閑話:新妻さんと手料理
幸せって何だろうか?
もしかしたら、それは人それぞれ違うかもしれない。僕にとっての幸せが他人にとっての不幸せになるかもしれない。
けど、確実に言える事がある。いま僕が体験している状況は、万人の……いや、全生命体にとっての幸福であると言うことだ。
「新妻さんの手料理が食べられるなんて僕はなんて幸せ者なんだろう! これはもう新婚生活の予行練習と言っても過言では無いよね!」
僕は広く豪華なテーブルに備え付けられた椅子に座り、カウンターキッチン越しに料理の準備を進める新妻さんへと声をかける。
そう、僕は今、新妻さんの家へとお呼ばれしてお昼ごはんをごちそうになろうとしていたのだ!
「羽田君にはいつもお世話になっているからね、腕によりをかけてごちそうしちゃうよ!」
「羨ましいのじゃー! 妾も食べたかったのじゃー!」
カウンター越しに新妻さんが元気よく答えてくれる。
ピンクのフリフリがついたエプロンが彼女にとっても良く似合っており、その様子に僕もメロメロだ、1万円位なら余裕で見物料として払ってもいいかもしれない。
「ごめんねのじゃーさん。お詫びに手作りのお菓子があるから持って帰ってね」
「ふふふ、甘いよのじゃーさん! 新妻さんの新妻手料理を食べる事ができるのは夫である僕だけの特権なのさ!」
のじゃーさんは特別な用意がされていないこの場所では物質化する事ができない。
つまり新妻さんの手作り料理を食べることができないのだ!
なんという悲劇! だけど仕方ないよね! 新妻さんは僕の新妻さんだからね! ちなみに今日は新妻さんの家族は外出なんだって! これ完全に誘ってるよね! 新妻さんの新妻プレイだよね!
「えー? 私羽田君のお嫁さんになるなんて言ってないよー?」
だがしかし! 新妻さんによる夢の新妻プレイは無残にも否定される。
どうしてだい新妻さん! 僕と君は将来を誓い合った仲で、今日も二人の間柄をより親密にせんと手料理を振る舞ってくれるんじゃないのかい!?
「ええっ!? 何でだよ! 永遠の愛を誓った間柄じゃないか! あの時の言葉は嘘だったのかい!? 僕の新妻さんになってくれないのかい!?」
「主ざまぁなのじゃー! 妾を除け者にしたバチが当たったのじゃー!」
僕の悲しみに叫びにのじゃーさんがご機嫌で煽る。
むむむ! のじゃーさんめ、僕の悲しみを笑うなんてなんて悪い子狐ちゃんだ! あとでお仕置きだな! 具体的にはややセクハラじみた感じのお仕置きだ!
僕は心底楽しそうにしっぽを揺らすのじゃーさんにどんなセクハラをしてやろうかと考えながら恨めしげに新妻さんを見つめる。
「羽田君がー、もっと女の子の気持ちを分かる誠実な人になったらー、羽田君だけの新妻になっちゃうかもねー?」
新妻さんは、それはそれはご機嫌な様子で歌う様にそう告げるといたずらな眼差しを向けてくる。
むむむ! 子猫ちゃんは小悪魔ちゃんにランクアップですか!? でも僕をからかおうったってそうはいかないぞ!
「おいおいハニー! 僕が誠実でなきゃ世の中は不誠実な人間しかいなくなっちゃうぜ!」
ドヤァ……。
満面の笑みでそう告げる。
ぶっちゃけ世の中には僕以上に誠実な人間なんていないだろう、そんな僕の性格を見抜けないとは、新妻さんもまだまだだよ!
「そんな訳ないのじゃ! 主は世の中の男性に謝るのじゃ!」
「そうですよーだ! どうせそんな事言いながら色んな女の子に声かけたり、思わせぶりな態度とってるんでしょ? わかってるんだよ!」
おおっと、これはなんだか僕が悪い雰囲気ですね。
このままだといつものパターンで僕がいわれのない説教を受けるはめになってしまう。
こうなれば……プランBだ! 僕は真剣な表情でカウンター越しの新妻さんへと視線を合わせる。
「じゃあ、これからは新妻さんしか見ないと誓うよ」
「またまたー、そんな事言っちゃっ……て」
決して視線は逸らさない、先ほどとは一転、真剣な雰囲気を作り出すとゆっくりと、しかしながら力強く告げる。
「……君だけを愛すと誓うよ、本当だ」
「あ……、えっと。その……私だって」
(……チョロイ! これはいけるっ!!)
新妻さんは気恥ずかしそうに目を逸らすが、こちらが気になるのかチラチラと伺ってくる。僕の判断に間違いがなければ完全に恋する女の子の表情だ!
ってか新妻さんってば、あれほど魔術の基礎を教えてあげたのに僕が邪視で魅惑の念を送っている事にまったく気がついていない……。
仕方ない、大切な将来のお嫁さん兼お弟子さんの為にもっと邪視の念を強くするか!
僕は新妻さんを完全に誑し込む為、さらに瞳に力を込める。
だがその目論見は無残にも打ち砕かれた。
「主ってば興奮しすぎて念話が繋がって考えがダダ漏れなのじゃ! そして妾は流れる様にチクるのじゃ! さっとみーん!」
「ああぁ! 心の声が子狐ちゃんにぃ! ストップノーモア子狐ちゃぁあん!」
えらいこっちゃ! 子狐ちゃんにバレた!
のじゃーさんは嬉しそうに声を上げると僕が止める間もなくダッシュでキッチンへと向かっていく、そこは今まさに新妻さんが僕の為に料理をしている場所だ。
やべぇ……こりゃあいつもの説教パターンですよ!
「さとみん聞くのじゃ! 主ったらさとみんがすぐその気になるからって……え?」
「ほえ? どうかしたのかな、のじゃーさん?」
「いや、さとみん。これは何なのじゃ?」
「何って、今日は特製カレーだからね! その調味料とかスパイスだよ!」
新妻さんとのじゃーさんのやりとりが聞こえる、僕もなんとか誤魔化せないかとのじゃーさんの後を追いキッチンへと向かう。
しかしどうも様子が変だ、のじゃーさんは僕の事をチクると言うより何か不思議な事があった様子で新妻さんに質問を投げかけている。
「おー! カレーは大好物だよ、それにスパイスから作るんだ! 楽しみだ……な?」
新妻さんが料理をするキッチンへと入った僕、目の前に現れたのはそれは奇妙な光景だった。
テーブルにところ狭しと並べられる数々のビン、根、葉っぱ……。一見するとスパイスにも見えるが明らかに僕が知らない物が混じっている。と言うかどれもこれもケバケバしい蛍光色を放っていて明らかにスパイスじゃない……。
「えっと……新妻さん? これかは何でしょうか?」
「だから調味料だってばー、もう、さっきからどうしたの?」
恐る恐る問いかける僕に新妻さんは平然と答える。
うん、新妻さん? あのね、調味料ってのはね、普通こんな色していないし、こんな毒々しい見た目じゃないんだよ? これってあれだよね、警告色ってやつだよね? このキノコとか本当にそんな感じだよ?
「さとみん、さとみん! 妾、この不思議な物体が気になるなーなんて!」
僕が新妻さんにどの様な言葉をかけようか迷っていると、のじゃーさんが謎の物体を指さしながら引きつった笑みを浮かべ質問する。
それは、どの様な進化をすればこうなるのか、奇妙な捻じれ方をしており、黒とも白ともつかない不気味な色をした辛うじて植物であると分かるおぞましい何かであった。
「えっと、それは……葉っぱだね」
「「何の!?」」
のじゃーさんと僕の突っ込みがハーモニーとなって新妻さんに突き刺さる。
新妻さんはそんな僕らの激しい突っ込みにも動じず、しごく平然とした表情でその答えを告げた。
「……植物?」
「答えになってないのじゃ!」
新妻さんの謎回答にのじゃーさんの突っ込みも激しくなる。
僕は心のなかで最大級の警鐘がなっている事を自覚しながら、ふと目についた謎のビンを手に取り、新妻さんに再度質問を行う。
「じゃあさ、こっちのこれ! このどす黒い色した怪しげなこれは何!?」
それは赤黒い粉末の中に少し大きめの緑色の粒が混ざっている不思議な粉で、吐き気をもよおす邪悪な気配を漂わせており、ビンを振ってよく見るとチラチラと昆虫の足らしき物が見え隠れしているのが分かった……。
「えっとー、粉……かな?」
「だから何の!? しかもなんでさっきから疑問形なの!?」
たまらず突っ込む。
新妻さんはこの謎の物体があんまり良く分かっていない表情で、おおよそ納得のいかない答えを平然と返してくる。
これはあれだぞ……有名な飯マズってやつだ! まさか新妻さんがそうだとは僕も迂闊だった。どうやってこの危機を乗り越えるべきか……。
「もう! さっきからどうしたの! 台所は女の子の戦場なんだから男の子は静かに待っていて下さい!」
僕が新妻さんから料理と言う名のダークマターをなんとか食べさせられまいと頭をフル回転していると、質問攻めに辟易とした様子の新妻さんがプリプリと怒りながら抗議の声を上げてくる。
そうだね、戦場だよね。でもね新妻さん、戦場での化学兵器の使用は国際条約で禁止されているんだよ? そして僕はその犠牲者になるつもりはないよ?
僕は愛しの子猫ちゃんを殺人者にならせまいと必死に説得する。
「いや、待てないよ! 新妻さん、あのね、調味料が怪しすぎるんだよ! もの凄い不安なの!」
「なんでどれもこれもラベルが貼ってないのじゃ! しかも見たことも聞いたこともない物ばっかりなのじゃ!」
僕の抗議にのじゃーさんも援護の声をあげてくれる、二人いれば新妻さんも折れてくれるか!? 新妻さん! 貴方の料理はおかしいんですよ、気づいて下さい! 届け僕の想い! 愛する新妻さんまで届け!
「さぁ、お鍋が焦げちゃうから質問はここまでだよ、大人しくしていて!」
キッチンから追い出された……。僕の想いは新妻さんにはまったく届いていなかったみたいだ。
僕は絶望的な気持ちになりながら、困った時ののじゃーさんへと助けを求める。
(ど、どうしよう……のじゃーさん、助けて!)
(いやー、妾はさとみんの料理食べれなくて良かったのじゃー、妾危機一髪だったのじゃ!)
(この裏切り者っ!!)
子狐ちゃんは裏切った。その速さたるや隼の如しだ、僕に対する気遣いが一切感じられない。
ふと、キッチンの新妻さんへと目をやる。新妻さんはとてもゴキゲンの様子で最近流行の曲を口ずさみながら、鍋へと謎の調味料をドバドバ大量に投入している。
しかも時折「あ、入れ過ぎた」だの、「あれー、おかしいな?」だの呟く始末で、僕の不安を全力で煽ってくる。
「あのー、新妻さん? 少し調味料の量が多すぎやしないでしょうか……?」
僕は新妻さんの良心に一縷の望みをかけてその件について問う。
少しでも、少しでも自分の行っている事に疑問を持ってくれたらいいんだけど……。
もちろん、そんな僕の思いは無残にも打ち砕かれる。
「大丈夫だよ! 目分量でもバッチリだからね! でも、隠し味の愛情はちょっぴり多めかなー、なんちゃって!」
「嬉しいのに素直に喜べないんですけど!!」
悲哀の胸中で全力の突っ込みを入れる。僕の周りは人の話を聞かない女の子ばかりだ……。僕は悲しみに打ちひしがれながらいずれ来る終わりの時を待ち受けるのであった。
なお子狐ちゃんは、ダイニングに置かれたテレビに映されているエセ霊能力者、マダム・あい子に釘付けであった。
…………
………
……
…
「はーい! おまたせしました! 新妻さとみの特製カレーですよっ!」
テーブルの前にカレーライスが置かれる。
見た目だけで言うならば普通のカレーライスだ、だがこれは食べ物の皮を被った非人道兵器である。
新妻さんは自分の料理に疑う点が全くないのか、晴れやかな笑顔を浮かべており、さぁさぁ! とカレーを僕に押しやってくる。
まさに死の天使だ、僕が新妻さんに強く出れない事を知っていて殺しにかかってきているに違いない。
「わぁ、美味しそうだなー……」
力ない言葉しか出てこない、匂いは普通だ、むしろ食欲をそそる。
だが、そうやって期待させておいて落とすことはわかっている、僕は関西人なんだ、その位のわびさびは理解している。
わぁ、見た目も匂いも美味しそう! パクッ! ギャー! ……凄く自然な流れだ、基本かつ王道で疑う余地もない。
「えへへ、遠慮しないでね!」
「う、うん……」
(のじゃーさん、僕の生き様、見ていてね)
(しかと目に焼き付けるのじゃ! 主の勇敢な生き様は妾が決して忘れないのじゃ!)
のじゃーさんに最後の言葉を告げる、僕は死地へ向かう。
僕の勇姿はのじゃーさんによって語り継がれる事であろう。僕が朽ちても僕の生きた轍は残る。
そして……新妻さんの疑うことを知らない笑顔にほほ笑みを返し、僕はカレーを口に入れた。
「……あれ?」
「ふふふ、どうかな?」
予想していたであろう衝撃は来ない、いや、違うこれは別の衝撃だ!
新妻さんの作ったカレーは、程よい辛さを保ちながらもふわりとした甘みを感じさせる。
適度な大きさに切られた肉、じゃがいも、人参等の具材がルーと絡みつき味のバリエーションを増やしている。
また、ご飯もやや硬めに炊かれており、カレーを食するに適した食感となっている。
それら絶妙に調整された数々の要素がハーモニーとなって、感激にも似た食欲と満足感を湧かせてくる。
つまり、一言で説明するならば、新妻さんのカレーは最高に美味しかったのだ!
「凄い! とっても美味しいよ!」
「ええっ!? そんなまさかなのじゃ!」
ハラハラとした様子で僕を見ていたのじゃーさんが驚きの声を上げる。
まったく、のじゃーさんったら心配症だなぁ、僕は最初から新妻さんの事を信じていたんだよ! 疑っていたのは君だけさ!
僕は掻きこむようにカレーを口に運ぶ、今まで食べてきたカレーとは何だったのだろうか? 毎日でも食べていたいと思わせる味わいがこれにはある。
「そうでしょ! 自信あったんだ!」
「美味しい! こんなのお店でも食べた事ないよ!」
「えっへん、私の力量思い知った?」
「うん、思い知らされたよ! 流石僕の新妻さんだ! 料理も完璧じゃないか!」
新妻さんに笑顔で答える。対する新妻さんも嬉しそうだ。
僕は将来のお嫁さんである新妻さんが作ってくれた愛情たっぷりの料理に舌鼓を打つ。
反面のじゃーさんは未だに訝しげな表情だ、実際に食べていないせいか疑う表情を見せている。
「あの粉とか葉っぱとかトカゲからなんでそんな物ができあがるのじゃ……」
「おいおい、のじゃーさん。僕の新妻さんが作る料理にケチをつけようったってそうはいかないぜ! 僕のハニーはなんでも完璧なのさ!」
「なんだか照れるね……。あっ! お代わりもあるから沢山食べてね!」
新妻さんはそう言うと、両手で頬杖を付きながらニコニコと僕の様子を見つめだした。
少しだけ恥ずかしい物があるが、新婚生活ってこういうものなのかもしれないね。
僕は最高に幸せな気分になりながら、新妻さんにお礼の言葉を述べる。
「ありがとう! もう新妻さん無しでは生きていけないよ!」
「えへへ、どういたしまして! 羽田君!」
「腑に落ちないのじゃー」
◇ ◇ ◇
新妻さんのカレーを散々堪能して帰宅した後。
僕はこのお礼は盛大にしようと心に決めながら、本日体験した思わぬサプライズに思いを馳せていた。
「やぁ、新妻さんのカレーは本当に美味しかったなぁ!」
「むむむ、そこまで言われると妾も食べたくなってきたのじゃ!」
時刻は夜の11時、新妻さん特製の新妻カレーをお代わりしてまで頂いた僕は、お腹が膨れた事もあり、夕食は控えていた。
その為か……、つい先程食べたかの様にあの時の様子が思い出される。
僕はドヤ顔を浮かべながら、裏切り者ののじゃーさんへと勝利宣言をする。
「のじゃーさん、残念でした! 僕はたっぷり堪能したからね! やっぱりあれだけ美味しかったのは新妻さんの愛情がこれでもかと入っていたからかな!?」
「にゅー! 酷いのじゃ! 妾も食べたい! 食べたいのじゃ!」
のじゃーさんは現金な子だ、僕が大丈夫だったと知ると途端に新妻さんの手料理が食べたいとワガママを言い出す。
ふふふ、駄目だよ子狐ちゃん! いつだってヘタレた者に勝利は訪れないのです!
勝利の女神は、最後まで信じ抜いたものに微笑むのですよ!
「でもなー、あれは新妻さんが僕の為に作ってくれた料理だからなー! 他ならぬ僕だけの為に!」
「にゃー! もう主なんて知らない! あとでさとみんにメールして妾にも作ってもらうようにお願いするのじゃ!」
「僕の分もお願いしておいてね、のじゃーさん!」
「べーっ! なのじゃー!」
のじゃーさんは僕のスマートフォンを横取りすると、部屋の隅っこでいじけてしまった。
うむむ、子狐ちゃん拗ねてしまっちゃったか、でもまぁ僕を裏切った罰だよ、そこでしばらく反省しておいで!
「いやぁ、それにしても美味しかったなぁ新妻さんの手料理。また食べたいなー!」
「つーん、なのじゃー」
またお願いしたら料理作ってれるかな? 今すぐでも食べたいよ、でもあんまりすぐにお願いすると嫌われちゃうかな?
「本当、最高だったなぁ。早く食べたいなー、次が楽しみだなー」
「…………」
でも我慢できないなー、明日早速お願いしてみるかな? 僕と新妻さんは夫婦なんだしそれ位OKだよね?
「ああ、待ちきれないなぁ……手料理、食べたい、なぁ……」
「主っ! いい加減にするのじゃ! そんな意地悪する事ないのじゃ! 流石の妾も黙っては……あ、主?」
いや、まて、今すぐ食べたい、ヤバイ、なんだか凄く食べてくなってきた……。
「うへへ……、手料理……、手料理が食べたい……うえっへへへ」
「主ぃぃぃぃ!!」
食べたい、新妻さんの手料理、食べたい、今すぐに。
「の、のじゃーさん? 何でだろう? 手が震えるんだ、うへへへ。 あと今から新妻さんに手料理作ってもらいにいこうよ」
「き、禁断症状がでておる!? 主! 気をしっかり! 今からなんていける訳ないのじゃ!」
目がかすみ、手が震えてくる。きっとあれだ、新妻さんの料理を食べてないからこうなっているんだ!
慌てた様子でのじゃーさんが駆け寄ってくるのが見える。けどなんだか視界が安定しない、やっぱり新妻さんの料理を食べてないからだね。
「ああっ! ダメだ! ダメだ! 今すぐ手料理を! 手料理を食べないと!」
「さとみんめ! やっぱり言わんこっちゃないのじゃ! 確実に粉なのじゃ! 謎の調味料が禁断症状を引き起こしているのじゃ!」
のじゃーさんが僕の顔を覗き込んでくる。
のじゃーさん、駄目ですよ、僕心の準備ができてないよ、その前に新妻さんの料理を食べに行こうよ?
「うへへ、のじゃーさん。大丈夫だよ。新妻さんの手料を食べればすぐに良くなるさ!」
「駄目なのじゃ! そんな事すれば余計悪化するのじゃ!」
「主っ! どこを向いておる!? そこに妾はいないのじゃ!」
僕の事を心配してくるのじゃーさんに元気よく答える。
まったく、なんだかんだ言っても子狐ちゃんは僕の味方だね、こうやって僕を心配してくる。
僕は感動に痙攣しながら、あふれ出る涙を誤魔化すように首を振る、そうして首を向けた先には……なんともう一人のじゃーさんがいた。
「あれ? のじゃーさんが沢山いるね、やぁ、ここは天国なのかい? こんばんわ、のじゃーさん達」
ひぃふぅみぃ、わぁ! のじゃーさんが一杯だぁ!
一人でも僕を萌え殺さんとするのじゃーさんがこんなにもいたら、僕はどうなってしまうのだろうか?
僕は、言い様のない幸福感と興奮に包まれながらのじゃーさん達を観察する。すると一番近くに居たのじゃーさんが心配そうに声をかけてきた。
「主! さとみんの手料理で幻覚が見えておるのじゃ! 飯マズならぬ飯ヤクなのじゃ! ここは耐えるのじゃ! クスリが抜けきるまで我慢なのじゃ!」
「なるほど、新妻さんの愛が僕を縛り付けるんだね、新妻さんってば過激だなぁ、うへへっへ」
ほほぉ、のじゃーさん分身事件は新妻さんの仕業って事なのですね。
つまり、新妻さんの僕に対する愛が強すぎるあまり、のじゃーさんが沢山分裂してしまったと……。成る程、全て説明がつくね!
「主!? 誰と話しておる! 妾はこっちなのじゃ! 戻ってくるのじゃ!?」
「うんー? のじゃーさんってばおかしい事を言うね、僕はのじゃーさんとお喋りしているんだよ?」
僕がのじゃーさんとお話をしていると、のじゃーさんが僕に話しかけてくる。
うんうん、僕よくわからなくなってきた、助けてのじゃーさん!
「違うのじゃ! 妾は幻覚なのじゃ! 本物はあっちなのじゃ!」
僕が混乱していると、目の前にいるのじゃーさんがのじゃーさんを指さしながそう教えてくれる。
「なるほど、真ののじゃーさんは一人って訳だね、でも主には全てお見通しですよ、本物は君だね! どうかな?」
「妾も幻覚なのじゃ! しっかりするのじゃ主!」
「ありゃー? じゃあこっちののじゃーさんはニセのじゃーさんなのかな?」
「それが本物なのじゃ! やっば! 瞳孔が開いて痙攣が激しくなってるのじゃ!」
「だから一体だれと話をしているのじゃ! 妾の話を聞くのじゃ!」
ああ、沢山ののじゃーさんが僕に詰めかけてくる、たまらんばい。
僕はのじゃーさん達の不安げな様子に笑顔を返しながら、先程から身体を強烈な疲労感が襲っている為に、少しだけ早めの就寝を告げる。
僕ちょっとだけ疲れたんだ、今日は早めに寝ることにするよ……。
「ふふふ、のじゃーさん。僕なんだか疲れたからちょっとだけお休みさせてもらうね……」
「待つのじゃ! 寝てはいかん! 死んでしまうのじゃ!」
「そうなのじゃ! このままだとあの世への超特急なのじゃ! もう少しの我慢なのじゃ!」
「駄目なのじゃ! 耐えるのじゃ! クスリに負けては駄目なのじゃ!」
「なんだか嫌な予感がするのじゃ! 寝たら駄目なのじゃ!」
のじゃーさんが口々に寝るなと懇願してくる。
まったく、僕ともっとイチャイチャしたいだなんて、甘えん坊な子狐ちゃん達だ。仕方ない、僕も気合入れてのじゃーさん達とお遊びするかな! これだけいればドサクサに紛れていろいろお触りしても誤魔化せそう――。
「あ、やば。意識が……」
「「「あ、主っーーー!!」」」
キーンと耳鳴りがして、視界が黒に染まる。
僕はなんとか意識を保とうとするが、残念ながらそれは叶わず、果てしない暗闇に飲まれていくのであった。
…………
………
……
…
その後、意識を取り戻した僕は新妻さんに謎調味料禁止令を出す。
新妻さんは自分の料理に耐性があるらしく何が起きたのか分かっていない様子で凄く不満そうにしていたが、僕の必死の説得により渋々納得してくれた。
こうして新妻さんの飯ヤク事件は幕を閉じる。ちなみに、僕はこの後しばらく、急に新妻さんの手料理が食べたくなるフラッシュバックに悩まされる事となる。




