第伍話
予想外に告げられた大物の退治。
その次の休日、僕は新妻さんにも強力してもらい以津真天の捜索を開始しようとしていた。
今は新妻さんを迎えに行った帰り、適当な公園にて作戦会議中だ、のじゃーさんやことりちゃんも一緒について来てくれている。
そう言えば、ここは口裂け女の情報を聞いて最初に捜索した所だっけか……。
新妻さんとの仲が急速に進展した事件、その始まりの場所でまた別の事件の解決をしようと作戦を立てているなんてなんだか皮肉を感じる。
僕はそう黙想しながら新妻さんの方に視線を向ける、彼女はちょうど公園のベンチに座り何やら占い用具をいじっている。
「なんだか大変な事になっちゃったよね」
ポツリと、新妻さんが呟いた。
ことりちゃの務め、妖怪以津真天の退治。その全てについて新妻さんにも洗いざらい説明をしている、もちろん危険性もだ。伝えてない事はことりちゃんがお漏らしした事位だ。
新妻さんも伝承に残る存在が相手で不安があるのだろう、無理をして僕について来てくれている様ではあったが、その表情からは困惑が隠せていない。
「うん、まぁなっちゃったし仕方ないよ、取り敢えず以津真天を探そう」
「そうだね、私も今度は占い当たるようにがんばるね!」
「妾も頑張るのじゃー!」
「ことりも頑張ります、粗相の失態をはらさねばー」
皆が張り切って声を上げる、その様子に頼もしい物を感じて僕も自然と笑みがこぼれる。
「期待しているね! 最悪尻尾巻いて逃げればいいし安全第一でね!」
だが万が一があってはいけない。僕は皆に危険が及ぶ事がないように、慎重に行く事を告げるとそろそろ捜索を開始すべく皆に声をかける。
「そう言えば、羽田君? さっきのじゃーさんに聞いてたんだけど、神社で神様にいろいろと貰ったんだって? えっと……し?」
「神具なのじゃ! 物凄いのじゃ!」
新妻さんがベンチより立ちながら聞いてくる。
ごっさんに呼び出されて深夜の神社にひとりぼっちでお出かけしたあの日、宇迦様よりいくつかの支援を賜った。
僕はその一つである、一本の矢を鞄より取り出すと新妻さんに見せる。
「そう、神具、今回もらったのはコレだね。宇迦様が特別に神力を込めた破魔矢! 3本あるんだけどこれ本当に凄いよ、1本数百万はするんじゃないかな?」
「ほう、破魔矢ですか。以津真天は伝承の中で広有に矢で射られて退治されています。今回の務めにはうってつけですね、ぐろーばる」
僕が取り出した破魔矢をことりちゃんが興味深そうに見てくる。
そう、一見普通の矢にしか見えないこの破魔矢こそが宇迦様より賜った神具だ、正真正銘の神様の力が直に込められているこれはそんじょそこらの怪異では手も足も出ないほどに強力な破邪の神具である。ある意味チート武器とも言えるこの破魔矢こそが今回の切り札の一つ、僕が勝算を持って以津真天退治を受ける事ができるのもこれのお陰だ。
「すっ! 数百万!? そんなに凄いものなの!?」
「うん、高名な実在の神様が直々に力を注いでいるからねぇ、数百万でも安い方かも? もし運良く残ったら売りに出そうかな? 新妻さん何か欲しい物あるかい?」
少しばかり桁が違うその価値に新妻さんも目を丸くして聞き直してくる。
実際の所、神様が直に力を込めて神具を作るなんて事は殆ど無いからね、その価値は計り知れない物になる。この破魔矢は一回使い切りの物だけどこれがもし継続的に使えるような代物であったらきっと値段はもう1桁程上がっている事だろう。
僕は突然降って湧いた素敵アイテムを何とか節約する方法はないかと少しだけ考える。魔術道具はいろいろと高いのだ、それらを買う為にもお小遣いはいくらあっても足りないからね。
「主! 命あっての物種なのじゃ! そういった邪な考えをしない様に宇迦様も最低限の数しか渡してないのじゃ!」
「そ、そうだよ! 折角以津真天を封印する為に貰ったんだよ! そんな事したらバチが当たっちゃうよ!」
「パネ田さん、ことりは思いつきました。書類上は使ったことにしておくのです」
のじゃーさんと新妻さんが僕の企みを良く思わなかったのか慌てて咎めてくる、ことりちゃんは……まぁいいか。
たしかに宇迦様がわざわざ用意してくれた物をお金に換金なんてしちゃあ失礼にも程があるよね、またおじい達に説教食らうのは嫌だし、今回はちゃんと頑張るかな!
僕は新車と同じだけの価値を持つ破魔矢への未練をそうやって打ち払うと、努めて明るくのじゃーさん達に声をかける。
「うーん、残念! まぁ仕方ないね。それに宇迦様からもらった物はこれだけじゃないし! じゃあ探索を再開しようか!」
そう、宇迦様はもう一つだけ僕にその力を授けてくれた。それは今回の事件を解決した際の褒美の先渡しであり、僕が想像した以上に素晴らしいものであった。
僕はその事実に機嫌を良くしながら、以津真天探索に力を入れるのであった。
◇ ◇ ◇
かれこれ一ヶ月は経っただろうか?
あれから休日は毎回、場合によっては学校のある平日でも帰宅後に、それぞれ探索を行っていたのだがめぼしい成果は無かった。
新妻さんの占術はある程度の信頼性がある、にも関わらずこれほど時間が掛かっているとは少々不可解だ。
何かヒントは無いかと今までの行動を振り返る。今日まで探していたのは主に街の中心だ、人が多い所に紛れて害を為そうと企んでいるのかと思っていたんだけれど間違っていたのだろうか?
僕は小休憩で寄った洒落た雰囲気の喫茶店でその疑問に関して新妻さんに相談すると、彼女にもう少し広範囲で以津真天の場所を占って貰うようお願いする。
「あ、出たよ。この辺りだね。今までは分からなかったけど微かに反応があるみたい」
喫茶店のテーブルに地図を広げ、ペンデュラムで占ってくる新妻さん。
彼女が指から垂らした逆円錐のクリスタルが地図の一点を指し小刻みに揺れている。
僕はその場所を確認すると、どの様な場所であったか記憶の手繰り寄せる。
「うーん? 山の中か、ちょっと距離があるね。暫く走らないといけないか」
「1時間位? 主と一緒にツーリングした記憶は……この辺りは何も無いからあんまりよく覚えてないのじゃ」
「ではことりは今までと同じように空を飛んで調べます。何かあったらご連絡をください」
人目がある為かあえて会話に混ざらないように気を使ってくれていたのじゃーさんとことりちゃんが思い思いに語る。
ことりちゃんは木菟の神使の為、当然空を飛ぶ事ができる。彼女の目を持って探索すれば以津真天を見つける事も容易いであろう。
問題はことりちゃんがその独特の謎思考によって思いもよらない行動を取らないかと言う一点に尽きるんだけど……。
僕は自らの心配が現実にならない事を心の底から祈りながら、周りにいる一般の人達に聞こえない様に小声でことりちゃんに注意する。
「何かあっても自分ひとりで先走っちゃ駄目だよ? ちゃんと合流してね、ことりちゃん」
「……もちろんお任せくださいパネ田さん。ことりは今まで約束を破ったことは無いのです。これはまさに大船ですね、ぐろーばる」
「うん、破ったことは無いかもしれないけど忘れた事は数知れずだよね、お願いだよ、絶対に無茶はしないでね」
破った事を忘れているパターンですよね、分かりますよ。
僕は心底不安になりながらもことりちゃんに再度忠告する、……少しだけ、ことりちゃんが焦っている様に思えたからだ。
「ことりちゃん、ちゃんと主の話を忘れずにいるのじゃ! でないとご褒美のアイスクリームは無しなのじゃ!」
「私の占いでもそれほど悪い結果は出ていないから一応は大丈夫だと思うけど、外れていることも万が一もあるし気をつけてね、ことりちゃん」
「おまかせください。皆さんにご迷惑はかけませんよ。……ことりはアイスクリームが食べたいのです」
何処か上の空でそう答えることりちゃん。僕は何が彼女をそこまで駆り立てるのか少しばかり疑問に思いながら、皆を促すと伝票を持ち席を立つのだった。
…………
………
……
…
対向車や後続車が一切ない舗装された道を走る。
右手には山の斜面があり、左手には小川が流れている。山間部にある為普段なら強いはずの日差しも山や木々によって遮られており、ひんやりとした空気が心地よい。
普段から利用する車が少ないのだろうか、道路にもヒビや穴等の劣化の補修跡が一切見られない。そんな公共費を無駄に使ったとしか思えない場違いな程立派な道路の脇には所々民家や工場らしき物が建っている。
僕は新妻さんが地図で指し示した場所に当たりをつけると、ちょうど運良く脇にあった空き地の様な場所にスーさんを停めて皆を下ろす。
「この辺りか……」
「何も無い場所なのじゃー」
「羽田君、この辺りって何なの?」
のじゃーさんと新妻さんがスーさんより下りながら質問してくる。
確かに何もない場所だ、ツーリングをするには最適だがそれ以外に何かあると言う場所でもない。
チラリと見た上空では両腕を羽に変化させたことりちゃんが悠々と回遊している、僕はその様子を見ながら新妻さん達にされた質問を答える。
「うん、山超えの為だけに作られた普通の道路しか無いって感じの場所だね、ただ土地が安いせいか中小企業の工場がいくつか途中にあるみたいだけど。まぁ別段何かあるって場所でもないよ、変な噂も聞かないしね」
「ふーん、なんだか寂しい場所だね」
土地は安いが移動には不便な場所だ、バブル期にはいくつか工場が作られていたみたいだが不景気の煽りを受けて今でも動いている所は少ないと思われる。
今まで道すがら見た工場も、そのどれもが錆付き朽ち果てていた。寂しい場所だと言われても仕方がない。
さて……、どうしようかな? とりあえずことりちゃんを呼び戻してまた作戦会議と行こうかな? 時間はまだ昼すぎだし余裕はあるしね、ちょっと天気が悪くなってきているけど。
僕がそんな風に考えていた時だ、不意に服の裾を引っ張られる。それは強張った表情を見せるのじゃーさんだ。
「……主」
「なんだいのじゃーさ――っ!」
のじゃーさんが上空の一点に視線を向けている、僕が何事かとそこに目を向けると、既視感を覚える奇妙な物体がユラユラと揺れていた。
棒状の身体に非対称に付いた大きな羽の様な物、奇妙な動きをするそれはいつの時か新妻さんに尋ねられたものだ。
「へ? 何かあったの?」
僕らの様子を怪訝に思ったのか、新妻さんが不思議そうに尋ねてくる。そんな彼女に向けて無言でシーッと口の前で指を立てると、ソレを指さす。
「あれって……この前見た」
僕ら同様にソレを見つけた新妻さんが小さく驚く声が聞こえる。
いつかの時とは違い、今は距離も近い為にハッキリとその様子が確認できる。
不自然に伸びきった青白い首、その下に申し訳程度に存在する小さな鳥の胴体、そこから生える歪な大きさと形を持つ羽、数メートルはあろうかと見える太く長い鱗の付いた尻尾。そして狂った様に憤怒の表情を見せる顔……以津真天だ。
僕は不意の遭遇に内心焦りながらも、まだ以津真天がこちらに気づいていない事に安堵し、気付かれない様静かに二人に話しかける。
「そうみたいだね、世の中は本当に狭い、あの時にすでにエンカウントしていたなんて僕もびっくりだよ」
「でもどうするのじゃ主、あの場所だと流石に距離がありすぎるのじゃ」
のじゃーさんが困った様に尋ねてくる、その言葉は気付かれない様に小さめだ。
けど大丈夫ですよ、のじゃーさん! 今回は切り札があるのです!
僕は自信に満ちた笑みをのじゃーさんに向け、彼女達を安心させる。
「ふっふっふ、今日の主は一味違うんですよ。取り敢えずはことりちゃんを呼んで……いけない!!」
僕がことりちゃんを呼び戻そうとしたその時だ、以津真天に凄い勢いで向かっていく影が見える。ことりちゃんだ、彼女は何を思ったのか単身以津真天に戦いを挑んだのだ。
彼女と仲良くなって知った事なのだが彼女は自らの祭神より以津真天退治を任命される程なのでそれなりに強い力をもっている。しかしながらこれは流石に不味い、いくらことりちゃんとは言え、準備をしていない状態で勝てる相手ではないのだ。
「こ、ことりちゃん! 何をやっているのじゃ! もう話を忘れたのか!?」
「あぁ! どうしよう! 強力な妖怪なんでしょ!? 危ないよ!」
のじゃーさんと新妻さんもことりちゃんの無謀な行動に気がついたのか、驚いた様子で声を上げている。
状況は芳しくない、このままでは数分もしないうちにことりちゃんは以津真天の餌食となってしまうだろう。僕は慌ててスーさんに駆け寄ると、そのサイドバッグを開き声を上げる。
「坩堝! 起きろ!」
――A・RO? O・HAYO
マイペースな挨拶が返ってくる、サイドバックから取り出したのは大きな銀の鎖だ、所々に銀板が貼り付けられており独特の呪印が施されている。
僕はひとりでにその鎖が腕輪の様に左手に巻きついた事を確認すると、同じくバッグより破魔矢を取り出し、急いでことりちゃんと以津真天が良く見える場所へと移動する。
「は、羽田君! それって!」
新妻さんがびっくりした様子で尋ねてくる。
そう、これこそがもう一つの切り札、坩堝ちゃんVer2だ。
宇迦様と神域のおじい共によってこれでもかと魔改造された坩堝ちゃんはその攻撃力と持ち運び性を大幅に向上されて生まれ変わったのだ、しかも少しだけ賢くなった。
僕はパワーアップした事でとてもゴキゲンらしく、鼻歌らしき物を歌っているマイペース坩堝ちゃんの状態を確かめながら、ことりちゃんへの支援を行うべく命令を出す。
「説明は後だよ、新妻さん! 坩堝、弓の形状になれるかい!? ことりちゃんと戦っている以津真天を射るぞ!」
――GU・ERI・OK
頼もしい答えと共にジャララと金属同士が擦れる音を鳴らしながら鎖がうねるように流動する、そして左腕に歪ながらも鎖でできた弓が出来上がる。なかなかの仕事ぶり、僕は生まれ変わった坩堝ちゃんに満足しながら彼女に矢をつがえる。
「主! ことりちゃんが押されておる! 早く!」
のじゃーさんの忠告が耳に届く、つがえた矢が向く先は満身創痍であることりちゃんを執拗に責める以津真天だ、ことりちゃんはその鋭い牙に傷つけられたのであろうか? 怪我らしきものを負っているのが見える。……野郎、よくもことりちゃんを!
「破魔矢よ、疾走りて邪を射抜け! 坩堝、やれ!」
力を込めて坩堝に命令して勢い良く矢を放つ。それ自体が強力な力を秘めている破魔矢は白く輝く軌跡を描きながら恐ろしい速さで以津真天まで向かっていく、そして刹那の時、以津真天と破魔矢が交差しその体勢が大きく崩れた。
以津真天に破魔矢が命中したのだ。
「やったのじゃ!」
「いや、まだだ!」
よくよく見ると、破魔矢は羽に命中しているだけで完全に以津真天を打ち倒せてはいない。だが効果はあったのだろう、以津真天は慌ててヨロヨロと飛びながら何処かへ逃げていく。
そして満身創痍のはずのことりちゃんも勢い良くその後を追いかける。
「ことりちゃん! 戻ってきて! 追いかけちゃ駄目!」
「くそっ! 何をやってるんだあのアホの子は! 新妻さん、ダウジングの用意! スーさん、エンジンかけて!」
「うん、わかった!」
僕の指示にスーさんがエンジンを吹かし、新妻さんがポケットよりペンデュラムを取り出す。
そうしてそのまま坩堝を弓の形態から戻して先ほどと同じように腕に巻き付ける、手早くスーさんにまたがると二人に声をかけてスーさんのエンジンを吹かす。
「皆、急いで乗って!」
のじゃーさんと新妻さんがしっかりと僕にしがみついたのを確認すると、ことりちゃんと以津真天が向かっていった方向に向けて勢い良くスーさんを走らせる。だが飛んでいった先は山の向こう側の為、正確な場所が分からない。
僕は焦りを感じながら、片手で必死にペンデュラムを操作する新妻さんへと声をかける。
「新妻さん、どっち!?」
「もう少し向こう! たぶん何処かで山側に入る道が有るはずだよ!」
チラリと脇の方を確認すると、新妻さんの指先より伸びたペンデュラムが前方の山側の一点を刺しているのが分かる。
僕はいち早くその場所にたどり着こうと更にスーさんのスロットルを上げる。
「主! あそこに側道が見えるのじゃ!」
「了解!」
のじゃーさんが声を上げる、よくよく見ると、道路の脇から古い舗装道が山中へと伸びているのが見えた。
スキール音を響かせながら勢い良くその脇道へと入り込む。その道は今までとは違い整備されていないのか至る所にヒビが入っておりそこから草まで生えている。
一瞬で過ぎ去った標識はサビでその内容がわからなくなっておりガードレールも劣化によって赤黒く変色している。
僕はその様子に不吉な物を感じながら、荒れた道でスーさんの操作をミスしない様細心の注意を込めて走る。
「羽田君! 見えた! あっち!」
「飛ばすよ! しっかり捕まって!」
新妻さんの声に上空へと視線を向ける、彼女の言う通り以津真天とそれを追うことりちゃんを見つけた、どうやらこの先へ向かっている様子だ。
いつの間にか辺りは薄暗く雲が張り、雷鳴まで聞こえている。
一雨降るかもしれない、そう一瞬考えていると不意に視界が開けた。
見えたのは大きな工場だ、以津真天とことりちゃんがそこに向かったのが見えた。
すでに閉鎖しているのかその工場は赤錆にまみれており、至る所が朽ちて穴が空いている、イタズラでもされたのだろうか? 何者かによって破かれ、地面に捨て置かれる『立入禁止』と書かれたフェンスを横目に工場の敷地内へ入り、巨大な建物の正面でスーさんを停める。
工場の上から以津真天の醜悪な叫び声と何かが暴れまわる音が聞こえる。
……上か、早く行かないと!
「スーさんはここで待機、のじゃーさん行くよ!」
「まって!……駄目なのじゃ! 相当朽ちておって危険なのじゃ! 上に行く足場が崩れておる!」
のじゃーさんが慌てたように声を上げる、軋むように金切り声を上げる金属扉を半ば蹴飛ばす様に開ける。工場内は広い体育館の様な形になっていて、放置された工具や機器の残骸が散らばっている。のじゃーさんの言う通り全体的に崩れかかっており、上階へ登る金属製の階段と思しきものも根本からポッキリと折れて地面に横たわっている。
僕はそれを視界に入れると歯噛みしながら吐き捨てる。
「ちぃ! どこかに足場はないのか!?」
「まって、すぐに探すよ!」
後からついてきた新妻さんが工場の様子を知ると、直ぐ様上に登れる場所はないかと占術を行使してくれる。
僕はその様子を待ちながら、再度工場を見回す。すると不意にのじゃーさんより声がかかる。
「主! 妾が先に行くのじゃ! ことりちゃんを助けてくる!」
「のじゃーさん! 駄目だ! 危ないよ!
「そうだよのじゃーさん、無理しちゃ駄目だよ!」
のじゃーさんの無謀な提案に僕も驚く。
確かに身軽で物質化していないのじゃーさんならば工場の突起物等を利用して上に登る事ができるだろう、だがしかし、それはあまりにも無謀だ。正直な所のじゃーさんでは以津真天に対して大した事ができるとは思えない。やられるのがオチだ。
「主、さとみん。妾はこのままではいけないのじゃ……。今回妾はさとみんと違って何も役に立っておらん。これでは主に申し訳が立たないのじゃ!」
「のじゃーさん……」
のじゃーさんの言葉に胸が熱くなる。
彼女がいかに僕の事を想っているかがひしひしと伝わって来るようだ。だがそれでも彼女を向かわせる事には疑問を覚えてしまう、もちろんことりちゃんも心配だ、だがのじゃーさんがここで一人向かう事はあまりにも危険なのだ。
「主、妾にまかせて欲しいのじゃ。今度はしくじらん、必ずや主の為に勝利をもぎ取ってくるのじゃ、なぁに危なくなったら尻尾巻いて逃げるのじゃ!」
続けてのじゃーさんは語る、その目はいつになく真剣で、強い意思が込められている。
一瞬気圧される、どうやら僕は彼女の決意に負けてしまったようだ。
そう、この小さなボディーに獅子の如し意思を宿す女の子こそ、僕が大好きなのじゃーさんなのだ。
「この、七穂の名にかけて……誓うのじゃ」
彼女は僕の事を信じている、そしてことりちゃんを助ける為に、大切な友達を助ける為に自らを向かわせてくれと懇願している。
ならば僕がする事は一つだ、彼女がそうしてくれた様に、僕も彼女を信じよう。
「分かった! 頼むぞ、七穂!」
「あい承った! 主はそこで見ておくのじゃ!」
勢い良く叫ぶ。のじゃーさん任せたよ! 僕らもすぐに追いつくから待っていてね!
僕の返事にのじゃーさんは輝くような笑みを返すと、一転真剣な戦士の表情を浮かべ、軽やかな身のこなしでヒョイヒョイと工場の上へと登っていく。
一瞬が永遠に感じる。
何も出来ないと言うのはこれほどまでに歯がゆいことなんだろうか?
新妻さんも先ほどのやりとりに気づきながらも会話に入ってこなかった、恐らく自らがすべき事を理解しているのだろう、今は占術に集中している。
そうしてまた少しだけ時間が立つ、遠くで聞こえる騒がしい音に僕の焦りが爆発しようとした時、新妻さんが悲壮感あふれる顔で僕の方に顔を上げた。
「ど、どうしよう羽田君! 反応が無いの! 上に行ける場所が無いみたい!」
不味いぞ……。
新妻さんの占術でも方法は無しか。もしかしたら彼女の占術が見逃している場所が存在する可能性もあるが、それをいちいち調べている暇は無い。
こうなれば奥の手を使うか……僕は残りの破魔矢に目をやると早速坩堝へと命令を出そうとし……。
「主ーー!」
「のじゃーさん!」
のじゃーさんの声が聞える。彼女がやってくれたのだ!
僕は未だ元気な彼女の声に心底安堵しながら返事を返す。声は上の方から聞こえる。辺りは薄暗くよく見えないがピョンピョンと軽快にこちらへ降りてくる影が見えた。
「フルボッコに……」
「以津真天をフルボッコにしたのかい! 流石のじゃ……」
そうして入り口の光が差し込む場所まで影が降りてくる。
それは、僕が信じた、大好きな大好きな一番の使い魔――。
「またまたボコボコにされたのじゃー!」
「のじゃああぁさぁぁあああん!!」
フルボッコにされたのじゃーさんであった。
「空対地で完全に地の利を活かされた感じだったのじゃ! ものの見事に役に立たなかったのじゃ!」
頭に大きなたんこぶをいくつもつけながら、グシグシとその愛らしい瞳に涙を浮かべて僕に抱きついてくるのじゃーさん。
僕はそんな愛しの子狐ちゃんの無事に安堵しながらも早速その無謀さにツッコミをいれる。
「情けなさすぎるでしょのじゃーさん! なんであんなに格好良く啖呵切ったの!?」
「何かな! 雰囲気でいけるかなって! 気持ちさえあれば不可能を可能にできるかなって!」
「無謀すぎるよのじゃーさん!」
「ごっさ痛かったのじゃー!」
のじゃーさんはグリグリと僕の胸に頭を埋めながら泣き叫んでいる、そんな様子に僕も以津真天への怒りを募らせる。くそぅ、あのヘンテコ鳥類め! 僕ののじゃーさんになんたる仕打ちだ!
「それよりものじゃーさん! ことりちゃんは!? ことりちゃんは大丈夫なの!」
「そうなのじゃ、主! 主が放った矢のお陰でことりちゃんは持ちこたえているが流石にやばいのじゃ! すぐに救援に向かって欲しいのじゃ!」
新妻さんの叫びにも似た声にのじゃーさんと僕もハッとなる、のじゃーさんの無事は確認できたがそれで終わりではないのだ。彼女が戻ってきたと言うことは即ちことりちゃんが未だに危険な状態にいる事の証明でもある。
「ど、どうしよう! 上に行く方法がないの!」
「や、やばいのじゃ!」
のじゃーさんと新妻さんが焦るように叫びを上げている、僕は急いで破魔矢を取り出すと奥の手を使うことを決意する。
「いや、方法はある、坩堝!」
腕に巻き付きながら、鼻歌を歌っている坩堝に声をかける。
そうして破魔矢の一本を坩堝の前にかざすと、勢いよく二つに折った。
「供物を捧げる! 我が前にその力を示せ!」
一瞬工場全体に光りが輝くと、坩堝がドクンと一瞬脈動する。そしてその鎖が光り輝きながら、まるで質量保存の法則を無視するかのように増えてゆく。
これこそが本当の奥の手。破魔矢に込められた宇迦様の神力をそのまま坩堝に食わせる事によって物質化と強力な力の発現を同時に行うことが出来る、これならば上に登るのも容易であろう。
僕は工場の上を見据えながら早速登ろうと坩堝に命令を出す、新妻さんには安全を見てここに残ってもらうつもりだ。
「これで上に行ける! 新妻さん、ここで待っていて――」
「駄目! 私も行く!」
だが新妻さんはそれを拒否する、彼女もことりちゃんが心配なのだろうか? 頑として引く様子がない。
「――っ! 分かった、しっかり捕まっていて!」
押し問答をする時間も勿体ない、上から聞こえる音が小さくなっている、すぐに行かないと駄目だろう。僕は坩堝に手早く命令を行う、すると腕にある本体より辺り一面に散らばっていた大量の鎖がのじゃーさんと新妻さん、そして僕を一纏めにして抱きとめる様に絡みつく。そして勢いそのまま余った鎖を工場の柱に絡みつかせると恐ろしい速度で上へ引き上げていく。
「きゃああ!」
「にょわー!」
先ほどまでいた場所はもう遠い場所だ、工場はかなりの大きさを誇っているらしく発光する坩堝によってうっすらとその様相を表している。
そして坩堝は天井近くまで登り上がると、鎖の幾つかを触手の様にフリフリさせ、僕でも見つけることが出来なかった天上に空く穴を見つけるとそのまま外へと躍り出た。
「到着――よいっしょっとー!!」
僕達が天上に飛び出したのと、全身傷だらけのことりちゃんがこちらに飛ばされてくるのは同時であった。
瞬時に状況を把握した僕は、坩堝に命令して神力を借り受け強制的に霊体に触れるようになると、ことりちゃんが傷つかないように優しく抱きとめその様子と辺りを伺う。
その場所は一般的に想像される工場の様なトタン屋根ではなく、学校の屋上の様にコンクリートで作られており、在りし日のこの場所がいかに資金を投入して建築されたかを感じさせる物であった。
広さは学校の運動場程もある、この場所なら派手に動いても大丈夫か、僕はそう考えながら引き続きことりちゃんの様子を確認する。
「「こ、ことりちゃん!!」」
遅れてのじゃーさんと新妻さんが驚く声が聞える。僕は抱きとめたことりちゃんの顔を覗きこむ。
彼女は額からも血を流しており、失血からか青い表情をしているが、まだ意識はあるように思われた。
「ことりちゃん、大丈夫かい! ことりちゃん!!」
強い呼びかけにうっすらと瞳を開け、こちらを見つめることりちゃん。
その様子に少しだけ安堵する。
「パネ田さん、痛かったです……」
「大丈夫かい!? なんでこんな無茶を!」
ことりちゃんが小さく答える、僕の問いに彼女は少しだけ悲しそうな表情を見せると、ポツリと呟いた。
「……多勢に無勢でした、ぐろーばるではありませんね。本当に御免なさい、あとを……頼みます。がくっ」
そうして大げさな様子で目を閉じ力を抜くことりちゃん、そんな彼女を地面に横たえると辺りを伺う。少しばかり説教してやりたかったが危険が去ったわけではないのだ。
「こ、ことりちゃん! 大丈夫!?」
「……ことりは死んでいるので答えれません」
「よかった! 死んだふりなのじゃー」
「けど、ことりちゃんをここまで傷つけるなんて……」
のじゃーさんが安堵し、新妻さんが疑問の声を上げる。
確かに、ことりちゃんも以津真天に及ばないと言ってもここまで一方的にやられる様な実力の子ではない。
彼女に何があったのかを考えながら、辺りに気を向けていると上空から悠々と以津真天が降り立って来た。
……ついにお出ましか。
以津真天は歯をむき出しにしながらこちらを威嚇している。破魔矢が刺さった羽を動かしづらそうにしている事からダメージがある事はわかるが、こうして目の前に現れると想像以上に巨大である事が分かる、ゆうに5メートルはあるのではないだろうか? その威圧に押されそうになる。
「また会ったな! だが主が来たからには年貢の納め時! 覚悟するのじゃ以津真天!」
「その通り! これが何か見えるかな? そう、神力を受けた破魔矢だよ! さっきは少し外したけど今度は外さない、さっさと射抜かれて退治されるといいよ!」
破魔矢を見せつけるようにかざしながらこちらも以津真天を威嚇する。
これが最後の一本だ、決して外すことはできない。
僕は余裕の表情を見せながらも、伝承にも残る強力な敵に内心焦りつつその前に歩み立つ。
「……え? はっ、羽田君!」
「何かな、新妻さん?」
僕が坩堝に命じ、いつでも戦いの火蓋を切れるよう全神経を目の前に張り巡らせていると、新妻さんより切羽詰まった声が聞こえる。
嫌な予感がひしひしとする、僕はそれを悟られないように静かに彼女に問う。
「は、反応が増えてる……それにさっきことりちゃんが言った多勢に無勢って」
「あ、主ッ!!」
のじゃーさんと新妻さんが慌てる声が聞える。
予感が確信に変わる、以津真天がその醜悪な顔を不気味に歪めて嗤うと、不揃いな牙を剥き、大きく『いつまで』と鳴いた。
一瞬間を置き、その声に呼応するように辺りから同じく『いつまで』と声が聞える。
思わず目を見開く、全身が総毛立つのを感じ、本能がこれでもかと警鐘を鳴らすのが分かる。
そして、どこにいたのであろうか? ひときわ巨大な眼前の以津真天を守るようにわらわらと大小様々な以津真天が現れる。
容姿は様々であるが、その表情はどれも憤怒に満たされており、今の状況が致命的な物になってしまった事を感じさせる。
自然と身体が動く、それはのじゃーさんや新妻さん、ことりちゃんを守る位置取りだ、何があっても彼女達を守らなければいけない。
「……ぴーんち」
僕は事態が非常に切迫した物になった事を感じながら、そう呟いた。