第四話:後編
子狐ちゃんの予想だにしない裏切りによって新妻さんからお叱りと言う名のご褒美を貰った僕。
普通ならこれでお終いなんだけれどタイミングが悪かった、それが丁度母さんが飲み物を持って来る時だったのだ……。
不運と言うものは案外続くもので、新妻さんの叫びを聞きつけて鬼神のごとき表情を浮かべながら部屋に乱入してきた母さんに、これまた愛しの子狐ちゃんが裏切りを働く。
のじゃーさんは僕の行いを一から十まで、それはそれは嬉しそうに母さんにゲロったのだ。
お陰で僕はめちゃくちゃ怒られる事になった、夕飯も今後は一品目減らされるらしい、まったく理不尽極まりない話だ。
「羽田君のお母さんも、のじゃーさんの事知ってるんだね……」
「うん、まぁうちの家系ってそういう感じだからね、婿養子の父さん以外は全員見える人なんだよ」
「母上殿はとっても優しいのじゃ!」
のじゃーさんは母さんにめちゃくちゃ懐いている、母さんも普段の様子からは想像できない程のじゃーさんに激甘だ、本当は娘が欲しかったらしい。
まったく、男だからって差別して! その優しさを少しでもいいから僕に分けて欲しいよ。
僕は母さんが持ってきてくれた、普段よりも濃いカロピスをちびちびと飲みながら新妻さんの質問に答える。
「そうなんだ、凄いね。私、今までそういうことがあるなんて知らなかったよ」
「まぁ、世間では秘匿されている事だからね、言っても信じない人ばかりってのもあるけど」
代々ひっそりと受け継がれる魔道の系譜、言葉にすれば漫画かアニメの話とも感じられるそれも実は特別珍しい物でもない、大なり小なりあるものの日本では比較的多く存在しているのだ。
それが認知されていない理由は唯一つ、認めない人が大多数を占めるという事だけ。
「私もこんな目に会うまでは言われても信じなかったかも」
新妻さんが困惑した様子で呟く。
そういえば彼女はなかなか信じようとしなかったなー。まぁ確かに一般的な人の感性で言うとそうなるか……、今までの価値観が全て崩壊するんだ、無理は無い。
僕は戸棚より持ちだしておいたお守り――水晶で出来たブレスレットを取り出すと新妻さんに見えるようにちゃぶ台へと置く。
「そりゃそうだろうね、さ、これが言っていたお守りだよ、水晶のさざれ石で出来たブレスレットなんだ。これは魔を退け、悪意を吸収する力がある。これなら暫く持つよ」
さざれ石とは不揃いな小さな石の事だ、もちろんこれはある程度の研磨がされている為、怪我をするような事もない。
水晶はよく知られた、いわゆるパワーストーンってやつだけど、ぶっちゃけると石に宿ると言われる力とやらも鉱石屋が高く売るために作った誇大表現、僕もただ単に澄んだ色合いが気に入ったので使っているだけだ。石なんて所詮器でしかないからね。
そんなさざれ水晶を牛革のひもで結んだだけの簡素なアクセサリー。
しかしながら、これを魔術道具として見ると普通のそれとはちょっと違う。
一応の魔術師である僕が、ひと月の間も毎日欠かさず念を込める儀式を行ったのだ、その力は並大抵の悪念や雑霊では太刀打ちできない程になっている。
まさに、この時の為に作られたかとも思われる一品に仕上がっているのだ。
「それは結社に出された課題の防御魔法具……。主、いいの? 結社の課題が達成できないのじゃ」
のじゃーさんがそっと聞いてくる、むぅ……新妻さんにも聞こえちゃってるな、余計な事を聞かなくてもいいのに。
実はこのブレスレット、結社より宿題として出された課題品なのだ、期限は――いつだっけ? まぁもう一つ作るほどの余裕は無かったと思う。
だからここで新妻さんにブレスレットを渡してしまっては課題は失敗となる、未使用品から使用済み品になるし、なにより新妻さんの代わりに悪意を一身に受けるのだ、最悪破棄も考えないといけない。
けど、別にそんな事関係ないよね! 答えは決まりきっているさ!
「僕の新妻さんと結社の課題、どっちが大事かなんて比べるまでもないよ、それに強力な防御用魔法具はこれしかないからね」
「いつの間に私は羽田君の物になっちゃったの?」
いつの間に……おパンツを買ってもらった辺りから?
新妻さんは困ったように僕に聞いてくる。まったく、僕にそんな事聞いても事実が変わるわけないじゃあないか! 僕はなんだか悩みだしてしまった新妻さんにブレスレットを付けてあげるべく声をかける。
「ささ、新妻さん手を出して。ブレスレットつけてあげるよ! 大丈夫、優しくするから!」
「む、無視なんだ……」
「さとみん覚えておくのじゃ! 主は基本的に都合の悪い事はスルーするのじゃ!」
新妻さんに手を出すように急かす、あまり突っ込みを入れて欲しくない話題はさっさと転換するに限る、そうしてブレスレットのひもを解きながら新妻さんが手を差し出すのを今か今かと待ちわびる。
「羽田くん、待って」
「ん? どうしたの?」
一向に腕を出してくれない新妻さんに、もうその白魚のような手をとり勝手に付けてしまおうかと思っていた僕だけど、新妻さんは何故か真剣な面持ちで僕を止める。
「羽田君は、どうしてそこまでしてくれるの? そのブレスレットも大事な物なんでしょ? ただのクラスメイトなのに、私何もお返しできないのに……」
(おっぱい触らせてくれたら十分なお返しになるけどね!)
(主、流石にそれ口に出したら絶交な?)
のじゃーさんに注意される、この声色は……ガチだ、これ以上ふざけちゃ駄目だね!
しかし成る程、新妻さんは僕がどうしてここまで助けてくれるのか理解できないという事なんだね、もしかしたら何か裏があるのかもしれないと……。
まったく心外だな、僕が助けたお礼にお金を要求したり、それこそ何かいかがわしい事を望んだりするとでも思っているのだろうか? でもまぁ、彼女が不安になる気持ちもよく理解できる。
僕は今日何度目になるであろうか、彼女を安心させる言葉と、彼女を守り切る誓いを再度宣言する。
「気にしないで新妻さん。僕が所属する魔術結社、つまり魔術師の団体だね。そこではね、幽霊とか呪いとか、そういったオカルト関係で困っている人がいたら絶対に助けるって掟があるんだ、もちろん無償でね、詐欺じゃないよ?」
魔術結社にはそれぞれ至上目的が存在する、それは知識の探求であったり、高次存在との接触であったり、現世利益の獲得であったり……。
――盲目なる者への救済。
それが僕らの結社の至上目的だ、その為だけに結社は存在し、その為だけに活動している。
故にこの結社に所属している者は全員、新妻さんの様に不可思議な現象の被害にあっている人を放って置くことはできない、そんな考えすら浮かばない、もちろんそれは僕も同じだ。
「でも、何でなの? 冷静になってみたら分かるよ、羽田君すごく必死だった。あれって……危険なんでしょ? なんの見返りもないのに……」
まぁ確かにヤバかった、自分の不甲斐なさが招いた結果でもあるんだけどね……。
新妻さんは僕の目を見つめながら真剣に質問してくる、なんだか照れるな。でもこれはチャンスだしこのまま見つめ合って……あ、逸らされた。
「んー。じゃあさ、口裂け女を見てどうだった? 怖かった?」
「当たり前だよ! すごく怖かった! 死んじゃうかと思った!」
新妻さんは僕の質問にヒステリックに答える、そりゃそうだ、僕だって新妻さんが死んでしまうかと思った。
今日の事を思い出したのだろうか、少し怯えた表情を見せる新妻さんをなだめながら話を続ける。
「でしょ? そうなんだよ。ああ言うのって知らない人からすると、いや知っている人でも怖いんだよね……。怖くて、不安で、心配で、絶望的で……。どうしていいか分からなくて、誰にも相談できなくて」
得体の知れない物、というのは想像以上の恐怖をもたらす。彼岸の存在に出会った時、対抗するすべのない人々が取れるのはただ恐怖し、怯えるのみだ。
それがどれほど恐ろしい事か、その気持はよく分かる。僕もかつて……。
「――だからさ、誰かに助けてもらっていいんだ。それが知らぬ者の権利。そしてそんな人達を助ける事が知る者の義務であり誇りなんだ」
新妻さんを見つめる。遠く朧気な記憶の中、僕は確かにあの時助けられた。
ならば、今度は僕が助ける番なのだろう、その為に僕は魔術を学んできた、そしてその為に今日彼女と出会った。
「それこそが、魔術結社"C∴C∴C∴"の、そして僕の生き方なんだよ」
「いいの? 私何にもお返し出来ないよ? お金も無いし……けど助けてもらっていいの?」
オズオズと、なんだかとっても申し訳そうな表情で新妻さんが聞いてくる。
なんだか捨てられている子犬みたいだ、僕は苦笑いしながらも少しだけ重くなってしまった空気を払おうと明るく答える。
「いいんだよ、それに言ったじゃないか、お姫様は王子様に全て任せればいいってね! だからさ、何度でも言うよ。新妻さん、僕は君を絶対に助けるよ」
「……うん! ありがとう、羽田君、ありがとう!」
新妻さんの表情に喜びが現れる。その表情は今までで見た中で一番晴れやかで、惚れ惚れとするものだ、そして僕の気のせいで無ければ確かな慕情が篭っていた。
くくく、これ完全に堕ちてますわ、僕にベタ惚れですわ。
僕は両手を広げると、新妻さんがいつ飛び込んで来ても良いように合図をする。
「さぁ……!」
「……? え? 何かな?」
僕の新妻さんは首を傾げて頭にはてなマークを浮かべている。
ふふふ、焦らしているのかい子猫ちゃん! まったく、いけない子だね! でもそんな君も魅力的だよ!
そんな感じで新妻さんとのハグに期待を寄せる僕だけど、新妻さんは首を何度も傾げるだけで一向に行動に移さない。
あ、駄目ですねこれ、完全にわかっていませんよこの子猫ちゃん。
「羽田君、どうかしたのかな?」
「この流れだと僕に惚れた新妻さんが胸に飛び込んできてハリウッド映画さながらの熱いキッスを交わす感じだと思ったんだけど? 完全に待ちの体勢だったんだけど!」
ニコニコと何が嬉しいのか無邪気に尋ねて来る新妻さん。
そんな彼女に正しい作法を教えてあげる、すると新妻さんは途端に顔を真っ赤にして慌てだす。
「そ……そんな事しないよっ!?」
うーむ、意外にいけそうな表情だったんだけどなぁ、僕の勘違いか?
「あれー? おかしいな? 本当? ちょっとはそう思ったんじゃ?」
「思ってない! 思ってないよ!」
新妻さんは頑なに否定してくる、なんだか僕悲しくなってきたよ。
突然の新妻さんによる拒否宣言、夫婦の倦怠期を感じながらも僕はどうやってさらに新妻さんをいぢめてみようか考えるのであったが、唐突に新妻さんの背後にのじゃーさんが抱きつく。
「さとみん……。なんだかまんざらでもなさそうなのじゃ、うりうり!」
「の、のじゃーさん!? からかわないでよ! そんな事ないよ!」
のじゃーさんは慌てる新妻さんのほっぺたを抱きついた姿勢のまま背後からツンツンつつき出した。
新妻さんも突然の襲撃にさらに慌てふためいている。
むむむ……、おやおやおや。
「よいか、さとみん。妾がアドバイスしてやるのじゃ! 主はな、とっても変態だけどやる時はやる男だから、ふわふわした態度を取っているとコロっと持っていかれるのじゃ!」
「大丈夫だよ! そんな事ないよ!」
新妻さんはのじゃーさんからのほっぺツンツン攻撃を必死に手で防御しながら反論している。その様子はまるでじゃれ合う仲の良い姉妹だ。
ほうほう、これはよろしいですね……。
「へー!? じゃあどうしてさっきはあんなに嬉しそうだったのじゃ? 堕ちる一歩手前じゃなかったの?」
「違います! そんな事無いです!」
なるほど、二人共その調子だ!
「本当かなー? 怪しいのじゃー! うりうり!」
「いいぞ! もっとやれ!」
あ、しまった。声に出た!
「「…………」」
視線が痛い。僕はなんとかごまかそうと目を逸らす。
だって仕方ないじゃないか! あんな素敵な百合シーンを見せられたら!
「ちなみにな、主は無償でとか言っておきながら頭では『お礼におっぱい触らせてくれないかなー』とか考えておったのじゃ!」
「ええっ!?」
子狐ちゃんめ! 何度僕を裏切れば気が済むんだ!!
僕はもはや誰の味方なのか分からないのじゃーさんへと非難の視線を向けながらも新妻さんへと弁明する。
新妻さん、僕を信じて! これは全て僕を陥れる為の罠なんだよ!
「のじゃーさんの裏切り者! 違うんだ新妻さん、これはのじゃーさんがついた嘘なんだよ! 僕はそんなやましい事これっぽっちも思ってなんかいない!」
「あの……。私何にもお返しできないし……羽田君が、そういうのがいいって言うなら、特別にちょっとだけなら」
――恥ずかしそうに紡がれた呟きに時が止まる。
それも一瞬だ、刹那の速さで新妻さんの告白を理解した僕は光の速度で答える。
「マジでか!? じゃあ早速!」
「そんな軽々しく駄目に決まっているのじゃ! さとみんも早速ふわふわした態度を取るんじゃない! ――あっ! いつの間にかいい雰囲気で見つめ合いおって! にゃー! もう二人共そこに正座っ!!」
「「ごめんなさいっ!!」」
……新妻さんと二人で、のじゃーさんにめちゃくちゃ怒られた。
…………
………
……
…
「よし……っと! これで魔法具が新妻さんを守ってくれるよ、くれぐれも外さないようにしてね」
「うん、分かった! ありがとう、羽田君」
新妻さんの白魚のような手にブレスレットを付ける。苦しくない程度に緩く、かといって外れない程度にはしっかりと、そうして魔法具を新妻さん専用に調整する。
もちろん気づかれない様にその手をサワサワするのも忘れない。
うん、こうして見るとブレスレットもよく似合っている、透明に澄んだ水晶の色合いが新妻さんの清純さを強調しているかの様だ。
彼女もブレスレットが気に入ったのか嬉しそうにその手を見つめている。
「万が一外れたりしたらすぐ主に連絡を取るのじゃー」
「のじゃーさんもありがとう!」
む、連絡か……。いいこと思いついたぞ! ここで新妻さんと連絡先を交換しちゃおう! 何かあってもすぐに駆けつける事ができるし、何より僕が幸せになる!
「よし、じゃあ電話番号とメールアドレスも交換しておこう、何かあったらすぐ連絡できるようにね!」
「わかった、ちょっとまってね!」
おお! なんだこのイージーモード! あっさりと交換できたぞ! えっと、んで登録した後はどうやって新妻さんを攻略するんだ? ゲームみたいに選択肢が出てくればよかったのに!
僕はうなぎ登りに上がっていく自らのテンションに身を任せてスマートフォンを操作する。
「よし、登録名は"僕の新妻さん"にしておこう! いやぁ、テンション上がるな!」
「…………」
「さとみーん、どしたのじゃ? ちゃんと登録できた?」
メールのフォルダ分けも別にしておこう! あ、もちろん保護設定でね、消しちゃ駄目だから。あとは……もちろん着信音も個別設定だ!
「あっ!? 大丈夫、ちゃんと登録できたよ!」
「……? まぁ出来たのならよいのじゃ」
のじゃーさんと新妻さんのやり取りを聞きながら僕はスマートフォンの操作を続ける。
うん、バッチリだ! これでいつ新妻さんから連絡が来てもオッケーだね!
僕が新妻さんとの輝かしい未来を想像していると、僕と同じようにスマートフォンをいじっていた新妻さんが声をかけて来る。
「ねぇ、羽田君……」
「ん? どうしたの?」
「あの……、羽田君を疑っている訳じゃないんだけど、この後家に帰っても大丈夫かな?」
少しだけ不安そうな表情だ、本能的な部分で危険ではないと理解しているのだけど理性がそれに追いついていないと言った所かな、モールで見せていたような激しい動揺が無い点では安心できる。霊的危機察知能力が高い証拠だ。
もっとも、あちらの世界と親和性が高いと言う点ではそれほど安心もできないのだけれども……。
「うん、大丈夫。さっき口裂け女から逃げたでしょ? 実はね、あっちの世界はいろいろと面白い法則があってね、この"逃げ切った"と言う事実そのものが強力な結界になるんだよ。だから暫くは奴も近づけないはず。それにブレスレットもあるしね」
「さとみんはわからないと思うけど、それはかなり強力な魔法具なのじゃ! 大船に乗った気持ちでいるのじゃ!」
「うん……」
「不安かな?」
「もしかしたらって思うと……」
「じゃあさ、今日は新妻さんが不安にならないように、寝ちゃうまでずっと電話でお話しようよ! 折角番号も交換した事だしね!」
なかなかいい案だぞ! 電話越しにパジャマ姿の新妻さんを感じながらのお話なんてご褒美以外のなにものでもない、しかも新妻さんも安心してくれる、これぞまさしくWin―Winの関係だ! 皆が幸せになる最適解だ!
「……いいの?」
「妾もお話するのじゃ! 主の部屋だと物質化できるからお話できるのじゃ!」
「もちろんかまわないよ、のじゃーさんもそう言っているしね。それでも不安ならそのブレスレットを僕だと思ってくれていいよ! それだと少しはマシかもしれないしね。あ、出来ればお風呂入っている時はより強く僕だと思ってくれると嬉しいかな!」
「さとみん! ハッキリと断るのじゃ! 曖昧に答えるとつけあがるのじゃ!」
「え!? えっと! ごめんなさい! お、お風呂以外はそうするね!」
お風呂以外と言うことは、着替えている時や、寝ている時はもちろん、トイレに入っている時ですら思ってくれると言うことだ……これは、ちょっと過激プレイすぎやしませんかね新妻さん!?
僕は喜色をあらわに彼女へお礼を言う。
「流石僕の新妻さんだ! 僕をよろしくね!」
「ふわふわするなとあれほど言ったのに!」
のじゃーさんのカミナリがまた落ちる、なんだか怒ってばっかりだねのじゃーさん、そんなに君の主が新妻さんに取られやしないかと心配なのかい?
「ねぇ……どうして私が狙われる事になったんだろう?」
僕が子狐ちゃんの可愛らしい嫉妬にほほえましい気分になっていると、新妻さんが不意に真面目な表情で訪ねてくる。
ふむ……狙われる原因か。
「んー、僕もいろいろ考えていたんだけどね、ちょっと納得がいかない点があるんだよねー」
「納得のいかない点?」
「うん、どうにも口裂け女にしては違和感があるかなーって」
「それって……」
「その事だけど、あれ多分口裂け女ではないのじゃ」
「やっぱりかい? のじゃーさん」
口裂け女に感じた違和感、それを口に出した僕にのじゃーさんが意見を述べる。
直接対峙し、かつ同じ彼岸の存在である彼女が言うのであればそれは信頼するに足る、餅は餅屋にとでも言った所だろうか、こういった分析はまだまだ彼女の方が得意なのだ。
「フルボッコにされて分かったのじゃ、人の意思が強く篭っておる、それも複数ではなく一人だったのじゃ」
ふむ、のじゃーさんの話を聞く限り都市伝説の線は消えたな、あきらかにその成り立ちが違いすぎる、となると原因は――。
「一人……か、と言う事はもしかして"生霊"の類かな?」
「おそらく……な。でもどうして口裂け女の格好をしているのかは分からなかったのじゃ!」
「羽田君、のじゃーさん、どういうことなの?」
置いてけぼりで勝手に盛り上がってしまったのじゃーさんと僕にしびれを切らしたのか、新妻さんが質問を投げかけてくる。
そういえば忘れていた、新妻さんの問題だから彼女が一番知りたがっている事だよね。
「うん、口裂け女ってのはね、都市伝説ってジャンルに分類される存在でね、噂を核として沢山の人による想念、つまりイメージが形取った存在なんだ、だから噂通りの行動や格好しか取らないしそれ以外をすることもできない……」
少しだけ残っていたカロピスを飲み干し、乾きを癒すとさらに続ける。少し長い説明になりそうだ。
「けどね、のじゃーさんの話を聞く限りではそうじゃなかった、あれは新妻さんを執拗に狙っている、そして誰か一人の強い意思で出来上がった物だ、新妻さんを害すると言う意思を持ってね……」
悪意を持った者によって作られた呪殺用使い魔や、怨霊や悪霊の類とも考えられたが、のじゃーさんが言及しなかった辺りその線は無いのだろう。となると答えは自ずと一つに絞られる。
「そんな……」
「生霊って怪談とかで聞くでしょ? あれはまさしくそれなんだよ。恨みつらみが形どった存在、対象を呪い殺すまで動き続ける。新妻さん、恨まれる心当たりはあるかな?」
人の思いは形となって場に留まる。あまりに強い思いがあるとそれが自然に形取って意思を持って動き出す。
恐らくあれは、そうやって出来た何かなのだろう。
「そ、そんなの無いよ! 私、そんな恨まれるだなんて……」
新妻さんは驚きながらも僕の指摘を否定する。
まぁ確かに僕の女神である新妻さんが恨まれるだなんて考えられないね、彼女はとても優しく誰からでも好かれる人間だと学内でも評判だ、誰かに恨まれる――それもここまで強力にだなんてちょっと考えられない。
「そうだよねぇ……僕の新妻さんはそんな恨みを買うような子じゃないよね」
「主は一体さとみんの何なのじゃ?」
のじゃーさんが呆れ顔で聞いてくる。
何って……将来の夫? それ以外に考えられないと思うんだけど。
「でもだからこそ不思議なんだよねぇ、あれは誰が作った存在なんだろう? まぁ気にしててもしょうがないか。 暫く時間は出来たし、僕も結社の人にいろいろと相談してみるよ」
現段階では何かを判断するには早計だろう、変な先入観を持ってしまっても困る。
とりあえず、とっても頼りになる師匠に聞いてみるかな、あの人は軽く人間やめているから占術を使ってピンポイントで答えを導き出し、アドバイスをくれるなんて朝飯前だろう。
「さとみんも気づいてないだけかもしれないからそれとなーく調べてみるといいのじゃ!」
「うん、わかったよ、のじゃーさん! 羽田君!」
新妻さんはグッと両手の拳を握りこみながら意気込みよく返事をしてくる。
まぁ、そんなに気合入れなくてもいいんだけど……ってかなんだか頑張りが空回りしそうな雰囲気があるなこの子。
僕はつい先程やる気が空回りしてフルボッコにされた子狐ちゃんの事を考えながら、決して新妻さんが天丼ネタをやらないよう念の為に注意する。
「くれぐれも気をつけてね、危ないことはしちゃだめだよ」
「うん!」
元気な返事だ、けれども新妻さんが僕の言葉を理解しているかは不安が残る。
まぁ例のブレスレットもあるんだし滅多な事は起こらないはずだ、さぁ時間も遅くなったし新妻さんを送って行くかな?
「じゃあ送っていくよ! でもちょっと遅くなっちゃったね、家の人に怒られない?」
「あ、それは大丈夫だよ。なんとか誤魔化すから、でも……スーさんで送ってくれるんだよね? えっと、その、速度は……」
「安心して、ちゃんと言い聞かせるから。僕の為にも!」
「もうスピードの向こう側はコリゴリなのじゃー!」
「うん、絶対だよ! 絶対に言い聞かせてね!」
完全にトラウマになった三人、僕達はスーさんに無謀な運転を絶対にさせない事を固く決めながらその元へと向かうのであった。
◇ ◇ ◇
結論から言うと、スーさんはテンションを抑えて安全運転をしてくれた。
と言うかガレージではなく、門前に駐車したままだったので不貞腐れていたのだ。しかも毎度のごとく慰めてご機嫌を取ったら今度は眠いから動きたくないとゴネる始末。
結局ガレージより持ちだしたスパナとドライバーで脅迫した上でようやくその重いタイヤを動かしてくれる事となったのだ。
そうして、無駄に精神的に疲れた僕は新妻さんの案内の元、彼女の自宅へとたどり着く事ができた。
「到着かな? ってここが新妻さんの家かー! 大きいね!」
「羽田君の家程じゃないよ、あ、送ってくれてありがとうね!」
新妻さんの家は僕のそれと違って洋風のおしゃれな雰囲気がする大きな邸宅であった。
確かに敷地の面積的にはうちの方が大きいが、建物の大きさで言えばこの家の方が何倍も大きい。
もしや、新妻さんって良い所のお嬢様か何かなのだろうか?
語尾に"ですわ"とつけながら喋る新妻さんを想像しながら、彼女がスーさんから降りるのを手伝ってあげる。
「どういたしまして、じゃあ後で電話するね」
「うん、楽しみに待っているね」
そう嬉しそう手を振りながら新妻さんは玄関へと歩いて行った。
そして、その途中で何かを思い出したかの様に声を上げると、僕の方へと振り返る。
「羽田君、さっきのあれなんだけど……」
「あれ……?」
「うん、えっと、その……胸に飛び込んでハリウッドさながらって話」
んー? なんだっけ? ああ、思い出した。新妻さんが僕のあふれる男前度にメロメロになって胸に飛び込んで来て熱いキッスを交わすって話だね。すっかり忘れていたよ!
「それがどうしたの?」
特に何か変な発言でもなかったと思うんだけど。
僕が質問を返しながら新妻さんを見つめると、薄暗がりの中、それでもハッキリと分かる程恥ずかしそうな表情をしながら、新妻さんは少しだけ小さな声で答えてくれた。
「えっと、あの、ちょっとだけそうしたいかなって、思ってたんだ……」
一瞬思考が停止する、僕が何か言葉を返そうした時には彼女はすでに玄関のドアを開け、その身を滑り込ませる所であった。
「お、おやすみなさい!!」
慌てながら放たれた別れの言葉がドアの向こうに消えていく。
今頃あのドアの向こう側で新妻さんはどんな表情をしているのだろうか?
流石の僕も突然の出来事に少しだけ呆然としてしまった。けどそんな僕とは違って、のじゃーさんは地団駄を踏みながら怒り出してしまった。
(にゃー! さとみんったらあれだけ言ったのに! 完全に持っていかれているのじゃ!)
(流石僕の新妻さん! デレの魅せ方も上手だね!)
のじゃーさんの言葉に僕も再起動をはたす。
うんうん、これってば僕の新妻さんがついに僕の想いに答えてくれたって事だよね、後はご両親に挨拶の上、挙式の準備だよね!
晴れやかな未来に僕のテンションもうなぎ登りだ、まったく、僕の女神ちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだから! 僕と君はもうすでに離れ離れになれない関係になっていたんだね!
(って言うかこのあと電話で喋る約束しているのにどうするのじゃ? さとみんってば恥ずかしくて喋れそうにないと思うのだけど……)
のじゃーさんが冷静に指摘する。
確かにその通りだ、新妻さんはその事まで考えた上であの発言をしたのかな?
うーん、まぁいいか! 電話口でじっくりとそこら辺聞いてみよう! そうして恥ずかしがる新妻さんを堪能しよう!
僕は晴れやかな笑顔をのじゃーさんへと向けると、正直にその思いを答える。
「僕は気にせずガンガン行くよ! なんだか新妻さんって押せ押せで行けばいろんな事してくれそうな感じだしね!」
ワクワクするね! 新妻さんってば押しに弱いタイプだから凄い事になるぞ! これはもう、結婚を前にしての新妻プレイか!?
(このド変態主がっ!)
(ありがとうございます、のじゃーさん!)
さて、のじゃーさんからのご褒美も貰えたし家に帰るか! そうしてすぐにでも新妻さんに電話するんだ!
僕は氷点下まで冷め切ったのじゃーさんの視線にニヒルな笑みを返しながらスーさんのエンジンをかけるのであった。