第壱話
お巡りさんと両親からしこたま説教を食らった翌日。
僕はその悲しみを癒すために、のじゃーさんと朝っぱらから自室でひたすらイチャイチャしていた。
「のじゃーさん。はい、あーん」
「あーん、なのじゃー」
時刻は午前9時、コンビニで買ってきたアイスクリームをスプーンですくい取り、のじゃーさんの愛らしいお口へと運ぶ。
パクリと美味しそうにアイスを頬張るのじゃーさん。両手を頬に当てて味わうその顔にはあふれんばかりの笑みが浮かんでいる。
うんうん、のじゃーさんが幸せそうで僕も嬉しいよ!
「どう? 美味しい?」
「美味しいのじゃー! 主に食べさせてもらうアイスは絶品なのじゃー!」
のじゃーさんはご機嫌だ、可愛らしい狐耳と狐尻尾は彼女の心境を表すかのようにピコピコと動きまくっている。
「それは良かった、まったく。アイスが羨ましいよ、僕もアイスになってのじゃーさんに食べられたいね」
「それはダメなのじゃ!」
のじゃーさんは突然声を上げると僕の言葉を否定する。
流石の僕も拒絶の言葉にタジタジになる、どういう事だ、のじゃーさんは僕をペロペロしたくないのか!? 僕と言う名のアイスクリームをとろける程に召し上がりたくないのか!?
「どっ、どうしてだいのじゃーさん!? 僕をペロペロするのは嫌なのかい!?」
「だって、主を食べちゃったら……もう主と一緒にいられないのじゃー」
その言葉に愕然とする。僕が、僕が浅はかだったのだ……。
のじゃーさんの言うとおりだ、僕がアイスになって食べられてしまったら、のじゃーさんと二度と会うことはできなくなる……。
そんな簡単な事を忘れてアイスになりたがるなんて……、僕はなんて愚かなんだ。
そして、のじゃーさんの愛! この慈しみと優しさにあふれた愛!
僕は……。僕は……!
「の、の……のじゃーさーーん!!」
「主っーーー!!」
熱い抱擁! ハリウッド顔負けの名場面!
のじゃーさんと僕は、二人の愛を確かめ、決して互いを離さんとより強く抱きしめ合う!!
とその時だ、ポトリと何かが落ちた気配がした……なんだろう?
のじゃーさんを優しく離し、テーブルを確認する僕。
原因判明、抱き合った勢いでアイスのカップを落としてしまったのだ。
そしてカップが落ちた先は――ジーザス! のじゃーさんの和服の袖ではないか!
のじゃーさんの美しい和服が白くドロドロとした物で汚れている。いいね!……じゃなかった、よくないね!
「ゴメンよ、のじゃーさん。アイスが服に付いちゃった……」
「ん? 大丈夫なのじゃ! 主は大切な事を忘れているのじゃ!」
僕の言葉に気付いたのか、のじゃーさんは袖に付いたアイスを確認すると気にした様子もなく元気に答えてくれる。
しかし……。大切な事? なんだろう、のじゃーさんについてなら何だって知っている僕が知らない事なんてないはずなんだけど……。
「大切な事って何かな? のじゃーさんのスリーサイズなら忘れた事はないんだけど……」
「むしろ教えたことも無いのになんで知っているかが興味あるのじゃー、まぁそれは置いといて……」
のじゃーさんはそう言うと、汚れた袖をテーブルの上に置いてあったカップアイスの蓋の上まで持ってくる。
そうして、一瞬だけ彼女の存在がカゲロウの様にブレたかと思うと、なんとアイスだけが彼女を通り抜けて蓋の上に落ちたのだ。
「おー! 一時的に物質化を解除したんだね、そう言えばその手があったかー」
「その通りなのじゃー!」
物質化――。
通常、のじゃーさんの様な存在は非科学的物質であるエーテル体などで構成されている為、物を触ったりといった物質に干渉する行為が簡単には行えない。
だが、幾つかの特殊な手法を用いる事によって普通の人でも見れたり触れたりする事ができるようになるのだ。
それが物質化。のじゃーさんの場合は僕の部屋に特殊な魔術陣を張っている事により物質化が可能となっているんだ。
アイスクリームを食べることができたのもそのお陰! ちなみに、食べたアイスクリームがどこに行くかは分からない……、神隠しを始めとして科学法則をねじ曲げる物質の消失なんて実は珍しい事でもないからね。
今回は一時的に物質化を解くことによって袖に付いたアイスだけを落としたんだね。
流石のじゃーさん! 可愛い上に賢い!
僕は流れるようにカップアイスの蓋に手を伸ばすと、その上に落とされたアイスを舐め、愛しの天使との会話を続ける。
「いやー、のじゃーさんの可愛い服が汚れなくてよかったよ」
「そもそも服自体も想念を元に構成されたエーテル体だから、汚れるという概念はないのじゃ!」
想念とは簡単に言うとイメージ力の事だ。
人の思いは力となって場に留まる、強い思いはオカルトの世界に置いて重要な意味を持つんだ。
のじゃーさんの服は多分彼女が仕えている神社が歴史の中で蓄えてきた想念を利用して作られたものなんだろう、だから少しだけ時代錯誤の和服なんて着ているんだ。
もちろん、とっても似合っていて可愛らしいけどね!
けど、想念か……。
「ん? まてよ、想念で構成されているって事は、イメージ次第で服も変えれるのかい!?」
想念で作られた服と言うことは、つまり別の想念を用意させすれば好きな様に変更が可能だと言うことだ。
だからと言って、のじゃーさん自身の容姿まで変更する事はできない、それは魂に組み込まれている情報だからだ。
つまり、のじゃーさんはその愛らしい狐っ娘であること変えれないけれど、服装は好きに変えれるってことなのだ!
これは世紀の大発見! 世界を震撼させる事実が今明らかになったぞ!
「その通りなのじゃ! 流石に妾自身がイメージする事は大変けれど、主従契約を結んだ主がイメージしてくれるのならば着替え放題なのじゃ!」
「もっと早く言いなさい! のじゃーさん!」
立ち上がり叫ぶ! これは一大事である! 今まで見てきた和服のじゃーさん。それだけではなく様々なのじゃーさんを見ることができると言うのだ!
これは、これこそ神が与え給うた奇跡だ!
「にょわ!? き、聞かれなかったから分からなかったのじゃー」
僕は興奮しっぱなしだ、のじゃーさんにどんな服を着せよう!?
スク水? エプロン? 体操服?
美しさとエロスを兼ね備えた様々なコスチュームが僕の脳裏によぎる!
こうしちゃいられない、行動だ! 夢に向かって突き進め!
「よーし! じゃあ早速イメージを明確にする為にショッピングモールへ洋服を見に行こう!」
「やったのじゃー! 妾も早くパンツを履いてみたいのじゃ!」
ふむ。途端に僕は冷静になった。
どうしたことか、興奮が一瞬にて収まり、澄んだ気持ちになる。
「ちなみに今はどんなおパンツを履いているの?」
「履いてないのじゃ! この格好は元になったイメージが古すぎるのじゃ!」
明鏡止水――。
あまりの出来事ゆえに僕は遂に真理に到達してしまった。
穏やかな……、小さな波すら無い静かな水面の様な心境だ。
僕はもう、煩悩や怒りといった負の感情に左右されない不動の心を手に入れてしまったのだ。
そうして、のじゃーさんに悟りの視線を向けながらその和服に手を伸ばし丁寧に剥いでいく。
「ふむふむ、なるほど……」
「あっ!? 何をするのじゃ主!?」
脱がされまいと必死に和服を抑える彼女を慈しみの瞳で見つめながらグイグイと引っ張る。
僕の心から煩悩は消え去りました、のじゃーさん。
ただただ、穏やかな心でパンツはいていない事を確かめるのみです……。
「まぁまぁ……」
「まぁまぁ、じゃないのじゃ!? 手を離すのじゃ! 見えちゃうのじゃ!」
それが目的なのですよ、のじゃーさん。
さぁ、開放しなさい……。僕の前にその全てをさらけ出すのです。
「一応ね、一応確認しとかないとね、のじゃーさんの主だから!」
「ダメー! ダメなのじゃ! 恥ずかしいのじゃ!」
そう、確認である。あくまでこれは確認であってそこにやましい事は一切ないのである。
……ってか、もう少し! もう少しで見える!
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから! 一瞬で焼き付けるから! コンマ数秒で脳に刻みこむからっ!!」
「やー! まだダメー! まだ見せるのは早いのじゃ!!」
もう辛坊たまらん! こんな思わせぶりな態度しやがって! 小悪魔のじゃーさんめ! 僕をどうしたいんだ!? 誘惑か!? 誘っているのか!? 望む所だ!
「はいてないって言われて我慢出来るかっ! 嫌よ嫌よも好きのうち! なぁに、天井のシミを数えているうちに終わるさっ!」
「何キャラかまったくわからないのじゃ! このお馬鹿主っーー!!」
のじゃーさんが叫ぶと同時にその姿が一瞬ぶれる、そうしてあと少しまで迫っていた僕の手が宙を掴むんだ。
物質化の解除……。
くそぅ。神よ……、貴方はどこまで僕に試練を与えれば気が済むのですか?
僕はまだ見果てぬ黄金郷へと思いを馳せながら無力感にさいなまれる。
「あと、もう少しだったのに……」
悲しみの呟きは虚空に溶け、風に乗りて悠久の彼方へと旅立つ……。
絶望感を全身で感じながら僕は愛しの天使に視線を向け――やば、めっちゃ怒ってる。
「えっち! 馬鹿! えっち! 馬鹿! さっさと出かける用意するのじゃ! お詫びに可愛い服一杯イメージするのじゃ!」
「ハーイ……」
また叱られた……でもなんだかそれが気持ちよくもある。
そして僕は決して諦めないぞ、男の子はいつだってロマンを追い求める生き物なんだ!
挫けぬ心を持つ僕は、のじゃーさんを連れたって一路ショッピングセンターへと向かうのであった。
◇ ◇ ◇
自慢のバイクを走らせて自宅より1時間ほどの距離。
僕は地元の隣県にある大型ショッピングモールへと来ている。
ここは近隣の県を含めて一番と評判の高いモールだ、映画館、服飾店、雑貨屋、書店、家電店、スーパー。おおよそこの場所で手に入らない物は無いであろうとまで思われるこここそが今回の目的にうってつけであった。
「ふむ……」
手に取り、食い入るように見つめる。
純白のショーツ、つまり女性用下着だ。
強いイメージには実物が必要不可欠だ。僕は女性用下着専門店、いわゆるランジェリーショップで、のじゃーさんに最も相応しいおパンツを選んでいる最中なのだ。
(主っ! 主ー!)
(何かな? のじゃーさん。 僕は今少し忙しいんだよ?)
選定の儀式は静粛を持ってなさなければいけない。
右手に純白、左手に水色の縞々を持った僕は厳かな雰囲気でのじゃーさんへと念話で答える。
(堂々と女性下着売り場でパンツを凝視するのは止めるのじゃ! 恥ずかしいのじゃ!)
のじゃーさんは顔を真っ赤にして僕に抗議してくる。
けどね、のじゃーさん。君のおパンツを選ぶためには仕方のない事なんだ、僕も本当は恥ずかしい、けど必要な事だからと心を鬼にしてこの試練に耐えているんだよ。
のじゃーさんの抗議を自然にスルーした僕は新たなおパンツを手に取りじっくりと舐め尽くすように凝視する……ピンクのひらひら付きか、素晴らしい。
(周りから変な目で見られているのじゃ! 変質者なのじゃー!)
(失敬な! 僕はただの善良な買い物客だよ、非難されるいわれはないね!)
のじゃーさんは心配症だ。僕が変質者に間違われるなんてあり得ないのに。
僕はクマさんのプリントがされたおパンツを手に取りながら、愛しの天使が慌てる様子に笑みをこぼす。
しかしクマさんパンツか……こういうのもありだな。
「あの……。お客様? 本日は、恋人へのプレゼント用などでしょうか?」
不意に僕の楽しみが遮られる。
胸に名札をぶら下げた女性がそこに居た。
店員だ……完全に空気が読めていない。服飾店の店員というのはいつもこうだ、人が静かに買い物を楽しんでいるというのにしゃしゃり出てくる。
まったく、そんなに僕におパンツを買わせたいのだろうか? 売上ノルマの奴隷め!
(ほらー! 店員さんも困っているのじゃ! 明らかに変質者を見る目なのじゃ!)
店員さんは引きつった笑みを浮かべながらどこか困った様子でいる。
ふと冷静になってみると、男一人、手にはクマさんおパンツ、しかも終始ニヤニヤ、成る程まごうことなき変態である。
きっとこの店員さんも僕が購入したおパンツでいけない妄想をしたり、はいたり、かぶったりするとでも思っているのだろう。
あまり失礼な事を考えない欲しいものである。もちろん、やらないかと言われると断言する事はできないけれども……、そこにやましい意図は無い。
さて、どう切り抜けたものか。
店員さんは完全に僕を疑いの目で見ている、これは僕がよろしくない目的でおパンツを購入すると勘違いしているせいだ。
そうでないと説明すれば彼女も納得してくれるであろう、適当に誤魔化すのは簡単だ。
だがしかし、はたして本当にそれでいいのだろうか? 僕は、それで誇れる事ができるのであろうか? ――のじゃーさんに、そして他ならぬ僕自身に。
(ん? どうしたのじゃ主? 恋人用だと返事しておけばとりあえずは納得してくれるのじゃ、早く答えるのじゃ!)
のじゃーさんの言うとおりである。そうだと言ってしまうのは簡単だ。
だが、それは嘘になる。のじゃーさんと僕は恋人同士ではない、そしてこのおパンツは純粋に僕が妄想力……じゃなかった、イメージ力を強化する為に、僕自身の物として購入する。
嘘を付けば楽なんだろう。一瞬だけ、弱い自分が現れた。
だが僕はそれを振り払う様におパンツを強く握り締める、プリントされているクマさんの顔が歪んだ。
それはまるで今の僕の心境を表すかのようだ、少しでも逃げに転じようとした、弱く浅はかな自分を後悔するその心境を!
(待て待て、何を考えているのじゃ!? そこ悩む所じゃないのじゃ! 決心した顔で頷くのは止めるのじゃ!)
安心してくれ、のじゃーさん。僕はもう吹っ切れたんだ!
そして見ていてね、これが僕の生き様だ!
「いいえ、自分用です!!」
(主ーーーっ!!)
吐き出した想いにランジェリーショップ中の視線が集まる。
気持ちは晴れやかだ、もし僕に翼があったのならどこまでも飛んでいけるだろう。
そうして、自身に満ち表情で店員さんを見つめる僕――だが店員さんはドン引きしていた。
「あの……、そう言う用途でのご購入は、ちょっと困るのですが……」
店員さんは引きつった顔を浮かべながら僕にそう告げる。
何をか言わんや、困るのは僕の方である。
のじゃーさんのおパンツを用意する事は僕に課せられた義務であり、栄誉ある使命なのだ、それを拒否するだなんてこの店員さんは僕の義務と権利についてどう思っているのだろうか?
次に彼女と会う時は法廷になるかもしれない、僕はそんな覚悟を持ちながらも店員さんの説得を試みる。
「そんな、それでは僕も困ります!」
「えっと……、もしかしてご自身ではかれるのでしょうか?」
おずおずと、店員さんが切り出す。まったくもって度し難い言い草である。
流石の僕もその様に言われては黙ってはいられない、一瞬驚いた様な表情を見せると直ぐ様反論に移る。
「はぁ、常識的に考えてくださいよ! 試しにどうなるか想像してみては?」
呆れたように答える僕。
ふふふ、お気づきかな店員さん? そう、僕は「はかない」とは一言も言っていないのだ。
自分でも感心する程の見事な思考誘導、貴方と僕、どうやら心理戦では僕が一枚上手だったようですね。
「え……? えーっと――うっぷ!!」
「そこまで気持ち悪がる事はねぇだろう!?」
突然口元を手で抑え、えずきだした店員さんに突っ込む。
僕のクマさんおパンツ姿を想像したのかどうか知らないけどあんまりじゃない? そんなクマさんパンツはいた位で――あ、これ想像したらアカン奴や。
僕が僕自身の心底気持ち悪い姿にえずきそうになっていると、いち早く復帰したのか店員さんが青ざめた顔で続きを話しだす。
「では、はかせるお相手がいらっしゃるのですね?」
店員さんの言葉にチラリと視線を逸らす、そこには非難の視線を僕に向ける愛しの天使、のじゃーさんがいた。
ふふふ、子狐ちゃんたら、僕が他の女と話しているからって拗ねちゃって。
でも安心してね、いつだって君が一番なんだよ。
「彼女は僕の天使です、今はまったくはいていないので、可愛らしいおパンツをはかせて上げると約束したんです!」
(約束したのは服なのにいつの間にかパンツの話になっているのじゃ)
のじゃーさんの突っ込みを左耳から右耳へと華麗にスルーした僕。
今は店員さんに納得してもう事が大切なんだ、服とか約束とか、そんな事は重要じゃない。
僕は至極真面目に、店員さんを見つめる。彼女もタジタジだ、どうやら僕が勝ちどきを上げる時が来たようだ。
「は、はぁ……はいてない? でもプレゼント用なのですね。失礼しました、男性お一人でのご来店は珍しかったもので。では何かご不明な点があればお声掛け下さい」
「わかりましたー」
簡潔に答える。勝者は決しておごらない、事実をありのまま受け止めるだけだ。
どこか疲れた様子の店員さんは、負け犬の遠吠えを告げるとさっさとレジの方へと戻っていった。
愛の勝利。
正道は悪道を駆逐し、その絶対性を完膚なきまでに証明したのだ!
のじゃーさん、僕の勇姿を見てくれたかい? おパンツをかけた熱い戦いをその目に焼き付けてくれたかい?
僕はとびっきりのドヤ顔を作ると、のじゃーさんに向き直る。
(かなりギリギリなのじゃ! 主はもう少し空気というものを読むのじゃ! 変な噂になったらどうするのじゃ!?)
が、愛しの天使はご立腹だ。
その可愛らしい頬を膨らませながら怒っていますよアピールをしている……うわぁ、ほっぺツンツンしたい。
(心配症だなぁ、のじゃーさん。でも安心して、その為にわざわざ遠く離れたこのショッピングモールへ来たんだよ? 知り合いは皆地元にあるモールへ行くさ!)
実は僕が住む京都府にもショッピングモールはいくつかある。にも関わらず僕は遠く離れたこのショッピングモールへと足を運んだのだ。
そう、全てはこの為なのだ。己の全てを開放し、全身全霊をもっておパンツを選ぶ。
その為だけに、僕は今日ここに来た。
(計画的犯行なのじゃ! わざわざその為だけにこんな遠い所まで来るとか無駄に努力しすぎ! もっと違う方向に努力するのじゃ!)
(さーって! おパンツ選びを再開するよ、のじゃーさん! はいてみたいおパンツはあるかい!?)
まったく、のじゃーさんはわかっていないなー。
僕がそれ以外の何に対して努力をする必要があるんだい? いつだって僕は順風満帆さ、向かう所敵なしってやつだ!
(あんまり調子に乗っていると絶対に酷い目に会うのじゃ! こういうのはフラグって言うのじゃ!)
(大丈夫、大丈夫! 万が一にも知り合いに会うなんて事はないよ! 会った所で同じく自分をさらけ出すだけさっ!)
その通り! そもそも知り合いになんて会うはず無いしね!
誰が来たって怖くないさ! 来るなら来い! 僕はここにいるぞ。
さぁ、おパンツを選ぶぞ! のじゃーさんにぴったりのを選ぶんだ! やぁ、テンション上がるなぁ!
そうして、くしゃくしゃになったクマさんパンツを丁寧に広げ、元ある場所に戻しウキウキとおパンツ選びを再開した僕に――。
「羽田……君?」
声がかかった。
(……えらいこっちゃ)
(案の定なのじゃー)
全身から冷や汗があふれまくる。
引きつった笑みが浮かんでいることを肌で感じながら声のした方を確認すると……。
それはそれは、よく見知った顔であった。
「に、新妻さん……、奇遇だねこんな所で会うなんて!」
「こんにちは。えっと、お買い物……なのかな?」
アウト、僕の冒険はここで終わったのだ。
新妻 さとみ――。
彼女は僕が通う学校のクラスメイトだ。
セミロングに両サイド結び、赤い縁をしたメガネがよく似合っている彼女は「新妻さんを俺の新妻にしたい」の標語でお馴染みの人気者だ、優しく誰とも別け隔てなく接するその性格と、黄金比とも例えられるモデルの様なスタイル、巨乳派と貧乳派の橋渡しをするバランスのとれた胸。
その全てで持って男女共に魅了して止まない彼女は学園祭で行われた美少女ランキングの一位に輝いたこともある。
完璧と言う言葉は彼女を表す為に作られたかとも錯覚されるこの少女こそが、クラス、いや、学校のアイドル、新妻さんなのだ。
その、彼女が今この場にいる……。
僕は全力で脳細胞を回転させると、早速この純真無垢な少女をどう騙してこの場を切り抜けるのか考える。
「まず最初に説明しておくよ新妻さん。僕は無実だ、そしてこれは不幸な勘違いが生んだ悲しいすれ違いなんだ!」
(も、ものすごい勢いで保身に走ったのじゃ……)
のじゃーさんが呆れ果てた様に呟く。
たしかに先ほど僕は誰が来ようと己をさらけ出すと言った、けど待ってほしい、僕もこんな展開予想していなかったんだ。
僕の社会的地位を守るためにもそこは目をつぶって欲しい。
「うん、大丈夫だよ。でも女の子用の下着ってどうするの?」
もし女神という存在この世にいるのならまさしく彼女の様な人の事を言うのだろう、新妻さんは僕の言葉に疑う素振りを一切見せていない。
と言うか新妻さん。貴方なんで嬉しそうにこっちにやって来るんですか!?
完全にお喋りモードに入ってるじゃん! あんまり突っ込み激しいとボロがでるから止めてくれませんかねぇ!?
新妻さんは僕を見つけた瞬間から笑顔を弾かせるとトコトコと目の前まで歩いてきた。
僕は完膚なきまでにロックオンされている様だった。
「やだなぁ! 新妻さん、僕が女性用の下着を喜んで選んだり、変な目的で買おうとしたりすると思う?」
「ううん。羽田君はそんな事する人じゃない、私、ちゃんと知ってるよ」
(心が痛ぇ!)
(優しさとは、時として心を酷く抉るのじゃー)
新妻さんの純粋な心が僕の穢れきった心を容赦なく抉る。
神様、僕は一体何をしたのでしょうか? これほどまで責め苦を与えられる罪を犯したのでしょうか?
僕が自責の念に苛まされている間も、新妻さんはその笑みを絶やさない、そうして言葉が出ずに黙りこむ僕を見て、少しだけ考えるとこれまた胃が痛くなる答えを導き出す。
「んーっと。あっ! わかった! 妹さんにプレゼントするんでしょ? 羽田君たしか妹さんいるって言っていたよね? どう、あたってる?」
「う、うん……」
お許し下さい、神様。
僕はこの清らかな女神に真実を告げる事ができません、とりあえずこのまま流されよう。
あと、妹はいますがそれは脳内妹です、実在する存在じゃありません。
何が嬉しいのか、馴れ馴れしさを感じるほどにフレンドリーな新妻さんを見ながら、僕は状況が良くなる事を天に任せる。
「そうなんだ! 優しいんだね! じゃあ私も手伝っちゃおうかな? こういうのは女の子がいた方がいいし!」
「あ、ありがとう……」
(痛い! 新妻さんの純粋な笑顔が僕を苦しめる!)
(まぁこのまま適当にごまかしたほうがいいと思うのじゃー)
だが天は僕を見放した、新妻さんは会話を終えるどころか、グイグイと攻め込んでくる。
いや、新妻さん。僕と君はそこまで仲良くなかった筈だよね?
楽しそうに下着を選び出す新妻さん。彼女は僕の事を疑わない、僕はこんなにも彼女を騙しているにも関わらず……だ。
そんな彼女を見ながら酷く悲しい気持ちになった。
(のじゃーさん、僕は……彼女を騙したままでいいのかな?)
(主、空気を読むのじゃ! 天丼ネタとか今時流行らないのじゃ!)
「あ、でも他の女の子と一緒に選んだ下着とか、妹さん怒っちゃうかな……?」
下着をあれやこれやと選んでいた新妻さんだが、ふと思い立ったように質問してくる。
困ったように考える様子も微笑ましい、本当に素直な子だ。
少なくとも自分自身の為におパンツを買いに来た僕の様な欲望に爛れた人間に騙されて良い子ではない。
(僕はね、いつだって正直でありたいんだ。決して人を騙したくない)
(ちょ! 落ち着くのじゃ! 一旦、落ち着いて考えるのじゃ!)
決心がついた。
僕は僕に正直であろう、少なくとも、ここでは勇気を出そう。
僕を信じてくれた新妻さんに敬意を表するかの様に真剣な表情を作り、大きく深呼吸をして彼女に語りかける。
「新妻さん、大切な話があるんだ……」
「えっ!? えっと……何かな?」
(待つのじゃ! なんだかいい話風で纏めようとするな! そんなカミングアウト誰も望んでいないのじゃ!)
止めないでくれ、のじゃーさん。
僕は生まれ変わるよ、弱く卑怯な人間から、強く誇れる人間へと……。
なぁに、新妻さんの事だ、きっと笑って気にしないと言ってくれるよ。
大きく息を吸う、新妻さんは不思議そうな顔をしている。
ふふふ、驚くだろうなぁ、でも聞いてくれ、僕の一世一代の告白を!
「このおパンツはね、実は……」
(ダメ! ダメーっ!)
「自分用なんです!!」
(このお馬鹿ついにやりおったのじゃーー!!)
新妻さんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに先ほどと同じような晴れやかな笑顔を浮かべ、「うん」と一言だけ答える。
しかし、その足は完全に僕から距離をとっていた。と言うか現在進行形でジリジリと離れている。
いわゆる、ドン引きという状態だった。