閑話:愛子と幽霊退治
地元の駅より電車で2時間……。
とある街のとある駅。僕とのじゃーさんは本日遠く離れたこの地まで足を運んでいた。
なぜかと言うと、珍しく僕に結社より仕事が舞い込んできたからだ。
久方ぶりの仕事で完全にやる気ゼロの僕であったが、師匠による懇切丁寧な脅しによって重い腰を上げる事とあいなった。
そうして、新妻さんとのデートを泣く泣くキャンセルして、僕とのじゃーさんは今この駅前の広場に立っているのだ。
…………
………
……
…
「こんにちは。C∴C∴C∴の羽田と申します。柳葉専務で宜しいですか?」
「ああ! これはこれは、どうも本日はお世話になります。私がご連絡させていただいたALエレクトロニクスの柳葉です」
駅前の待ち合わせ場所。事前に容姿を聞いていた案内人と思しき人に声をかける。
ALエレクトロニクス――。最近売上を急激に伸ばしている外資系の電機機器メーカーだ。
実は……、世の中にはオカルトの入り込む隙間は意外にも多い。
オカルトとは真逆の所にあるような、そんな外資系企業であってもその例には漏れない。
土地の霊的管理、新製品の吉凶占い、工場の厄災回避、企業の発展祈願。
目に見えない分野での一定の需要があったりする。
だからこそ、僕の所属するような胡散臭い魔術結社であってもこうして依頼がある。
特に外資系や中小などから……、日本に古くから根づく霊的組織は皆大手企業が囲っている為だ。
本日はそんなスポンサーからの願いでやって来たのだ。そしてその依頼は、事前に聞いた所によると――。
「師匠よりあらましは伺っています。本日は確か工場の……?」
「はい。――幽霊退治です」
なんの事は無い。ごくごく一般的な、依頼であった。
「到着しました、例の場所はここから少し向かった先の新設工場になります」
柳葉専務が運転する車に乗り込み、道を走る。
車に揺られながら、専務から詳しい話しを聞いて分かったが、どうやら新工場とは以前あった工場の一部を撤去し、新たに建築したものらしい。
当初この地に工場を建てる際は、僕らの結社に依頼して土地の調査と管理方法を教えてもらい何事も問題なく工場は稼働していたらしい。
だが、工場を増設したとたんこの有り様、急な停電やラップ現象に始まり、ついには数人の原因不明の火傷のような怪我をする人まで出てしまう始末。
その為、慌てて連絡を寄越したのだ。
新事業進出の為に肝いりで増設した工場なのでこれ以上の停止は非常に困る。
そう、困った様子で語る専務。
僕の様な一介の学生では計り知れないような苦労が、そこにあるようだった。
(ねーねー、主ー!)
フロントウィンドウに映り込む外の景色を眺めながら、そんな事を考えていると、のじゃーさんより声がかかった。
僕は専務に気付かれぬ様、膝の上に座るのじゃーさんへと視線を移すと、彼女に答える。
(……ん? 何かな、のじゃーさん?)
(この人って専務なのな。こんな偉い人が出てくるなんて流石主なのじゃ!)
(ふふふ、一般の従業員に魔術師呼ぶから案内してあげてって言っても奇妙に思われるからね。大抵こういった場合、本当の事はお偉いさんしか知らないんだよ)
(なるほど、面倒なのじゃー)
そう、とっても面倒くさい。
こちらの世界の事は決して知られる訳にはいかない……。
いや、別に知られてもいいのだ。ただ、世間の目は冷たい、自らの常識外の出来事を聞いた時、人が取る反応というものはとても冷淡だ。
僕らは、それらから極力逃げる必要がある。事情を知らない一般人に知られるなんて、百害あって一利無しだから……。
やがて巨大な建物群が見える、どうやら工場に着いたらしい。
そして工場の敷地内に入り、広い敷地をひた走る。
数分走っただろうか? 車が止まった場所は真新しい白一色の建物であった。
入り口には立ち入り厳禁の看板がこれでもかと並べられ、一種異様な感じだ。
車を降りて中へと入っていく。
「着きました、こちらから先が問題が発生している場所なります。一応最新の機密が多くありますので私も同行させて頂きます」
工場のエントランスだろうか?
やや広さのある、清潔感溢れたその場所で説明を受ける。
警備は厳重だ、扉一つ通るにも何やら手続きが必要らしく、専務はここに来るまでにも幾つもあるカードキーらしき物を慌ただしく使いながら扉を開いていた。
物凄い警備だ、だがそれも当然、企業の秘密全てがそこにあるのだ。僕も専務の言葉に同意し、返事をする。
「当然のご判断だと思います。ただ、危険な場合もありますのでその際は指示に従って頂ける様お願いいたします」
「それは承知してます。それよりちょっと相談が――」
「……? 何かあります?」
僕の言葉に少々難しい顔を見せる専務。
何か問題があるのだろうか? 専務にも譲れない所はあるだろうがこっちだってそれは一緒だ。
一般の人を危険に晒すような真似は決してできない。
その事は、専務だって理解しているはずなんだけど……。
僕が不思議そうな表情を見せていると、何やら思いつめた表情で専務がこちらに視線を向けてくる。
「――実は」
そして何かを決心した表情で口を開き……。
「アタシが来たからにはもう大丈夫だよ! この工場は呪われているわ!」
「げぇっ! 愛子!?」
唐突に出現した愛子に遮られた。
「きゃうーん! 愛子なのじゃ! また愛子と会えるなんて今日はなんという良き日なのじゃ!」
マダム・愛子。彼女は最近有名な、のじゃーさんイチオシのエセ霊能力者だ。
いきなりの大物――偽物だが……。その登場によってのじゃーさんのテンションもうなぎ登りにあがる。
「おや!? アンタは! 狐の坊やだね! また狐を連れてからに! このままじゃアンタ地獄に落ちるよ!」
愛子はどこからエントランスにやって来たのか、そのケバケバしい紫の服装の内に隠された脂肪をたゆんたゆんと揺らしながら、僕に指を指してお決まりの文句を言い放つ。
その言葉に引きつった笑いがこみ上げる。ぶっちゃけ……僕は愛子が大の苦手なのだ。天敵と言っても良かった。
「やったのじゃー! また生地獄に落ちるが聞けたのじゃ! 今日は何時にもなく気合が入っていて妾大満足なのじゃ!」
のじゃーさんはご機嫌だ。
両手をブンブン振り回し、尻尾と耳をこれでもかとピコピコ動かしながら、全身で喜びを表して愛子へと突撃していく。
僕は突然の愛子に恐慌状態になると、のじゃーさんを止める事もできず専務へと愛子の来襲について問う。
「ちょ、ちょっと! 専務!? なんでここに愛子がいるんですか!? そちらと契約しているのはうちの結社だけでしょう!?」
結社には縄張りが存在する。
普通ならば専属契約を行っている企業と霊的組織に、他の者がチョッカイをかける事はありえないのだ。
それは専務も知っているはずだ、ここを違えるといろいろと面倒な事が起こる。
場合によっては霊的組織同士の抗争に発展する事もあるのだ、ハッキリさせておかなければいけない。
と言うかそれ以外の意味でもハッキリとさせておきたい!
「すいません……。この方についての相談でして。この方は、まぁ、いわゆる派閥争いってやつでして、事情を知らない常務派が独自にねじ込んできたんです……」
申し訳無く語られた言葉は典型的な企業問題であった。
テンプレとも言える。だけど、それでとばっちりを受けるのはこっちだ。僕は専務に一応の忠告を行うと、とりあえず今回は見逃す事を告げる。
「ご事情がご事情だと思いますけど、あんまりそういうの困りますよ? こっちの世界って職人気質な人多いんですから……」
「本当に申し訳ないです。と言うかお知り合いだったのですか? テレビでは胡散臭いと思っていましたが実力ある人なのですか?」
「いえ、純然たるエセ能力者です。欠片も役に立ちません」
「……なんとか誤魔化せませんかね?」
企業人の辛いところだろうか、コソコソと小さく告げながら、僕みたいな学生にもペコペコと頭を下げる専務。
流石にその態度に僕も申し訳なってくる。相手は自分の父親ほどの年齢だ、非常に居心地が悪かった。
「分かりました、善処します」
胃が痛い。
恐らく、専務も同じ気持であろう。とりあえず師匠の報告では大目に見て貰えるよう口添えするか……。
僕は、様々なしがらみで合理性を発揮できない社会の辛さを目の当たりにしながら、専務と共に大きなため息を付く。
すると、先程より何やらギャーギャーと騒がしかった愛子がこちらにやって来た。
「ちょっとアンタ! 坊や! アンタだよ!」
「……なんだよ愛子、今日は僕仕事で来ているから忙しいんだよ」
面倒過ぎる、なんでまた愛子の相手をしなければいけないのだろうか?
僕は自らのテンションが急降下するのをヒシヒシと感じながら、溢れる不機嫌オーラを隠さず愛子へと向き直る。
「マジックと色紙はもっていないかい!?」
ビシリとこちらを指差しながら、偉そうに聞いてくる愛子。
のじゃーさんもその横で同じようにこちらを指さしている。
……完全に手先になってるじゃねぇか。
僕はのじゃーさんの裏切りと愛子のろくでもないであろう質問に心底辟易としながら、とりあえずその用途を問う。
「……何に使うんだよ?」
「この狐にサインを書いてやるんだよ! 決まってるじゃないかい、このニブチンが!」
「主のニブチンがっ!」
煽る愛子、乗るのじゃーさん。
僕の怒りゲージが上昇する。特にドヤ顔なのがヤバイ、二人共自分が空気読めていないとは微塵も思っていない様子だ。
「……ねぇのじゃーさん? 愛子? 君たちここに何しに来たの?」
「幽霊退治だよ!」
「なのじゃ!」
即答、そしてドヤ顔。
心の奥底、そこで何かがプツリと切れる音が聞こえた。
「よーっし! ちゃんと分かってるんだね、喧嘩なら買うよ! ……ん? ってか愛子、もしかしてのじゃーさんがハッキリと視えるの?」
怒りマックスでこのドヤ顔二人にお説教をしてやろうとした最中、ふとあることに気がつく。
そう言えば、愛子は普通にのじゃーさんを認識しているような素振りだ。前に話をした時はハッキリと見えていなかったはずだけど……。
「視えるわよ! アタシは常に進化しているからね! おぞましい狐だよ! こんな可愛らしい容姿をして! 地獄に落ちるわよ!」
「そうなのじゃ! 地獄に落ちるのじゃ! 愛子! もっと主に言ってやるのじゃ!」
「地獄に落ちるわよ!!」
「落ちるのじゃ!!」
「うざい……。二倍うざい……」
話が出来ねぇ……。
僕は既に疲労困憊だ、本来の目的を果たす前に満身創痍だ。
のじゃーさんと愛子はあの短い時間の間にどんなやりとりがあったのかわからないが、それはそれは仲良くなって二人で僕をおちょくってくる。
僕はもうどうでも良くなった、今この二人に話をするだけで疲れる。
放って置くのが一番だろう……。のじゃーさんも帰る時に回収すればいいや。
「……? 羽田さん。な、何かいるのですか? 私は素人なのでそういったのは」
先程まで唖然としながらことの成り行きを見守っていた専務が怯えた様子で語る。
そう言えばこの人は何も見えないんだった、そりゃいきなりこんな茶番を繰り広げられたら驚くよね!
僕はその事に気がつくと、申し訳なく思いながら答える。
「あ、いえいえ。僕の使い魔ですよ。……んー。事前の連絡通りこの工場、ちょっといろいろと良くない物が溜まっていますね。ここならのじゃーさんも物質化できるかな? のじゃーさん!」
ALエレクトロニクスからの依頼で伝えられた通り、どうやらこの場所には何らかの霊的存在が渦巻いているらしく、一種の異界と化していた。
これほどの濃度なら従業員が怪我をするのも分かる。霊が物質化できる土壌が出来ているのだ。
となれば当然のじゃーさんも物質化ができる。
僕は専務にも状況を把握してもらう為、そして万が一の為に、のじゃーさんへと物質化を命じる。
「らじゃーなのじゃ!」
ややあってのじゃーさんの輪郭がぶれたかと思うと、ハッキリとその姿が現れる。
その様子に先ほどまでどこか胡散臭気な表情を見せていた専務も驚きの声を上げた。
「おお! こ、この子が使い魔ですか!?」
「のじゃーさんなのじゃ! 宜しくなのじゃ!」
「アタシは愛子だよ! そんなことよりさっさとマジックと色紙を持ってくるんだよ!」
愛子が無理やり入ってくる、僕と専務はもの凄く微妙な顔をした。
こいつ面倒クセェ……。
そんな言葉が、聞こえてくるようであった。
「流石愛子なのじゃ! 雇われの身でとんでもない上から目線なのじゃ!」
「狐め! 褒めても何もでやしないよ! 所でサインにはなんて書くんだい!?」
「のじゃーさんへ、って書いて欲しいのじゃ!」
「任せな! 特別に除霊サインで書いてやるよ!」
「やったのじゃー! 普段はめったに描かなくてテレビの読者プレゼントで少数出回っていて、かつネットオークションで偽物が高値で取引されてる除霊サインなのじゃ! もちろん全然効果とかなくて妾テンションあがりまくりなのじゃ!」
「はしゃぎすぎだよ! 照れちまうね!」
「……マジックと色紙持ってきますね」
「……すいません、本当にすいません」
僕は悪くない、でもとりあず専務に謝る。
愛子に関しては無関係であるが、のじゃーさんの暴走に関しては主である僕の責任なのだ、これは仕方ないだろう……。
そういえば、愛子をここに呼んだのはALエレクトロニクスだよね? じゃあ全部ALエレクトロニクスが悪くね?
僕はそんな事を考えながら、何処かへと色紙とペンを用意しに向かう専務を視界に収めるのであった。
◇ ◇ ◇
「……さて。ここには何がいるか、だね」
サインも書き終わり、のじゃーさんは握手までする。そして何故か面倒臭いことに記念撮影まですると言い張り僕が撮り手までさせられた。
そしてようやく本題へと入る時間を迎える事が出来たのだ。
専務に扉のロックを解除してもらい工場内へと入る。
近代的なその内部は整理整頓が徹底されており、よく知らない僕ですらその合理性に感心させられる。
しかしながら、そんな工場内であったが雰囲気はどんよりと暗く、濁っている。
多すぎるとも言える蛍光灯でこれでもかと照らされている工場内ではあるが、なぜか薄暗い感じがし、留まるだけで鬱屈とさせる物がある。
……これは、確実に居るね。
「アタシには感じるよ! 死者の念だね! 無縁仏の念が工場によって封じ込められているんだよ!」
「おお! 愛子凄いのじゃ! いい線行ってるのじゃ! レベルアップしてるのじゃ!」
「アタシに任せておくんだね!」
僕が感じた物を同じく感じ取ったのか、愛子はそのたゆんたゆんの腹を大きく揺らすと工場に響き渡る大声でのじゃーさんと共に叫ぶ。
しかし……なるほど。
「無縁仏か……専務、たしかにここは以前墓地だったはずですね。慰霊や墓地の移転に関してはどの様になっていましたか?」
専務に尋ねる。
結社から受け取った資料によると、以前ここには墓地があったらしい。
それ自体は国の区画整理で移転になり問題は無いのだが、実は誰にも気付かれなかった無縁仏があったらしく、それらを慰撫する為に社殿を建てる必要があったのだ。
当時はそれで解決したはずだけど……。
「いえ、しっかりとやっておりましたが……ご指導の通り慰霊を兼ねた社殿も立ててありますし」
返ってくる答えもおおよそ予想したことだ。
結社と専属契約を結ぶくらいに理解のある会社だ、経営陣が一新したならともかく、未だに契約当時の人が現役でいるのにそういった事を疎かにするはずがない。
……首を傾げる。
となると原因は何だ? 検討もつかないな、工場を新設した事がキーとなっているんだろうけど、方位でも良くない配置になったかな?
「ちゃんと確認したかい!? アタシが見た時には社殿なんて何処にもなかったわよ! 大きな会社ほど細々した所でミスが起きるもんさね!」
唐突に声があがる。五月蝿いほどに張り上げられるその声の主は愛子だ。
彼女は、両手を組みながらこれでもかと眉を顰め、どこか咎める様に専務に言い寄る。
「しょ、少々お待ちを!」
気になる所があったのだろうか? それとも愛子が近すぎて吐き気を催したのだろうか?
途端に慌てた表情になった専務は、自らの携帯を取り出しどこかへと連絡を取り始めた。
「確認してたのかい愛子、でもなんでそんな所に気が付いたの?」
愛子に問う、僕には全然気づかなかった点だ。
彼女は何か思う所があったのだろうか?
「ふん! 今の一般人なんて所詮霊現象なんて眉唾だって思ってるからね! 昔みたいに信心深さが足りてないのさ! だからこういった不作法も平気でやって霊を怒らせる! アタシは何度もそういう場所を見てきたのさ!」
「なるほどねぇ……」
確かに愛子の言うとおりだ。
そういえば、愛子はエセ霊能力者とは言え、数々の心霊番組に出て様々な現象に遭遇している人物だ。
その様な中でいろいろな物を見てきたのだろう、霊が見えなくても分かる事は多いのだ。
だから今回の原因についても気が付いた……。
僕は心のなかで愛子の評価を少しだけ上昇させた。
だけど、工場の敷地内を勝手に歩きまわって観察するんじゃあない。
まぁ、今回はお手柄なんだけれども……。
「す、凄いのじゃ! かっこいいのじゃ! なんだか今日の愛子は本物の霊能力者みたいなのじゃ!」
「よせやい狐! アタシをからかうんじゃないよ!」
のじゃーさんが目をキラキラと輝かせながら愛子を褒め称えている。
愛子も満更では無い様子だ。……ってか仲いいね君達。
背後からは専務が電話越しに怒声を放っているのが聞こえる、誰に対してかは分からないが恐らく愛子の予想がビンゴだったのだろう。
そして電話を終えた専務がこちらへ小走りにやって来る。
「皆さん! 分かりました! 工場長に確認しましたが、どうやら社殿は工場新設の際に場所の関係で撤去したままでして、新しい物を作っていなかったみたいなんです! 完全にこちら手違いです、申し訳ありません!」
「ホラね! アタシの言ったとおりだよ!」
「流石なのじゃ! もうこれ霊能力者と言っても過言ではないのじゃ! 愛子の知られざる才能が今開花したのじゃ! 専務! 参ったか!」
平身低頭で謝る専務。
別に僕らにそこまで謝ってもらう必要は無いと思うんだけど、のじゃーさんと愛子はそれが当然と言わんばかりにふんぞり返っている。
僕はドヤ顔を続ける二人に割って入りながら、専務へとこの後の対応を告げる。
「成る程、では直ぐに社殿を立てなおして、近所の神社でお祓いでもしてもらったらこの現象も落ち着きそうですね。あと1ヶ月程工場内は立入禁止で、何が起こるか分かりませんから」
原因も判明したし後は簡単だ、無理に危険を犯して調査をせずにゆっくりと様子を見る形で良いだろう。
そして最終的にもう一度工場に出向き、異変が収まっているのを確認すれば万事終了だ。
僕は存外早くに事件が終了した事に満足する。ちょっとは愛子に感謝してもいいかもしれない。
「わかりました。でもこちらのミスとは言え、この期間の停止は痛いですねぇ」
「安全第一ですよ。大事になる前で良かったと思います」
困ったように語る専務。でもまぁ仕方ないよね、身から出た錆って事かな?
ってかここの工場長どうなるんだろうか、この新設工場は会社肝いりのプロジェクトだ。
きっと1ヶ月の停止でも損失は膨大な物になるだろう、工場長の今後が気になる……。
だが、被害が軽いけが人程度でよかった。
その思いは専務も一緒だったらしく、どこか安堵した表情で僕らに答える。
「そうですね、安全が一番ですよ。とりあえずは死人とかが出なかった事を喜び――」
「――アンタ! 危ない!」
「うわっ!」
その瞬間、専務が弾き飛ばされる。相手は愛子だ。
僕が何事かと思っていると、天井より赤黒い物体が突然落ちてきて愛子に覆いかぶさった。
「「愛子っ!?」」
慌てて叫ぶ僕とのじゃーさん。
血なまぐさい匂いが途端に辺りに充満し始める。
愛子に覆いかぶさるソレは、赤黒い血のような色をしたゼリー状の物体で所々に脂肪や骨と思わしき黄と白が見える。
そして僕らを認識したのか、ゼリーの中から髑髏が湧き出ると、こちらに視線を向けてカタリと嗤った――。
「主ぃ! スライムなのじゃ! 早く愛子を助けないと!」
のじゃーさんの言葉に我に帰る。
スライム、それは物質化した怨霊の出来損ないだ。
長い年月を経て怨霊と化したが、既にその魂も磨り減り切っているのか正しい形を取れずにただ人に害をなす塊となる存在。
これに触れる事は非常に危険だ、内包される害意が全てを溶かし尽くしてしまう。
怪我をした従業員の火傷もこれが原因か! スライムに触れたのだ。
そして、愛子はそのスライムを全身に浴びている。
僕は絶望的な結果を感じながらも、懐に手をやり仔蟲を呼びだそうとする。
「安心おしぃ! アタシはこの程度ではやられないよ! そこでこのマダム・愛子の除霊を見ておきな!」
頼もしい声が聞える。スライムに包まれていたかと思う愛子だが、自らの腕でそれをかき分けて顔をだした。
予想外に健在だ、むしろ怪我等どこにも無かった。
「凄い! 溢れる耐魔力がスライムを押しのけているのじゃ!」
「なんとか時間を稼げるか! 専務! はやくこっちへ!
「は、はいぃぃ!」
近くで腰を抜かす専務を呼び戻す。
ここに来て愛子の耐魔力が良い方向に向かった。僕は勝利を確信しつつ、スライムを退治する方法を模索し始める。
スライムは愛子に集中している、この時間と愛子の耐魔力があれば簡単だ!
もちろん愛子にそれ以上は期待していない。
「くぅ! やるねぇ妖怪! でもアタシはこんくらいじゃ負けないよ! アタシの……あっ! ひゃうんっ!」
「愛子っ! どうしたのじゃ!」
僕が懐から浄化用の符を取り出している時、愛子より不思議な声が上がる。
のじゃーさんも慌てて声をかける、そして――審判の時がやって来た。
「ひゃっ! なんだいこれは!? ふ、服が! いやぁあ! アタシを見ないでぇ! ひゃぁあん!!」
ビリビリッと音が鳴る。
何かが盛大に破ける音がした。
そして僕は直視してしまう……。
張りだされた腹、醜い肢体、干し柿の様に垂れ下がる二山、そして生い茂る熱帯雨林。
「あ、愛子は無事でも服までは無事じゃなかったのじゃ! 主! 愛子を早く助けるのじゃ! ――って主! 何をしてるのじゃ!!」
僕の時は止まった。
……吐き気がこみ上げる。必死で新妻さんの裸体を妄想してこの汚物を脳内より追いやる。我慢しろ僕、ここで死ぬわけにはいかない。僕には新妻さんとハッピーエンドを迎える義務があるのだ。
全神経を集中して耐える。しかし、現実は甘くは無かった、僕は既に戦わずして負けていたのだ。
「いやぁぁあああああ!!!」
「愛子ーーー!!」
バチコーンッ!
なんだか不思議な音がして愛子が完全に全裸になる。
丸見えだ、あらゆる所が丸見えだった。
更にはスライムが良い感じ――いや、悪い感じにまとわりついて余計に不気味な様相となっている。
直視してしまった……、目を逸らす隙など、与えてもくれなかった。
そして僕は、生まれて初めて、心の底から敗北したのだ。
「「おボゲェェえええ!!!」」
「主ーーー!!」
のじゃーさんの叫びが聞こえる。
盛大な嘔吐、これでもかと胃の中をぶち撒ける。
よくよく見ると隣の専務も盛大に吐き散らしている。
専務、どうやら僕達は友達みたいですね。
「うう、せ、専務。生きていますか?」
隣で嗚咽をあげる専務へと語りかける。
弱々しく向けられる瞳は完全に死んでいた、専務もアレを直視したのだろう。
悲劇しか無かった、ここには悲劇以外、存在しなかったのだ。
「な、なんとか。普段から妻を見慣れているので、けど若い人には辛い光景なのであまり見てはいけませんよ。現実とは、時間とは残酷な物なんです」
「や、やだなぁ専務。僕のお嫁さんは将来あんな絶望的な事になるわけ無いじゃないですか!」
専務の言葉に愕然とする。
目にこびりついて離れない愛子の裸体と、新妻さんの笑顔が一瞬重なった気がした。
僕は目の前が真っ暗になるのを感じる。
それだけは、それだけは認めてはならなかった。あの優しく可愛らしい新妻さんが、いつか愛子の様にだるんだるんの肉だるまになるなんて……。
「……羽田さん。私も若い頃はそう思っていたのですよ」
「そんなっ! じゃあ僕は今までなんの為にっ!!」
「おいぃぃぃ!! 二人で何茶番を繰り広げているのじゃ! それどころじゃ無いのじゃ! 愛子がスライムでドロドロになっていろいろとヤバイ事になっているのじゃ! このままじゃ主がこの前買ってきたエッチなゲームみたいな事になってしまうのじゃ!」
「ちょっとのじゃーさぁぁん! そういう風評被害やめてくれません! お陰でもうあのゲームできなくなったじゃないかい!!」
「うっさいのじゃ! 今も愛子が助けを求めているのじゃ! スライム陵辱エンドでエンディングリストがひとつ埋まる前になんとか解決するのじゃ!」
「嫌だ! なんだか怖い! スライムじゃなくて愛子が怖い!」
目を細めながら、なるべく直視しないように見た愛子は何故かくねくねと動いている。
微妙に艶かしいのが胃に来る。思わずまた吐き出しそうになりながら僕は慌てて視線を逸らした。
「ひゃぁあん! そこはらめぇぇええ!」
「早く! 万が一があっては遅いのじゃ!」
うう、確かに……。
このまま愛子を放っておく事も出来ない。
愛子の耐魔力が強いとは言え、万が一が無いとも限らないのだ。
僕は大きく深呼吸すると、気持ちを落ち着かせ、スライムを退治する為に集中する。
「わ、分かったよのじゃーさん、待ってろ愛子! 今僕が……」
「ふぁあん! もう、もう駄目だよぉおおお!」
……がんばれ僕、がんばるんだ。
愛子の命がかかっている、こんな下らない事で怪我人が出ては最悪以外の何物でもない。
そう、愛子が危険に晒されているのだ。
愛子が……、愛子が、あの愛子――。
「おぼげぇえええええ!!」
「主ーー!!」
けど全然駄目だった、愛子には勝てなかったよ。
僕は愛子の声と姿に触発され本日二回目のリバースを演じてしまった。
「らめぇえええええ!!」
「愛子ーー!!」
そして愛子も限界だったらしい。
一際大きな、愛子の声とのじゃーさんの絶叫が聞こえる。
思わずまた吐きそうになる。
その後、なんとか再起動した僕は、都合4回嘔吐した後にようやくスライムを倒すことに成功する。
そして僕と専務はトラウマのせいか、暫くテレビで愛子を見るとショック症状を起こすようになってしまったのであった。




