第弐話
ショッピングモール内にある喫茶店。
時間は午前11時、ほとんどの客がまだ買い物にいそしんでいるからであろうか、店内はそれほど混んでいない。
新妻さんに己の変態性を大暴露した僕は、彼女を連れたってこの喫茶店で休憩と洒落こんでいた。
「やぁ、でもわざわざおパンツ買ってもらって悪いね新妻さん。僕とっても助かったよ」
「う、うん。その位だったらお安い御用だよ、羽田くん」
あの後、お目当ての下着を新妻さんと一緒に選んだ僕は、わざわざ彼女に頼み込んで代わりに下着を買ってもらった。
何故なら、これ以上店員さんから余計な干渉を受けたくなかったからだ、もちろん、僕の目の前で恥ずかしがりながら下着を買う新妻さんを眺めたいとかそういうやましい気持ちは無い事を宣言しておく。
のじゃーさんと店員さんの視線が、それはそれは冷えきっていたんだけれど、完全な誤解だ。
「ちなみに、ご理解して貰っていると思うけど、このコーヒーは内緒にしてくれる為の賄賂ですよ」
「えっと、うん。ありがとう、内緒にするね……」
目的は達した、後はこの純真無垢なお嬢さんの口を封じるだけである。
新妻さんは優しく誠実であると評判の子だ、ここまで頼み込めばそうそう口を割ることは無いだろう。
それにしても、なんだか先ほどから困り顔の新妻さんを見ていると、こう、胸の中が苦しくなってくるね。
僕は呆れ顔から遂には侮蔑の表情になってしまった愛しの天使、のじゃーさんへと念話で相談する。
(なんだか困る新妻さんを見ていると罪悪感がヤバイんだけど、何これ? いたたまれない気持ちになってくるんだけど)
(相手の眩しさ故に今まで目をそむけていた己の醜さに気付いただけなのじゃ)
のじゃーさんは静かにそう言うと、じとーっとこちらを見つめている。
うむ、ジト目のじゃーさんも良いね! もちろん僕は悪くないよ!
そして先程から困ったようにソワソワする新妻さんに視線を戻す、この子なんだか小動物的可愛さがあるなぁ、もっといぢめたい……。
(でも困り顔の新妻さんを眺めるのもちょっとだけ楽しいね!)
(手遅れなのじゃ!)
よーっし! もう少しだけ新妻さんを困らせちゃおう!
僕がよからなぬ決心を胸の内でしていると、話題を見つけた様子の新妻さんが先に話しかけてきた。
「でも羽田くん。本当に自分用なのかな? 違う理由があるんだけど誤魔化してるとか?」
「おパンツは自分用です、新妻さん。どうぞ変態と罵り下さい」
新妻さんは僕の言葉を聞くと、眉尻を落とし、さらに困った顔を見せる。
ああ、いいよ新妻さん! なんだか僕新しい世界の扉が開けそうだ!
(代わりに言ってやるのじゃ、主の変態!)
(ありがとう、のじゃーさん!)
のじゃーさんからご褒美を貰った僕は、新妻さんの様子を伺う。
さぁ、新妻さん! 次は貴方の番ですよ、どうか僕にご褒美を下さい!
「あの、そっか……うん。大丈夫、変態だなんて言わないよ。それに誰にも言いふらしたりもしない。いろんな趣味の人がいるんだもの、自分が理解できないからって否定なんてできないよ」
(眩しすぎて直視できない!)
(そのまま浄化されてしまうといいのじゃー)
予想とは違い新妻さんから向けられたのは肯定の言葉だった。
彼女は僕の変態的な発言に困りながらも、それを否定せずに認めて来たのだ。
なんという懐の広さ! なんという優しさに満ちた心!
こんな子、こんな子放っておける訳ないじゃないか!?
「新妻さん。僕の新妻になってください!」
気がつけば僕は新妻さんに告白していた。
これはもう、完全に女神である。ここで攻めなければ男ではないだろう。
突然の発言に新妻さんも驚き顔だ。新妻さんってば困ったり驚いたりといろいろな表情を僕に見せてくれる、ぐへへへへ、その表情がとてもよろしいのですよ。
「え!? えっと、嬉しいけど結婚は……ってもう! からかわないでよ。皆いつもそう言うんだからー」
うーん……。
新妻さんを称賛する言葉、「新妻さんを俺の新妻にしたい」は学校中に知れ渡っている標語である。
男女問わず毎日のように言われているこの言葉をここに持って来るのは流石に不味かったか……。本気なのに冗談だと思われるとは僕もまだまだである。
「えー、本気なんだけどなー」
「はいはいそこまで。この話も終わり、だから羽田君もパンツかぶったり、はいたりするのが趣味だって事が私にバレでも気にしなくていいからね」
「まて、君はとてつもない勘違いをしているぞ新妻さん……」
ありえない発言が僕の新妻さんより放たれた。
この子……僕を何だと思っているんだろうか?
「え? はいたりかぶったりしないの?」
「しな……い。多分、いや、どうだろう? 今の所その予定はないよ、うん」
今の所は……だ。もちろん未来の事は分からない、僕ははっきりしない答えを新妻さんに返す。
「そ、そうなんだ……」
新妻さんはどこか戸惑った様子を見せると、そのまま俯き加減で黙ってしまう。
その様子は困っていると言うよりは、何か心配事がある様にとれた。
(んー、なんだろ? 新妻さん元気なくなってきたな)
(主が変態すぎて一緒にいたくないのじゃー、健全な女子の反応なのじゃ!)
のじゃーさんが嬉しそうに声を上げる、ふむふむ成る程。
(のじゃーさん後でお仕置きね)
(にょわー!)
しかしまぁ、のじゃーさんの言うことも一理ある。
流石にちょっと調子に乗りすぎたかな? あんまり新妻さんを困らせるべきじゃなかったね、反省。
そろそろ話を切り上げてここで別れよう。
もちろん、これは新妻さんの事を想ってであって、僕が早く帰っておパンツを楽しみたいからでは無い、断じて無い。
「新妻さん、こんな変な奴の話に付きあわせちゃってごめんね。そろそろ僕は行くよ、さっきの話も本当に内緒のままにしてくれると嬉しいかな」
席を立ち上がり、伝票を取りながら新妻さんに告げる。
だが僕の想像とは違い、新妻さんはその言葉にひどく驚いた顔をしていた。
「あっ! 待って、羽田君!」
「ん? どうかしたの?」
「ね、ねぇ。羽田君はまだ時間に余裕あるかな!? よかったらもう少しお話しようよ! 折角だしね!」
はて? どういうことだろうか? 新妻さんは僕と一緒にいるのが嫌では無かったのだろうか?
慌てたように僕を引き止める彼女に僕は何か違和感を感じながらも席に座り直す。
「まぁ特に用事もないし暇だけど……いいのかい?」
「私? 私は全然大丈夫! あ、飲み物代は私が持つよ! 付きあわせちゃうんだし」
「あ、いやそれは大丈夫だよ」
新妻さんは卑屈なまでに僕を引き止めようとする。
どこか取り繕う感じがある、これはもしかするともしかするのかもしれない。
ふふふ、まったく、モテる男ってのは辛いね。思いもよらず女の子の気持ちを弄んでしまう。
(新妻さんなんだか様子が変だよね、これ僕に惚れちゃったんだろうね)
(どうして主はそう都合の良い未来ばかりを想像できるのじゃ?)
まぁ、実際の所なんだっていいか! 新妻さんとお喋りできるのならそれに越したことはない、ついでに名誉挽回する為に好感度をガンガン稼いでおこう!
そうして僕は、新妻さんとのお喋りと言う、楽しいひと時を楽しむのであった。
◇ ◇ ◇
「なんだか話し込んじゃったねー。お昼ごはんも一緒に食べちゃったし」
「あ、ごめんね。無理に引き止めちゃって。でもお話できて楽しかったよ」
僕から離れたくない女神である新妻さんからの、いかないでアピール、あれからが長かった。
時間も時間だった事で喫茶店から同じモール内のレストランへ移った僕達、お昼ごはんを一緒に食べながらも話題が尽きることは無かった。
色々と気が合う部分が少なからずあったのだろう。なんだかんだで話が盛り上がった僕達は、時間が立つことも忘れて話し合った。
学校の事、家の事、趣味の事……。おおよそ話せる内容は話したのでは無いだろうか? それは新妻さんも同じだ。
多分、学校にいる男の中で……いや、男女含めて僕が一番新妻さんの事を知っているだろう、もはや名実ともに新妻さんは僕の新妻となったのだ!
だがしかし、楽しい時間もやがて終わりを告げる。
時刻は午後3時を過ぎている。おやつのデザートも注文して食べ、一息ついた、終わりのタイミングとしては申し分ないと思う。
(なかなかに長時間話し込んでいたのじゃー、妾は構ってもらえなくて不満だったのじゃ!)
(のじゃーさんゴメンよ、この埋め合わせは帰ってからちゃんとするね)
(まぁ、さとみんも楽しそうだったし別によいのじゃー)
のじゃーさんは僕と新妻さんがお喋りしている間中、ずっと黙ってくれていた。
楽しそうにお話を楽しむ僕と新妻さんに配慮してくれたのかもしれない、流石である、これは帰ったらもうギュッとしてチューのご褒美しか無いな!
しかし……"さとみん"か。直接話したわけでもないのにやけにフレンドリーな愛称をつけているのが気になるけどなかなか素晴らしい。
もう少し新妻さんと仲良くなったら不意にさとみんと呼んでみよう、そうしてまた困り顔を堪能させてもらうのだ、ぐへへへ。
「よし、じゃあ解散するかな? 目的のブツも無事手に入った事だし、新妻さんと仲良くなる事もできたしね!」
うん、今日は良き日かな。
目的であったおパンツを手に入れるどころか、新妻さんと仲良くなれるなんて幸運も訪れた。
一言で表すと、「新妻さんと仲良くなっておパンツを手に入れた」。
とんでもないエロスを感じる、天国とはここにあったんだね、今日はぐっすりと眠れそうだ!
僕はニヤけそうになる顔を抑えながら席を立つ、だが――。
「あっ……」
「ん? どうかしたの?」
どこかで見た、数時間前に経験した筈の光景。その焼きまわしがそこにあった。
「あの……もう少しお話して欲しいなって」
「えっ? 十分お話したと思うけど、何かネタある? 新妻さんが想像していた僕の変態性以外で」
(さとみん、主の事ものすごい変態だと思っていたのじゃー)
(流石の僕もおパンツは食べないよ……)
新妻さんは僕の事をとんでもないド変態だと思っていたのだ。
話の中で明かされるその驚愕の事実、湯水のごとくあふれだす変態行為の数々。
本当に彼女と話ができてよかった、誤解を解くと言う行為がこれほどまでに安心感を与えるものだとはその時まで思ってもいなかった。
だが……。
あまりにも、あまりにも不自然だ。
「えっと……えっと……」
「んー? よし、じゃあ新妻さんが僕を満足させるおねだりができたら考えてあげよう!」
とりあえず席に座り直した僕は新妻さんの要望に答えるために冗談ぶった要求を出してみる。
これは彼女も反応を見るための物だ、あえてちょっとだけ反応に困る事でどの様な反応をするか確認するのだ。
もちろん、いけない気持ちは一切ない! それどころじゃないからね!
これから起こる新妻さんの反応、その様子を見逃すまいと、僕も神経を張り巡らせて彼女の全てを観察する。
「うん! えーっと……」
頑張れば僕がまだお喋りに付き合ってくれる事に気を良くしたのか、新妻さんは悲しそうな顔を笑顔に変えるとおねだりを考え始める!
素晴らしいよ新妻さん! 何の疑問も持たないその態度! 流石僕の新妻さんだ!
そんなに僕と一緒がいいんだね、そこまで安心するほどに!
そしてもう少しそのままでいてね! 君の全てを見通すから!
「私、もっと羽田君の事、知りたいな? 教えてくれる?」
「うーむ、あざとい……」
両手を胸の前で握りこみ、上目遣いからのおねだり……、コテンと首を傾げて純朴さをアピールする事も忘れていない。
困ったね、まさか新妻さんがこれほどまでとは僕も想像していなかった……。
これはどうするべきか。
僕は彼女を真剣に見つめながら、今後の対応策を練り込む。
「あの、駄目だったかな?」
考えこむあまり少々気がそれていた、新妻さんは不安そうな表情で僕を見つめている。
安心したまえ新妻さん。僕に全て任せておくのだ!
では判決を言い渡す……有罪! 僕とこれからも一緒にいる刑だ!
「100点満点だよ! 2時間延長で!」
「やった!」
僕の判決に新妻さんは嬉しそうに笑顔を輝かせる。
ふふふ、だが新妻さん。君は僕の手から逃れられないのですよ、もうハッピーエンドまで君を離すつもりは無いからね!
「じゃあドリンクバーのおかわり持って来るね! 羽田君もコーヒーでいいのかな?」
嬉しそうに僕と自分のコップを取って席を立つ新妻さん。
……まだ、大丈夫。
僕はレストランの店内を確認しながら彼女に告げる。
「いや、ジャスミンティーにしてみようかな? 美味しいって聞いたんだ。 新妻さんもどうだい?」
「本当? じゃあ私もチャレンジしてみるね!」
新妻さんは嬉しそうに店内奥にあるドリンクバーへと向かっていく、僕は軽く手を振りながらそれを見送ると、のじゃーさんへと視線を合わせる。
(主……。気付いておるか? 匂うのじゃ)
(新妻さんでしょ? うん、微かにだけど……。あまりにも様子がおかしかったからね。注意してみたら案の定だった)
のじゃーさんの言うとおりだ、新妻さんがあまりにも不自然な態度を取るので、もしやと思い注意してみるとそれは歴然だった。
まとわり付くように見え隠れする暗い影と、濁った水のような匂い。
新妻さん、彼女は"何か"に取り憑かれている……。
(ジャスミンの効能は精神安定にリラックス、聞いてみるのな?)
(ずっとお喋りしているわけにもいかないしね)
あまり唐突に聞くと新妻さんに負担をかける事になる。
まずはリラックス効果のあるジャスミンティーで彼女の気持ちを落ち着かせ、タイミングを見計らって聞くとしよう。
そう頭の中でこれからの展開を考えるのと、新妻さんが戻ってくるのは同時であった、手には独特の香りが感じられるカップを2つ持っている。
どうやらちゃんとジャスミンティーを持って来てくれたようだ。
「おまたせ羽田君。なんだか良い香りだね、楽しみ」
「ありがとう新妻さん」
言葉の少ない、お茶会が始まる。
新妻さんはジャスミンティーが気に入った様で、先ほどから美味しいと何度も言ってくれる、だがそれ以上の言葉が出ないのは話題が尽きたからであろうか? はたまたそれ以外の理由か。
表情が先程より和らいでいる、そろそろ頃合いかな……。
僕はカップの中身を一気に飲み干す、そして両手でカップを持ちながらゆっくりと中身を味わっている新妻さんへと声をかける。
「ねぇ、新妻さん。最近悩み事とかってあるかな?」
「え? どうしてそう思うの?」
新妻さんは驚いた様子だ、だが先程までのどこか切羽詰まった雰囲気がある表情ではない。
どうやらジャスミンティーが良い方向に作用しているみたいだ、この調子だともう少し突っ込んでも大丈夫だろう。
「うん、なんだか時々辛そうにしていたからね、心配になっちゃって……」
「あ、ご、ごめんね! なんでもないんだ、本当になんでもないの」
新妻さんはカップをテーブルに戻すと誤魔化すように手をパタパタと振って取り繕う。
もし、彼女が心霊現象で悩んでいるのなら、恐ろしい思いを経験している可能性がある。
僕はなるべく彼女を刺激しないように、そして努めて優しく彼女に語りかける。
「なんでもなかったらそんなに辛そうにはしないよ? どうかな? 僕は新妻さんに変態だって秘密がバレちゃったし、新妻さんも僕に秘密の悩み事を教えてくれないかな? 相談に乗るよ?」
「う、うん……」
言葉は続けない。
伝えることは伝えた、後は新妻さんが僕に話す決心が付くのを待つだけだ。
そうして、彼女が俯いてしまってどの位経っただろうか?
新妻さんはゆっくりと顔をあげると、ついにポツリポツリと語り出した。
「あのね羽田君。羽田君はお化けとか幽霊って信じるかな?」
「信じているよ、科学では解明できないことなんて一杯あるし、いても不思議はないよ」
先ほどから感じていた嫌な予感は、確信に変わった。
やはり新妻さんは何らかの心霊現象に遭遇し、自分でもそれを認識している。
僕は慎重に彼女の話に耳を傾ける。
「えっとね、最近ね……。"口裂け女"に狙われているんだ」
「口裂け女ってあの『私きれいー?』って聞いてくる都市伝説の?」
口裂け女は都市伝説の一つだ。
夕暮れ時人気の無い場所を歩いていると、突然マスクをかぶった女性に出くわす。そして「私綺麗?」と問われ、その問に答えると……。
「これでもー!?」とマスクの下にある耳まで裂けた口を見せつけられ、殺される。
しかしながら、口裂け女とは偶発的に遭遇する話であったはずだ。
新妻さんの言う、狙われているとは少しおかしい気がする。
もっと詳しく話を聞く必要があるな。
僕はそのまま彼女の話に集中する。
「うん、そうなんだ。自分でもおかしいと思うんだけど、少し前からこっちを監視するようにどこからともなく現れるようになって……もちろん私以外には見えなくて。それで日が過ぎる毎にどんどん近づくようになって、遂には夢にまで出てきて、最近はあんまり眠れていないんだ」
新妻さんは、ハッキリと分かる怯えの表情を見せている。
その様子は彼女が嘘や狂言を言っている訳ではなく、心底恐怖している事が感じられる。
「実はね、今日ここに来たのも口裂け女から逃げる為なんだ。その、自分の住んでいる所? 地元から遠ざかれば遠ざかるほど気配が弱まって見ることも無くなる気がして……」
新妻さんそこまで言うとはオズオズとこちらを伺う。
多分、僕がどういう表情をするのか気になるのだろう、懐疑や拒絶の表情をしていないか……。その気持ちは、よく分かる。
僕は彼女を安心させる為、できるかぎりの優しい表情を浮かべて頷き、続きの言葉を促す。
「えっと、だから今まではちょっと離れた公園で時間を潰していたんだけど、最近はそれでも近づいて来て……それで今日はもっと遠くのここに来て。だから羽田君を見かけて思わず引き止めちゃった。その、一人だと……怖いから」
「ちなみに、何処の公園なのかな? 新妻さん」
「へ? えっと……、柳ケ丘緑地公園だよ」
(主、昨日の件、覚えておるな?)
(うん、もちろんだよ)
のじゃーさんからの指摘に表情を変えずに答える。
全てが繋がった、柳ケ丘緑地公園の心霊現象は、殺人事件が原因かと思っていたけどそうじゃなかったんだ。たしか殺人事件の方は犯人も捕まっており一応の決着は見せている筈だ。
となると、こっちが本当の原因だったのか……。
「ねぇ、羽田君はどう思うかな? 私どうすればいいんだろう?」
不安気な表情で新妻さんが聞いてくる、その様子は今までの優しく穏やかな彼女とは違い、酷く怯え、哀れに見えた。
「大変だったんだね、でも僕が思うに気のしすぎじゃないのかな? 楽しい事いっぱいして、嫌なこと忘れればきっと口裂け女なんて消えると思うよ」
新妻さんの問いに答える。
不幸にも心霊現象に出会ってしまった時、何も対抗するすべを持たない者が行える唯一の手段が"気にしない事"だ。
そうする事によって、あちら側の世界を遠ざけて被害を避ける事ができる。
できれば、新妻さんにもそうして欲しいんだけど。
「そう……。やっぱり羽田君も信じてくれないんだ……」
だが、新妻さんから放たれたのは悲しみを含んだ返答だった。
良くない流れだ、僕は新妻さんをなんとか安心させようと言葉を続ける。
「いや、新妻さんの言う事は信じているよ。でも疲れていると良くない物が見えたと勘違い――」
「違うっ!!」
――言葉は叫びによって遮られた。それは怒りと言うよりもどこか絶望感にあふれていて、僕を内心焦らせるには十分なものだった。
「皆そう! 私を頭のおかしい子扱いする! お父さんも! お母さんも! 誰も信じてくれない!」
(ちっ、言葉を間違えたな)
(予想以上に切羽詰まっておったのな、普段優しい子が怒ると怖いのじゃ)
自分に嫌気が差す。どうしてもっと上手く言えなかったのだろうか?
その内心をおくびにも出さずにゆっくりと、新妻さんに語りかける。
「まずは落ち着いて、新妻さん。ちょっと声が大きいよ」
「本当にいるのに……。羽田君なら信じてくれると思ったのに、私が馬鹿だったんだ」
信じてくれると思ったのに――。その言葉が僕の心を容赦なく責め立てる。もし僕がこの場にもう一人居たのなら、僕を全力で殴っていた所だ……。
仕方ない、あまり良い対応とは言えないけれど、こうなれば彼女に全てを話すしかない。
僕は新妻さんに僕の知る事を伝えようと口を開く。
「新妻さん、あのね――」
「お客様? どうかなさいましたでしょうか?」
が、それは予想もしない所から遮られた。
レストランの男性店員だ、新妻さんの怒声でやって来たのだろう、それにしてもこんな忙しい時に来るなんてコイツは馬鹿なのか? 思わず口汚い言葉で罵りそうになる。
「……ただの痴話喧嘩です。僕が彼女を少し怒らせてしまったんですよ、でももう大丈夫です」
叫びそうになる気持ちを抑え、答える、これ以上新妻さんを刺激したくない。
「そうですか、ですが他のお客様のご迷惑にもなりますのであまり長時間のご利用は……」
その言葉に耐える、力任せに噛み合わせた歯が、ギリッと小さく鳴る音がした。
出て行けと? この大事なタイミングで? 新妻さんに何かあったらお前責任取れるのか?
チッ、仕方がない、あまりこういう事はしたくないけど……。
「もう、大丈夫です――」
意識を切り替える。
通常使用しない領域へとチャンネルをあわせ、魔術師としての自分を呼び覚ます。
そして己の意思をねじ込み願望を達成させんと、自らの視線を相手に向ける。
――我が意に承服し、疾く立ち去れ。
相手の瞳を見つめて、そして一言だけ。
「そうでしょう?」
「……は、はぁ。かしこまりました。どうか他のお客様のご迷惑にならぬ様お願い致します」
「はい、スイマセンでした」
店員はどこかボーっとした様子を見せながら、奥に引っ込んでいく。
これで暫くは大丈夫、新妻さんを落ち着かせる程度の時間は稼げた。
(主……、邪視を使った?)
(うん、相手している場合じゃなかったからね、こっちが先決だ)
のじゃーさんが確認する様に静かに訪ねてくる。
邪視とは視線に自らの意図を乗せて相手に送りつける魔術の一つだ、邪眼、魔眼とも呼ばれる。達人ともなれば視線で相手を完全に洗脳したり、殺したりもできる恐ろしい技だ。
さっきはこの場から離れるようにする意図を乗せて店員に送った、邪視の魔術はあまり得意じゃないけど僕だってこれ位ならできる。
……っと、今はそれどころではない、新妻さんの対応が先決だ。
「ごめんね新妻さん。本当はね、君の言っている事が分かるんだ。でもね、こういう存在は意識を向ければ向けるほど影響を受けやすくなるんだよ」
そっと語りかける、最大限慎重に、決して彼女を傷つけないように。
新妻さんは先ほどから俯いたままだ、怒りに任せて出て行くこともできただろうがこの場所から離れる様子はない。
「だからさ、気の迷いって事にしたかったんだけど、結果として君を酷く傷つけちゃった、本当にごめんね」
一人だと怖いから――彼女の言葉が思い出される、もう自分でもどうしようもないのだろう、不安で、心配で、恐ろしくて……。大して仲良くもない、ただのクラスメイトを無理やり引き止めてしまうほどに。
(匂いが強くなった……そこまで来ておるのじゃ)
(うん、わかっている)
のじゃーさんが警告する。嫌な気配がプンプンと漂ってくる、暗く淀んだ汚泥の様な匂い、すぐ近くまで来ている。
チラリと視線を店外に向ける、離れた場所、遠く見えるエレベーターの影……居る。
「嘘だよ。そうやって理解した振りしてるんでしょ? 頭のおかしい人の対処法なんだっけ? 話を合わせるのって。そうして落ち着かせたら病院に行くこと勧めるんだよね?」
新妻さんは僕の言葉を信じようとしない。
当然だと思う、信じて話をしたのに否定されたんだ、誰も彼女を責められない、それどころか彼女の心境を理解せずに無配慮な言葉を投げかけた僕こそ責められるべきだ。
……そして、僕はこれから傷つく彼女をもっと怯えさせる言葉を言おうとしている。
「口裂け女って長い髪の毛のイメージがあったんだけど、最近はショートなんだね」
「――え?」
変化は劇的だった、僕が見たソレを伝えると、新妻さんは顔をあげて驚きの表情を見せる。
「それに服装も地味だ、赤じゃなくて灰色のワンピース。しかもものすごく太っている。あれはダイエットが必要なんじゃないかなぁ?」
「嘘……、なんで? 誰にも言ったことないのに……」
新妻さんは目をおおきく見開いて、今まで見たことのない表情をしている、まるで僕の発言が信じられないとでも言わんばかりだ。
しかし……。あれが新妻さんを悩ませる口裂け女か、見た目にはそうとは見えない、唯一マスクが噂と同じ位だ。
チラリと視線を動かす。今はレストラン入り口の影から覗いている、さっきより近づいているな。
「なんで!? なんで!? も、もしかして羽田君は見えるの? そこに居るのっ!?」
「大丈夫、ここには居ないよ」
ゆっくりと、安心させるように言葉を告げる。
僕の言葉が聞き入れてくれたのか、新妻さんも呼吸を整えて少しだけ落ち着いた。
(のじゃーさん、猶予はどの位ありそう?)
(一刻を争うのじゃ、怯えすぎておる。しかも完全に意識があちらに合わさっておるのじゃ。すぐに対処するか逃げないと最悪呪い殺されてしまうのじゃ)
もう、ほとんど猶予は無いか。
僕は新妻さんに決して今の状況を気づかれないように、けどすぐにでもこの場所から離れられるように説明する。
「世の中にはね、科学で証明できないことが沢山あるんだ。実は皆気がついていないだけでそれに触れる機会は沢山ある。わりと簡単にそっちの世界に足を踏み込んでしまうんだ」
新妻さんは先程とは違い、真剣に僕の話を聞いてくれている。
よかった、彼女を怯えさせてまで見えた事を伝えた意味があった。
僕は強まる気配を感じながらそれを悟られないように、穏やかに語る。
「新妻さんはそうやって偶然そっちの世界に踏み込んでしまったんだ……。でも大丈夫、僕が必ず君を助けるよ。実はね、僕はこう見えても魔術師なんだ。こういった問題は専門さ」
「魔術師……?」
「そうだよ。魔術師、現代に生きるね」
そう、ぽかんと口を開けてどこか呆れた、それでいて驚いた表情を見せる新妻さんに微笑みかける。
「そんなの、あるわけ――」
「あるわけない、頭のおかしい人だって決めつけるの?」
「――っ!」
わざと否定の言葉で無理やり遮った、少し卑怯だがこう言えば信じてくれるだろう。
誰にも信じて貰えない気持ちを散々味わっている彼女なら……。
「それに、さっき言った口裂け女の説明でその証明にならないかな? 誰にも言った事なかったんでしょ?」
「うん……」
新妻さんは戸惑いの表情を見せながらも、しっかりと頷いてくれた。
良かった、信じてくれたんだ。
僕は小さな安堵を胸に抱きながら、彼女を守るため行動を起こす。
「運命……。なんて陳腐な言葉は使いたくないけれど、今日このモールへ来たのはきっとなるべくしてなったことなんだと思う。本当に、来てよかった」
新妻さんの前へ手を差し伸べる、彼女はそれを見ると、おどおどとした様子ではあったがゆっくりとその白く美しい手で握り返して来てくれた。
僕は震える彼女の手を決して離さないように両手で握りこむ。
「本当に、信じて……いいの?」
「ああ、安心して。もう心配しなくていいよ、君を絶対に助ける」
瞳を見つめ、意思を込め、僕の決意を彼女に宣言する。
「うん、うん……!」
新妻さんの瞳からポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
それは、今までの不安と恐怖を洗い流し、彼女が持つ心の曇りを晴らすかの様であった。
「どうやら口裂け女も今は近くにいないみたい、チャンスだよ新妻さん! 今のうちに帰ろう!」
「うん!」
新妻さんは元気よく返事をする、そうそう、それでこそ僕の新妻さんだ。
彼女が照れくさそうにしながら、ハンカチで涙を吹き終わるのを待った僕は、席を立ちながら新妻さんの手を引き立席を促す。
「僕のバイクで家まで送っていくよ、あと途中で僕の家に寄ってお守りもプレゼントしちゃおう。とっても強力な奴なんだ、学校に遅刻する位、安心して眠れるよ」
「ありがとう、羽田君!」
久しぶりに、新妻さんの笑顔を見た気がする。やっぱり彼女は笑顔が良く似合う。
どこかドキリとしてしまう様な、信頼と安心が混ざった笑顔を新妻さんより向けられながら笑顔を返す。
腐臭で歪みそうになる顔を必死で抑え、この状況を気づかれないように……。
握った手は決して離さない。触れ合った手を通じて、新妻さんを僕が持つ魔術防御の影響下に置いて誤魔化している為だ。
――近すぎる、今すぐ逃げないとダメだろう。
まったくどうしたものか? だが新妻さんを見捨てるなんて選択肢はまったく無いね。
僕と新妻さん、そのすぐ隣でブツブツと呟く口裂け女を視界の端に収めながら、僕はそう考えるのだった。