26「ぉ兄様ぁ……。ダメじゃなぃ。獲物が逃げちゃぁ」
ことりは左手で短刀を持ったまま僕に突撃してきた。冷酷な顔が僕に迫ってくる。
「ぐうっ!」
僕は短い悲鳴をあげた。右肩に焼けるような熱さが走った。と思うと、服が破れて真っ赤な血が滴り落ちている。ことりに切られたようだ。ふとことりを見ると、口角を上げ薄笑いを浮かべていた。
「ぁれれ。心臓を狙ったつもりだったのに、外しちゃった。でもぃぃの。ちょっとずついたぶって、獲物がジタバタするのを見るのも、ことり好きなの」
「……どうせ殺されるなら、さっさと殺してほしいけどね」
「ぅん。ぉ兄様は死ぬよぉ」
ことりは左手に短刀を持ち、かまえながら言った。
「ことりがね、殺すの♪」
そしてことりは、僕に向かって真っ直ぐ短刀を突き出してきた。
「うわっ!」
僕は必死に避けた。その結果、ことりの短刀は、コンクリートの壁の穴あけされた部分に突き刺さったようだった。
「ぁれぇー。また外しちゃったぁ」
場にそぐわないことりの暢気な声が漏れる。僕は地面に転がった。負傷してる右肩が擦れ、痛みで呼吸が荒くなる。通常ならばこれだけの憎悪を向けられれば心が読めるはずなのだが。ことりの心は何故か読めなく、さらに動きも早いため逃ることが出来ない。
しかし、あすかの心は読めるのに、どうしてことりの心は読めないんだ? まさか、平常心で人を殺そうとしてるとでもいうのか?
死と隣り合わせの緊張感、そして右肩の痛みが、僕を激しく動揺させていた。
「ぁぁ~。やっと抜けたぁ。ごめんねぇ、お兄様。待たせちゃってぇ」
ことりはニヤリと笑いながら言った。ガラス玉のような瞳の奥には、ためらいや罪悪感といった感情は何もない。
右肩の痛みが増してきた。ちょっとでも油断すると失神してしまいそうなので、血が出るくらい唇を強く噛んで何とか意識を保つ。
そうだ。まだ死ぬわけにはいかない。僕は血にまみれた口元をギュッと結んだ。ほみかのためにも生きなければならない。たとえどんなことがあってもほみかを守ると、僕は誓ったのだから。
「じっとしててね。すぐ楽にしてぁげるから☆」
ことりは壁から抜いた短刀を左手に持って、再度僕に向き直った。
僕は半歩後ろに下がる。
すると背中が壁に触れた。くそっ、行き止まりか。
だがその時、ある考えが浮かんだ。
いちかばちかの賭けだが――
「死んで、ぉ兄様!」
ことりが僕に向かって突進してくるのと同時に、僕は膝を曲げると、今度は思い切り伸ばし反動をつけた。
そして、飛び上がった。
「なっ!?」
渾身の一撃をかわされ、ことりが驚きの声を上げる。僕は痛めた右肩を思い切り上に伸ばし、壁の一番高い部分を掴んだ。
直後、信じられないような激痛が襲ってきた。思わず涙が出るくらいに。だが、ここで気絶したら全てが水の泡だ。僕は最後の気力を振り絞って、反対側の敷地へと飛び降りた。
思ったとおり、反対側の敷地は無人の空き地だった。僕は心から安堵する。ことりは僕より大分身長が低いし、着物を着ている。いくら高い身体能力があるとはいえ、僕と同じ行動は出来ないはずだ。
しかし、もたもたしてる余裕はない。怪我した右肩をかばいながらも、何とかさらに安全圏に逃げようと走り出す。
その時、背後から爆音が響いた。
「!?」
僕は後ろを振り返った。何と、僕が飛び越えたコンクリートの壁の真ん中には大穴が開いていた。そして、ポッカリと陥没した穴から彼女は出てきた。
「ぉ兄様ぁ……。ダメじゃなぃ。獲物が逃げちゃぁ」
ことりは僕を真っ直ぐ見つめながら、邪悪な微笑みを浮かべるのだった。