23「……分かりましたわ」
「これはこれは。いきなり何を申されるかと思えば」
ほみかの発言に、あすかは嘲るような笑いを浮かべた。
それは僕の記憶にある、淑やかで優しい微笑みとはまるでかけ離れていた。
「ほみかお姉さま。あなたはこのわたくしに対して、勝負を申し込みましたわよね?」
「申し込んだわ!」
「厳正に対決した結果、三本勝負で、あなたはわたくしに負けましたわよね?」
「負けたわ!」
「そして負けた者はこの家から出ていく。この条件を突き付けてきたのも、あなたですわよね?」
「そうよ!」
ほみかの言うことは、支離滅裂で全く論理的ではなかった。
というかもう、それがアリなら何でもアリになってくるよ。
しかも、そんな駄々をあすかが認めるとは到底思えないんだけど。迫真の表情で、ほみかを潰すとまで言い切ってるわけだし。
でもまあ、ほみかに出ていかれたら僕が困るわけなんだけど。ほみかは僕にとって大切な人だし。バカなこと言ってるってのは分かってるよ。それでも、大声で騒ぎ立てれば、あすかの気も変わるかもしれないし。
と、思ったんだけど――
「……ほみかお姉さま。あなたは、ご自分が何を言っているのか。分かっていますの?」
あすかは、ふぅと小さくため息をついた。
その表情は怒ってるというより呆れてるといった方が近い。そんな冷ややかな目を向けられながら、一歩も怯むことなくほみかは、
「もちろん分かってるわよ!」
胸を張りながら、なかばキレ気味に返すのだった。
「でもここであたしが出て行ったら、お兄ちゃんとの約束を破ることになるじゃん!」
「約束?」
「あたしをお嫁に貰ってくれるって約束! あたしはお兄ちゃんと結婚するって約束してるの!」
「……それって、いつ頃のことですの?」
「あたしが九歳の時! でも、小さい時とはいえ約束は約束じゃん! あたしがお兄ちゃんと縁を切っちゃったら、その約束を果たせなくなるでしょ! お兄ちゃんとの約束が先約なんだから、あすかとの約束は無効よ!」
「はあ」
開いた口が塞がらないと言った様子で答えるあすか。
いや、そりゃそうだよ。
ほみかが僕との約束を大事にしてくれていることは嬉しいけど。あすかにとってはそんなこと知るかって感じだろうし。むしろ、ますます油に火を注いでる気がするよ。
「そんな昔の約束を持ち出されては困りますわ。婚姻届けに判を押してるわけでもない、証人がいるわけでもない、ただの子供の口約束ですわ。そんな小賢しい言い訳でこの場をしのごうなどと、ほみかお姉さまも見苦しいですわね。心底失望しましたわ」
まるで弾丸のように。
言葉の銃弾をほみかに浴びせるあすかだったが。
……。
……………………。
あれ? ほみかがうつむいたまま、全く動かなくなったぞ?
僕がそう思ったのもつかの間、彼女はバッと顔を上げて、
「いやあっ!!」
と、ほみかは涙目になりながら、大声で叫んだ。
あすかはそんなほみかに冷静に詰め寄りつつ、
「嫌ではありませんわ。ほみかお姉さま。あなたは負けたのですから」
「いやだもん! ほみか、出ていかないもん!」
「見苦しいですわよ。そもそもこの条件は、あなたが言い出したことでしょう?」
「う、うるさいうるさい! ほみかが言い出したことだけど、お兄ちゃんとの約束の方がずーっと大事だもん!!」
「ただの大昔の口約束ごときで、敗者の条件を反故にするというのですか?」
「ただの口約束じゃないもん! ほんとにするんだから! ほみかは、お兄ちゃんと結婚するんだから!!」
「どうしてですか?」
「どうしてって……」
そこで言葉に詰まるほみか。そして、視線を僕に移す。
大きくて、澄んでいて、瑞々しくて、真剣な瞳が、僕を捉える。
心の声は聞こえない。ということは、ほみかは今本心で話しているということだ。ならば、ここで僕が便宜を図るわけにはいかない。僕が口を添えたところで、ほみかが圧倒的不利な状況に変わりはないのだから。
代わりに、僕もほみかを見つめた。
可能なかぎり真摯に、誠実に。じっと、見つめ返した。
すると、ほみかは僕から視線を逸らし、あすかの方をキッと見つめた。
そして、
「だって、好きなんだもん!」
顔を真っ赤に染め、両こぶしを固く握りしめながら、ほみかは声を張り上げた。
「そうよ! 好きよ! 大好き!! お兄ちゃんの優しいところも、気遣いが出来るところも、何もかも! 悪い!?」
「はあ、悪いというか。……お姉さま、どうも口調が変わってないですか? というよりも、普段のお姉さまはお兄様のことをバカにしていたのではないですか? それに――」
「そんなことはいいの!」
ほみかは大声であすかの言葉を遮ると、
「あすか。アンタには分からないでしょーね。ほみかのお父さんとお母さんは、十年前に離婚したの! そしてほみかはお父さんに引き取られた……今に至るまでね! もう二度と、お兄ちゃんとは会えないと思ってた、この気持ちがアンタに分かる!?」
「え? それは、」
「ほみかはお父さんに引き取られていたけど、そのお父さんも死んじゃった。だから、お兄ちゃんとまた会えることになったの」
「う……」
「ほみかはいっつもお兄ちゃんに生意気な口叩いて! それでもお兄ちゃんはほみかのこと見捨てないでいてくれたの! この十数年間ずっと!」
「いえ、しかし」
「そう、ほみかはお兄ちゃんに、迷惑かけてばっかりだった……。ほみかのワガママを許してくれて、ほみかのまずい料理美味しそうに食べてくれて、そしてほみかのことを大好きだって言ってくれた。ほみかはその恩を、何も返せてないの! アンタにだって、いや、アンタになら分かるでしょ!? この気持ち!!」
「ほみかお姉さま。確かに、わたくしは――」
「ほみかにだって分かってるよ! そんなこと! ほみかが悪いよ! 何もかも! 自分から言い出しといて、アンタとの約束を破ろうだなんて! ほんと、人としてサイテーよ! でも、しょうがないじゃん! お兄ちゃんのことが好きなんだから!! ほみかはツンデレ病にかかってるから、言いたいことが上手く言葉にできないけど、想いでは誰にも負けない! もちろんアンタにだってね! だからこそ、正々堂々お兄ちゃんを取り合いましょうよ! 恋敵として!」
デレ期だ。
それ以外に、ほみかがこんな口調になることは考えられない。前に一度なったことがある。普段は僕にツンツンした態度を取るほみかが。僕に対しての好意をむき出しになる。
「……分かりましたわ」
僕がそんなことを考えていると、あすかは淡々と呟き、
「認めましょう。ほみかお姉さま。あなたがここに留まることを……」