52「わかってる。いつかは、言わなきゃいけないよね」
「あー、それね」
僕はかすれた声で言った。
さっきまでの談笑していた明るい雰囲気は、もうなかった。
「このこと、いつまで隠しておくつもりなの?」
母さんが尋ねる。
僕は答えた。
「別に、隠したくて隠してるわけじゃないさ。でも、ほみかの身になってみてよ。今まで本当の家族だと思ってた人が、ある日突然赤の他人だって言われるんだよ? これはものすごくデリケートな話なんだ。だから、慎重にタイミングを考えないと」
「まあ……そうね。たしかに、透の言うとおりね」
母さんは笑って言った。笑顔が少し引きつっていたが。
「ましてや、ツンデレ病も発症してるしね。今はちょうどデレ期に入ってるけど。それもいつ終わるかわからないし」
「そうね。でも、ずっと秘密のままにはしておけないのよ? いつかは……」
母さんはそこで言葉を切った。顔には悲痛の色を浮かべて。おそらく、続きはこう言いたいのだろう。ほみかはいつか結婚する。その時に気づくと。
「わかってる。いつかは、言わなきゃいけないよね」
僕は自分の気持ちを、思いの丈を説明した。
「でも今は、言うべきじゃない。ずっと離れ離れだったほみかと、七年ぶりに会ったんだ。このタイミングで真実を打ち明けるのは、少し酷じゃないのかな」
「ええ、そうね。お母さんもそう思うわ」
そう言うと、母さんはリンゴをむく手を止めた。
「でもねえ……」
というのは束の間で、すぐにまたナイフを動かしてリンゴの皮をむき始めた。
「今度にしよう、今度にしようって考えが、一番危ないのよ?」
「大丈夫さ。それに、今のほみかにそんなこと言ったら、感情のコントロールができなくなりそうだからね。まだ言わないほうがいい」
僕は、キッパリと言った。
「今はまだ、言う気はない」
僕がそう言うと、母さんはフッと息をついた。そのまま話しかけてくることはなかった。どうやら、もう口出しは止めにしたらしい。僕はその間に目をつむって考えを巡らした。
僕がほみかと初めて出会ったのは、五歳の頃だった。僕は父さんが拾ってきた子だった。聞くところによると、僕は父さんの知り合いの子供らしい。父さんは僕の本当の親は、もう他界していると言った。そのことを、僕はなんとも思っていない。顔も知らない実の両親なんか、たとえ生きていると言われても会う気は起きなかっただろう。
それに、父さんも母さんも、僕のことを大事に育ててくれたから。特に寂しくはなかった。かわいい妹もできたことだし。今にして思うと、僕が共感性症候群を患った理由は、そこにあるのかもしれない。
僕は小さい頃から、人の顔色を見て生活していた。自分のことをどう思っているのか、敵なのか味方なのか。常に相手の気持ちを察して、自身の身を守ってきた。人の考えや感情に敏感な年頃だったからこそ、あの事故をきっかけに能力に目覚めたのだろう。
「ほみかちゃんだけどね。透が入院してる間、ろくに睡眠もとらずに、つきっきりであなたのことを看病していたのよ」
「やっぱり、そうか……」
母さんの言葉に、僕は目を開けた。
「透が眼を覚ましたあともね、『お兄ちゃんが目を覚ましてくれて、本当によかった』って、泣きながらあたしに電話してきたのよ? 本当に、麗しい兄妹愛ね」
「兄妹愛……」
僕はその言葉を重く呟いた。
正直なところ、ほみかの為うんぬんというのは、全て嘘だった。
いや、嘘ではないのだが、本心は別のところにあった。本心とは、僕がこわいから。ほみかとは本当の妹だと割り切ることで、平静さを保つことが出来たのだ。そのバランスが崩壊すれば、僕は自分を抑える自信がなくなる。戸籍上は他人とはいえ、それでも兄妹なのだ。しかも学生のうちから過ちを犯せば、僕だけじゃなくほみかも破滅してしまう。
だから僕は、自分の気持ちを封印しておくことにしたのだ。忘れることで思いを断ち切って。過ちだけは犯さないようにと心に誓った。ほみかも僕のことを実の兄だと思ってる。それだけが、兄妹の均衡を保つ唯一の手段なのだから。
「まあ、なんとかなるさ。そのうちにね」
「だと、いいんだけどねえ」
母さんは、意味深にニヤリと笑った。
「なに、母さん? その嫌な笑い」
僕が尋ねると、母さんはいやらしい笑いを浮かべて、
「あんた、最近妙にモテてるらしいじゃない? いいのよ、わかってるから。実はね、個室を取ってもらったのにはわけがあるの」
僕は母さんの言葉の意味を、最初よく理解できなかった。個室を取ったわけ? 落ちついて入院できること以外に、理由なんてあるのだろうか。あとは、来客とかが来ても、他の患者に迷惑をかけないことぐらいか。
来客? まさか……。
「まさか――!」
僕がそう呟いた時、病室のドアがノックされた。
「はいはーい。今開けますよお」
母さんが、よそ行きの甲高い声で出迎えた。僕にはもう、ドアが開けられる前から来客の正体がわかっていたのだが。
「よっ! バカ兄貴! 元気してる?」
「透ちゃん! 大丈夫!? わたしに出来ることがあったら、なんでも言ってね!」
「……神奈月さん、こんにちわ。授業が終わったので、お見舞いにきました」
やはり思ったとおり、ほみか、りおん、アリサの三人だった。
僕は、母の顔をチラリと見た。
母さんは、こっそりウインクをしながら、僕と目を合わせた。




