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葛飾、最後のピース  作者: ぐろわ姉妹
一英編(時:2010年)
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第8話 不審で無邪気な好青年

 その数分後、一英はコンビニで地図を立ち読みしていた。


 裕貴がミニバンに脱ぎ捨てたと思われる砂色の作業着を羽織り走り出したはいいが、配達先の情報がどれをとっても、プラスチック製の納品箱に無造作に貼られた宛名シールしかなかったからである。


車内を思いつく限りにあさっても、住所の書かれたものがどこにもない。


よしんば住所があったとしても、地図もカーナビもない状態だった。


「姉ちゃんも連れてくりゃ良かったな」


 溜め息した一英はとりあえず大判の一枚紙に刷られた葛飾区の地図と、縮尺の大きい東京都の地図と、思えば昼飯を食っていなかったとおにぎりも買いコンビニを出る。


 自動ドアを出てすぐ、通り過ぎた車の排気ガスにむせた一英は、視界に入ってきたものに顔をしかめた。


(うわ、何あれ)


 そこには、コンビニの軒下で体育座りをし、気持ちよさそうにユーラユーラと揺れている人物がいた。


 その細身の青年は、グジャグジャの変な模様がレインボーカラーで入った麻布をマフラーのように巻きつけ、袖が異様に長くてルーズソックスみたいになった黄色いTシャツを着ている。


その下にはトリコロールが細い縞模様になった、だぶだぶの不思議ズボンを履いており、足元には今年流行りのグラディエータサンダルと、肩からは手作りかと見紛うヨレヨレなワンショルダーバッグを下げていた。


ノンピアスでノンメイクだからロックでも原宿系でもない。


だがその素朴さに後押しされた天然の不審者ぶりは、間違いなく『お近づきになりたくない人』であった。


 不審者の宝石箱みたいなこの新小岩において、際立ったレベルの高さを見せつける青年に、決してかかわるまいと一英の足が速まる。


(あんなのが店の前にいても気にもとめないのか新小岩……。

やっぱ異常だな、この街は)


 軽蔑と嫌悪を顔に浮かべた一英は、脳内の警報に従って速やかにミニバンへと戻る。


そしてエンジンをかけると交差点二つ分ほど前進し、コンビニがバックミラーに映らなくなったあたりで再度路肩に停車する。


 急いでおにぎりを頬張りながらわずかな期待を胸にもう一度車内を捜索するが、やはり何も出てこず、一英は納品箱に書かれた企業名と対峙しながら肩を落とした。


 やはり美洋に電話するしかないかと一英が携帯を取り出す。


と、不意にどこからか、ピュッピュピュ、ピュッピュピュ、という音が聞こえてきた。


 歩き始めの子供が履く笛靴の音だが、それにしては耳を疑うほどリズミカルで、いったいどんな子供がと顔を上げた一英の目に、先ほどの青年がこちらへ近寄ってくる姿が映った。


バックミラーの中で、彼の変則的なスキップと笛靴の音が完全にシンクロしている。


(やば、なんであのサンダルからこんな音が)


 ついさっき危険と認識したばかりの人物が、満面の笑みをこちらへ向け背後から迫ってくる。


まさかと思いながらも息を潜めていると、その不審者は助手席のドアにガバッと張りつき、下がり眉でにまぁっと笑うや額を窓にこすりつけた。


「見つけましたよ、ヒーローさん!」


 ココアやチョコレートを思わせるようなカラーリングと、寝癖じみた長めのウルフカット、その右サイドを四分割してツイストしピンで留めるという髪型は、漂う年齢からしてまぁ相応と言えなくもない。


 だが、燦然と輝く無邪気さ全開のスマイルが年齢不相応にもほどがあるということと、かけてくる言葉が特異すぎるということと、一見不思議ズボンだったものが実は二度見を余儀なくさせるスカートだったということに、一英の警報は改めて盛大に鳴りまくった。


 そんなことなどお構いなしに、不審なスカート男は瞳孔が開き気味のイっちゃった目を輝かせて一英を凝視してくる。


一英は無表情でスカート男を見つめ、自分の不審者探知性能が衰えていなかったことを認めた。


 新小岩という街には昔から、常識を軽々飛び越えている人物が多く、一英はなぜか小さい頃から、それもしょっちゅう、こういった存在を引き寄せては、こんな具合に絡まれていた。


 彼にとって不審者に絡まれるということは、新小岩を歩くうえでの一種の洗礼、通過儀式とも言える程度の日常であったため、警鐘は鳴り響くものの、今更こんな人物に対して大きく動揺することもない。


 一英は不審者に絡まれやすい体質を呪いながらも、こう暑いと人間正常ではいられなくなる、きっとこの青年だって暑さが身に沁みて意味不明になっているのだろうと、そんなふうに片づけ、横浜仕込みの紳士的なスマイルを浮かべた。


「失礼」


 そう言って迷わずサイドブレーキを解除する。


「待ってください!」


 振り切ろうと一英がアクセルを踏み込むが、スカート男は大慌てで車体にしがみつき、どこをどうしたのか勢いよく車の前方に躍り出る。


危うくジャッキー・チェンさながらなアクションシーンをお見舞いしそうになり、一英は急ブレーキを踏んだ。


「決して怪しい者じゃないんですぅ! 

僕は好青年ですよぅ!」


 一英はボンネットの向こうからくぐもって聞こえる叫びに、こんなやつに横浜スタイルで接しようとした自分が馬鹿だったのだと思った。


新小岩人には新小岩のスタイルで伝えてやるよと眼鏡越しに睨みあげ、クラクションを思い切り叩き、威勢よく窓を開ける。


「危ねぇだろうが! てめぇこの野郎! 

好青年だぁ? 馬鹿言ってんじゃねぇ! 

そのスタイルで景色に溶け込みてぇなら、

せめて秋葉原か原宿に行け、この不審者が!」


 だがスカート男は相変わらずの笑顔でボンネットの前に立ちはだかり、取り出した携帯を耳に当て、二言三言の言葉を発してすぐに閉じる。


すると今度は一英の携帯が着信で震え出し、苛立った一英は不審者から目を離さず通話に出た。


「なんだ、裕貴! 

今忙しいんだよ!」


 すぐに切って発車しようと思っていた一英だが、裕貴から出た信じられない言葉に、つい「はァ?」と、否定やら理解不能やらの入り混じった声を上げる。


「だから、今そこにいるそいつ、俺の友達なんだってば! 

兄ちゃん配達先の場所わかんないでしょ? 

だから俺がナビ頼んだの! 

区内にめちゃめちゃ詳しいから大丈夫だよ、

ちゃんと案内してもらってよ!」


 再度繰り返された説明に、一英は「えぇぇぇーーーーー」と言葉にならぬ拒否を心で吠え、こちらに歩み寄ってきた笑顔のスカート男を警戒心も露わに見つめる。


一見無邪気そうなその笑みは、口角がこれでもかというほどに引き上げられていて、逆に邪さが漂っていた。


 携帯を切った一英が急いで窓を閉めつつ、うっすらと残した隙間からスカート男に話しかける。


「区内に詳しい助っ人だ?」


「はい、色んな抜け道も知ってます! 

乗せて損はないですよ! 

ちなみに、あなたが今行こうとしてた鈴木製作所は水元にあります。

知ってますか、水元。

水元は葛飾区の最北なんで、

最南端のここ新小岩から目指すには、タイムロスが激しいかと。

僕なら近場の笹本工業からナビりますよ!」


 運転席のドア一枚を隔てて目の前に立つスカート男は、車内後部の荷台にある別の納品箱をつんつんと指さす。


上から三番目に積まれた箱に笹本工業の文字を見つけ、一英は悔しげな苦虫をつぶした。


 ナビの手配はありがたいが、どうせならもっとマトモな人間を寄越してほしい。


裕貴に人選センスがないのか、新小岩にマトモという選択肢がないのか、いずれにせよ現状を恨みつつ一英はスカート男を見上げる。


「いいか、よく聞け。

今は背に腹変えられないから、とりあえずナビをしてもらう。

だがな、一瞬でも怪しいことしてみろ、

その時は、瞬時に、その場で蹴り降ろすからな」


 一英が恐る恐るロックを解除すると、今ぞとばかりに、スカート男は物凄い速さで助手席へと乗り込んできた。


素早く転がる捉えどころのない視線を泳がせ、小動物なみに車内をきょろきょろと見回すスカート男に、一英の警報は鳴りっぱなしとなる。


 見た感じからして細身で弱そうで、飛び掛られてもまったく負けるようには思えないのだが、何しろこちらはこれから運転しようというのだ、どうも警戒の斜め上をいかれそうで気が抜けない。


「シートベルトしなくていいから」


 棄てたい時はすぐに棄てたいと願う一英の言葉を滑らかに無視し、スカート男はいそいそとシートベルトを締める。


「だから、それすんなってんだよ!」


「そんなことでは、

おまわりさんに捕まってしまいます」


 スカート男はもっともなことを言いながら、泳ぎすぎな視線で一英の買った地図を手に取り、


「出発進行ー!」


とアニメ風の高らかな声を上げる。


楽しくてしょうがないといった笑顔で発車を急かされた一英は、しぶしぶミニバンで走り出した。


 いちいち芝居じみているというか、明らかな挙動不審というか、とにかくコミュニケーションが身勝手なスカート男の一挙手一投足に、一英の苛立ちが増す。


「もう一回言うが、

少しでも馬鹿な真似したら――」


「そうそう、

助っ人してることは美洋さんには内密でお願いします。

美洋さんからお金払うとか言われちゃうと、僕困るんで」


 スカート男はほっそりとした童顔の中にある目をきらっきらさせながら、嬉し恥ずかしそうに一英を覗き込む。


 人の話をまったく聞かないスカート男にうんざりし、姉とも知り合いだという事実を、今度は一英が無視する。


だがスカート男は至ってマイペースで、わたわたと持て余しながら大判の地図を広げると、フロントガラスを覆い尽くしそうなほどの真ん中を指さして見せた。


「初めに配達する笹本工業はここ、お花茶屋にあります! 

というわけで、まずはこの道をUターンでーす!」


 言うや否や躊躇なくハンドルがつかまれ、無理やりに切らされる。


咄嗟のことに声も出ない一英が抗うが、スカート男の操る力は本気で、ミニバンはタイヤを鳴らしながらセンターラインを越える。


 対向車はいなかったものの周囲からは悲鳴が上がり、一英の必死の急ブレーキで、ミニバンはガードレールにぶつかる寸前で停止した。


 こんなにも早く常軌を逸した行動をしてくれたスカート男に冷や汗し、一英が怒鳴る。


「降りろ、てめぇ!」


 だがスカート男は何食わぬ顔で鎮座し、いつの間に、そしてどこから取り出したのか解らないリコーダーを吹いている。


頭に来た一英は「降りろ!」と繰り返して隣のシートベルトを外すと、助手席のドアに手を伸ばし、開け放ったそこからスカート男を外へと押しやった。


だがスカート男は往生際悪くシートにかじりついたまま、何としても降ろされようとはしない。


 ミニバンは車道を封鎖するように横向きに止まったまま、開いたドアからは二人の必死の攻防が見える。


通行人が集まり始め、なんだどうしたと野次馬なオヤジが近づいてこようとしていた。


 力づくでこの危険人物を棄てようと足まで使う一英だったが、タコみたいな身のかわしに苦労している間に信号が変わり、ミニバンの後ろはすぐに渋滞となる。


 後続車にビービーとクラクションを鳴らされ、野次馬オヤジにも質問攻めにされ、折れた一英が悔し紛れに叫ぶ。


「うるっせーな! 解ったよ!」


 素早く進行方向に向き直ったミニバンが走り始め、遅れて助手席のドアもしっかりと閉まる。


 スカート男が弾けんばかりの笑顔で、


「うわーすごーい、

ヒーローさんの車でヒーローさんの運転だー、

ホンモノー、かっこいいー! 

ばぶーんばぶーん、きゅるるるーん!」


と奇人っぷりを披露し、その隣では一英が携帯電話を耳に当て大声を上げる。


「こいつ本当に大丈夫なんだろうな!」


「ダイジョブダイジョブ、見た目より普通だって。

つか運転中に電話しないで、危ないから」


「おいっ! 裕貴っ!」


 冷たいまでにガチャ切りされた一英は、折れそうな心を奮い立たせてハンドルを握りしめる。


裕貴もスカート男も一ミリだって信頼できないが、配達を請け負った手前、今は「見た目より普通」という言葉を信じるしかない。


 一英は「これを新小岩では普通と言うのだった、そうだった」と自らに言い聞かせながら、疑念たっぷりの警戒心を余すことなく助手席に注ぎ、自分史上初めてとなる緊張感をもってお花茶屋へと向かっていった。





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