第七話
口裂け女は、もはや先ほどまでの威勢は無く小さく哀れな程みすぼらしくなっており、坩堝の触手によって拘束されながらうなだれている。
その容姿は僕の高校の制服を来ており特徴的なマスクもしていない、憎しみの念が取れて先輩そのものが出ているのか、屋上でチラリと見たその姿と違いは無かった。
「なんとか無事に退治する事ができたね、捕獲もできたしバッチリだ!」
「ねぇ羽田君、どうして捕まえたの? 倒すんじゃないの?」
僕の言葉に新妻さんが質問してくる。たしかに、これが漫画だとわかりやすく消滅させて終わりなんだけどそうもいかない。
「この口裂け女は宿主の生気を吸っているからね、なんとかして残っている分でも宿主に返さないと危険な事になるんだよ」
「この感じだとギリギリってところなのじゃ! でもなんとか消滅させずに宿主に戻せば大事には至らないと思うのじゃ!」
僕の説明にのじゃーさんが補足を入れてくれる、口裂け女は物質化を果たすために宿主である先輩から生気を大量に吸い取ってしまった。
生命力そのものである生気は放っておいても回復する物だけれど、一度に大量の生気がなくなれば死の危険性もある。
恐らく今先輩は生気の低下による仮死状態って所だろう、口裂け女から生気を吸われる事がなくなったとは言え、少しでも戻してやらないと危険なのだ。
僕はどの様に先輩へと生気を戻すか思案していたが、ふと、そもそも何故このような状況になったのか疑問になり新妻さんへと声をかける。
「そうそう、新妻さん。さっきは詳しく聞きそびれたんだけど、一体何があったの?」
「うん……実はね」
新妻さんは頭の中で自らに起こった出来事を整理しているのだろうか、ポツリポツリと話を始めた。
まずそこから話を聞かないと何もわからないからね、まぁ時間もある程度余裕はあるし大丈夫だろう、さぁお話しておくれ新妻さん!
…………
………
……
…
新妻さんの説明が終わる。彼女の話を要約するとこうだ。
彼女は確かにあの時、トイレに行ってたんだけれど、そこから教室へと戻る最中、例の先輩に呼び止められたのだそうだ。
そうして話があると東校舎の屋上まで連れて来られたらしい……。
わざわざ人気の無い場所を選んだのは初めから新妻さんを傷つける目的があったのかもしれない。
そこで新妻さんは先輩より、一方的な暴言――詳しくは話してくれなかったけど、男友達がどうたらって言っていたね、その暴言を吐かれてついカッとなってしまったらしい。
そうして言い合いから取っ組み合いになり、その拍子でブレスレットが壊されてしまい、気がつくと先輩が倒れており口裂け女が襲ってきたらしい。
恐らく、ブレスレットが最後の防波堤になって口裂け女を抑えていたんだね。
でもそれが壊されてしまった事でダムが決壊するように一気に口裂け女の影響力が強くなった……。
結果、先輩は大量に生気を吸い取られて口裂け女が顕現したと。
「なるほど、そんな事情があったのかー」
「ホイホイ付いて行くなんて迂闊なのじゃー」
のじゃーさんは腰に手を当てながらプリプリと怒っている。
確かに、気をつけてと言った矢先にホイホイ付いて行くなんて迂闊にも程があるだろう、だが新妻さんの優しい性格と先輩について何も知らないであろう事からあまり責める事もできない。
「ごめんなさい、まさかこんな事になるなんて……」
「まぁ、気にしなくていいよ、新妻さんが無事で何よりさ!」
僕は申し訳なさそうにする新妻さんに元気よく声をかける。
皆無事だったんだ! それで良しとしようよ!
「うん、ありがとう」
「命あっての物種なのじゃー! ブレスレットも無事役割を果たしたのじゃ!」
新妻さんにプレゼントしたブレスレットは今回本当に役に立ってくれた、あれが口裂け女の悪意を吸収していなければ新妻さんのピンチに間に合わなかった可能性もある。
僕はその結果に満足しながら、そう言えば壊れたブレスレットはどうしようかな? と考える。
「あ、そうなの! ブレスレットどうしよう? 折角貰ったのに……えと、直るかな?」
「別にいいんだけどね、でも聞いた限りじゃ紐が切れただけだから散らばった水晶を集めれば直るかな?」
「よかった! あとで集めて来るね!」
僕の言葉に新妻さんが嬉しそうに返事をする。
別に水晶が壊された訳じゃないから修復は簡単だと思う、けど別にあれにこだわる必要性は無いと思うんだけどね? もう必要無いんだし。
「それで、どうするのじゃ主?」
新妻さんとの話も落ち着いている、そのタイミングを見計らってのじゃーさんが問うてきた、その目線の先には口裂け女……いや、力を失った先輩の生霊がうなだれている。
「うん、取り敢えず生霊にも話を聞いてみよう、幸い憎しみの念も存分に浄化できているみたいだしね」
「えっと、私達はどうするの?
新妻さんが不安そうに聞いてくる。
問題は解決しているからこれ以上不安になることもないけど……。
そうだ、この際だし二人にも話を合わせてもらおう!
「相手を宥めて消し去るから僕の話に適当に合わせて、あと決して相手を怒らせたり傷つけたりする様な事を言っちゃ駄目だよ、残っている生気がダメージを受けるから」
多分……、今残っているのは先輩が感じた最初の思いなのだろう。
人には様々なコンプレックスがある、それは時として自分だけの力ではどうにもならない事だったりする。
先輩を宥めて、自らの過ちを認識させる為には、強い言葉だけでは不足しているのだ。
「わかったよ!」
「了解なのじゃー」
のじゃーさんと新妻さんより力強い返事が返ってくる。
その言葉に僕も安心する、この調子であれば問題も無いだろう。
そうして、未だ拘束され時折苦しそうに身じろぐ生霊へと足を伸ばす。
「……さて、言い分があれば聞こうかな? どうして新妻さんを襲ったんだい?」
「うう、その女が……。私が今まで一番だったのに……」
「学園祭での事だね、でも先輩って2位だったんでしょ? 十分だと思うけどね」
「そいつが1位になってから、今まで私をチヤホヤしてきた奴が途端に手のひらを返したのさ……、男なんてそんな物だよ、本当に憎らしい」
先輩の生霊から語られたのは、案の定新妻さんに対する妬みと嫉妬であった。
今まで自分をチヤホヤしていた人々が一気に去っていく様子に、先輩は心底ショックを受けたらしい。
そして、運が悪いことにその中には先輩が密かに好意を寄せていた人もいた……。
先輩はその事実に耐えることが出来なかった……、そうして自分が悪く無いと言い聞かせることでその悲しみから逃れようとしたのだ、新妻さんを憎むことによって。
ふと、生霊が口裂け女だった時の容姿が思い出される。
ボサボサの髪、地味な服、膨れ上がった身体、そして顔を隠さんばかりの大きなマスク……。
それらは先輩の容姿に対するコンプレックスが形として現れた物だったのだ、念は人の想いを形取る、新妻さんを襲わんと生み出された口裂け女だが、奇しくもその本質は決して癒えることのない傷ついた自尊心であったのだ。
僕は、先輩が抱える悩みを理解すると、その苦しみを和らげる方向で話を進める。
こうして彼女の悩みを癒やし、生気が戻った時に同じ過ちを繰り返さないようにしてもらう為だ。
「それは男が悪いんじゃない? そもそもその程度で乗り換えるなんてたかが知れているよ、本当にいい男ってのはフラフラと色んな子に目移りせずに一人だけをずっと想い続けるものさ! ねっ!? のじゃーさん、新妻さん!」
少し魅力的な女の子が出てきただけで乗り換えるなんて、先輩が想っていた人とは所詮その程度だったんだろう。
世の中全て上手くいくなんてありえない、学園2位の実力がある先輩ならきっと誠実で素敵な男性を見つけること出来るだろう。
そう……、のじゃーさんと新妻さんにとっての、この僕のような!
「えっ!? う、うん。そうだと思うよ……本当にそう思うよ」
「いや、まぁ、確かにそうなのじゃ。けど、主がそれを言うって、なんか……まぁいいのじゃ」
爽やかにかけた声は戸惑いによって返さえる。
むっ! 二人共どうしたんだい!? 僕に何か不満がおありかい!?
僕は何故か困惑気味の二人を問い詰めようと、口を開きかけるが、それは生霊の寂しげな声によって止められる。
「うう、悔しい……アタシだって……」
「いや、先輩だって十分綺麗だよ! 僕こんなに綺麗な先輩がいるなんて思いも知らなかったよ!」
生霊はその悪意を浄化された事から、先輩と思わしき容姿を取っている。
それは新妻さんとは方向性は違うが、十分魅力的な女性と言えた。僕はその本心を伝えて彼女を慰める。
「……本当かい?」
「先輩は美人だって言っているんだよ、他の男は見る目が無かったのさ、そうでなければ先輩が2位になるなんてありえないよ! 本当に見る目が無い男ばっかりだ!」
正直な所を言うと、僕は新妻さんの方が良い。
けれどもそれを言っても何も解決しないだろう。今必要なのは先輩に自信を持ってもらうことだ、そうすれば今回のような騒動も起きないだろう。
ひどい話かもしれないけど、容姿なんてさして重要ではないと思うし、そもそも誰かの一番が他の誰かの一番であるとも限らないのだ。先輩にはそこに気づいて欲しい。
「ほ、本当に! 本当にそう思うのかい!?」
「ああ、僕は誠実な事で評判なんだ、嘘なんてついた事ないよ!」
僕が知る限り、僕は一度も嘘をついた事がない。
記憶の奥底でザワザワと主張する多くの何かがあるが、きっとそれは気のせいだろう。
僕は真剣な表情で相手の瞳を見つめる、話を信じ込ませる時に必要な事は決して怯まない事だからね。
「じゃあ、その、そこの。そいつより美人だって思うのかい? その女より……」
「……っ!」
生霊は坩堝の触手に縛られながらも無理をして新妻さんに視線を向ける。
その仕草に新妻さんがビクリと反応する。
僕は生霊に決して気付かれないように新妻さんに目配せをする、彼女も僕が言わんとしている事に気がついたのか小さく頷いてくれた。
ごめんよ、新妻さん。話を合わせる為とは言え、君を貶めてしまう僕を許しておくれ!
「もちろんさ! 新妻さんなんて先輩の魅力に比べたら微々たるものだよ。新妻さんなんて一過性のブームだよ、マスメディアの陰謀によって作られた虚構の流行だよ!」
「ああっ! やっぱりそうだ! そうだったんだよ! ワタシの方が綺麗なんだ! 皆間違っていたんだ!」
僕の新妻さん批判に生霊が喜びの声を上げる。その様子は驚くほど無邪気で、どこか悲しみを感じさせる物であった。
そうして、新妻さんのここが悪いとか、自分のここが新妻さんより優れているとか、そんな事を一方的に喋り始める。
僕らはそれを真剣に聞き、特には合いの手を入れ、先輩を慰撫する。
話は終わらない、生霊はいつの間にかその矛先を一緒に居合わせたのじゃーさんにまで向けると、いかに自分が優れており、世の男性、特に彼女が想いを寄せていた男性が間違っているかを語り出したのだ。
「なぁ、アンタもそう思うだろう!? そこの狐耳付けた変な小娘より、ワタシの方が綺麗だろう!?」
のじゃーさんを散々批判した生霊、彼女は一段落したのか少しだけ声のトーンを落とすと僕に同意を求めてくる……。
そんな生霊に気づかれない様チラリとのじゃーさんに視線を合わせる、のじゃーさんはこちらに真剣な表情を向けると小さく頷いてくれた。
……分かったよ。見ていてね、のじゃーさん。
そうして、生霊に向き直る。
彼女は僕の言葉を今か今かと待ちわびている。
さぁ、決着をつけよう、物語を終わりにしよう。僕は大きく息を吸い、そして出来るかぎりめいいっぱいの大声で――。
「んな訳ねぇだろ! どう考えてものじゃーさんが一番だろうが!!」
――言ってやった。
「主っーーーー!?」
「羽田君ーーー!?」
気持ちは晴れやかだ、達成感で胸中が満たされている。
そうして、気持ちそのまま勢いを付けて罵声の嵐を生霊へと浴びせる。
「もう我慢ならねぇ! さっきまで聞いていれば僕の子狐ちゃんを馬鹿にしやがって! サクッと消滅させるぞオラァ!!」
「ギヤァァァァ!!」
ふむふむ、僕の叫びに坩堝ちゃんが反応したようだ。
キツく締められた触手に生霊が叫びを上げる。やぁ、素敵な光景だね!
「主ぃ! なんでぶっちゃけたん!? いい感じに話が進んでおったのに!?」
「そうだよ! もう少しでなんだか成仏? しそうな雰囲気だったのに! まんざらでもなさそうだったのに!」
「テメェラァァ! 騙しやがったなぁ!」
反応は三者三様だ、だがその全ては僕に向けられている。
僕はとりあえず一旦仕切りなおして話を進めようと、ごく自然に彼女達に語りかける。
「皆とりあえず落ち着いて、僕は悪くないよ」
「羽田君が悪く無い要素がどこにもないよ!?」
新妻さんが間髪入れずに突っ込みを入れてくる。
なんだか最初にお話した時より突っ込みが鋭くなっている気がする、この短期間でレベルアップを果たすとはなかなか将来有望な逸材だ。
「いやー、なんかさ。のじゃーさんの事を馬鹿にされてついカッっとなっちゃってね! ほら、僕ってばのじゃーさんの事大好きだからさ! 愛してるよのじゃーさん!!」
僕は本日何度目かになる、のじゃーさんに対する愛を叫ぶ。
まったく、演技とは言え僕がのじゃーさんを裏切る事なんて出来る訳ないじゃないか! 皆その事をよく理解した上で話を進めてもらいたいものだよ!
「だからってこの場で言うことじゃないでしょ!? もう! どうするの羽田君!? ……って、のじゃーさんも黙ってないで何か言ってあげてよ!」
「いや、まぁ……妾の事大好きだったら仕方ないのかなーって、えへへ……」
「のじゃーさん!?」
新妻さんがのじゃーさんの手のひら返しに驚きの声を上げる。
のじゃーさんは僕の言葉にデレていたのだ! やっぱり僕とのじゃーさんは切っても切れない絆で結ばれている! そうなのだ、これは仕方のない事なんだよ!
「さとみんもあんまりカッカしているといけないのじゃ! でもでも、それもわからないでもないのじゃ! なぜなら、主は妾の時だけ怒ってくれたからの! 妾の時だけ!」
「むぅ! のじゃーさんったらなんでそんなに自慢気なの!?」
「ふふふん! 愛の差なのじゃ!」
ちょ、ちょっとのじゃーさん? あんまり新妻さんを煽らないで頂けませんでしょうか?
僕は愛しの子狐ちゃんが全力で新妻さんを煽る様に戦々恐々とする。
「羽田君っ! 羽田君っ! 羽田君ーー!」
「お、落ち着きなよ新妻さん」
あわわ、やっぱり子猫ちゃん激おこだ!
僕はなんとか新妻さんを宥めようとするが、そんな努力虚しく彼女の怒りは留まることを知らない。
「落ち着けないよ! どうして私の時も怒ってくれなかったの!? 私は羽田君の私じゃなかったの!?」
「いや、まぁ……そうなんだけど、なんかノリとか勢いってあるじゃない? そういうのがいろいろあってだね、関西人としてはそこら辺のメリハリがだね……」
本当なら新妻さんの時に怒っても良かった。
けど、けど関西人の血が! 僕に流れる関西人の血が二段目で落とすことを強いたんだ! 呪われし血脈の被害者でしかないんだよ新妻さん!
「分かんないよそんなの! 嘘ついたんだ! 王子様って言ってくれたのに! 何があっても守るって言ってくれたのに! 嬉しかったのに!」
あわわわ……。
新妻さんは納得していません! と言った表情でその愛らしい顔に怒りの表情を浮かべながら僕に詰め寄ってくる。
むむむ、怒った新妻さんもなんだか魅力的なんだけど、これどうしようかなー?
「機嫌なおして欲しいなぁー、なぁーんて」
「じゃあ説明してよ! 納得できないよ!」
僕がどうやって怒れる新妻さんを落ち着かせるか悩んでいた時だ、二人の間にのじゃーさんが割って入ってくれる。
流石だよのじゃーさん! 二人の間をとりなしてくれるんだね! やっぱり君しかいないよのじゃーさん! さぁ、僕を助けておくれ!
「まぁまぁ、さとみん。敗者は潔く去るのじゃ! ドヤァなのじゃー」
「うーっ! 羽田君!」
「のじゃーさん、煽らないで!!」
僕の予想を裏切り、のじゃーさんはニヤニヤとドヤ顔を浮かべながら新妻さんを煽りだした。
えらいこっちゃ、修羅場やでこれぇ……。
のじゃーさんに煽られた新妻さんの怒りは何故か僕に向く、僕は目と鼻の先まで近づく新妻さんに気圧されながらも必死に頭を回転させる。
「オイコラァ! イチャイチャとラブコメってんじゃねぇぞぉ! 男なんてそんなもんなんだよぉ! 馬鹿を見るのはいつも女なんだよぉ!」
そんな時だ、助け舟とは意外な所からやって来るものみたいだ。
声は先ほどまで黙りこくっていた生霊からであった、彼女は唐突に展開される痴話げんかについにしびれを切らしたらしい。
僕はそこに一縷の望みを見出すと早速この状況を打開すべく動こうとするが……。
「むっ! そうだよ! やっぱり先輩の言うとおりだよ! 男の子なんて皆そうなんだ! 私はこっちに付きます!」
うげっ! 新妻さんに先手を取られた!
新妻さんはプリプリと怒りながら先輩側についてしまったのだ、そうして僕がどれだけ意地悪で女の子の気持ちを弄ぶ悪い男かを語りだす。
ひどいよ! 僕みたいな誠実な人間を捕まえて! 君は騙されているんだよ新妻さん!
二人のテンションはマックスだ。いつの間にか完全に僕が悪者になっている。
か、かくなる上は……。
助けてのじゃーさん! 僕は愛しの子狐ちゃんに助けを求めんと彼女の方に向き直る。 だがしかし、のじゃーさんはこのやりとりに飽きたのか窓に手をかけて空飛ぶ鳥を眺めていたのだ。みんな酷い!!
そうして、テンション極まった生霊よりとんでもない提案が為される。
「イイゾイイゾ! もう男なんて捨てて一生独身でいてやろうゼ!!」
な、なんて事を言うんだ! 一生独身なんて勿体ない、それに新妻さんが感化されて独身を貫き通すなんて言い出したらどうするんだ!
僕は不味い事態になった事を自覚すると、慌てて新妻さんへとフォローの言葉を入れようとする。
「あ、ごめんなさい。私そこまで重く考えていないかな……って」
「どいつもこいつもド畜生がぁぁぁ!!!」
が、新妻さんは冷静だった。生霊と新妻さんのテンションは非常に似通っていたが、その実中身は天と地ほどの差があったようだ。
ぶっちゃけ、先輩の生霊が哀れだった……。
「あれ? 消えちゃった……」
新妻さんの呟きが、生霊の消えた教室に響く。
先輩の生霊は大声で文句を放つと次第に薄くなり、やがて消えてしまったのだ。
同時に触手も消え去り、役目を終えたと言わんばかりに坩堝から放たれていた威圧感が無くなる。。
「どうやら新妻さんが止めを刺したようだね、先輩のご冥福を心から祈るよ」
新妻さんも罪だ子だ、なんだかんだ言いつつ生霊に一番ダメージを与えていたんじゃないかと思う。
「ええっ!? わ、私そんなつもりじゃ! ど、どうなるの!?」
「さとみん安心せい、溜まっていたストレスを叫ぶことで発散しおっただけじゃ、今頃霧散した生気も宿主に戻っておるのじゃ!」
窓の外を見るのも飽きたのか、のじゃーさんがそう新妻さんへと説明しながらこっちへやってくる。
子狐ちゃんめ! 僕の事助けてくれなかったくせに事の成り行きはちゃんと確認していたんだね!
「そっか……よかったー」
のじゃーさんの言葉に新妻さんも胸を撫で下ろす、今頃先輩は戻った生気を吸収して気が付いている頃だろう、あとでちょっとだけ確認してみるかな?
そして……上手くいった! さっきの話はなんだかうやむやになっているぞ! このままなし崩し的にハッピーエンドだ!
僕は決して気付かれないよう、いかにも全部終わった的な雰囲気を出しつつ新妻さんに話しかける。
「いやぁ、一件落着だね、新妻さん!」
「むむむっ! 一件落着じゃないよ羽田君! 私はまだ納得していないんだよ!?」
……作戦失敗。
新妻さんは決してさっきの話を忘れていた訳じゃなかったみたいだ。
まったく、そろそろ許してくれてもいいんじゃないかい子猫ちゃん! そもそも僕は何一つ悪いことをしていないんだよ!?
「えー? 許してよー、別に新妻さんをないがしろにした訳じゃないんだしさ」
「さとみんもワガママばっかり言ってないで納得するのじゃー、こればっかりは仕方ないのじゃ!」
流石にのじゃーさんもフォローを入れてくる、けどね子狐ちゃん、ここで貴方が何かを言っても火に油を注ぐ行為なんですよ!
「むーっ! のじゃーさんったら! ……分かったよ! 分かりました! 私羽田君とのお友達やめます! 羽田君とはただのクラスメイトに戻ります!」
ほらぁ……新妻さんへそ曲げちゃった! もう、どうすればいいんだろう。
「そんなー、あんまりだよ新妻さん!」
「ふーんだ……」
新妻さんは両手を組みながらツーンと明後日の方向を向いている。
「もう、新妻さんの事も大切に思ってるんだよ? 本当だよ?」
「羽田君は女の子を騙す悪い人なので信じません!」
「酷いよ! 僕女の子を騙した事なんてないのに!」
新妻さんは一向に僕を許してくれない。
仕方ない、こうなれば最終手段だ!
僕は即座にのじゃーさんに念話を繋ぐと、瞬時に編み出した新妻さんデレ作戦を決行せんと子狐ちゃんへ協力を乞う。
(のじゃーさん、このままではいけない! 話を合わせて!!)
(えー!? 早速さとみん騙すの? 気が引けるのじゃー)
(……デコチュー3回でどうだい?)
(主の忠実な狐に任せておくのじゃ!!)
デコチュー3回で協力してくれるなんて、なんてチョロ……じゃなかったね! なんて奉仕精神にあふれる使い魔だろうか!
僕は勝利を確信しつつ氷塊の如く凍りついた新妻さんの心を溶かす事に専念する。
「ねぇ新妻さ……アイタタタッ!」
話しかける振りをしてからの……不意の負傷アピール! 押さえる右手はあふれだした血で真っ赤に染まっており、一見すると相当ひどい怪我に見える。
「あっ……羽田君、怪我は大丈夫!?」
そんな僕の様子を心配したのか、新妻さんが驚いた様子で駆け寄ってくる。
くくく、どうやら蒔いた餌にお魚が食らいついて来たようですよ!
「ああっ! 主! 凄い怪我なのじゃ! このままじゃあ死んでしまうのじゃ! さとみんを助ける時に傷を負ったせいで、主が死んでしまうのじゃぁぁぁ!!」
被せるようにのじゃーさんからのフォローが入る! タイミング完璧! 素晴らしいコンビネーションだよ! 流石のじゃーさん!
「へへへ、のじゃーさん。泣かないでおくれよ、僕は新妻さんを助ける事ができて本当に良かったと思っているんだ。だからさ、笑っておくれよ……」
「そんな! それだと主が浮かばれないのじゃ! 折角助けたさとみんに嫌われたまま逝ってしまう主が浮かばれないのじゃ! 大事なことだからもう一度念の為に言うけどっ! さとみんに嫌われたまま逝ってしまう主が浮かばれないのじゃーー!!」
チラッ!
二人で同時に新妻さんを見る。彼女は血相を変えており、その表情からは驚きと悲愴が見て取れる。
いま起きている出来事が信じられないと言った様子だ。
くくく、これはいけるぞっ!
「はっ、羽田君っ!!」
新妻さんがすぐ側まで来てくれる、こういう時に少しも疑う素振りを見せずに心から心配してくれるのが僕の大好きな新妻さんの魅力だ。
僕は膝を折り、床に崩れ落ちると純粋な新妻さんの気持ちをまるでお手玉で遊ぶかの様に気負いなしに弄ぶ。
「ああ、目が霞んできた。新妻さん、そこにいるのかい?」
「いるよっ! 私はここにいるよ!」
新妻さんは顔を悲しげに歪めて僕を見つめている。
心から僕を心配しているその表情に僕も心が痛むが、目的の為には手段を選んでいられない、ヨロヨロといかにもこれから死にます的な雰囲気を出して彼女に弱々しく話しかける。
「へへへ、駄目な僕でごめんよ……。最後まで新妻さんに嫌われっぱなしだったね」
「そんな!? 嫌いだなんて思っていないよ! さっきのちょっと不機嫌になっただけで! 本当はそんな事全然思っていなかったんだよ!」
「本当かい、そりゃあ良かったよ。最後に新妻さんに許してもらえて僕は幸せ者だよ……」
「主っ! 死ぬなー! 死ぬなー!」
新妻さんはいい感じで僕に騙されてくれている。
のじゃーさんの合いの手もバッチリだ、これはもう少し押し気味でいってもいけるぞ!
「ああ、力が入らない……膝枕を……膝枕をしてくれないかい? 新妻さん」
「うん! 任せて!」
倒れこむ僕の頭を新妻さんが優しくその膝へと持ってきてくれる。
素晴らしい! 生きていてよかった、なんだかいい匂いもするしこれはマジで死にかねん! もちろん、萌え死だけどね!
「ああ、感無量だよ。これで僕はいつでも逝ける……」
心の底からの言葉。僕の想いははたして新妻さんに伝わっているだろうか?
ありがとう新妻さん、そしてありがとう世界。僕は、こんな素晴らしい人生を過ごせて幸せだよ……。
そして幸福の絶頂を全身で感じながら、誰にも気付かれないようにポケットの中のスマートフォンをタップする。
「ど、どうしよう! 私、こんなにも羽田君にお世話になっているのに、何もお返しできてないよ! こんなのあんまりだよ!」
ふむ、これならまだまだ大丈夫そうだね、そうだ! もう少しわがまま言ってみよう!
「……じゃあさ、将来僕と結婚してくれるかい?」
そう、弱々しく告げる、新妻さんは突然の言葉に困惑している様子だ。
何かのじゃーさんがフォロー入れてくれないかなーとのじゃーさんへ視線を向けると、それはそれは冷たい目線を投げかけられた。
やだこれ! 僕軽蔑されちゃってる!
「え!?……あれ? 結婚? 将来?」
「げっほっ! げほっ! ぐぇぇ!!」
「羽田君っ!!」
「主が死んでしまうのじゃー、やばいのじゃー」
考える暇を与えてはいけない。取り敢えず言質を取ってしまえばこっちの物だ!
そしてのじゃーさん? ちょっと演技がおろそかになってないかい?
「わ、わかったよ! 結婚する! お嫁さんになるよ!」
「本当にさとみんってば……あっ、忘れてた、主が死ぬのじゃー」
大成功! くくく、この子猫ちゃん本当にチョロイですわ。
僕は心のなかで最高に黒い笑みを浮かべながら、それでいて新妻さんにはハリウッド俳優顔負けの名演技で弱々しい笑みを向ける。
「ありがとう新妻さん……じゃあさ、ついでに聞いておくけど僕の事どれ位好きかな……?」
「え? どれ位好きって……えっと、そんな……」
ふむふむ、意外とまんざらでも無い反応、ならこれならどうだい!?
「ぐはっ! き、傷が心臓に回ってきた……もう、お別れの時間みたいだ」
「羽田君、待って! 逝かないで! 聞いて!」
新妻さんの言葉に僕も耳を傾ける。これはもしかしたら物凄く嬉しい事が聞けるんじゃないかい!?
「あのね、すっごい嬉しかった! 怖い時に一緒にいてくれて、本当に頼もしかった! お話ずっとしてくれてすごく安心した! 羽田君とずっとこうしていたいって思った!」
思わぬ告白に僕も少しだけ動揺する。い、意外と新妻さんって大胆なんだね!
「好きだよ、世界で一番! 羽田君が死んでもずっと、誰よりも羽田君の事を好きでいるよ!」
――ピロリンッ!
「あれ? なんの音?」
不意に鳴った電子音に新妻さんが不思議そうに呟く。
僕は新妻さんの膝枕を惜しみながらも素早く立ち上がると、電子音の正体を説明する。
「あ、これスマホに付いている録音機能を停止した音だね。さっ、誰かに見つかっても面倒だしさっさと帰ろっか!」
いやー、大成功だね。僕も良い思いをしたし新妻さんも機嫌をなおしてくれた。
皆幸せになれる素晴らしい解決方法だったよ!
それにしても新妻さんの告白にはドキドキした、まさかあそこまで情熱的に言ってくれるとは思わなかった。
僕は心の中で言葉に表せない幸福を感じながら……同時にバレた時にどうなるかと言葉に表せない恐怖を感じる。
「え? あれ? 怪我は……?」
「かなり痛いけど別に死ぬほどでもないよ、それがどうしたの?」
なんでもないと言う風に答える、これ以上心配をかけても駄目だしね!
ちょっとフラフラとするけどこの位なんでもないさ!
「へ? えっと……あれ? おかしいな?」
「な? フワフワした態度しているとコロっと持って行かれるのじゃ、身に沁みたろ?」
いつの間にか新妻さんの横に並び立ったのじゃーさんが、ポンとその肩に手を置く。
新妻さんは一体何が起こったのか分かってない様子で、頭にハテナマークが浮かぶ勢いで首をかしげている。
さーって! 新妻さんが気づいてマジギレする前にごまかして帰るかな!
僕は爽やかな気持ちで胸を一杯にしながら、颯爽と帰り支度をする。
腕の傷もとうに血が止まっている、後で病院にいかなければならないがこの位問題ない。
「さぁ! 家に帰ろう! 平穏が僕らを待っているよ!」
そう宣言すると僕は明日への一歩を踏み出す……もちろん、この後全てに気づいた新妻さんの雷が僕を襲うことになる。
しかも当然のように子狐ちゃんは裏切った。のじゃーさんは僕の企みを一から十まで、それはそれは嬉しそうに新妻さんにゲロったのだ。
世の中には理不尽な事が一杯だ、僕は悲しみにくれながら子猫ちゃんと子狐ちゃんのお叱りを受けるのであった。