51「はい、お兄様。お気をつけてお帰りくださいませ」
自分で言っといて何だけど、かなり無茶な暴露をしていると思う。それでもことり、あすかにだけは、本当のことを言いたい気持ちがあった。
どちらにせよ、もう後戻りは出来ない。進むだけである。
「ぉ兄様。人の心が読めるのぉ? ぁたしのも?」
ことりは上目遣いで、無邪気に聞いてきた。
……やっぱりこうして見ると、聡明で冷静なあすかとはまるで違うな。
「いや、ことりの心は読めない」
「なんだぁ。がっかりぃ」
明らかに落胆したような表情を見せることり。
少し前までは、僕を殺そうとしていた少女が。
こんなにも柔らかく、温かな表情を見せてくれるようになったんだ。やはり、全てを正直に話すべきだろう。
「……ことり。あすかも。聞いてくれ」
「ん。なぁに? ぉ兄様」
「今から話すことは、絶対に秘密だよ? 例えつばめさんにも。いいね?」
「ぅん。わかってるよぉ」
ことりに確認を取ると、僕はすーっと息を吸い、
「まず僕の能力だけど、共感性症候群と言ってね、他人の好意や憎悪といった激しい気持ちを読み取る能力なんだ。有効範囲は十五メートルほどで、直接対面する必要がある。無心の人、あるいは電話やメールとか、機械を通しては発動しない。ここまではいい?」
「ぅん」
「さて、ここからが本題。あすかの感情は読めるんだけど、何故かことりの感情だけは読めないんだ。これは仮説になるんだけど、ことりという存在はあすかの深層心理の中にいる存在であり、深いところに精神が隠れているから、僕でも読み取ることは出来ない。気絶してる人間相手では能力が発動しないのと同じことだ。別人格になるということは、いわゆる精神障害を起こしてる状態。体はあすかなのに心はことりという矛盾した状態が、僕の能力を曇らせた原因だと思う」
そう、これが僕の出した結論である。
というか、それ以外に考えようがない。
ことりは僕に対して明確な憎悪を持っていた。殺す気はなかったにせよ、あすかの敵と見なしていたのだから。
それならば、僕の能力は発動していないとおかしい。
あすかが僕のことを大好きだということは、心の声で分かる。しかし、ことりは僕のことを異性として愛していない……つまり、ことりはイレギュラーな存在だから、心が読み取れないのだ。
「左様でございましたか。お兄様」
不意に、彼女が話しかける。
「わたくし、ずっと不思議に思っておりました。お兄様はいつもわたくしに優しく、また、わたくしの心を見透かしたような言動をしておりました。それは、お兄様の能力によるものだったのですね」
「……あすか?」
「はい」
淑やかな笑みを浮かべ、あすかは答える。
「ですが、わたくしは怒ってもいるのですよ? わたくしの為に、お兄様がどれほどの苦労をなされたか。結果的にはことりお姉さまと和解したものの――少し間違えば、命の危険さえありました。そのようなことになれば、わたくしは一体どうすればよいのですか?」
(違います。わたくしは、自分自身に憤っているのです。わたくしなどのために、お兄様が身を挺して守っていただいたことを。まして死の危険にさらしたとあっては、わたくしの命では到底償いきれませんわ。どうして、わたくしに全てお話しくださらなかったのですか? 黙っておられたのですか?)
表面上は僕を糾弾するが、内心は激しい後悔に満ちている。それは、表情を見ても同じことだ。凛々しく口元をキッと結んでいるが、よく見ると唇の端がわずかに震えている。僕を愛する気持ち、許せない気持ちが、交互に押し寄せているのだろう。
「あすか」
「はい。なんでございましょう?」
「一つだけ、聞いてもいいかな?」
「はい。一つと言わず、わたくしの幼少期から今に至るまで、何なりとお答えしますが」
「いやいや。そこまではいいんだけど……」
大げさなあすかの返事に僕は一瞬尻込んだが、
「僕の秘密を聞いて、どう思った? 許せない? 不気味に思った? 出来るだけ正直なところを聞かせてもらいたい」
何とか言葉を紡ぎ、僕はあすかに質問した。
これは、僕が一番聞きたいことだった。
僕のためなら死ぬことさえいとわないあすかが、僕を嫌うなんてありえない――なんて自惚れてはいない。あすかは普段は気弱な女の子だけど、同時に強い心も持っている。僕のことを誰より慕っているだけに、今まで隠し事をされてたという事実はショックが大きいのではないか。しかも、かなり恥ずかしい心の声が丸聞こえだったわけだし。
そんなことを考える僕に、対峙するあすか。
相当考え込んでいるのか、時間はたっぷり三分ほど経っている。僕はどんな謗りを受けるか。覚悟しながら向かい合っていると――。
「本当に。難しい質問をなさるのですね。お兄様は」
「……ごめん」
「当然、怒っておりますわ。わたくしの心を勝手に盗み見たのですから」
今まで向けたことのない、鋭い視線を僕に向けるあすか。
「しかしそれ以上に、とても嬉しく思っておりますの。わたくしのことを誰よりも理解してくださって、気にかけてくださったことが……ちなみに、今わたくしの心の声は聞こえておりますでしょうか?」
「いや、聞こえない」
「ということは、今わたくしの言ったことは『本音』ということになるのですね?」
「うん」
「うふふ、そうですか」
険しい表情から一転して、温和な微笑を浮かべるあすか。
まあでも、確かにそうか。あすかは今まで家でも学校でも、本当の自分というものをさらけ出せずにいた。さらに、周りからも神格化されたような目で見られてるし……そんな中で、僕と出会ったんだ。あすかが嬉しく思ってくれているのであれば、僕も少しは救われたが。
あすかが言った。
「もう、大分遅くなってしまいましたね」
「ん。そうだね」
「本心を言うのであれば、お兄様にはずっとこの家にいて頂きたく存じます。しかし、それは叶わぬ願いですね。お兄様は神奈月家のご恩と申しておりましたが、本当の理由はほみかお姉さまのため……ですね?」
「うん、その通りだよ」
「では、なおさら早く帰ってあげてくださいまし。ほみかお姉さまもご心配なさるでしょうし」
「分かったけど……あすかは、本当にそれでいいの?」
「もちろんですわ。もう会えなくなるわけではありませんし、わたくしには秘策がありますから」
あすかの眼が挑戦的に光る。僕は問いかけた。
「えっと、それってどういう……?」
「うふふ。すぐに分かりますわ。ですから、心の中は読まないでくださいまし」
「そうか。分かったよ」
悪戯っぽく笑いかけるあすかに、僕は頷いて、
「ともあれよかったよ。つばめさんともようやく和解できたし、あすかとことりの関係にも折り合いがついた――後はほみかとも仲良くしてくれれば万々歳なんだけど……とにかく、安心したよ。それじゃ、僕は本当に帰るね」
「はい、お兄様。お気をつけてお帰りくださいませ」
(お兄様。わたくし、諦めませんからね)
深々と頭を下げるあすかのお辞儀と共に、一連の騒動は幕を閉じた。
後はあすかの言う『秘策』と、心の中でつぶやいた『諦めない』という言葉の真意についてだが。あすかの言うとおりすぐに――正確に言うと今から三日後、僕はこれらの意味をたっぷりと知ることになる。