3「透ちゃんはわたしのもの」
「――ちょっと、バカ兄貴?」
回想にふける僕の耳元で、何か聞こえた気がした。
しかし沈思黙考している僕の耳には入らず。
だからだろうか。ほみかが大声で叫びだしたのは。
「あーにーきー! 目を開けたまま寝てんの!? ついたんだから、さっさと家に上げなさいよ!」
「うわっ!」
僕の耳を引っ張り上げると、ほみかは思い切り喚き立てた。
(ごめんねお兄ちゃん! でも、考えこむお兄ちゃんがイケメンすぎるから♡♡♡ もうほみか我慢できなくて襲っちゃうところだったのおおおお♡♡♡♡)
ほみかは心の中でそう謝罪した。
そうだ。僕たちは今家の前にいる。二階建ての健売住宅。古すぎず、かといって新しくもない。これといった特徴もない、普通の一軒家だった。しかし、母さんと二人で住むには広すぎたが。今日から僕とほみか――あと母さんと、家族三人で暮らしていくんだ。
夢のようだった。最初は到底信じられなかった。もう二度と会えないと思っていた、離れ離れになったほみかと、また会えるなんて。
「な、なによ。そんな顔して。生意気にもキレたってわけ?」
(ごめんなさいごめんなさい! ほみか本当に悪い子だあっ。せっかくお兄ちゃんとまた一緒に暮らせるのに、初日からこんなことして……。ああ、お兄ちゃんにきーらーわーれーるー!)
ほみかは小さな手を握り締めながら、不安そうに僕を見ていた。
「大丈夫だよ、ほみか。怒ってないから」
出来るだけほみかが落ち着くように、僕はもの柔らかな口調でそう言うと、ほみかの綺麗な金髪ツインテールの上にポンと手を置いた。
「ちょ、バカ兄貴!?」
ほみかはいきなりの僕の行動に目を白黒させた。
(ワン♡♡ ワンワン♡♡♡ 足りない、もっと撫でてー♡ もう髪の毛グシャグシャになるまで撫でまわせーワオオオオオン♡♡♡♡)
心の中で相反することを言う彼女に苦笑する。
でもまあ、ほみかの艶やかな髪を台無しにしたくないし、撫で撫ではこのくらいにしとくか。
「あ……」
僕が手を離すと、ほみかはおあずけを食らった犬のように物欲しそうな顔で僕を見つめた。僕だって、これ以上のことをしてやりたい。でも、流石に家の前で過剰なスキンシップをするわけにもいかないしね。
僕がそう考えていると、隣の家の玄関からドアを開ける音がした。
「あ、あれ? 透ちゃん? 何……してるの?」
扉から出てきた人物が、僕とほみかの前まで歩いてきた。
彼女の名は一ノ瀬りおん。私立安寧学園二年生。肩まで届くピンクのセミロングをした女の子だ。パッチリとして澄んだ大きな瞳。幼さを感じさせる丸っこい顔の輪郭に、高く整った鼻筋が絶妙にマッチしている。
しかし本人の幼さとは反比例するように、二つの胸はだんだん大きくなり、今では大きめの果実のように実りをつけている。僕との関係は幼馴染で、家は生まれた時から隣通し。明るく素直な性格で、男女問わず人気を集めている、学園のアイドル的存在だ。
「あ、ああ、騒がしくしてごめんね、りおん。実は、今日からほみかが家に戻ってきたんだ」
僕は謝罪すると共に状況を説明した。
「え? もしかして……あなたが、あのほみかちゃん?」
「うん、そうだよ。久しぶり、りお姉!」
りおんの質問に、ほみかは笑顔で答えた。
ああ、思い出す。
ほみかは昔りおんのことを「りお姉」と呼んで慕っていたことを。
「え……で、でも、なんで……いきなり、そんな……。だ、だって、透ちゃんとほみかちゃんのご両親は、離婚なさったはずじゃ……」
りおんは顎に手を当て、身体中をブルブルと震わせていた。僕にはその姿が、「久しぶりに幼馴染と出会えて嬉しい」よりも「最も会いたくない人物に再会して恐怖している」ように見えた。
まあ、気のせいなんだろうけど。
僕は呆然としてるりおんに答えた。
「うん、そうだよ。でもね、色々と事情があって。今日からほみかはウチで引き取ることになったんだ。また一緒に暮らせるんだよ」
「また、一緒に暮らす? 透ちゃんとほみかちゃんが、一つ屋根の下で?」
「まあ……たった一人の兄妹だからね。また再会できて、僕は本当に嬉しいんだ。今度は、離れ離れにならないように、僕がずっと守っていこうと思ってる」
「……!」
僕がそう言うと、りおんは一瞬顔を歪めて怒りの表情を作った……ように見えた。しかしそれは一瞬のことで、すぐにまた優しい笑顔のりおんに戻った。
「……そう、なんだ。よかったね、ほみかちゃん。また透ちゃんと一緒に暮らせて」
「ふん。あたしは迷惑だけどね。仕方ないから、一緒に暮らしてやるだけなの」
くすぐったそうに、それでいてツンとしながらほみかは答えた。
「そう……」
その答えを聞いた時、りおんの目から光が消えた。一体どうしたんだろうか。またほみかといつでも会えるっていうのに、どうしてそんな顔をするんだろうか。
「……またほみかちゃんと会えるなんて嬉しいな♪ それじゃあ、透ちゃん、ほみかちゃん。これからよろしくね!」
しかし、すぐにまたいつものりおんに戻ると、そそくさと家に帰っていった。
「り、りおん――」
去り際に僕が声をかけようとした時だった。
(……とおるちゃんはわたしのもの。……とおるちゃんはわたしのもの。……とおるちゃんはわたしのもの)
「……え?」
心の声が聞こえたような気がした。
ほみかのではない。ほみかの声は、あんなに禍々しくはない。
あれは明らかに、もっと別の――――
「……ちょっと、バカ兄貴? いつまでりお姉の後姿に見とれてんのよ!」
(あ~! もしかしてお兄ちゃん、りお姉のこと!? だだだ駄目だからね!? お兄ちゃんのお嫁さんはほみかだからね! 約束したんだからね!?)
「あ、ああ。ごめんね、ほみか」
僕はハッと我に返ると、ほみかに目を向けた。
「……約束……だものね」
僕は家の玄関の扉を開け、七年ぶりに妹を我が家に入れたのだった。




