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のじゃーさんと僕の怪奇譚  作者: 鹿角フェフ
ひノ巻【口裂け女】

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第参話

 新妻さんと手を繋ぎながらショッピングモールを足早に駆ける。

 魔術防御を最大限に利用して新妻さんの存在を誤魔化し、なんとかレストランから出ることは出来たものの、状況は依然として良くはない。

 このショッピングモールは近隣の府、県を含めて最大の物で多くの店舗や施設が軒を連ねる超大型複合施設だ。それ故に敷地の面積も広大なものになる……。


(くそっ! 場所が悪いぞ、駐輪場までかなりの距離だ!)

(ほんにツイてない、気づかれる前に急ぐのじゃ!)


 休日となればモールの駐輪場もかなりの混み合いを見せる。

 朝早くから出向いたとは言え、駐輪できた場所は店舗施設からかなり離れた場所であった。

 新妻さんを保護している魔術防御も僕の物であって彼女専用では無い、その為効力もそう長く持つ物ではない。

 今はなんとか誤魔化せているがいつ気づかれても可笑しくない状況だ。


「は、羽田君!? どうしたの? 急ぎすぎだよ!」

「新妻さんと早く愛の逃避行をしたくてね、少し急いでいるんだよ」


 モールのメインストリートは未だ多くの買い物客であふれている。

 それらを半ば押し分けるように足早に駆ける僕を不審に思ったのか、新妻さんが慌てながら尋ねてくる。


「も、もう少しゆっくりでもいいんじゃないかな? 何かあっても羽田君が守ってくれるんでしょ?」

「もちろんだよ、新妻さん。 僕に任せておいてよ」


 新妻さんは僕の言葉に微笑むと、次第に繋いだ手を引っ張るように速度を落としてしまった。

 心配を表に出さずに新妻さんを見ると、ちょうど彼女の額から玉の汗が首筋まで落ちる所であった。息も荒い、少し急がせすぎたか……


「ふふ、羽田君ったらまるで白馬に乗ったの王子様だね」


 新妻さんは照れくさそうに笑いながらそう答える。

 白馬に乗った王子様か、本当に僕が王子様だったのなら、彼女を一切危険な目に合わせる事なく華麗に助ける事ができるんだけどね……。

 僕は綱渡りのこの状況に不甲斐なさを感じながら彼女に気取られない様それとなく急かす。


「じゃあ、新妻さんはお姫様だね。さぁ我が愛しの姫よ、参りましょう」

「う、うん……。あっ、でも。ちょっとだけ疲れたからゆっくり歩いて欲しいかな? えっと、近くに居ないんでしょ?」

(主、流石にこのペースでは間に合わんのじゃ! 引っ張ってでも連れていけい!)


 お姫様と呼ばれて少しだけ慌てた新妻さんだが、疲れてしまったのか遂には歩き始めてしまった。

 のじゃーさんの言うとおり、このペースは非常に不味い。僕は再度新妻さんを急かすように声をかける。


「そうだけどね。急いだ方がいいかなって」

「え? えっと……っ! わ、わかった! 私も急ぐね……!」


 僕の言葉に状況が良くない事を感じ取ってしまったのか、新妻さんは怯えた表情を見せるとペースを早めてくれる。

 彼女を不安にしたくなかったが、ある程度状況を把握してもらう事も必要か……。

 僕は若干の後悔を胸に抱きながら出口へと向かう。


 そうして暫く無言で走る、ようやくモールの出口が見えてきた! 後はモールから出て駐輪場に向かうだけだ。

 僕は新妻さんがへばってしまわないようその様子に注意しながら店舗の外へと駆け出る。

 途端、涼しげな風が汗ばんだ肌に触れて、清涼感と共に体にこもった熱を冷やす。

 ふと見上げると、空は朱に染まり日が落ちようとしている。

 くそっ、不味いぞ! 夕暮れか!


逢魔時(おうまがとき)、タイミングが悪すぎる!)

大禍時(おおまがとき)でもある、主、気をつけるのじゃ!)


 夕暮れ時には魔が潜む。

 正確には、境界に魔が潜んでいるのだ、境界と言う物はこの世界以外の世界と繋がっている。境目には常に危険がはらんでいるのだ。

 よって夕暮れ時には良くないことが起こるとされている、昼と夜の境界だからだ。

 魔に逢い、大きな禍事(まがごと)が起こる時、それがこの時間帯、逢魔刻だ。


 時間帯は完全に相手に味方をしている、何が起こるかわからないし、相手も強力になっているはずだ。

 慎重に、それでいて急ぎながら駐輪場へと進む。

 この大型モールの駐輪場はいくつかあるが、僕がバイクを止めたのは丁度店舗の裏側の日陰の場所にある、止めた時は大した距離じゃないし運動にもなるかと思っていたが、ここに来てこんなに足かせになるとは……。


(人通りが少ないな……)

(人は本能的に魔から遠ざかるすべを知っておるのじゃ)


 休日のこの時間帯だ、もう少し行き交う人がいてもいいはずにも関わらず辺りは閑散としていた。

 魔から遠ざかるすべを知っている……か。

 たしかに、これだけ嫌な気配が漂っているのなら何も知らない人でも遠ざかる。

 ……そんな、余計な事を考えていたからだろうか?

 新妻さんが小さな段差に(つまづ)いた様子を視界に収めた時には、すでに遅かった。


「きゃっ!」


 しまった! 手が……離れた!

 新妻さんが転けた拍子に手が離れた、それは同時に彼女の魔術防御が完全に消え去っていた事も表していた。


(早速かよっ! ツイてない!)

(主ぃ! 気づかれたのじゃ! すごい勢いで来ておるぞ!!)


 僕は転んで地面に両手を付いている新妻さんの前で屈みこむと彼女の様子を見る、良かった、怪我はしていないようだ。


「新妻さん、大丈夫? さぁ、もう一度手を繋ごう」

「うん、大丈夫だよ、ちょっとまってね……」


 新妻さんが、汚れを払いながら立ち上がる。

 気配が濃いものとなった、僕の中で警鐘がガンガンとなっている。

 腐臭が充満し、吐き気を催す呟きが聞こえる……。

 ……来やがったな。


 気がつくと、口裂け女は僕と新妻さんのすぐ後ろに立っていた。

 丁度新妻さんからは見えない位置だ。

 短いざんばら髪にやや隠れるように見える大きな血走った目、それをギョロギョロと動かし、新妻さんを視界に納めると、口裂け女はマスクの上からでも分かるほどその裂けた口を不気味に歪めながら不快感を感じる声で呟いた。


 ――た


「えっ……?」

「後ろを振り向いちゃダメだ! 新妻さん!」


 聞こえた声に新妻さんが顔をあげる、そうして誰かに声をかけられたのかと反射的に振り返り。


 ――みぃーつけた


 すぐそこにいる、口裂け女を直視してしまった。


「ひいっ!」

「新妻さん! 行くよ!」


 再度新妻さんの手を取り走りだす、まだ完全に呪いによる害を受けた訳ではなく猶予はある、だがバイクのある場所もまだ距離がある。焦りが心中を支配する、このままでは新妻さんが……。

 彼女はハッキリと分かるほどに怯えて、混乱している。目には涙が浮かび、その顔は驚くほどに青ざめ、恐怖で歪んでいた。


「逃げなきゃ! 早く逃げなきゃ! 早く!」

「落ち着いて新妻さん! まだ余裕あるから!」

「げほっ! 早くっ! にげっ、げほっ!」

「新妻さん!?」


 新妻さんは走りながら突然咳き込んだかと思うと、苦しそうに胸を抑えその場にうずくまってしまった。

 彼女は「嫌だ、嫌だ……」と呟いている、その呼吸は異常なまでに早く、彼女が危険な状態にいる事を表していた。

 過換気症候群、一般的には過呼吸とも呼ばれる、強度のストレス等を受けたことで発生する症状だ。

 不味い、恐怖と過度の運動が症状を引き起こしたのか!

 この場合、相手の不安を取り除き、落ち着かせる事が対処法となるのだが……。


 チラリと後ろを振り返り見る、建物の影になっているのか口裂け女はまだ見えてない。 余裕ぶっているのか? それともジワジワと責め立て、恐怖心を煽っているのだろうか?

 だがどちらにしろ残された時間は無いに等しいだろう……。


(ちぃ! こんな所で時間を食うなんて!)

(主! "坩堝(るつぼ)"は持ってきておらんのじゃな!?)

(あいにく、あんなかさ張る子は持ってきていない!)

(なら"仔蟲(こむし)"はっ!?)


 魔術師は通常オカルトに関する様々な問題に対処する為に、常に様々な種類の対戦闘用使い魔や魔道具、技法を有している。

 僕も本来ならそう言った物を用意している筈だけれど……。


(ごめん……。こんな事になるなんて思っていなかった)

()れ者がっ! あれほど師匠殿に言われておったろうに!)

(本当にその通りだ、自分を思い切り殴りたい気分だよ!)


 いつ何時(なんどき)も魔術師として最善の行動を取れるようにあれ――。

 師匠に言われた言葉だ、十分に理解していたはずなのに、それなのに……。


(主……妾が行くのじゃ、足止めをする)


 言い様のない後悔に蝕まれながらも、新妻さんの肩を抱き、手を取り落ち着かせようとしている僕にのじゃーさんが決心した面持ちで提案してくる。


(駄目だ! 危険過ぎる!)

(主は妾をなんだと思っているのじゃ? 妾こそ伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)が祭神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に古来より仕えし命婦神(みょうぶがみ)の譜系、一尾白狐の七穂(ななほ)ぞ?)


 真名(しんめい)宣言(せんげん)。通常のじゃーさんの様な存在はその名前をみだりに名乗ったりする事はない。

 名前には力が宿り、名を知られる事はその存在そのものを知られる事と同じ意味だと考えられる為だ。

 のじゃーさんの様な由緒正しき神使であるのならその傾向も顕著である、だからこそ僕も彼女を愛称で"のじゃーさん"と呼んでいる。

 そんな事情があるにも関わらず名乗ると言うことは、それほどまでの想いが込められていると言う事か。


(この程度たやすいわ、主は己のなすべき事をなされよ!)


 のじゃーさんの言葉に一瞬気圧される。

 彼女はニヤリと笑うと片手を目の前に持ち上げる、そこには寒気を感じるほどの鋭さを持った爪が陽光を反射させ輝いていた。

 のじゃーさんの笑みは自身にあふれ、どこか獣じみた獰猛さが見られる、のじゃのじゃ言っているいつもの彼女とは違う、稲荷眷属としての狐。

 積年の畏怖(いふ)崇敬(すうけい)を感じさせる神の使いとしての彼女がそこに居た。


(七穂、すまない! 頼む!)

(あい、承知した!)


 のじゃーさんは短くそう答えると、隼のごとく元来た方向へと駆けてゆく。

 僕は彼女の無事を心より祈りながら、時間を無駄にせぬよう、怯えた表情でこちらにすがりつく新妻さんへと話しかける。


「大丈夫だよ新妻さん。何があっても僕が守るって約束したでしょ? お姫様は心配せずに王子様に守られていればいいんだよ」

「でも、でも……! そこまで来てるんだよ! 私、私っ!」

「大丈夫、のじゃーさんが行ってくれたからもう安心だよ。さぁ、ゆっくり深呼吸して」

「の、のじゃーさん……?」


 変わらず荒い呼吸を繰り返す彼女であったが、僕の言葉に少しだけ落ち着いてくれたのか、ゆっくりと深呼吸をしてくれる。

 そうして、ある程度呼吸も整ってきたのか、のじゃーさんについて質問してきた。


「うん、僕の使い魔でね。とってもプリチーな狐っ娘なんだ! どの位プリチーかと言うと、それはもう恐ろしい程にプリチーなんだよ!」

「え? えっと、そうなんだ?」

「うん、でも新妻さんも、のじゃーさんに負けず劣らずプリチーだよ。それはもう新妻さんに僕の新妻になって欲しいほどにね!」


 そう、おどけて見せる。新妻さんは僕の言葉に目に見えて狼狽すると、わたわたと慌てながらも元気よく答えてくれる。


「えっ……だ、ダメだよ! か、からかわないでよっ!」

「それは残念……。もう落ち着いたかな?」


 これだけ気丈に返せるのならもう大丈夫かな?

 呼吸も見る限り落ち着いている様子だ、ゆっくりと彼女の手を引き立ち上がらせる。


「え? あっ! ごめんなさい、私……」

「いいんだよ、何も気にしなくていい。さぁ行こう。自慢のバイクを見せてあげるよ」

「う、うん……」


 そうして駆け出す、今度は少しだけゆっくりとだ。

 決して彼女に負担をかけないように、のじゃーさんが作ってくれているであろう時間を決して無駄にしない為に。


…………

………

……


「すごい、羽田君こんな大きなバイクに乗っているんだ……」


 新妻さんの感心した呟きが聞こえる。

 目の前にはアメリカンバイクが止まっている。排気量は400cc、漆黒のボディーに3つ目のヘッドライトとエスカルゴフェンダーと呼ばれる特徴的なパーツをつけたそれは左右に取り付けられたサイドバッグなども相まって通常のバイクよりおおきく見える。

 僕の自慢のバイクだ。


「アメリカンって言うタイプのバイクなんだよ! 名前は――」

(主ーーーっ!!)


 僕は手早くバイクのキーを取り出すと、新妻さんに説明しつつエンジンを掛けようとする。

 その時だ、のじゃーさんより念話が飛ばされてきた、状況が変化した知らせだ!


(のじゃーさん! どうだった!? 大丈夫!?)


 慌てて返答する。

 使い魔との繋がりをたどると、のじゃーさんがこちらへと駆けてくるのが分かる。

 よかった、無事だったんだ!


(フルボッコに……)

(してやったのかい!? 流石――)


 のじゃーさんが答える、足止めどころか逆にフルボッコにしてやるとは流石のじゃーさんだ!

 僕は彼女の言葉を遮るように興奮あらわにこちらへと戻る彼女の言葉に返す。

 ――そして、建物の影よりのじゃーさんが現れ……。


「フルボッコにされたのじゃー!」


 現れたのじゃーさんは、それはもうボッコボコにされていたのだ!


「のじゃーさぁぁあん!!」

「はっ、羽田くん!?」


 思わず全力で叫ぶ。

 のじゃーさんはその可愛らしいお目々から滝のように涙を流し、大声で泣きながら駆けてきたのだ。

 その愛らしい狐耳の間には野球ボールと見間違うほどのタンコブが幾つもついている。

 明らかにフルボッコにされていた。


「ボッコボコじゃないか! のじゃーさん! 完膚なきまでにやられた雰囲気じゃないか!?」

「なんかな! 一合やりあった時点で『あ、これ無理臭いな』って思ったのじゃー!」


 のじゃーさんは僕に抱きつくとグシグシと泣き続ける、タンコブが痛々しい、物質化していないから抱きかえしてあげれないのが無念だ。

 口裂け女への憎悪がふつふつと湧いてくる、だが命あっただけでも物種と思わなければいけない、最悪霊体ごと吹き飛ばされる可能性だってあったのだ。

 僕は愛しの天使の無事に心底安堵する、……ん? ってかのじゃーさん? 貴方あれだけ格好つけて行ったのにこの体たらくですか? あの前振りはなんだったの!?


「弱すぎるじゃないか! 先ほどまでの大物的雰囲気は何処にいったんだい!? 完全に噛ませポジションになってるよ!」

「気持ちだけが前に向かっていった感じだったのじゃ! 格好つけたわりには実力が全然追いついていなかったのじゃー!」

「は、羽田君? どうしたの? 誰とお話してるの!?」


 新妻さんがびっくりしたように聞いてくるが、今はそれどころではない、この無謀な子狐ちゃんに文句を言ってやらねばならないんだ!


「もっと実力を把握しようよ! 己の身の丈にあったセリフと行動をしようよ!」

「でもでも! なんとか化かしてまやかしを見せることに成功したのじゃ! これで暫く大丈夫なのじゃ!」


 まやかし、狐は化かすことに定評のある存在だ、神使であるのじゃーさんに化かされたのならかなり時間を稼ぐ事ができる!

 こんなにボッコボコにされながらも健気に己の責務を果さんとするのじゃーさんに僕の目頭も熱くなる。

 これが……これこそが真実の愛! 見返りを求めない無償の奉仕なのだ!


「流石のじゃーさん! フルボッコにされながらも僕のために一矢報いてくれるとは! 愛しているよ!!」

「妾も愛しておるのじゃー!」


「ひぃ! は、羽田君が何もない所に向かって喋り出した挙句、愛の告白をしてる!!」

「ちゃんと相手はいるからね! いわれのない誹謗中傷は止めてね!」


 愛を確認した後は、横でドン引きしている新妻さんの勘違いを正さなければいけない。

 ってか、新妻さん! のじゃーさんはいるって言ったよね!? どうして君は僕をそこまで変態キャラにしたいんだい!?


「え!? 相手がいるの……? う、うん! わかった!」


 多分彼女はわかっていない、頭の上にハテナマークが付きそうな位に首を傾げている。

 まぁ……いいか、落ち着いたら彼女の誤解を解くようにしよう。

 また数々のいわれのない変態行為が出てくるんだろうなぁ、僕はそう考えながらとりあえず彼女と一緒にここから逃げることを優先させる。


「さぁ、新妻さん! ダッシュで逃げるよ! のじゃーさんが作った時間を無駄にしちゃダメだ!」

「はい!」


 そうして、エンジンキーを刺し、スターターボタンを押す……。だが、返ってくるのはセルモーターが回る音だけだ。エンジンが掛かる様子が一向にない。


「あれっ?」

「は、羽田君。どうしたの?」

「エンジンがかからない……」

「ええっ! ど、どうしよう!?」


 僕の答えに、新妻さんが慌て始める、だが問題ない、理由はわかっている。

 十中八九……いや、確実に"彼女"の仕業だ。

 僕は問題ないと言った様子で新妻さんへと状況を説明する。


「大丈夫、理由はわかっているんだ……」

「完全にあれなのじゃ、困った奴なのじゃ!」


 のじゃーさんも呆れ顔で非難の声を上げている。

 まったく、大禍時とは良く言ったものだ、このタイミングで何時ものコレになるとは……。


「原因は何なの!?」

「それはね……」


 落ち着いてもいられないのであろう、新妻さんが詰め寄ってくる。

 ううむ顔が近い、このまま唇を奪ってしまおうか?

 僕はそんなよこしまな考えを胸に抱きつつも新妻さんに原因、つまり彼女の困った性格について伝える。


「スーさんが不貞腐れているんだ!」

「え!? す、スーさん!?」


 知らない名前が出てきた新妻さんはまったくわからないと言った様子で僕からの説明を待っている。

 そんな彼女に僕も手短ではあるがスーさんについての説明を行う。


「うん、『スーパーデラックスのじゃーさん可愛いよ号』、通称スーさん。このバイクの名前だよ。彼女はとってもヤキモチ焼きでね、僕が女の子を連れてきたからヘソを曲げちゃったんだ」

「スーさんはすぐ不機嫌になって動かなくなるのじゃー」


 のじゃーさんはそう言うとスーさんのボディーをぺしぺしと叩き始める。

 対するスーさんはうんともすんとも言わない、いやバイクだから基本的に何も言わないんだけど……けどまぁ、不貞腐れているのは確実であった。


「バイクがヘソを曲げるなんてそんな事あるわけないよ!」


 新妻さんは抗議の声を上げる、この子はアレほど不思議な体験をしていてまだ信じていないのだろうか?

 まぁ人が今まで培ってきた常識というのはそうそう打ち砕くことができない、彼女が神秘的な体験に否定的である事も不思議ではないか……。


「それがあるんだなー、スーさんはれっきとした付喪神(つくもがみ)だし。でも今は詳しく説明する時間が惜しい。まぁ見ていて!」

「う……、うん」

「あれをやるのな……。さとみんきっとビックリしちゃうのじゃ」


 スーさんに動いてもらうには彼女に機嫌を直してもらわなければならない。

 それは彼女のオーナーである僕にしかできない事だ。

 だが、問題ない、スーさんの事を知り尽くしている僕にとって、彼女の機嫌を治すことなど朝飯前にできる事なのだ。

 そうして、全身にオーナーとしての威厳をみなぎらせた僕は、スーさんに近づき……。


 おもむろにスーさんのガソリンタンクに抱きついた!


「はぁぁあああん! スーさん! 最高だよ! とってもクールだよ! 君は世界で一番のバイク(オンナ)だよ!」


「ひぃぃぃ!」


 近くで誰かが悲鳴を上げる声が聞こえた気がしたが、今はそれどころではない、今この時だけは僕はスーさんのものなんだ! スーさんしか見えていないんだ!


「聞いておくれよスーさん! 今僕達はとっても急いでいるんだ! そこにいる乳臭いガールを助ける為にスーさんの走りが必要なんだよ! だからさ、本物のバイク(オンナ)の魅力を、僕と、そしてこの世間知らずなお譲ちゃんに教えてやって欲しいんだ!」


「ち、乳臭い!? 世間知らず!?」

「相変わらずとんでもないキモさなのじゃー」


 またもや近くで誰かの声が聞こえた、なんだか物凄く僕を侮辱する言葉も聞こえるがそんな事は関係ない、僕はスーさんに魅了された一人の奴隷(ライダー)だからね!

 あ、でものじゃーさんはお仕置き追加決定。


「お願いだよ、四輪の奴隷共に二輪の素晴らしさを教えてあげてよ、スーさん自慢のテキサス魂を……ん? おいおいスーさん、君ってばまたタンクの輝きが増しているんじゃないか!? これ以上僕を誘惑してどうしようって言うんだこのエロティックバイク(ガール)め!」


 ちなみに、スーさんは別にテキサス生まれでも何でもない、日本生まれの日本育ちである、結社経由で譲ってもらった曰くつきのバイクなんだけど何故か本場のアメリカに憧れてるのでこうやってアメリカンな雰囲気を出してあげないと怒るのだ。

 けど、だからと言って日本を悪く言っても不機嫌になって動かなくなる、伝統ある日本の文化とものづくりで培った工業製品の信頼性を馬鹿にされるのが嫌らしい。

 まぁ、なんというか、一言で言えば面倒臭い子なのだ、スーさんって奴は。


 しかし、ふふふ、スーさんから喜びの感情が伝わってくるぞ!

 これはスーさんがデレはじめている証拠だ、このまま押せ押せで行けば必ず落とせる。

 僕はスーさんの漆黒にタンクへと頬を当てると、慈しむようにスリスリする!

 どうだいスーさん! これが僕の愛の証だよ!


「うわぁ……。どうしよう、羽田君がバイクに頬ずりしだしたよぉ……」

「今日は舐め回したりしないだけ控えめなのじゃ」


 外野が五月蝿い、と言うかこれ多分ドン引きしているな。

 まぁいい、真実の愛とは常に理解されないものなのだ、僕は世界で一番キュートな自らの愛車へとラストスパートをかける。


「まったく、もうすでに僕は君無しじゃいられないっていうのに。僕は我慢出来ないよスーさん、そろそろセルを回してもいいかい? 君の情熱的な声を聴かせて欲しいんだ……」


 優しく囁く、そしてここで必殺の口説き文句! さぁ、スーさん、僕にデレてくれ!!


「愛しているよ、スーさん……」


 スーさんの雰囲気が先ほどの不機嫌なそれから柔らかいものへと変わる。

 僕は確かな手応えを感じながらメーター部分にあるインジケーターランプに目を向ける。

 1、2、……5! 5回点滅! ア・イ・シ・テ・ルのサインだ! やったぞ遂にスーさんがデレた! 僕のスーさんがデレたんだ!


「よーっし! キタキタキタ! 君はやっぱり最高のバイク(オンナ)だよスーさん! それじゃあ行くよ!」


 勢いづけてスターターボタンを押す、すると先程とは違い瞬時にしてエンジンが始動、マフラーより爆音とも取れる重低音と共に排気ガスが吐出される。

 それは駐輪場はおろか、駐車場中にさえ響き渡るもので、スーさんの本気度が伺えた。


「ヒュー! イケイケだよスーさん! いい声だよ! 最高にエロいよ!!」


 思わず叫ぶ、これほどまでにやる気のスーさんは久しぶりに見たぞ! これならば大丈夫だ、僕はごく手慣れた仕草でスーさんのシートを撫で回す、その度にスーさんのエンジンが自然と吹かされる。ふふふ、アレだけ嫌がっていた割にはノリノリじゃないか!


「嘘、本当にエンジンがかかった……でも、え、エロい?」

「相変わらずスーさんってばチョロいバイク(オンナ)なのじゃー」


 僕は自らのヘルメットを被ると、()()()()持ってきていた予備のヘルメットをスーさんより取り外し新妻さんへと渡す。


「さぁ行くよ新妻さん! スーさんが君をスピードの向こう側まで連れてってくれるってさ!」


 スーさんに勢い良くまたがる、エンジン音が一層唸りを上げた。

 そうして後ろに乗るように新妻さんへと声をかける、彼女はスーさんの事をあんまり良くわかっていないのか、困惑しながらも後ろの乗ってくる。


「え!? えっと、よろしくお願いしま……す?」

「ダッシュで逃げるのじゃー!」


 新妻さんを後ろに、のじゃーさんを前に感じながら僕は意気揚々とエンジンを吹かす。


「行くよ! しっかり捕まっていてね!」

「は、はい!」


 駐車場の出口の反対側、僕達がやってきた所より口裂け女が駆けて来るのが見える、僕は口裂け女に勝利と侮蔑の笑みを向けると一転、走りだす。

 完全勝利! オカルトが科学の力に勝てるわけねぇだろうが! 自動二輪の偉大さを思い知れよ都市伝説風情がっ!

 僕は新妻さんを無事この場から連れ出せた事に心底安堵しながらスーさんのスロットルを限界まで回すのであった。




◇   ◇   ◇




 風を切る。スーさんにまたがる僕、前にはのじゃーさんが正面を向いて抱きつく形で、後ろからも新妻さんが同じく抱きついている。

 本来ならこの素晴らしいサンドイッチ状態を楽しむはずなんだけれど、僕はそんな余裕が全くなかった。

 チラリとスピードメーターを見る、速度を示す針は完全に振り切っていた……。


「怖いのじゃー! 車と車の間を縫っているのじゃー!」

「早い早い早い! ちょっと羽田君! 早すぎるよ! おかしいよこの速さは!」


 スロットが戻らない! 完全にスーさんに支配されている、僕は早送りのように勢い良く過ぎ去る景色に肝っ玉を冷やしながら新妻さんに大声で答える。


「新妻さぁぁん! 確かに早いのは分かるけどあんまり早い早いって言うの止めてくれます!? 男の子だって繊細な生き物なんですからね、頑張ってるんですからね!?」

「羽田君が何を言っているか意味がわからないよ! 早すぎるって言っているの!」

「主! ふざけてないでどうにかするのじゃ! このままだと事故るのじゃ!」


 のじゃーさんと新妻さんが文句を言ってくる、僕は決してスーさんのコントロールをミスらないように必死でハンドルを切りつつ二人に答える。


「早く無いって言ってるでしょうがぁ! 僕だって頑張ってるんだよ! いざっていう時笑われないように頑張ろうって心に決めているんだよ!」

「何の話をしてるの!? スピードを落としてって言ってるの!!」

「一体これ何キロでているのじゃ!? 今までに見たこと無いスピードなのじゃー!」


 そう、僕は頑張っているのだ。それに対してこの言い草、まったく酷いものである。

 ってか怖ぇ! これふざけてる余裕無いぞ! どうにかしないと死ねる!


「スピード出しているのは僕じゃないからね、これスーさんがノリノリなせいだからね!」

「じゃあスーさんにスピード落としてくれるように言ってよ!」


 新妻さんの言っていることも最もだ!

 僕は早速、何が楽しいのかノリノリで恐ろしいほどに唸りを上げるスーさんに向かってスピードを落とすように懇願する。


「スーさぁん! あのね、ちょっとスピード落として! 早すぎるの! 向こう側とかいいから、こっち側でお願……かすった! いま追い抜きざまにかすったぞ! おい、スーさん! 僕を殺す気か、スピード落とせよ!!」


 死ねる死ねる! スーさんはまったく話を聞いてないぞ! これはヤバイ! 嫌な予感がプンプンする。スーさんってばアメリカンなバイクは信号を守らないのがステータスとか分けわからないイメージ持ってるからこのままだとあの世行きだ!


「聞いてるのかい! スーさ……ん? インジゲーターランプが、なになに、ア・イ・シ・テ・ル。うん、それはわかったから! 僕も愛しているからスピード落として! 早く落として! 落と、落とせって言ってんだろうこのポンコツがぁ!!」


 まったく人の話を聞いてねぇじゃないかコイツ! 愛してると言えばなんでも許されると思ってるんじゃねぇぞ! 事故ったら部品取り車として中古車屋に二束三文で売り払ってやるからな!


「スーさん! スピードを落とすのじゃ! 主も困っておる、制限速度を守るのじゃ!」


 のじゃーさんがスーさんの説得に加わってくれる、一番のマブダチであるのじゃーさんなら流石のスーさんも話を聞いてくれるか!?


「駄目じゃ! 完全に舞い上がっておる! 主がかっこ良く運転する所をさとみんに見せつけようとして空回りしている感じなのじゃー!」

「全然格好くねぇよこれ! 僕完全にビビってるよ! 子鹿のごとき震えっぷりだよ!」


 スーさんはのじゃーさんの話すら聞いてくれなかった、身体中が震える、僕は生まれたての子鹿だ。と言うか新妻さんとのじゃーさんを含め3匹の子豚ならぬ子鹿だ、恐怖によってガチガチに震えている。

 僕は迫り来る景色の向こう側に死んだおばあちゃんを幻視しながら決して天国への階段を登らぬように必死にハンドルを切る。


「早いー! 怖いー! 羽田君早すぎるよ! どうにかしてよ!」

「僕は早くねぇって言ってんだろうが! ベッドの上で証明してやろうかこの世間知らずのお譲ちゃんがぁ!!」


 むしろ僕が助けて欲しいぞ! なんでこんな目にあってるんだ!? 完全に必要のない危機じゃねぇか……おっと赤色に(とも)った信号機が見えて来ましたよ、お別れの時間ですね。


「やだー! 早いー!!」

「早くねぇ――あ、これアカン……」

「うぎゃああ!! スピードの向こう側なのじゃー!!」


 こうして、予想だにしない死のドライブを楽しみながら、僕たちは絶叫と共に帰宅するのであった。

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