27「いいもなにも、もう友達だ」
(ぐへへ。俺の右ストレートで、その顔をグチャグチャにしてやるぜ!)
大男は心の中でほくそ笑むと、僕に向かって大きな拳を振り下ろそうとした。
なるほど、右ストレートか。
僕は相手のパンチに合わせてカウンターを繰り出す。力比べで勝てると思ったわけではない。そもそもリーチが違いすぎるし。僕が狙ったのは相手の拳だ。
拳の骨はもろい。特に小指の付け根は。プロボクサーでもそこを狙われたら骨折するという話を、聞いたことがある。
「ぐっ……ぎゃああああああああああああ!」
狙いどおり、僕のパンチは見事に相手の拳骨をとらえた。おそらく小指と薬指の骨は折れているだろう。
大男は、ガタイに似合わない金切り声を上げて地面に倒れた。
もう立ち上がってこないのを確認すると、僕は残りの二人に声をかけた。
「どう? まだやる? 出来れば諦めてくれるとありがたいんだけど」
痩せ身の男が答えた。
「ふざけんなてめえ! まぐれ当たりでいい気になんなよ!」
「はいはい分かったから」
僕はため息をつきながら答える。
「くるならくる。こないならこない。男だったら、ハッキリしろよ。あ、男じゃないか。なにしろ三人がかりで女の子一人襲おうとしてたんだっけ。おい、ゴミ虫。いいからさっさとかかってこいよ」
「てめえええええええええええええ!」
男は痩せた体を生かして、素早く僕に殴りかかってこようとした。
僕は、相手の心を盗み聞く。
(こいつは、さっきのまぐれ当たりで調子に乗ってる。だから俺が右ストレートを出すふりをすれば、また同じようにカウンターをしてくるはずだ。なら右ストレートを打つと見せかけてタックルだ。マウントをとってボコボコにしてやるぜ)
なるほど。さっきの男よりは断然賢い。しかし問題なのは、その作戦が全部僕にバレちゃってるってことかな。
「うらあ!」
心の中で考えたとおり、男は僕に向かって右ストレートを出そうとした。僕もそれにならって右ストレートを返すふりをする。
「馬鹿が!」
男は作戦どおり拳を引っ込めると、僕の腰元にタックルしようとした。
「引っかかったな!」
「……あんたがね」
「なに!?」
僕は相手の顔面に向けて膝蹴りを繰り出した。別に狙ったわけではない。相手はこっちの腰に手を回してダウンを奪おうとしてくるわけだから、そのラインに合わせて蹴りを放てば、自動的に相手の顔面に行き着くというわけだ。
「ぐわっ!?」
相手は、まるで夢でも見てるような心境だったに違いない。なにしろ、出し抜いたと思った相手に、逆に出し抜かれたのだから。
これに懲りたら、女の子を襲うような真似は止めてほしいね。
まあ、前歯数本と引き替えなのは、代償が高い気がしないでもないが。
「てめえ……よくもやりやがったな」
残った最後の一人が、僕を睨みつけながら言った。その手にあるのは刃物だ。刃渡り四センチほどの折りたたみナイフといったところか。まずいな。いくら心が読めるといっても、刺されたらどうしようもない。
僕は数歩後ずさった。すると、相手もその分距離を詰めてくる。アリサさんもいるし、ここは逃げるという選択肢はない。
「へへへ……今頃後悔しても遅いんだぜ」
男はいやらしい笑いを浮かべた。どうやら、得物を持って気持ちが昂ぶってるらしい。ナイフでの戦い方は、上から振り下ろすタイプか、切っ先を向けて突進してくるタイプの、どちらかしかない。
男は、一体どちらの――――
「死ねやああああああああああああああああああ!」
(ククク! いくらなんでもこいつは読めねえだろ! そら、その顔に風穴を開けてやるぜ!)
男は、僕の顔に向かってナイフを投げてきた。
僕は一瞬早くナイフを避けると、相手の腰元にタックルをした。相手もまさか、自分から突っ込んでくるとは思わなかったらしい。
僕は男を地面に押し倒すと、腹をまたいで馬乗りになった。下になった相手は、僕に散々低俗な言葉を投げかけてきたが、もう関係ない。僕は相手の頭をつかんで、そして、
「ぎゃっ!?」
男の顔面に頭突きをした。男はひゅうっと息を漏らしたかと思うと、グッタリと気を失った。鼻はぐにゃりと曲がり、大量の出血をしている。間違いなく、鼻骨は折れているだろう。
しかし、この男を止めなければ、僕もアリサさんも大変な目にあっていたのだ。同情の余地はない。僕は男の体から離れると、アリサさんに向き直って言った。
「白輝さん。大丈夫?」
数秒遅れて。
「……え? は、はい……」
「そっか。よかった。怪我もないようだし」
僕はホッと息をついた。助かってよかった。僕もアリサさんも。
しかし彼女は、辛そうな顔を僕に見せた。
「……誰が……」
「えっ何?」
僕がそう聞き返した、その時、
「……誰が、助けてほしいと言いました?」
彼女は、涙目で僕を睨みながら言った。相当怖い思いをしたはずなのに、まだこんな強がりを言えるとは。
「また、余計なお世話しちゃったかな? ひょっとして君の友達だったとか? それなら悪いことしちゃったけど」
「……そんなわけないでしょう。ただ、わからないんです。私なんかを、どうして助けたんですか? 恩を売りたかったんですか? お礼でもほしかったんですか?」
僕は、アリサさんの目をじっと見つめながら答えた。
「礼なんかほしくないよ」
続けて僕は言った。
「友達なのに、いちいち礼を言うのはおかしいからね」
「……友達? 私が、あなたの?」
アリサさんの目から涙がこぼれた。
その涙が意味するものは、僕にはわかっていた。
僕は、彼女の肩にポンと手を置きながら言った。
「そう、友達。嫌かな?」
「……い、いえ。でも、こんな私で本当にいいんですか?」
「うん、アリサさんで、じゃなくて、アリサさんがいいんだ」
僕は言った。
「白輝アリサさんは、僕の友達。僕は、アリサさんの友達。それでいいよね?」
「……本当に、本当にいいんですか?」
「いいもなにも、もう友達だ」
僕がそう言うと、アリサさんは俯くとしばらく黙った。
何時間でも待つつもりだったが、数秒ほどすると、彼女は顔を上げた。
そして、
「こちらこそ、よろしくお願いします……神奈月さん」
アリサさんは、迷いなく答えた。
冷たい無表情ばかり見せていた彼女が、初めて見せてくれた暖かい笑顔だった。
そう、それからだった。
アリサさんの心の声が聞こえてくるようになったのは。




