第弐話
新妻さんとことりちゃんに励まされた翌日。僕は師匠との交渉も終え、万全の準備をした状態で伏見稲荷の千本鳥居の前に立っていた。
本日のコンディションは絶好調。気持ちは十全であり、何があっても打ち負かす自信がある。
「新妻さん、本当に大丈夫? もしかしたら危険な事があるかもしれないよ?」
隣に立つ新妻さんへ尋ねる。
もちろん、彼女ものじゃーさんを助ける為に引くつもりはないだろう。
既に何度か交わしたやりとり。
神域へ進入するのだ。何が起こるか分かったものではないので、一緒に来ることを控えるように伝えたのだが……。僕と同様、新妻さんの決意も固かった。
「ううん、大丈夫。私だってのじゃーさんが心配だもの、それに……何かあっても羽田君が守ってくれるんでしょ?」
「もちろんだよ新妻さん!」
「ことりもいるので安心ですねー」
ことりちゃんと新妻さんに笑顔を向けながら、元気よく答える。
僕は頼もしい仲間がこの場にいる事に心底感謝した。
これならば、僕が遅れを取る事など万が一にもないだろう。
「それで……どうやって入るのかな?」
「ふふふ、これさ!」
興味深げに尋ねる新妻さんに見せつけるように、懐から取り出した最終兵器を掲げる。
それを見た新妻さんは、どういった物かわかっていない様で不思議な表情を見せている。
「御札……?」
新妻さんの呟きを肯定するように頷く。
僕の手には封筒ほどの大きさの、何やら僕にもわからぬ術式が書かれた符があった。
これこそが僕の最終兵器!
だが新妻さんは変わらぬ不思議顔だったので、彼女にも分かるように説明を行う。
「師匠に頼み込んで、何があっても自己責任と言うことで特別に用意してもらった術符だよ! 神域に入る結界を歪める効果があるんだ! これでばっちりさ!」
「むむむーん。凄く強力な符ですね。パネ田さんの師匠は何者なのでしょうか?」
ことりちゃんが符に顔を寄せ、ジーっと眺めながら訝しげに尋ねる。
もちろん僕もよく分からない。けどまぁいいじゃないか! 結果オーライだと思うよ!
ともすれば符の説明会になりそうな雰囲気の中、周りにいた観光客が途切れた瞬間を見計らって符を鳥居に貼り付ける。
刹那、辺りの雰囲気が一変し、気配に違和感が起こる。
……よし! 結界が歪んだぞ!
「さぁ、行こう! 人通りの無い今のうちに突入だよ!」
「うん!」
「れっつごーごー!」
待っていてくれのじゃーさん! 必ず君を助けるからね!
◇ ◇ ◇
「あっ! 羽田の人です! 何しに来たのですか! また悪いこと考えてるのですか!」
第一村人……第一狐発見。
それは奇しくも、以前伏見稲荷に来た時に出会った、お持ち帰りしたい狐っ子ナンバーワンの子狐ちゃんであった。
だが、残念ながら子狐ちゃんは警戒あらわだ。何やら僕に対して特別な誤解があるらしい。
困ったものだ……。僕はどうやってこの子狐ちゃんを再度騙そうかと頭を捻らせながら、新妻さんとことりちゃんにすべて任せるよう目配せする。
「やぁやぁ、この前の子狐ちゃんじゃないか! ちょっと訪ねたい事があるんだけど……」
「ダメです! また捕まってしまうのです! 騙されません!」
「そ、そんな……」
子狐ちゃんは頑なだ。きっと恐ろしい思いをしたのだろう。
だが気づいてくれ子狐ちゃん。これはすべて誤解なのだ。だからちょっと僕を助けてよ!
「ぼ、僕は君と仲直りしようと……、この前の事を謝ろうと……」
膝をつき、心の奥底から悲しみを出し、縋るような表情を子狐ちゃんに向ける。
「うう。でも、気を許すとお持ち帰りされるのです!」
子狐ちゃんの動揺は明らかだ。既に僕の言葉を信じかけている。
きっと他人を疑うことを知らず、可愛い可愛いで育てられたのだろう。
……うん、実に都合がいいね!
僕は自らの演技が子狐ちゃんに効果的である事を確信すると、更に彼女を陥落させるべく、懐から飴玉の包みを取り出す。
「仲直りしたいだけなのに……。こうやってお詫びの印の飴ちゃんも持ってきたのに……。とっても甘いのに……」
「ほ、本当なのですか?」
「本当だよ! 信じてくれよ!」
子狐ちゃんは目を輝かせている。
既に僕の掌にあるオレンジ色の飴ちゃんに釘付けで、僕の言葉もあまり頭に入って無いようだ。
くくく。今日の僕はいつもと違うんだよ! こういう事もあろうかと飴ちゃんを持ってきて正解だった!
僕は表情に出ぬよう、心の中でほくそ笑みながら、飴ちゃんを見せつけるように掌で転がす。
ほーらほーら。こっちの飴ちゃんはあーまいぞー……。
そして、遂に子狐ちゃんは飴ちゃんの魔力に屈する。
「わ、わかったのです! お持ち帰りしないのなら許すのです!」
「ありがとう! さぁ、仲直りの印だよ! こっちにおいで!」
顔を上げ、許されたことに心から感謝している風を装う。
うむ、バッチリだ! ってか子狐ちゃんは飴ちゃんに首ったけでそれどころでは無いっぽいけどね。
「やったのです! 飴ちゃんはなかなか貰えないから嬉しいのです!」
ビューっと擬音が聞こえそうな程勢い良く、輝かんばかりの笑みを浮かべた子狐ちゃんがやって来る。
そして、僕の前に到着し、オレンジ色の飴ちゃんに「わぁ!」と喜びの声を上げるその純粋無垢な子を――。
「ほい、キャッチ!」
「ふにゃああああ!!」
取ったどーー!!
「ちょっと羽田君!?」
「フラグが立っていましたね」
不用意に近づいた子狐ちゃんを優しく、かつ逃げられない様に拘束する。
子狐ちゃんはここに至って僕の本性に気がついたのか、驚きの声を上げながらジタバタと暴れだす。
「また捕まってしまったのですーー!」
子狐ちゃんを逃さぬよう、しっかりと抱き止めながら、神域の奥へと向かう。
やがて道は開け神殿がある広場に着く。
辺りはそこらかしこに狐が居る。恐らく子狐ちゃんの悲鳴を聞いてやって来たのだろう。
僕はギャン泣きしながら暴れる子狐ちゃんを狐達に見えるように掲げながら、自らの望みを伝える。
「おい! 狐ども! 聞いているか! この健気な子狐ちゃんの初キッスが惜しかったら! さっさとのじゃーさんを出すんだ!」
そうして、子狐ちゃんに顔を寄せる振りをする。同時に様子を伺うキツネ達に動揺が走った。
子狐ちゃんはさらにギャン泣きする。
「は、羽田君! 穏便に! なんで穏便に出来ないの!?」
「なかなか楽しそうですね。ことりも人質になってみたいです」
「助けて欲しいのですー! チューされてしまうのですー!」
慌てて僕を咎める新妻さん。ことりちゃんは変わらずぼぅっと様子を眺めるのみだ。
許して欲しい新妻さん……。僕は不器用な男なんだ。こうするしか方法はないんだ。
僕は、のじゃーさんを助ける為、子狐ちゃんの初キッスを奪うつもりだった。
「しかもディープだぞ!!」
「ふぇぇぇえええ! 過激なのですー!」
安心してくれ子狐ちゃん。
責任は取る。具体的には君はお持ち帰りだ!
「にゃあああああ!!」
子狐ちゃんの必死の叫びが聞いたのだろうか、キツネ達が慌てて誰かを呼びに行くのが分かった。
……ここからが正念場だ。
もし、もし奴らが僕の要求を拒否する様なら、僕にも考えがある。
「ふにゃああああ!!」
きっとのじゃーさんは酷い目にあっているに違いない。
アレほどプリチーで天真爛漫なのじゃーさんだ。そこにつけこんで虐める奴らが現れるのは当然だろう。
僕は事態が切迫している事を感じ取りながら、己の拳を固く握り――。
「うきゃああああああ!!」
固く握り――。
「ひゃあああああああ!!」
「…………」
「みゃあああああああ!!」
「子狐ちゃん。ちょっと静かにね」
「ふぇぇええ――むぐ……っ!? ふぁ、ふぁまいのれす……むぐむぐ」
先程から叫びまくる子狐ちゃんの口に飴ちゃんを突っ込み黙らせる。
そして、数分ほど経ったろうか?
やってきたのは僕がよく知る人物だった。
「おいコラ坊主! てめぇ何やってんだよ! 面倒事をもってくるんじゃねぇ!」
「ごっさんか……。のじゃーさんを返してもらうぞ! さっさと出せ!」
「はぁ? 何言ってんだ? 別に持って帰ったらいいだろうが?」
ごっさんは面倒くさそうな、それでいて何もわかっていなそうな表情でこちらへゆっくりと歩いてくる。
くそっ! なんて白々しい態度だ。
今でも僕の大切なのじゃーさんが酷い目にあっているかもしれないというのに……。
途端に僕の中でボルテージがあがる。
のじゃーさんを早く助けなければ、きっと手遅れになってしまう!
いや、まてよ!?
「まっ、まさか……!?」
「んあ? どういう事だおい?
「持って帰る‥…。のじゃーさんを、持って帰るだと!?」
「ど、どうしたの羽田君!?」
持って帰る……つまり、のじゃーさんはもうすでに物、何も言えない状態になっているという事なのか!?
「おい! これを見ろ!」
「はぁ!? 何するつもりだ!?」
煮えたぎる自身の心をなんとか沈めながら、僕は懐からライターを取り出す。
こいつら……! のじゃーさんを! 僕ののじゃーさんを!!
――許せない!!
「火を放つ!!」
そう、火を放ってやるのだ!
ここは神域とは言えある程度は物理法則が影響する世界だ。
木造である神社に火を放てばさぞやよく燃えてくれるだろう。
そう、僕には悲しみよりも、怒りがあった。のじゃーさん、見ていてね。必ず君の敵を取るよ……。
「ちょ、ちょっと羽田君! なんで火を放つ事になってるの!?」
「ご、豪華なキャンプファイアーですね。……本気ですか?」
新妻さんとことりちゃんは突然の行動に驚いている。
だが、彼女達もいずれ分かるはずだ。
なぜ僕がこれ程までに悲しんでいるのか。なぜ、これほどまでに怒っているのか……。
「分かったならのじゃーさんを連れて来い!」
「お、おう! なんか知らんが早まるなよ! いいな!」
もう物言わぬであろう、のじゃーさん。
二度と叶わぬことは無い、彼女との語らいを思い出しながら僕は手に持つライターを見せつけるように辺りを威嚇する。
腕の中の子狐ちゃんは、飴ちゃんの魅力で既にメロメロで、まるで気絶しているかのように静かであった……。
「早くしろ! でないと何をしでかすかわからないぞ!」
ライターに力を込める。
ゴウッと景気のよい音と共に火柱が上がった。
これものじゃーさんに教えてもらった術だ。狐火の術、のじゃーさんに比べればまだまだ甘い。
けど……もう君に教えてもらう事もできなくなっちゃったね。
「だ、駄目だよ羽田君! そんな事したって何も始まらないよ!」
「そ、そうですパネ田さん! 落ち着きましょう!」
「落ち着いてられるか! アイツら僕に相談もせずにのじゃーさんを!」
事態に気づきつつあるにも関わらず僕を止めようとする新妻さんとことりちゃん。
彼女達の言葉に僕もヒートアップしてしまう。
ああ、のじゃーさん。どうして、どうして君はのじゃーさんなんだい?
「のじゃーさん、のじゃーさんを返せ! 僕ののじゃーさんを返してくれ!!」
「止めて羽田君! こんな事。こんな怒りに任せて暴れるなんて事――」
返してくれ! のじゃーさんを返してくれ! あの笑顔を! あの日々を!
僕の心はグチャグチャだった。何が何やら分からなかった。
と言うか、テンションに任せてノリノリで役に入りきってしまった事にようやく気がついた。
「――のじゃーさんも望んでいないはずだよ!」
ふむ、ちょっと冷静になってみる。ふと見ると悲痛な表情をした新妻さんが僕に抱きついている。
やぁこれは素敵なご褒美ですね。
……でもごめんね新妻さん。君に謝らないといけないことがあるんだ。
「……って言うか。ことりは疑問なのですがのじゃーさんは死んだのですか?」
「ことりちゃん! もっとオブラートに言わないと!」
「え? 死んでないよ?」
「え!? そうなの!」
そうなのだ、別にのじゃーさんは死んでいない。
なんだか雰囲気に酔ったっていうか、自分の中であんまりにも盛り上がっちゃったって言うか。そういう諸々あっていつの間にかのじゃーさんが死んでしまっていたみたいになっていただけだ。
のじゃーさんは元気いっぱい。今だってワタワタと慌てながら何やらしている様子が使い魔とのリンクから伝わってくる。
ぶっちゃけ、全ては僕の狂言だったのだ。
「変なことりちゃん。なんでそう思ったの?」
「いえ、ニイヅマーがあんまりにもそれっぽい雰囲気を出していたので……」
「わ、私は羽田君の雰囲気がすごかったからてっきりのじゃーさん死んじゃったんだって……」
「そんな訳ないじゃないかー。新妻さんも不謹慎な誤解はやめてよね!」
だが僕は悪くない。
ちょっと雰囲気に飲まれて新妻さんを誤解させたが、真実を知った彼女に説教を食らう前に強引に責任を転嫁する。
「え? う、うん。ごめんなさい。……あれ? じゃあなんで火を放とうとしてるの?」
「……なんでだろうね? 僕も不思議だよ!」
知らぬ、存ぜぬ。
今の僕は無垢なる善良な市民だ。決して新妻さんに感づかれてはいけない。
新妻さんは不思議そうな表情で「あれー? おかしいな?」と首を傾げている。
うんうん、そうだよ新妻さん。ちょっとそのまま悩んでいててね。
僕はなんとかこの場をごまかしきれた事に安堵する。
チラリとみたことりちゃんは恐ろしいほどのジト目でこちらを見つめていたが、彼女の事は見なかった振りをしよう。
そんな事を考えている時だ、ついに再開の時はやって来る。
遠くよりこちらへと走り向かう足音、そして待ちに待った声。
……のじゃーさんだ!!
「主っ!」
「のじゃーさん!」
飴ちゃんを食べ終わり所在なさ気にしている子狐ちゃんを開放し、代わりにのじゃーさんを抱きとめる。
遂に再開だ! 数日会わなかっただけにも関わらず、それが永遠の時間にも思えた。
二人はお互いの温もりとその存在を確かめ合うかのように強く強く抱きしめ合う。
ああ、のじゃーさん! 本当に無事でよかったよ!!
「ちっ、ようやく来やがったか。面倒くせぇ……おら! 用が済んだらさっさと帰れ!」
「え? のじゃーさんは帰ってもいいんですか? ……あれ? お別れじゃ?」
「あー。ことりは嫌な予感がしてきましたよ」
外野が煩い。
少しは静かにして欲しい物だ。
僕はのじゃーさんとの劇的な再会に歓喜の声を上げる。
「会いたかった! 会いたかったのじゃー」
「僕もだよ! のじゃーさん! 寂しさのあまり、放火する所だったんだよ!」
そう、ノリと勢いで放火する所だった。
危なかった、これでもう少しのじゃーさんが来るのが遅かったら本当に神殿に火を放っていたところだ。僕もこの歳でお巡りさんのお世話にはなりたくない。
そういう意味では、のじゃーさんには感謝してもしきれないだろう。
「妾も同じ気持ちなのじゃ! 寂しかったのじゃ!」
僕の胸に顔を埋めながら、グシグシと泣きあげるのじゃーさん。
彼女が僕と同じ気持ちであると言う事に思わず涙が溢れる。
よし! 無事のじゃーさんとも再会出来たし、このまま帰ろう! なんだかごっさんも帰っていいって言っているし、やっぱりお別れなんて無かったんだね!
「さぁ、いま直ぐ帰ろう! 帰ってまた仲良く暮らそう!」
「駄目なのじゃ! それは出来ないのじゃ!」
だがしかし。のじゃーさんより放たれるのは拒絶の言葉だ。
彼女は僕の言葉に悲しそうな表情を向けると、強い言葉で僕を拒絶する。
「どうして! のじゃーさんも僕と同じ気持なんでしょ!? どうして!?」
「全く変わりないのじゃ! 主の想いと一字一句違うのじゃ!」
「じゃあなんで!?」
思わず声を荒らげる。
これ以上何を気にすると言うのだ? 僕とのじゃーさんを阻むものは何も無いというのに……。
内心のいらつき、それをつぶさに感じ取ったのか、のじゃーさんは少しだけ怯えた表情を見せる。
だが、一転して彼女は真剣な表情を見せ、自らの思いを告げるかのように……。
「一字一句違うから……まったく違いがないから! 妾は、妾は――」
そして、目を瞑り、あらん限りの声で……。
「――既に火を放ってしまってるのじゃー!!」
――自らの思いを叫……ん? 火を放った?
「ふにゃああああああ!! 神殿が燃えてますぅぅぅぅ!!」」
「ぎゃあああああ! お前ら本当何やっちゃってくれてんのぉぉぉ!?」」
パチパチと、盛大な音を奏でながら、伏見稲荷の神域に鎮座する霊験あらたかな神殿は……。
……盛大に炎上していた。
「……わお」
「これどうにかするまでは流石に帰れないのじゃー!」
火の勢いは強い。
そういえばさっきからなんだか周りが明るくて、しかもちょと騒がしかったなぁと思ってたんだ。
……なるほど! 火を放ったんだね、のじゃーさん! なら納得だよ!
僕は目の前にある現実から逃げ出すように思考の放棄を始める。
やぁ、かなりの勢いで燃えてるね。これ……駄目かもしれない。
「は、ははははは、羽田君!? ど、どうするのこれ! すっごい燃えてるよ!?」
「え? えっと……。え? これマジですか? 流石のことりも自分の目が信じられません」
「ね、ねぇ、のじゃーさん? なんで火を放ったのかな? 僕はすんでの所で思いとどまったよ?」
僕はのじゃーさんへとそっと尋ねる。
ちょっと洒落になってない。裏と表は基本的に強い関連性がある。
今頃表の伏見稲荷も盛大にナイトオブファイヤーだろう……。
僕はあまりの出来事にどうやってこの場を切り抜けるか考えを巡らす。
「だって! 夢の中にまで入り込んであんな演出したのに、実は妾の勘違いで普通に反省文書かされただけでした! って言うのは流石に妾も気まずかったのじゃ!」
「それがなんで火を放つ事になるの、のじゃーさん!?」
新妻さんはああ言っているが僕は分かる。
気まずくてなんとか誤魔化したい時だってあるはずだ、今回はそれが悪い方向に。
とっても悪い方向に進んだだけだ。
「えっとな! 本当はな! 傷心のあまりの行動でちょっとしたボヤ騒ぎ、ってシナリオで誤魔化すつもりだったのじゃ! でもでも! なんか雰囲気に酔ったって言うか! 思ったより自分の中で盛り上がっちゃって! 気がついたら灯油まで撒いていたのじゃ!!」
のじゃーさん恒例のちょっとした勘違い。
今回の出来事はちょっとしたボタンの掛け違いによって起きた悲劇だったようだ。
……やぁ、それは良かった! やっぱりそんなオチだと思ったんだ! 何より、君が無事僕の所に戻ってきてくれると分かって良かったよ! これで万事解決だね!
神殿が盛大に燃え上がっている事を除けば……。
「昼ドラじゃないんだよのじゃーさん! ってかなんで灯油が神域にあるの!?」
「き、きっと寒かったからストーブ用ではありませんか?」
「そういう質問をしてるんじゃないのことりちゃん!」
新妻さんの突っ込みが冴え渡る。
分かる分かる、ツッコミ入れてないと平静を保てないんだよね。
僕は隙あれば現実逃避しようとする己の脆弱な精神を叩き起こしながら、何をするでも無く燃え上がる神殿を眺める。
「うぉぉぉぉ! 水術系の法術使える狐は何処だぁああ!」
「剛穀様! 私達は狐なので水術系を使えるのは殆どいないのですー!」
「水稷はどうした! アイツそんぐらいしか取り柄ないだろうが!?」
「水稷様は、主様に会いに行くって出かけちゃったのですー!」
「タイミング悪すぎるだろうがぁ!!」
ごっさんと子狐ちゃんが慌てふためきあれやこれやと騒いでいる。
悲鳴、怒号、絶叫……。
辺りは騒然としている。すべて僕の隣でボンヤリと炎を眺めるのじゃーさんの仕業だ。
僕はそんな彼女に顔を向け、そっと語りかけている。
「のじゃーさん……?」
「ん? どうしたのじゃ?」
「意外とよく燃えているね!」
「最近空気が乾燥しておるからなー。妾もビックリなのじゃ!」
現実逃避。遂に僕とのじゃーさんはその責任から目を背けた。
後は野となれ山となれ。
のじゃーさんと僕は既にチラチラと背後に視線を向けている。
二人共、逃げる算段はバッチリだった。
「のんびり見物してる場合じゃないよ! どうするの!? どうすればいいの!? 消防! 消防に連絡しなきゃ!」」
「お、落ち着くのですニイヅマー。ここは神域です! そ、それよりまずは避難訓練のオハシを……お、お、お」
今だ諦めきれないのか、それとも現実に思考が追いつかないのか。
新妻さんとことりちゃんはそれはそれはワタワタと慌てながら、どこかピントのズレた叫びを上げている。
そんな彼女達を見て、穏やかな僕は笑みを浮かべる。
そう、これだよ。これが僕が取り返したかった光景なんだ。
「まぁいろいろあったけど、のじゃーさんとも会えたし。結果オーライって奴じゃないかな!」
「えへへ、そうなのじゃ。二人の絆は何人たりとも断ち切る事は出来ないのじゃ!」
のじゃーさんが居て、そして皆がいる。
僕は幸せものだ。
この関係がずっと続けばいいなと、これからどの様な事があろうとも必ず乗り越えてみせると。
そう――固く決意する。
「……お帰り、のじゃーさん!!」
「只今、あるじっ!!」
のじゃーさんと僕。
それはひょんな縁から出会った不思議な関係だ。
使い魔? 友人? 家族? 恋人?
彼女との関係は一言では表せない。けど、とても僕にとってとても大切な女の子であるは確かだった。
僕はそっとのじゃーさんの手を取る。そしていまだ慌てふためく新妻さんとことりちゃんに笑顔を向けた。
これにて終幕! さぁ、帰ろう! また皆で仲良く楽しく、毎日を過ごす――。
「ラブコメってんじゃねぇよ! 消火活動手伝えよオラぁああ!!」
……誤魔化せなかった。
完全に締めに入っていた僕達は、ごっさんの突っ込みに慌てながら消火活動を始める。
やばいなぁ、責任取りたくないなぁ……。
僕達は暗い気持ちでバケツをリレーするのであった。