1「兄貴のことなんて、だーいきらい!」
真夏の駅のホームは、じめじめした暑さと人の熱気が相まって、どこか居心地の悪さを感じさせていた。しかし僕は、そんな嫌な気持ちなど吹き飛ぶくらい心を弾ませていた。今日は七年ぶりに、妹と再会することになっている。神奈月ほみか。僕、神奈月透の妹だ。七年前に両親が離婚し、僕とほみかは別々の親に引き取られ、離れ離れに生活していた。
それが何故この度また一緒に暮らすことになったのか……だが。少し言いにくいのだが、ほみかを引き取った父が亡くなってしまった為だ。話を聞くところによると、どうやら再婚してたらしいのだが、その再婚相手もろとも交通事故で死んでしまったらしい。そのため、母親と暮らしていた僕の所に引き取られることとなったのだ。他界した親父には悪いが、この話は僕にとって夢のような話だった。
ほみかとまた一緒にお喋りが出来る。
ほみかとまた一緒に遊びに行ける。
ほみかとまた一緒にごはんが食べられる。
ほみかとまた一緒にテレビが見れる。
ほみかとまた一緒に学校へ行ける。
全てが、もう叶わないと思っていたことだったからだ。自然と心は浮つき、口元はにやけてしまうというものだった。
電車がプラットホームに到着する。ドアが開くと、どっと人の波があふれた。老若男女。様々な人が停留所に降り立つ。この中の一人が、僕の妹のほみかなのだ。
そんなことを考えていた時だった。
(おっにいちゃーん♡ ああああお兄ちゃんだお兄ちゃんだお兄ちゃんだ♡ 間違いない。あたしの世界で一番大好きなお兄ちゃんだああああああああああ♡♡♡)
「お、どうやら来たようだな」
僕は、声がした方向へ目を向けた。
そこに、妹はいた。
両サイドをピンクのリボンで結んだ、金髪のツインテールに、長く美しい睫毛をした切れ長の瞳。その下にはツンと高く通った鼻筋、凛々しい口元はキュッと結ばれていて、妹の勝気な性格を如実に語っているようだった。身体つきはスレンダーだが出る所は出ている、いわば細身体系というやつだ。背も小さく、見ようによっては中学生に見えなくもなかった。
「久しぶりだね、ほみか」
僕はキャリーバッグを引きずる妹に手を振って出迎えた。
「……」
しかし当の本人はプイと首を横に向け、僕の挨拶を無視した。
「ほみか……?」
「気安く話しかけないでよね……バカ兄貴」
(ご……ごめんなさいお兄ちゃん! ほみか、久しぶりすぎて恥ずかしすぎてもう駄目なの! せっかくお兄ちゃんが迎えにきてくれたのに……駄目駄目な妹でホントにごめんなさい!)
「ああ、そういうことか。ごめんね、こっちも気遣いが足りなかったよ。大丈夫。ちゃんと分かってるから。少し緊張してるんだよね?」
僕がそう言うと、ほみかはびくっと肩を震わせ、綺麗な睫毛をこちらに向けた。嬉しそうに、それでいてどこか怯えた目で僕を見ている。そして、心の中の声。
(お……お兄ちゃん! そうなんだよお! ほみか、今とっても緊張してるんだよ! そこに気づいてくれるなんて、お兄ちゃんは神ですか? 神なんですか!?)
大人ではない。しかし子供でもない。
今年で十六になる妹だが、成長するところは成長していたようだ。
さて、ここらで僕の能力について説明しておこう。
僕の能力名は「共感性症候群」。憎悪や愛情といった感情の波長を読み取る能力である。幼き頃に得た力だが、開花させてくれたのは、目の前にいる妹だ。まあ、その話は別の機会にするとして……。とにかく僕は、この力のおかげで強い感情を向ける者の思考を読み取ることができるのだ。
この能力は、つまりこういうことだ。
①愛情、憎悪といった激しい感情を読み取れる。
②能力の有効範囲はおよそ十五メートルほど。
③能力の発動条件は、僕と直接対面すること。電話やメールでは効果がない。
④「はい」、「いいえ」で答えられることには効かない。
⑤無心、あるいは動揺してる時も心を読み取ることはできない。
例えばこんな風に…………。
(お兄ちゃーん! どうして黙ってるの!? ほみかがこんな天邪鬼だから怒ってるの!? ごめんなさいごめんなさい! 謝るからほみかのお尻金属バットで滅多打ちにしていいから、ほみかのこと嫌いにならないで!)
僕のことをキッと睨みつけながら、心の中でそんなことを考えているほみか。ていうか、金属バットって……。しかし、表情にはそんな雰囲気、ほみかはおくびにも出さない。
「なによ……何か喋りなさいよね。いつまで黙ってるつもり?」
(お兄ちゃん! ほみかは寂しいのホント駄目なんだよお! 寂しいと死んじゃうウサギさんなんだよ? だからお願い、何でもいいから喋ってえええ!)
「あ、ああ……ごめん、ほみか」
僕はそんなほみかの心の哀願に応えた。
「とにかく、立ち話もなんだ。家に行こうか。母さんも待ってるし」
僕がそう言うと、ほみかはフン、と鼻を鳴らした。
「そ、そうよ。あんた何のためにここにいるのよ。あたしを迎えるために来たんでしょ? と、とっとと案内しなさいよ」
(はうー! なーんでいっつもこうなっちゃうのおおお!? ホントはこんなこと言いたくないのに! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいうわああああん)
「あ、あはは。それじゃあ行こうか」
僕は心の声をしっかり聞いた後で、ほみかに向かって手を伸ばした。
「えっ」
僕の差し出した手を見て、ほみかは顔を真っ赤にした。
「……って、ななな、何よ! 手をつなげとでも言うの!? 小学生じゃあるまいし、バッカじゃない!? この歳になって、そんな恥ずかしいこと出来るわけないでしょお!?」
(あああああ夢にまで見たシチュだあ♡ ぺろぺろしていい? くんかくんかしていい? てか、する! お兄ちゃんの手舐めまわすうううう!)
「嫌だったらいいんだ。ごめんね」
そう言って僕が手を引っ込めようとすると、
「あ……誰もそんなこと言ってないでしょ!? いいわよ、不慣れな街だし。万が一迷子にでもなったら大変だから! 仕方なく! いいわね!? 仕方なく手を繋いでてあげるわよ!!」
(このチャンス、逃がすものかあああああ! お兄ちゃんと繋いだ手、もう一生洗わない! そしてこの手で○○○なことや△△△なことを……)
「あ、ああ! そうだね! 迷子にならないようにね!」
心の中で放送禁止用語を連発する妹の声を遮るように、僕はゆっくりとほみかの手を握った。
そして、言った。
「おかえり、ほみか」
すると、ほみかはぷりぷりと怒りだした。
「な、なによ! かっこつけちゃって! 気障ったらしいこと言っても、ちっともかっこよくなんかないんだから! むしろキモい! ウザい! なーにが、『おかえり』よ!」
(ああああああ! また逆のこと言ったあああああ! 嘘です嘘です! ホントはすっごくかっこいいです♡ かっこよすぎてマトモに話せないくらいっ)
しかし、それが妹の本音だった。
だから僕は、出来るだけ優しくこう言う。
「ほみかが例え僕のこと嫌いでも、僕はほみかのこと大好きだからね」
「あ……あ、あう、あう……」
僕の言葉に、ほみかは目に見えて戸惑いの表情をみせた。
そして、堰を切ったように激しい罵倒を浴びせた。
「な、何よ! えらそうに! あんたなんかに何が出来るっていうのよ!?」
(お兄ちゃんは最高だよ! 世界で一番素敵な自慢のお兄ちゃんだよ!)
それはどうしようもなく不安定で、
「黙ってないで何とか言ったらどうなの! あの時だってそうよ! あたしがあいつの家に引き取られる時も、あんた何も出来なかったじゃない!」
(違うの違うの! 全部あたしのせいなの! あたしのせいなのに、どうして謝ることが出来ないの!?)
触れるだけでも壊れそうなほど繊細な、
「ハッキリ言ってやるわ! 迷惑なのよ! あんたみたいなブサメンで頭が悪くてスポーツ音痴な奴が兄貴だなんて……あたしの人生最大の汚点だわ!」
(そんなことないよお! ほみかのお兄ちゃんでいてくれてありがとうね? お兄ちゃんは世界で一番イケメンで頭も良くてスポーツ万能で……そんな人がお兄ちゃんだなんて、ほみかの人生ホントによかった!)
だから僕は、ほみかを強く抱きしめた。
「はうっ……!」
抱きしめたその体は、強気な表情とは正反対なほど華奢で――これ以上力を強めたら壊れてしまうんじゃないかと思えるほどに、小さかった。
「ちょ……! 待って!」
慌てたように、ほみかは僕の身体を押しのけた。
「なによあんた! 変態!? いきなり抱きついてこないでよ!」
(ほみかはいつでもOKだよ♡ むしろカモーン♡)
そんな内心とは裏腹に、僕から距離を離すほみか。
そして、僕のことをキッと睨みつけてこう言った。
「いい? ひとつだけ言っとくわよ? 耳の穴かっぽじってよーく聞きなさいよね!」
そしてスーッと息を吸うと、涙袋に指を当て、舌を出してあっかんべーをした。
「あたしは兄貴のことなんて、だーいきらい!」