28「ちがう! あんたは、お兄ちゃんなんかじゃない!!」
「ほみ――」
名前を言い切る暇さえなかった。ほみかは僕に背を向け、勢いよく走り出した。
バタン! という耳障りな音と共にドアが閉められた。ドンドンと、階段を下りる音が聞こえた。
僕は本能的に思った。追いかけろ。何の弁解もしなくていい。とにかく、ほみかをつかまえろ。
素早く決断すると、僕はほみかが閉めたドアを開け、階段を転がるように駆け下りた。玄関まで向かうと、ほみかの靴はなくなっていた。僕は素早く、自分の靴を履いた。
半分ほど開け放しになっているドアを開け、外に出る。
すぐさま歩道に躍り出た。右か左か。僕は辺りを見回した。
「ほみか!」
僕は声をあげた。彼女が人ごみの多い大通へと走るのが見えたからだ。
僕は全速力で走り出すと、ほみかの跡を追いかけた。
僕は街路樹の上を走っていた。途中何度かほみかに向けて止まるよう叫んだが、一向に彼女は聞く耳を持たなかった。
僕には嫌な予感がしていた。ここでほみかを見失ってしまえば、二度と会えなくなってしまうような。だから、必死になって追跡した。
「どこに行った……? あの先の角を右か」
その道はよく知っていた。右に曲がると繁華街へと出るのだ。夜でも人通りが途絶えることがなく、怪しげな密売者や、明らかな暴力団関係者もいる。あんな所で見失ったら、もう終わりだ。
しかし、無事にほみかを家に連れ戻せたとして、どうすればいいんだろうか。わからない。血の繋がりなどなく、赤の他人だと知られた今、何事もなかったかのように明日を過ごせるとでも言うのか。
ローファーの音が聞こえた。小柄な背中が近くなったのをハッキリと感じる。よかった。幾らほみかの足が速いと言っても、男女差がある。このまま行けば、追いつくのも時間の問題だ。そしてつかまえたら――。
「こないでよ!」
突然、ほみかが叫んだ。
「あんたは、血の繋がりがないんでしょ! 赤の他人なんでしょ? あたしは、そんな人と一緒の家に住む気はない!」
その発した言葉は、僕を絶望させるには充分すぎた。駄目なのか。どう説得しても、もう元には戻れないのか。
「ほっといてよ!」
再び、ほみかは叫んだ。
「どっか行って!」
当然そう言われて、どこかへ行くわけにはいかない。
「ほみか、信じてくれ!」
僕は必死に、前を走るほみかに向けて叫んだ。
「確かに、僕と君に血の繋がりはない! でも、お前は僕にとって妹だ! 世界で一番大切な、僕の家族なんだ!」
「ちがう! あんたは、お兄ちゃんなんかじゃない!!」
途端に、ほみかの地面を蹴るスピードがアップする。
そのまま、交差点の向こう側まで、驚くべき速度で走り抜けていった。
その後ろを、負けじと僕もついていこうとした。その時だった。
信号が赤に変わったのは。
キィー、キィーーーー!!
けたたましい音と共に、僕の前を車が走り抜ける。高級車のようだった。僕は寸前のところで身を引き、身体を旋回させた。
窓に映る若い男の運転手が、迷惑そうに僕を睨みつけながらも、高級車は車道を走り去っていった。
僕は愕然としていた。その後も、後続の車が次々と切れ目なく走り抜けていった。これでは、信号無視して渡ることなんてことは、到底無理だ。
しばらくして、歩行者用信号が青になった。途端に、車は一列にピタリと、路上に停車した。僕は無我夢中で、横断歩道を駆け抜けた。途中で前から歩く人に肩がぶつかり、怒鳴られたが。そんな声を無視して、向かいの交差点まで渡りきる。
そこに、ほみかの姿はなかった。どこかお店の中に入ったのか。違う歩道を走り続けているのか。それとも、路地裏にでも隠れているのか。どちらにしても、これ以上探すのは絶望的だった。
再び信号が赤になる。僕は、信号待ちする人たちから鬱陶しげな視線を向けられながら、呟いた。
「ほみか……」
僕はすぐさまポケットに手を突っ込むと、スマホを取り出した。そして連絡リストを開くと、ほみかに向けて電話をかける。
しかし何度かけても、ほみかが通話に出ることはなかった。