とか言ってただけあるわね~」
「なっ……母さん。覚えてたのか……」
母さんの軽口に僕が不満の声を上げようとした時だった。
インターホンが鳴らされた。母さんが「は~い」と席を立ち応対する。
その数十秒後、母さんはりおんを連れてきた。
僕はその時、初めて彼女の本音を聞いた。
もちろん口からではなく、心の声の方だ。
「透ちゃん……朝早くにごめんね? ひ、久しぶりに、一緒に登校できないかなって。む、無理かな? 無理だよね? ごめんなさいっ」
(……朝から見るとおるちゃんの顔とっっっても素敵♡♡♡♡ 超小型の隠しカメラ持ってくればよかった。でもいいの。とおるちゃんと私は結婚するんだもん♡♡♡♡ 三百六十五日、いつでもとおるちゃんと一緒の朝を迎えるんだから。そして、病める時も健やかなる時も死ぬ時も一緒に……)
うん、間違いなくかかってるな。ヤンデレ病に。