9話 鍛錬ととある男の秘密
(注)この物語には多少の流血、いじめ、殺人等の残酷な描写が含まれます。苦手な方はブラウザバックをお願いします。また犯罪行為を助長する意図はございませんのでご理解いただきますようお願い申しあげます
縁楔―――。
前と比べれば仲良くなったし、それほどまで悪いやつだとは思わないが、千里にはなぜだかわからないが、ばれたらそれこそ裁判になれば確実に負けてしまうようなものを隠している気がしていた。席で難しい顔をしながらそんなことを考えていると、ふと影がかかり上を見上げると驚いたような顔をした伊織の姿が目に入る。
「何ハトが豆鉄砲食らったような顔してんだよ……。伊織?」
「あ……。ねぇ、千里、今日って空いてる?」
「空いてるよー。伊織どうしたの?」
「あー、今日識が帰ってくるんだけど、折角だし、千里と識と僕で父様に稽古つけてもらったらどうかなって思ったんだけど、ダメかな?」
「別に俺はいつでもよかったから大丈夫だよ。じゃあ放課後伊織のクラス行くわ」
伊織はわかった、と言いながら教室から出ていく。これを伝えるためだけにここに来てくれたのかと思うと、伊織の気遣いがわかり苦笑をこぼす。如一だったら問答無用で放課後に無理やり連れていかれるだろう。それにすっかり慣れてしまっていた千里は伊織のその心遣いはうれしくもあり、如一の無神経さが痛いほどに伝わってきて、正直な話如一にも見習ってほしいところがあるのだがそんなことを言えば恐らく自分が痛い目に合うのは目に見えていたので、あえては言わないが、ひそかに思うのは勝手だろうし、口にしなきゃいいだけの話だ。蒼に声をかけられたのは、そんなことを考えていた時のことだった。
「千里ちゃん、今日も一緒に帰る?」
「あー、今日は伊織の家に稽古しに行くから一緒には帰れないなぁ。多分泊りがけになると思うから……。今度蒼も伊織に頼んでみたら?多分快く引き受けてくれると思うよ。それに蒼は剣道部のエースだからね。伊織も喜ぶと思うんだ」
「そうかな、じゃあ今度相談してみるよ。ありがと、千里ちゃん」
「いえいえ。大切な幼馴染兼過保護な幼馴染の恋路ですからね、応援しますよ、娘として」
からかうようにそう口にすると少し恥ずかしそうにほほを染めながら「ちょっと千里ちゃんっ!」と声を出す。普通にこうしていれば何分問題はないのだが、この男を怒らせると後がめんどくさいのを知っている。なのでとりあえず千里は話をすり替えるかのように、口を開く。
「まぁともかく、俺はお前を応援今のところはしてやるから、がんばれよ」
「今のところなの!?……娘が可愛くない」
「待て俺はいつからお前の娘になった」
「いつものことでしょ。というか千里ちゃんが言い始めたことでしょうよ……」
話のすり替えには成功したようで、いつの間にかいつもの話の戻っていた。授業開始を知らせるチャイムが鳴ると蒼は自分のクラスへと戻っていき、千里も黒板へと目を向けて一応授業を受けているふりを続ける。
先ほどの休み時間は思わぬ来客で思考の邪魔をされたのでこの時間は心置きなく考え事に没頭できるといっても過言ではない。やはり千里からすると縁楔はやばそうな雰囲気を漂わせていた。蒼と少し似ているが、それよりもはるかに危なそうだった。本人に聞いたところではぐらかせるのが関の山だろう。やはりあいつの本性を暴くなら追跡しかなさそうだ。
「さすがに警察とはいえ、こういうことするのは気が引けるんだけどなぁ……」
千里はそんな風にぽつりと呟いてから、深い溜息を吐くのだった
「お邪魔しまーす……。」
「ただいまー、父様。千里連れてきたよ」
その日の放課後。千里は伊織とともに橘家の訪ねていた。千里にとっては久々に橘家に訪ねるので、罪悪感やら後ろめたさがあったのもあり、橘家になかなかこれなかったのだが、伊織から誘われたのもあり、千里は後ろめたさを隠しながら伊織の後に橘家の敷居跨ぎながら久々に訪れた
「お帰り、伊織。識はもう帰ってきてるよ。……。千歳さん所の娘さんだね?大きくなったね」
「お久しぶりです。すいません、いきなり来なくなったりして……」
「伊織ねぇちゃんお帰りー!……あ、千里さんも来てたんだね」
橘識―――。橘伊織の弟で結構重度なシスコンな子だ。いち早く伊織が帰ってきたことに気が付くと飛びつきながら出迎えてくる。因みに伊織の後についでかのように千里にあいさつをする。それも懐かしいと思いながらも相変わらず仲の良い兄弟だ、と思う反面、羨ましい限りだった。千里にはもう家族がいない。なので騒がしくとも仲のいい家族を見るのは羨ましかった。
「ほら識。僕は母様に挨拶しないとだから一回離れよ」
「むー……。じゃぁ俺も母様に挨拶する」
「もー、仕方がないなぁ」
ドタバタとしながら玄関から家の中へと入っていく。その様子に呆然としていると射水が苦笑交じりに千里に声をかける。
「恥ずかしいところをお見せしたね……。あぁ、どうぞ上がってこちらに」
「いえ、大丈夫ですよ。あ、お邪魔します」
千里が橘家に上がり、居間に通されると、ほんの少しの違和感が生じた。詩織が見えない。おさいないころの記憶の片隅に残っている優しくしてくれた、あの人の姿が。しかし、この時間なら主婦特有の面倒なものに付き合せれているのだと考えるのが妥当だ。千里も何度かそういうのに付き合わされたことがある。もちろん愛想笑いですべてをやり過ごしている。詩織はもういないのではないかという最悪のことを考えてしまった千里は自分が嫌いになる。¨最低だ、俺¨そう思いながら居間で待っていると不意に目のまえにお茶が差し出される。
「ちょっと識!」
「だって千里さんずっと難しい顔してるんだもん。考え事しててもいいけど、難しそうな顔しないでよ。伝染するでしょ」
目のまえに差し出されたお茶を受け取りながら、伊織たちの話に耳を傾ける。
「そうだ、夕飯どうしようか。識、何食べたい?」
「うーん、カレーかなぁ。千里さんもいるしね」
「あー、別に俺に気を使わなくても……」
「父様の稽古は食べないと倒れちゃうからね。じゃあ買い物に行こうか」
そういうと二人は射水のもとへと歩いていく。千里もそれについていきながら、羨望の思いは膨らんでいった。今でも千里の父と母を殺した運転手の再調査は行われていない。そのせいもあってか、余計に羨ましかった。如一みたいに親に嫌われているのはあまりうれしくはないが家族がいるのはとても羨ましかった。
しかし、そんな千里の思いが消えるような踏み滲まれるような思いをするまであと二時間。
夕飯の時間になっても詩織は一向に姿を現さなかった。千里がそれに疑問に思いつつも口に出せないでいた。出してしまったら知りたくないような事実を知ってしまうような気がしたからだ。夕食後、織と二人きりになった千里は沈黙が辛かった。こういう時話題の引き出しが少ないことを嘆くことしかできないのが心の奥底から悔やんだ。それでも振り絞るように出した話題は──────────、やはりもっぱら武道の話だった。
「識君は……さ、何が得意なの?ほら、伊織は何でもできるけど、特化してるのは薙刀だろ?だから識君は何やってるのかなぁって」
「俺は弓道だよ。その次に薙刀で、三番目ぐらいに剣道」
「さすがだね、すごいや……。俺は逆に剣道しかできないからなぁ」
「へー……」
しかしその会話もすぐに尽きてしまう。こんな時の頼りの綱である伊織はなぜかその場にはいなくて再び居間には重たい沈黙が広がっていた。沈黙に耐えきれなかった千里は、何か話題を探すもまったく浮かばない。
出してはいけない話題はわかっていた。恐らくこの子も、基本家き伊織比金にいる男の名前だけは出さないのが正しいだろう。
「あー……」
「どうかしたの」
苦し紛れに出した声はしっかりと識の耳の届いていたらしくその続きをせかされる。まったくこの先なんて考えていなかった千里は少し困りながらも口を開く。
「ええっと、その……なんつか、うーんと……そう、織君は将来とか決まってんのかなーって思って」
苦しすぎるにもほどがあり、千里は冷や汗が止まらなかった。本当に自分の人と会話が苦手なのかと疑いたくなる程度には、本当に会話に脈略もなかった。
「……。別に何でもいいけど、警察だけはなりたくない」
千里はその言葉に息をのんだ。千里は警視総監だったが、そのことを知る人だって行内では限られていて、それこそ伊織は知らないはずなので、どこから情報が漏れたのかと不安に駆られる。そもそもの話、自分の部下が悪く言われているのを聞くと、なぜ?という疑問が浮かんでくる。その疑問はつい口からこぼれる。その言葉を聞いてか、聞かずか識は立ち上がると千里についてくるように言うと、居間から出ていき、千里に現実というものを見せつけた。
「二年前の大きな事件、多分千里さんも覚えてると思う。その事件の最終被害者だったんだ。遺体の一部はまだ見つかってない。警察に再捜査のお願いもしたよ。だけど偉い人がいないからって、俺が子供だからって、断られたんだ」
「そんな……」
悔しそうに識は唇を□み締めながらそう言っている式の姿を見て、自分の部下に、そして母がいないと何もできない無能に腹が立った。なんで、という感情よりも、助けたい。そんな感情が先に生まれていた。────俺がやらなきゃ。ほかに誰がやるというのだろうか。そんな感情を持ち合わせながらしっかりと前を見据えると、小さくつぶやくように口を開く。「大丈夫、必ず見つけて事件を終わらせる」と。
まずは目の前にあること、目前に迫った体育祭のことを片付けなくちゃ。そう決意したところで伊織が千里と識のことを迎えに来た。そして稽古が始まったのだった。
千里の今回の成果としては散々だった。そもそもほかのことを考えていたので当たり前と言ったら当たり前だ。伊織には千里らしくないといわれる始末で、明日は集中して取り組もうと決意をする。湯あみも終わりあとは寝るだけ、という時に千里と伊織は少しだけ話をしていた。話がひと段落ついて静寂に包まれたとき。ふいに千里は口が開く。いや、ぽつりとこぼした、のほうが正しいのかもしれない。その声は広すぎる部屋では寂し気で、静かな広間では寂し気に響いた。
「詩織さんのこと……。識君から……全部聞いたよ」
「そっか……」
「……もし、さ。今からその事件について納得に行かない警察のお偉いさんがその操作をするって言ったら、伊織はうれしい?」
千里のその声は震えていた。伊織には聞かれる理由がわからなかったが、それでも千里の震え交じりの声に真剣に答えるべきだと思った伊織はほんの少し悩んでから、間をあけて口を開く。寂しげに笑いながら。
「……うん、嬉しいよ、でも、そんなのは無理だよね……。だって警察は無能だし、高額な給料もらうだけもらって楽してるような人だもん。それにこの町のお偉いさんがいないしね……」
千里は伊織の言葉に唇を噛み締めながら耳を傾ける。自分が、許せなかった。こんな部下がいたことに気が付けなかったことに、こんな風に警察に傷つけ、荒れた市民がいたことに。
「もう昔のことだから話すけど、実はね僕、死のうとしてたんだあの頃」
「は……?」
伊織の言うあの頃とはつまり、伊織の秘密、知ってる人のほうが少ないとされている秘密の一つで、伊織は少し前、荒んでいた時期があった。別名『巴』と言われた彼女は周辺のヤンキーの中でも一番強かった。千里は彼女のことを知っていた、というのも千里もほんのちょっと前まではこの辺の地域の中でも強いほうのヤンキーだったので、直接対決をしたことはないが、二人とも一匹狼だったのでそれなりに有名だった。
千里のなんで、という顔に伊織は苦笑をこぼしながら、口を開く。
「いろいろ動機が重なりすぎちゃって。まぁ、なんでか知らないけど翔太と楔にバレてさ、すげぇ泣きながら怒られた。あそこまでマジ泣きしながら怒られたし、何よりもその時の楔は怖くて、こんなに心配かけたなら、もう死ねないなって思ってさ」
千里はその話を聞いて絶句をしていた。なにも、言えなかった。思うことはたくさんあったが、それを言葉にすることはないまま時間だけが過ぎていく。沈黙に耐えられなくなった伊織は慌てて口を開く。
「ほら、明日も早いんだから早く寝よ。お休み、千里」
「あ……、おう」
伊織はごまかすように部屋を出ていくと広間に千里は一人残されていた。死のうとしていた、その事実を聞いた千里は唇を噛み締める。悔しかった。少なくとも原因の一つは警察だろうし、自己嫌悪もあるだろう。
「とりあえず……下調べだけでもしておこうかな……」
広間に千里の小さなつぶやきは吸い込まれるように消えていくのだった。
四日後。千里はひとり家でぼんやりとしながら昨日の出来事について思考を巡らせながらメールを打ち始める。それは昨日のこと。千里は二年前の事件の連続殺人事件のあらましを調べた、その捜査に煮詰まっていたので散歩もかねての遠めのコンビニを訪れていた。その帰りだったのだ。楔も楔で予想だにしていなかったのだ。あの時はあの頃の伊織のことを考えていた。死のうとしていた時のこと。少なくとも止められててよかったと思っている。千里だって信じたくはなかった。あの楔があんな一面を隠しているとは思わなかった
『あーくっそ、本当太田邪魔なんだよなぁ……。何なの、あいつ。四肢引きちぎって町内一周でもしてやりたいわ……』
『へー……。なんか隠してると思ったらこんな一面を隠していたとは、ね。俺様びっくりー。……さて縁楔、一体どういうことなのか説明してもらおうか』
『な、何のことか僕わからないなぁ……。ち、千里ちゃん、何言ってるのかわかんないよ。ひ、人違いじゃないかなぁ。そ、それにぃ千里ちゃんのほうこそど、どうしたの??その格好……』
『ふん、俺はこの目と耳でちゃんと聞いたからね。それに橘伊織のストーカーねぇ?ははっ、これがばれたらお前はどうなるだろうね?俺のことは説明は長くなるし、あとでメールをするよ』
『っち……、おまえ、これ一言でもこのことを他言してみろよ。お前に明日の太陽はないからな。……で、いつから気が付いていた?』
『おーおー、怖い怖い。お前が言うとシャレにならなさそうだな。わかった、このことはお互いに他言無用だ。それも順を追って連絡を入れるよ。君は少し急ぎすぎだ』
『っち……。それでいい。てか、お前そのしゃべり方、うざい……』
『仕方ないだろう?仕事モードがまだ抜けなくてね、まぁ、メールはいつも通りにするから安心してくれたまえ』
それがつい昨日、起こったことだった。まさか自分の秘密まであの男にバレることになるとは思わなかったが……。それでも、心のどこか、楔のことを見過ごしてしまう自分がいることに一番驚いていたのだった。
「はー……、俺なんであんな奴のこと見過ごしてんのかな……」
千里は一度楔の質問に答えるためにメールの文章を確認をする。先ほどから打っていたのはこのメールの内容だった。千里は打ち間違いや、変換ミス、脱字がないかの念入りな確認を終わらせてから、スマホをベッドへと投げる。投げられたスマホは枕に落ちると、少しづつ沈んでいくのだった
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません