第参話
新妻さんが僕の胸を触っている。
彼女は顔を朱に染め上げており、一見恥ずかしがっているように見えるが、よくよく観察するとそれはそれは嬉しそうな表情を見せていた。
「えへへ、羽田君ってば凄い筋肉だね」
「う、うん。そうだね新妻さん」
新妻さんはどう控えめに見ても僕の胸を触る事に夢中だった。と言うか触り方がやらしい。
のじゃーさんやことりちゃんの様にじゃれつくような触り方ではなく、ゆっくり何かを確かめるようにその手を動かしている。
に、新妻さん? 僕も年頃の男子なのであんまりガチな触り方は困るのですが……。
そんな僕の動揺にも気付いていないのか、新妻さんは変わらぬ笑みを浮かべながら僕の胸を弄っている。
「か、完全に自分の世界に入っておるのじゃ……」
「ニイヅマーはノリノリですね、でもパネ田さんが嫌がらない程度にしないといけませんよ?」
二人の呆れ声も今の新妻さんには届かない。
彼女は恍惚とした表情でひたすら僕の胸に手を這わせている。
そうして、さんざん堪能していたかと思うと突然顔をこちらに向けて潤んだ瞳でこちらを見つめながら口を開く。
「ね、ねぇ羽田君。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから頭くっつけてもいいかな?」
「ど、どうぞ」
どこかウットリとした表情でとんでもないことを言い出す新妻さん。
僕は流石にそれはどうなのかなーとも思ったけれど、子猫ちゃんの勢いに気圧されイエスの言葉しか出てこない。
そうして、僕のオッケーを貰った新妻さんはその可愛らしい顔に満面の笑みを浮かべると、僕の胸に頭を突撃させてほっぺでスリスリし始めた。
「わぁ。えへへ、凄い……」
新妻さんはこれでもかと僕の胸を堪能している、これが逆だったら完全に公衆猥褻だ。本当、女の子って理不尽な存在だと思う。
と言うか新妻さん、その体勢で深呼吸するのやめてくれませんかね? あと腰に手を回さないで!
あまりにも大胆な新妻さんの行動に僕も直立不動だ、心頭滅却し煩悩を追い出すのに全力を出す。
「完全に周りが見えなくなっておるのじゃ、そんなに主のおっぱいを堪能したかったのな」
「ニイヅマー! ニイヅマー! それ以上はいけませんよ! 年頃のイケてる女子がする事ではありません! ぐろーばるではありませんよ! おりゃー!」
僕が困った様子でいる事に気がついたのか、ことりちゃんが僕を完全にホールドする新妻さんをひっぺがしてくれる。ありがとうことりちゃん! わりと本気で助かったよ!
「……あれ?」
何が起こったのかよくわからない様子の新妻さんが、キョトンとした声を上げる。
そうして、ひっぺがしたそのまま、ことりちゃんは新妻さんの両肩に手を置いて少しだけ眉間にしわを寄せながら説教を始める。
「パネ田さんの胸で頭をスリスリするのはやり過ぎですよニイヅマー! パネ田さんが困ってました、ハレンチですよ!」
当事者である新妻さんもそこまでされてようやく気がついたのだろう、不思議そうな表情を見せたかと思うと、途端に慌てだして僕に向き直り頭を下げてくれる。
「わ、わっ! そ、そうだよね! ごめんね羽田君!」
「いえいえ、堪能してもらったみたいで何よりだよ!」
ふぅ、まさか僕が新妻さんに襲われるとは思わなかった。
僕は将来の新妻のあまりに大胆な攻めに困惑しながらも、意外に真面目で気が利くことりちゃんに感謝の意を伝える。
「さとみんったら思う存分堪能していたのじゃー、妾でもそこまでやった事はあんまりないのじゃ!」
「いやー、なんかね、凄い筋肉だったからついね。えへへ」
僕がことりちゃんへお礼を言っている最中、のじゃーさんは変わらぬ呆れ顔で新妻さんを諌めている。
だがしかし、当の本人はあまり反省していない様子。まったく困った子猫ちゃんだ!
でもまぁ、これからは僕のターンですよ!
僕は場の流れを自らの方向へ持ってこようと、さっそく新妻さんに対して攻めに転じる。
「さてっと、新妻さん」
「ん? 何かな、羽田君」
「皆十分僕のおっぱいを堪能したことだし、次は僕の番だよね!」
「ああ! やっぱり! 騙された!」
新妻さんの叫びが神域に響き渡る。
ふふふ、触ったんだから触らせないと駄目だよね!
僕は迂闊な新妻さんにほくそ笑みながら、両手をワキワキとさせてジリジリと近づく。
「さとみんは騙されやすすぎなのじゃー」
「ニイヅマーさんは騙されていたわけですね、だからパネ田さんも拒否しなかったのですか」
「騙すとは心外だなぁ! 等価交換って奴だよ、さぁ! ハリー!」
のじゃーさんとことりちゃんは全くの他人事だ。自分達も散々僕のおっぱいを堪能した癖に、我関せずと各々感想を言い合っている。
まぁ、二人に関しては仕方ないかな。特にのじゃーさんがいるからこの場で僕がおっぱいを触る事は叶わないだろう……。
僕は今までの出来事からのじゃーさんが何らかの対処をしてくると予想していたが、新妻さんはそうではなかったらしく血相を変えながらのじゃーさんに声をかける。
「の、のじゃーさんはなんでそんなに余裕なの!? おっぱい触られちゃうんだよ!」
「困ったときに物質化解除なのじゃー」
「ほう、その手がありましたか、ではことりも」
「ああ! 酷い!」
のじゃーさんの輪郭がぶれ、その姿が少しだけ薄くなる。続けてことりちゃんも同様に薄くなった。
物質化の解除、いつも僕がお預けを食らっている手だ。これがあるからのじゃーさんへのお触りは最新の注意と最大の用意を持って行わないと叶わない。
もっとも、今は物質化の解除ができない夢の様なおっぱいが目の前にあるわけですから、そこら辺は問題ないんだけどね!
新妻さんの背後は本殿の建物で壁になっており逃げられない。もちろん僕がさり気ない位置取りを行ったお陰だ。
僕は自らの細工が最大の成果を持って成就した事に歓喜しながら新妻さんに近づく。
「さぁ、新妻さん! ちょっとだけだから!」
「駄目駄目! えっち! 羽田君のえっち!」
「あれだけ僕のおっぱいを揉みしだいて置いてなんて言い草だ! 新妻さんが一番激しかったんだよ! と言うかむしろエロかった!」
「違う違う違うー!」
「ふっふっふ、逃げられないよ! さぁ、優しくするから!」
「わー! 駄目ー! ここじゃ駄目ー!」
両腕で胸を隠しながら後ずさる新妻さんであったが、やがて建物の壁に阻まれて逃げ場をなくしてしまう。
ふっふっふ、新妻さん。年貢の納め時ですよ! 僕にそのたわわに実った二つの果実を触らせるのです!
新妻さんと僕の距離はもうさほど残ってはいない、手を伸ばせばすぐに届く距離だ。
けどまぁあんまり無理強いは良くないしここらでやめておくかな! 可愛そうだしね!
僕は瞳をギュッと閉じながらフルフルと小さく震えている新妻さんを最後にもう一度目に焼き付けると、ネタばらしをすべく声をかけようとするが――
「おい変態、随分ご機嫌じゃねぇか?」
不意に太く勇ましい高圧的な声に遮られる。
「や、やぁごっさん! ごきげんよう!」
覚えのある声に当たりをつけ恐る恐る振り返ると、予想通り身長が2メートルはあろうかと思われる大男が居た。
狐面からその表情を知ることはできないが、きっと大激怒している事は確実であろうこの筋骨隆々の偉丈夫こそ三尾白狐のごっさんだ。僕の近所にある神社の狛狐でもある強力な狐の化生である。
「お前神域でなにやってんの? 何回大声でおっぱいって言えば気が済むの? じじぃ共がやべぇんだけど分かってんの?」
怒りを含んだ呆れ声でごっさんが僕に語りかける。
彼が言うじじぃ共とは伏見稲荷に仕えるより高い位を持つ狐の化生達の事だ、いったい何時の時代から存在しているのか分からない彼らはそれはそれは強力な力を持っている。そしてとてつもなく説教臭い。
僕はそう言えばこの場は伏見稲荷の神域であって、そんな場所で女の子達とイチャイチャしていたらそりゃあ大激怒だよね! と自分のしでかしたうっかりに動揺すると、ごっさんに問う。
「げ、激おこかな?」
「ぷんぷん丸だぜぇ、お前ぇ自殺願望あったんだな、俺びっくりだわ」
(のじゃーさん、助けて! 僕ピンチなの!)
(仕方のない主なのじゃー、やっぱり妾がついていないと駄目なのじゃ!)
僕は自らの立場が危うくなった事を瞬時に把握すると最愛の狐ちゃんに助けを求める。もちろんのじゃーさんは僕の助けを聞きつけすぐに会話に入ってくれるた。
「ごっさん、許して欲しいのじゃ! 主も悪気はあったけどあんまり深く考えてなかったのじゃ!」
「全てはおっぱいが悪いのです、恐ろしやおっぱいー」
ああ、なんて素晴らしい子なんだのじゃーさん! 僕には、僕には君しかいないよ! そしてことりちゃんは本当にマイペースですね!
僕は歓喜の表情を浮かべるとのじゃーさんに視線を送る、のじゃーさんは僕の視線に小さく頷くと、どの様な事があっても僕を助けると強い意思の篭った瞳でごっさんを睨みつける。
「鴻殿に……のじゃ公か。相変わらず坊主と一緒になって遊びやがって。お前ぇもじじぃ共に怒られるか?」
「ぜ~んぶっ! 主が悪いのじゃ!」
……が、裏切り! 流れるような手のひら返し!
のじゃーさんは自分に害が及ぶと分かるや否や、それはそれは素晴らしい裏切りを見せつけてくれたのであった。
まぁ、確かにおじい達は怖いからね! 僕も説教はこりごりだからね! でもねのじゃーさん! 君あんまりじゃあないですか!?
「あのー、ちょっといいですか?」
僕は愛しの子狐ちゃんによる毎度おなじみの裏切りに悲壮感を漂わせていたのだが、先程まで僕の餌になろうとしていた新妻さが少しだけ強引に割って入ってくれる。
ごっさんも新妻さんには気づいていた様子だったが、特に会話に入ってこなかったので無視していたであろう彼女へと向き直ると、興味深そうに眺めながら声をかける。
「ん? そういやお前ぇさんは初めて見る顔だな?」
「新妻 さとみって言います、羽田君とは……、その、お友達兼師弟の関係です。えっと、羽田くんも反省しているみたいですしその位で……」
に、新妻さん……! やはり君は僕の新妻だ! 将来の旦那である僕のピンチを察して助け舟を出してくれるんだね!
僕は歓喜の表情を新妻さんに向ける、新妻さんはそんな僕の視線に小さく頷くと、どの様な事があっても僕を助けると強い意思の篭った瞳でごっさんを見つめる。
「……ふーん、なんだ坊主、また違う女つれてるのか? 前の女はどうした? いつもみたいに飽きたから捨てたのか? 俺ぁあんまそういうのは感心しないぜ」
「え、嘘……」
……が! 敗北! 一瞬にして敗北!
新妻さんは、ごっさんの言葉にそれはそれは驚いた様子であったが、直ぐ様僕の方へと向き直ると悲壮感漂う絶望的な表情を見せた。
こ、これは……。子猫ちゃん完全に騙されてる!
僕は瞳に大粒の涙を溜めながら、フルフルと小刻みに震える新妻さんの様子に事態が切迫している事を把握すると、なんとかこの誤解を解こうと慌ててのじゃーさんへとフォローをお願いする。
「のじゃーさん! 誤解を解いて! ごっさんってば僕に一番ダメージが行く方法を熟知していらっしゃる!」
「おじい達に怒られたくないのじゃ!」
「裏切り者!」
が! またしても裏切り! のじゃーさん恒例の手のひら返し!
のじゃーさんはすでに自らの保身に全力だ、僕の立場が危うくなる事なんて大したこと無いと言わんばかりに安全な選択を取る。
そうして、僕がなんとか新妻さんの誤解を解こうと再度彼女の方へと向き直ると、すでに時遅しで子猫ちゃんはまさに爆発する所であり――。
「羽田君の馬鹿ーー!」
新妻さんの絶叫、それは今までに聞いた事が無いほど大きな声であり、彼女はどれだけ怒り、悲しんでいるかを表している様であった。もちろん冤罪である。
そして僕が声をかける間もなく新妻さんは何処かへと駆けて行ってしまい、僕も慌てて追いかける。
「ほう、修羅場とは。ぐろーばるですね」
「他人の修羅場とか最高だなぁオイ」
「妾は無関係なのじゃ! この件に関しては身に覚えのない出来事なのじゃ!」
「待って新妻さん! 僕の新妻さん! 新妻さぁぁぁあああん!!」
後ろから無責任極まりない人達の茶化す声が聞える。
僕らそんな彼らに心のなかで呪詛を呟きながら、ものすごい勢いで走りゆく新妻さんを追いかけたのだった。
◇ ◇ ◇
「つまり、僕は無実だってことだよ……」
「そうなんだ、よかったー……」
全力ダッシュで新妻さんを捕まえ、ジタバタと暴れる彼女を落ち着かせ、宥めすかし、褒め称え、ヨイショし、愛の言葉を囁き、そうして誤解を解いて連れ戻す。
もう一生分のクサイ台詞を新妻さんに告げたのではないだろうか? ようやく新妻さんもごっさんの発言が僕を貶めるための物であって事実では無いことに気がついてくれたようだ。
心底ホッとした様子でいつもの笑顔が戻る新妻さん、反面僕は満身創痍で顔からは一切の表情が消えていた。
「新妻さんは僕の事信じてくれると思ったんだけどねぇ……」
「普段の行いがこういう時にでるわな」
「ちっ、違うの! 羽田君ってばもてるからそういう事があってもおかしくないかなって!」
流石の僕も少しだけ小言を言わせてもらう。
新妻さんってば騙されやすすぎだ、そんな事では将来が不安になってくる、もう少ししっかりと常識的な判断をして欲しい。騙されるのは僕に対してだけでいいのだ。
ワタワタと慌てて言い訳を始める新妻さん、僕はそんな彼女を眺めながらため息をつく。
「ほう、パネ田さんは女性にもてるのですか?」
「もてもてなのじゃ! 皆主の事が大好きなのじゃ!」
「泣いてる女も多いけどなぁ」
相変わらず三人は他人事だ、散々僕を慌てさせておいて自分は関係ないとばかりに感想を言っている。そんな彼らに僕はなんとも言えない気持ちになると、泣いてる女の子が多い発言にまたまた絶望的な表情を見せ始めた新妻さんをスルーし、とりあえず大本の元凶、ごっさんに大声で文句を言う。
「違うって言ってるだろうが! ごっさんは僕になんの恨みがあるの!?」
「お前ぇがまったく仕事をしないから恨み心頭なんだよ。この前なんてのじゃ公のやつ、修業の成果としてダブル録画出来るようになった事をドヤ顔で報告してきたんだがこれどういう事なんだよオイ」
僕の抗議にごっさんは咎めるように答える。
なるほど、僕とのじゃーさんの修行の成果文句があるのか……。
だが待って欲しい、テレビ番組のダブル録画ができる事のどこに文句があると言うのだろうか? ごっさんが持つ不満を心底理解できない僕は、勢い良くごっさんに詰め寄る。
「凄いじゃないか! ごっさんなんて録画出来ないからいっつもアニメ見るために深夜まで起きてる癖に!」
「聞いて下さい、ことりも普通の録画ならできます。けど野球延長があるとアウトです」
「ことりちゃんもそういうの出来るんだ、意外と皆現代っ子なんだね……」
「勝ったのじゃ! その程度の録画技術、恐るに足らん!」
僕の言葉をきっかけにわぁわぁと皆が騒ぎ出す。
のじゃーさんもことりちゃんも、そして新妻さんまでもが完全に外野だ。僕とごっさんが語る話を深く理解するつもりは無いともとれる態度で適当な感想を並べている。
まぁ彼女達は放っておこう、決して理解されないが決して譲れない戦いもあるのだ。
僕は鋭い視線をごっさんに向ける。さぁ、言いたいことがあれば言うがいいさ! 僕とのじゃーさんの修行にケチをつけようたってそうはいかないぞ!
「……もう少しなぁ、こう修行っぽいのをやれよ、水稷がキレて大変だったんだぞ」
「あれは100%ごっさんが悪いのじゃ!」
水稷さんはごっさんと同じ狛狐で四つの尾を持つ化生だ、真名を隠さなくて済む程に強力なその実力は僕やのじゃーさんとは隔絶した物がある。
そう言えば、水稷さん元気にしているかな?
僕は自らがかつて仕えていた主の話になると途端に物騒になる強力な妖狐のお姉さんの事を思い出しながら、彼女が本日こちらに来ていないことを神に感謝する。
「まぁ、そういう訳でだ、お前ぇさんにはペナルティーが課せられるんだわ」
水稷さんの事を思い出す僕にごっさんが唐突に告げる。
はて……ペナルティーとはなんだろう? 前と一緒でいいのかな?
「何? この前みたいにエロゲー買ってきたらいいのかい? じゃあさっさと金よこせよ、今度は最終的にヒロインに殺される鬱なやつ買ってきてやるからさ」
「もう! 真面目に聞きなさい、羽田君!」
何故か新妻さんに怒られる僕。
将来のお嫁さんは僕が不まじめな様子でいる事に酷くご立腹らしく、いかにも怒っていますと言った表情で僕をたしなめてくる。
むぅ、ごっさんの話なんて聞きたくないのに……けどまぁ、新妻さんに言われたら仕方ないか。
僕は大好きな新妻さんの言うことをちゃんと聞くため、渋々と了承の意を込めてごっさんに向かって顎をしゃくる。
「鴻殿が今日ここに来たのは神社より命じられた重要な務めがあるかららしいんだわ。お前ぇはそれを手伝え、それがペナルティーだ。じじぃ共がどうにかしろって五月蝿ぇんだわ、いっちょ頼むぜ、礼も弾むからよ」
「えー、面倒だけどしかたないかぁ、おじい共には勝てないしなぁ」
各々の神社に使える神使は時としてその祭神より仕事を命じられる事がある。
務めと呼ばれるそれは決して軽視する事のできない重要な物だ。
ことりちゃんの場合は他所の神社に面通しの挨拶まで来ている事から務めの中でもより重要度が高いものであると思われる。
神域でオイタをしたとは言え、予想外に大変な命令をされた物だ。
僕はそんな事を考えながら、ことりちゃんに事情を聞くべく先ほどから静かにしている彼女の方へ向き直る……だが当のことりちゃんは地面にしゃがんで何かをしており僕らの話を全く聞いていなかった。
見かねたのじゃーさんが困った様子で声をかけると、どうやらことりちゃんは一人で石を拾って遊んでいたらしくスカートのポケットが詰め込んだ石でパンパンになっている。
相変わらず行動が突拍子も無いことりちゃんであるが、そこを指摘しても治る気配が無い事は今までのやりとりで十二分に理解しているので、とりあえずペナルティーの話と彼女の務めを手伝う事を説明する。
「ほう、ことりの務めを手伝って頂けるのですか。それはありがたい」
「どういたしまして。じゃあことりちゃん、改めてよろしくねー」
ことりちゃんは僕らの話を理解しているのか理解していないのかあまり良くわからない表情であったが、最後によろしくと伝えると何故か途端に嬉しそうな表情になり、僕の眼と鼻の先まで顔を寄せて話しかけてくる。
「お、おお! もしかしてこれはお友達と言うやつでしょうか? ぐろーばるですね! ことりは感動しています、握手しましょう」
いつのまにか物質化したことりちゃんに手を取られての握手、そしてこれでもかとブンブン振り回される。
……痛い。僕はあまりにも勢い良く手を振り回すことりちゃんに一言物申したくなるが、彼女がとても嬉しそうな表情を見せているので、その言葉を胸にしまう。
「羽田君ってばえっちな事ばっかり考えてるからこんな事になるんだよ! それで、ことりちゃん。その務めって何なのかな?」
「ん? 何でしょうか?」
新妻さんがことりちゃんに向けた問いにふと気がつく。
そう言えばそうだ、ことりちゃんの突拍子のない行動に振り回されていたが、そもそもどの様な事をするのかまだ聞いていなかった。
僕は本来最初に確認しておくべき事を失念していた事に少しだけ慌てながら、不思議そうな表情で相変わらず僕の手を振り回すことりちゃんに問いかける。
「いや、君の務めだよ、ことりちゃん。何か使命を帯びてここまでやってきたんでしょ?」
「そうでしょうね。ことりはぐろーばるなので」
僕の手を開放し、フンスと言った表情で腰に手を当てながらドヤ顔を見せることりちゃん。
うんうん、君がグローバルなのは十分理解したよ、僕が聞きたいのはその先なんだよ。
僕はことりちゃんと会話をする事がとても疲れることをようやく理解すると、根気よく彼女から事情を聞き出そうと会話を続ける。
「いや、グローバルはわかったよ。で、それは何かって聞いているんだよ」
「何でしょうね? 謎は深まるばかりです。ニイヅマー、何かご存知ではないですか?」
「いや、何で私が知ってると思ったの?」
あかん……これ本人全く分かってないぞ。
何故か新妻さんに自分の務めを尋ねだしたことりちゃん、新妻さんが務めを知らないと答えると今度はのじゃーさんに同じ質問をしている。
僕は気が重くなるのを感じながらも、疲れた笑みを浮かべごっさんを見る。
「鴻殿はさ、ほら、あれだよ。木菟って鳥だろ、分かるだろ坊主?」
「ああ、分かるよ。アホの子なんだね……」
「まずそこから調べないといけないんだね……」
「面倒なのじゃー!」
鳥頭……どうやらことりちゃんはすぐに物事を忘れる駄目な子らしい。
果たして物忘れが激しい事はグローバルであると言えるのだろうか、僕はごっさんから依頼されたこの務めの手伝いが予想以上に困難な物になりそうな予感を感じつつ大きなため息を付く。
「取り敢えず俺も向こうの神社に使い出して事情聞いてみるわ。何かあったら知らせるから坊主も適当に頑張ってくれや」
楽しそうにごっさんが告げる。
僕はペナルティーと称して体よく面倒事を押し付けられた様だ。
くそぅ、こんな事なら神域で調子に乗るんじゃなかった。家で新妻さんに迫るべきだった。
僕は後悔の念に苛まれながら、何もかも忘れてしまった癖にやる気だけは十分に出していることりちゃんに視線を向ける。
「皆さん気合充分ですね。修学旅行の前日みたいでことりもワクワクしてきました。これでどんな敵であってもイチコロですね、ぐろーばるです」
どこか嬉しそうに、その眠たげな瞳を少しばかり大きく広げながら、ことりちゃんはそう告げる。
なんだか物騒な発言が聞こえた気がする。
この務めは本当に厄介な物になりそうだ。僕は嫌な予感をひしひしと感じながら、今後の予定を組み立てるのであった。