閑話:のじゃーさんとスクール水着
天国とは何処にあるのだろうか? 皆は知らないと思うが、実はとても近くにある。
暑いから動きたくないとぐずるスーさんをあらゆる手をつくしてデレさせて走らせること小1時間、駐車場完備、入場料大人1200円のこの場所こそが僕らが夢にまで見た楽園だ。
「ああ、やはり天国はここにあったんだね……」
「わーい! 主っー!」
のじゃーさんが嬉しそうにこちらに手を振ってくる。
スラリと伸びた足、白磁器の様に透明感のある美しい肌、未だ幼さを感じさせる体躯、無邪気な笑顔。
そして……陽光を反射し燦然と輝く水に濡れたスクール水着!!
そう、僕はこの世の極楽! つまり市民プールに来ていたのだ!
「ぐへへへへ、のじゃーさん可愛いよ。可愛いよのじゃーさん」
思わず溢れだす愛と言う名のヨダレを拭う。
のじゃーさんは子供用に作られた底の浅いプールで水と戯れている。
その格好は僕が全力を持って作り上げた特製のじゃーさんスクール水着に包まれている、胸に付けられた「のじゃーさん」と書かれた大きな名札が印象的な一品だ。
我が事ながら恐ろしくなってくる、僕はどこまで真理を追求すれば良いのだろうか?
もはや僕には小難しい理論や概念などなんら意味を為さず、ただ一言「のじゃーさんはごっさ可愛い」のみで世の全ての真理を解き明かさんとしていたのだ。
(冷たくて楽しいのじゃー!)
(いいよ! のじゃーさん! 水に濡れたのじゃーさんも最高にプリチーだよ!)
のじゃーさんがパシャパシャと水面に波を立てている様子を逃すまいと凝視する。
僕が鼻息荒くその様子をプールサイドから眺める様子に気づいたのか、のじゃーさんは少しだけ名残惜しそうにプールを眺めると、プルプルと水を切りながら僕の方へと戻ってくる。
(けど主には悪いのじゃ、腕の怪我がまだ治っていないのに妾を連れてきてくれて……)
のじゃーさんはプールサイドにある日除けのテントの下で涼を取る僕の所までやってくると、僕の隣にちょこんと座り、そう申し訳なさそうに切り出す。
(まぁ僕はスク水のじゃーさんを見るだけで幸せだからね! それに一緒に入るとか自分を抑えられる気がしないし!)
のじゃーさんの言うとおり、僕の右腕は未だに包帯が巻かれている。だが、これでよかったのだ、でなければ僕は目の前に肉を差し出される餓えた狼と化してのじゃーさんのいろんな所をドサクサに紛れてお触りしてしまうだろう。
僕は涙を飲んでのじゃーさんを送り出したのだ、本当ならお触りしたい! お触りしまくってのじゃーさんの逆鱗に触れてみっちりとお説教を喰らいたい! だがそれではのじゃーさんに嫌われてしまう! それだけは、それだけは決して許せないのだ!
(さよかー。でもでも、妾も主と一緒に泳ぎたかったのじゃ! あとあと、さとみんもいたら最高だったのじゃー)
僕の邪な欲望を感じ取ったのか、ジト目のじゃーさんが疑うように相槌を打つ。
酷いなぁ! 僕何もやましいことは考えていないのに、疑われるいわれは無いよ!
僕は先ほどの欲望丸出しの雑念を振り払うかの様に笑みを浮かべると、愛しの子狐ちゃんの問いに答える。
(うーん、新妻さんは用事あるみたいだったからねぇ。新妻さんの水着姿もちゃんとチェックしておきたかったんだけど……)
実は今回のプールには新妻さんも誘っていたのだ。だがしかし、彼女は当日家族と旅行に行く予定だったらしく残念ながら来れなかった。
(さとみん物凄く残念がっておったな、慌てっぷりが酷かったのじゃ)
(最終的に何だか僕が悪い事になってたしね……)
プールに誘った時の新妻さんはなかなか凄かった……。
まずはこちらが驚いてしまうほど嬉しそうに喜びの声を上げると、その後予定している日にちを聞き、事前に僕が手に入れた入場券の有効期限の関係上日程の変更ができない事を知ると、今度は世界が終わってしまうとでも言わんばかりの絶望の表情を見せる。
そうしてあれやこれやとテンパった挙句、僕の言葉を一向に聞かないままタイミング悪くプールに誘った僕が女の子の気持ちを弄ぶ悪い人みたいな感じで責め始めたのだ。
結局、後日新妻さんを再度プールに誘う事で落ち着いたのだが未だになんで僕が怒られたのか意味がわからない、まぁでも最近は新妻さんに怒られるとなんだかとっても気持ちが良い事に気がついたから別にいいんだけどね!
(新妻さんは今度誘うとして、のじゃーさんは思う存分楽しんでよ!)
(らじゃー! なのじゃー!)
僕の言葉にのじゃーさんは嬉しそうに駆けて行く。
ふふふ、精一杯楽しんでくださいよのじゃーさん! 僕はその様をしかと脳に焼き付けますので!
そうして、再度脳内ハードディスクにのじゃーさんの御姿を保存する作業に戻る。
「ぐへへへ、たまらんばい」
「ちょっと君……」
のじゃーさんは勢い良く飛び込むとプールの中ではしゃぎ回っている、実体化をしていない為にあくまで雰囲気を楽しむだけなのだがそれでも楽しそうだ。
もちろん、のじゃーさんが動く度にその肢体を這うように伝う水滴は僕が彼女をサポートする為に全力で創りだした想念体だ。
こっそりと繋げたリンクより水滴から伝わる感覚を楽しみなが僕は喜びの声をあげる。
「こりゃあ天使ですよ!」
「ちょっと君っ!!」
「こうなればどうにかしてのじゃーさんを脱が――ん? 何でしょうか?」
ふと気がつくと、ブーメランパンツに水泳帽をかぶり、蛍光色のジャケットを羽織った大学生位のお兄さんが目の前にいた。
……んー、名札をつけているから多分監視員の人かな?
「君……。さっきから子供用プールを見て何をしてるんだ?」
その言葉に周りを見渡すと、多くのファミリーが怪訝な顔でこちらを伺っている事に気がつく。中には自らの子供――小さな幼児を隠すような仕草をしている人すらいる。
ははぁん、なるほど。僕が変質者だと思われたんだな! まったくなんて心外な! 僕のどこをどうみたら変質者に見えるのだろうか?
僕は不愉快だと言わんばかりの表情をつくり上げると、失礼極まりない誤解をしている監視員さんと周りで様子を伺うファミリーに聞こえるように大きめの声を上げる。
「ご安心を。僕が見ていたのは狐耳の女の子です!」
言ってやった。言ってやったんや!
僕はこれ以上ないかと思われるほどのドヤ顔を監視員さんに向ける。
そんな僕を見て監視員さんも納得……は全然してなかった。しかも視界の端に映るファミリーのいくつかがそそくさと退散し始める。
「あのね、最近物騒な事件も多いからこっちもピリピリしているんだよ。まったく、なんで今日に限って変な人ばかり……」
「変な人……。例えばどんな人がいるんですか?」
「なんだか幽霊が見えるとかなんとか……、いや、忘れてくれ。兎に角だ、君も何を考えているか知らないがあんまり疑われる様な事はしないでくれよ! できれば家族連れのお客さんが心配するからここから離れて欲しいんだけどね!」
幽霊が見える……?
はて、僕以外に魔術師や霊能力者でも居るのだろうか? でもそんな人ならおいそれと人に疑われるような言動を取るはずがないんだけど……。
幽霊が見えるなんて普通の人に言ったら変人扱いされるのがオチだ。普通そんな事を堂々と言い放つ人なんていないだろう。
僕は監視員さんの言葉に何か引っかかる物を感じながらも、この場から離れる事に対してどうしたものかと考えを巡らす。
(主っ! こればっかりは仕方ないのじゃ! 流石に疑われるから別の所にいくのじゃ!)
(まぁ、言われてみればそうか。いくら僕が男前度マックスとは言えずっと子供用プールを凝視してちゃ変だよね、僕ったらうっかりさん!)
いつの間にか僕の隣まで来ていたのじゃーさんがこの場から離れる事を進言してくる。
まぁのじゃーさんの言うとおりだし、別に子供用プールにこだわりは無いからさっさと離れるのが一番か……。
僕は未だにジクジクと痛みを訴える腕をかばうように立ち上がると、迷惑をかけてしまった監視員さんとファミリーの方々に謝るとその場を後にする。
…………
………
……
…
(してどうする? 妾はどこでもいいのじゃ! 次は流れるプールに挑戦したいのじゃー!)
(ん、そうだね。そっちの方に行ってみようか!)
(わーい! なのじゃー!)
プラプラと園内を歩きながらのじゃーさんと次なる新天地を相談する。
僕らは楽園を追われたアダムとイブだ、禁断の果実を食した罪は重い。だが嘆くことは無い、天国は一つではなく少しばかり歩いた所にてその門戸を開いていたのだ。
そしてそれは一般的には流れるプールと呼ばれている。
僕は先ほどと同じように流れるプールの近くにあるテント――今度はあまり人が占領していない場所を見つけると早速そこに座り込みのじゃーさんを視姦する。
のじゃーさんも初めて経験する流れるプールが興味津々なのか、恐る恐るプールに足を入れて入水、やがて最高にごきげんな様子でこちらに手をフリフリ、水流に身を任せて流されていった。
そんなのじゃーさんを慈愛の微笑みに隠された欲望の嘲笑で見つめていた僕だが、不意に僕を遮るよう視界に影が差す。
ふとそちらの方を見上げると、見たこともないような巨体のおばさんが険しい顔をしてこちらをジロリと睨んでいる、ケバケバしい花柄の水着の下からは、明らかに適正体重を凌駕した量の脂肪が三段に重なり己を主張している。
周りに自分以外の誰も居ない事を確認した僕は、絶望的な気持ちになりながらも何事かとオズオズと言葉を投げかける。
「な、なにか……?」
「アンタ……このままだと地獄に落ちるわよ!!」
おばさんは開口一番、辺りに響く大きな声で僕に向かってそう言葉を投げつける。
突然の言葉に僕もタジタジだ……、意味がわからない、僕はなにか悪い事をしたのだろうか?
「へ? じ、地獄?」
「そうよ! アンタに狐の霊が付いているわ! それも強力な! ――地獄に落ちるわよ!!」
再度、大声でおばさんがそう告げる、僕はその言葉に辟易としながらも取り敢えず相手がどの様な人であるか分からない事には話が進まないと言葉を返す。
「いや、まぁ……えっと、まずどちら様でしょうか?」
「あー、面倒なのにあたったのじゃ! 主、この人、見えているのじゃ! しかも中途半端に」
いつの間にかプールよりあがり僕の所まで戻って来ていたのじゃーさんの言葉にハッとなる。
見える人とはその言葉すなわち幽霊などの非現実的存在が見える人の事である。先天的に獲得している人や、新妻さんや僕みたいに何らかの事情で後天的に獲得している人等がいる。
その種別やレベルは様々なのだが……先天的に見えて、かつ中途半端に見える人は指導してくれる人が居ない場合、いろいろとこちらの事情を誤解してしまう傾向がある。
(うわー、一番やっかいなタイプじゃないか……)
「でも、あれぇ? この人どこかで……」
恐らくこの人はのじゃーさんの事を中途半端に認識してしまっているのであろう、だから使い魔であり、神使である筈ののじゃーさんを悪霊の類であると誤解しているのだ。
困ったぞ、こういう人は思い込みが激しいから誤解を解くのも大変なんだよな……。
僕がどうやってこの場を切り抜けるか頭をひねっていると、僕の言葉にいまだ名乗りを上げていない事に気が付いたであろうおばさんが変わらぬ大声で自己紹介を行う。
「申し遅れたわね! アタシの名前はマダム・あい子! あい子のスピリチュアル相談室でお馴染みのハイパースピリチュアルエンジェルライフクリエイトアドバイザーよっ!!」
どうやら相手はあい子と言うらしい……僕はその名前をどこかで聞いた気がするのだが、どうにも思い出せない。
しかしながらその答えはすぐ近くからやってくる、それは驚きと興奮に包まれたのじゃーさんの声であった。
「思い出したのじゃ! 本物のあい子なのじゃ! あい子のスピリチュアル相談室は毎回楽しみに見ているのじゃ! すっ、凄いのじゃ! サイン欲しいのじゃー!」
僕も思い出したぞ! マダム・あい子と言えば最近人気の番組出ている自称霊能力者だ!
のじゃーさんがその番組を毎回欠かさず見ているから記憶の片隅にあったんだ……けど、なんだこれ? 滅茶苦茶怪しいじゃないか。
(ねぇ、のじゃーさん? 肩書が果てしなく胡散臭いんだけど……)
「当然なのじゃ! あい子はれっきとしたエセ霊能力者なのじゃ! 言っている事はいつも的外れなのじゃ!」
(じゃあなんで楽しみに見ているの……)
のじゃーさんに念話で問いかける。愛しの子狐ちゃんは普段テレビで見る有名人が目の前にいる事に大興奮の様子で、しきりにあい子の周りをぐるぐる回りながらワーッと楽しそうにはしゃぎ回っている。
……子狐ちゃんあてにならないなコレ。
「アンタ……狐と話をしているのね! それはとっても危険よ! このままじゃ……地獄に落ちるわよ!!」
「いや、地獄に落ちるのはわかりましたから、ってか声が大きいんですけど……」
ハッキリとは見えないのか、自らの周りをグルグル回る子狐ちゃんには目もくれずに僕に向かって怒鳴りつけるあい子。
その形相はまさに鬼の如しで、僕は何も悪くないのになんだか本当に地獄に落ちてしまう様な気分にさせられてくる。
「あい子の地獄に落ちるが聞けるなんて、今日は素晴らしい日なのじゃ! ちなみに! 声が大きいのはあい子の芸風なのじゃ!」
(……さいですか)
のじゃーさんはあい子の観察に満足したのか、今度は僕の目の前までやってくるとピンと指を立てながら少しだけ胸を張ってあい子について説明してくれる。
ありがとう、のじゃーさん。でもね、僕あい子についてまったく興味ないんだよ。
「また狐と話をして! 忌々しい! こうなったら、アンタが地獄に落ちる前にあい子のスピリチュアル浄化を実行しなきゃいけないようだね!!」
「いや、この狐ちゃんは僕の使い魔でして……ついでに言うと狐ちゃんは貴方のファンだったりするんですけど?」
「はわわわ! 出る! あい子のスピリチュアル浄化が出る! 今まで数々の悪霊を払わんと放たれたものの一切の効果を見せなかった伝説の除霊術が出るのじゃ!」
(のじゃーさん、ちょっとだけ静かにしてくれない? なんだか僕と君のテンションに大きな差があるみたい)
あい子は僕の話をまったく聞いてくれない、そしてのじゃーさんも僕の話をまったく聞いてくれない。
僕は現在進行形でガリガリと削られる精神にゲンナリとしながらも必死に二人に話を聞いてもらおうと説得を続ける。
もちろん、それは全て無駄に終わる。
「問答無用! アンタが地獄に落ちる前に浄化しないといけないのよ! カーーッ!!」
「ちょ! まっ! 痛っ! 痛い! 何してんだよ!」
あい子はごく自然に僕の言葉を無視すると、突然ものすごい叫び声をあげながら僕の背中をバシバシと叩きつける。
テレビでよく見る霊能力者が悪霊を追い払うあれだ、実際食らってみてわかるが想像以上に痛い、普通に赤く腫れ上がってしまいそうな勢いだ。もちろん効果はない。
「にょわーー! 凄いのじゃ! スピリチュアル浄化を受けてしまったのじゃ! もの凄いなんともない! びっくりする程なんともないのじゃ! 主! これすっごいのじゃ!!」
「のじゃーさん、静かにして! 僕いい加減プッツンしそ――痛っ! 痛いって言ってんだろうが!!」
のじゃーさんの歓喜は今や天を覆い尽くさん勢いだ、嬉しそうに感激の声を上げるとあい子と一緒になって僕をバシバシと叩き始める、あい子と違って霊体化状態なので痛くも痒くもないんだけど、そのテンションが僕の心をグリグリと抉ってくる。
そしてあい子の除霊は物理的に痛い、僕は涙目になっていた。
「この子から出て行きぃ! もうこれ以上この子を苦しめるんはよしぃ! アンタが帰るべき場所へ行きぃ!!」
「きゃうーーん! ついにあい子必殺の説得除霊が出たのじゃ! 的外れなのじゃ! テレビで見た通りの的外れっぷりなのじゃ! 妾の事情にかすってすらいないのじゃ!!」
二人のテンションはお互いを補完しながら双竜のごとく天に突き上がっていく。
反面僕のテンションは恐ろしい勢いで地を突き破っていく。
しかもあい子は逃げようとする僕を執拗に追いかけて背中を強烈に叩いてくる。
なるほど、確かに地獄に落ちるねこれ! ここが地獄なんだね!
「狐が叫び声あげとる! もう少しやでアンタ! 苦しいやろうけどもう少しの辛抱やで!」
「ちゃんと聞けよ! めちゃくちゃ喜んでるんだよ! しかもこれ無駄に痛いんだよ!」
チラリと見た子狐ちゃんは、まるで目の前に憧れの野球選手が現れた少年の様に目をキラキラと輝かせながら変わらず僕をバシバシと叩き続けている。
痛い……、背中も心も滅茶苦茶痛い……。なぜ僕だけが苦しみの声をあげねばいけないのであろうか、僕は心の中で滝のように涙を流しながら愛しの子狐ちゃんへ縋るように助けを求める。
(のじゃーさん! そろそろ助けて! 滅茶苦茶痛いの! 哀れな主を助けてちょうだい!)
「苦しぃやろぅ! この子も苦しんどる! もうやめぃ! これ以上苦しめるんはやめぃ! 仏様の所へいきぃ!」
「きゃーー! 神使の妾に仏様の所へいけとかジャンル違いも甚だしいのじゃ! 多分行った所で丁重おもてなしされた後に送り返されるのじゃ! お互い微妙な空気になるのがわかりきっているのじゃ!」
のじゃーさんは僕の話を全く聞いていなかった。
わかりました、僕死にます。死んで楽になります。
全てを悟り、一周回って穏やかな気持ちになった僕は、その場に立ち止まると空を見上げる。
ああ、お天道様はあんなに大きくて眩しいのに、僕はなんでこんなに見窄らしく小さいのだろうか……。
僕が絞首台へ登る事を決意し、裁きが下るのを待ち受けんとしていたその時、助けは意外な所からやってきた。
「こらーーっ!! あんたら何やってるんだ!」
声がした方に勢い良く首を向ける。それは先ほど僕を注意してくれた監視員さん……いや! 神であった!
僕は万感の思いを込めて神へと助けを求める! 神よ! ここに、ここに子羊がいますぞ!
「神よ! ちょっと助けて下さいよ! この人がいきなり除霊してくるんですよ!」
「この子には狐が憑いとる! いま除霊しないととんでもないことになるのよ! 地獄に落ちるんだよ!!」
「またお前らか! 幽霊だの狐だの神だの! 一体何言ってるんだ! 他のお客さんの迷惑だろ!」
神はその精強な顔つきにどこか疲れを見せながら僕達を厳しく咎めてくる。
なるほど、どうやらあい子は僕に出会う前にも同じような事をしていたんだな! 神の手を何度も煩わせるとはなんたる悪人だ!
死を覚悟し穏やかな気持ちで居た僕にもふつふつと怒りが湧いてくる。
「にょわっははは! 見えない人が乱入して事態は更に混乱してきたのじゃ! ピンチなのじゃ! どう切り抜ける、あい子!?」
「のじゃーさぁん! ご機嫌の所悪いんだけどテンション下げてくれるー!? 僕いろいろとヤバイんだけどっ!」
そしてここにも主の言うことを全く聞かない悪い子ちゃんがいる……。
のじゃーさんは神の乱入にお腹を抱えて笑いながら、今後の展開に期待を寄せている。
しかも何故かあい子推しだ。あのぉ、君の主が物凄く酷い目に合ってるんですけどそれはスルーなんですかねぇ!?
「あんたぁ! また狐と話おってぇ! 狐めぇ! この子と話すのよしぃ! たぶらかすのはよぃ! アンタも抜け出せなくなるでぇ!!」
「お前ら何もない所に向かって何話しかけてるんだ! お客さんが気味悪がるだろう!!」
「ええい! こうなったら! 神よ、僕の目を見て下さい!」
こんなくだらない事で使いたくなかったが最終手段だ!
僕は神に目を合わせると、自らの意識を切り替え、邪視の念を飛ばす。
――何も問題ない、この場から去れ!
「何を言って――あ……」
成功だ! 神は一瞬だけ呆けた表情をすると、訝しげな表情を取る。
「ん? 狐の仕業かい!?」
「まったく分かっとらんのな……。そもそもあい子はなんでこの業界に入ったのじゃ?」
突然変わった神の様子にあい子も怪訝な様子だ。
僕はこのチャンスを逃すまいと勢い良く神へと謝意を告げ、この場から去るように話を誘導する。
「ここは大丈夫ですよ! ご迷惑をかけてすいませんでした!」
「ああ、全く! これ以上騒ぎを起こすと叩きだすからね! 静かにしてくれよ!」
神はどこか納得しない様子を見せながらも、一言だけ小言を言い、去っていく。
よかった! 取り敢えず神は去ったぞ。
先ほどのやりとりであい子も僕に対する除霊と言う名の暴力を忘れている、この貴重な時間を有効に使わなくては、神が作ってくださったこの時間を!
「きっ……」
「わくわく! あい子はどう出るのじゃ!?」
……のじゃーさんは未だにあい子推しだ、これは後でお仕置き確定だよ!
僕は嬉しそうに事の成り行きを見守るのじゃーさんを取り敢えず無視する。そしてあい子が復活する前に全てを終わらせんと、視線を向け、今まで行った事が無いほどの力を込めて邪視を放つ。
「狐の仕業だ――」
「あい子ぉ! 僕の目を見ろぉ!!」
――僕に構わずに去れ! ってか去って下さいお願いします!
見えない圧力が視線に乗ってあい子に届く。
かつてない手応え、成功を確信する。
僕はニヤリと笑いながら、あい子を追い払う為の言葉を告げようとしたが――。
「やだ……、アンタ、こんなおばちゃんからかうんじゃないよ」
何故かあい子は頬を紅く染め上げると潤んだ瞳でこちらを見つめ返してきた。
「なんで効かねぇんだよ! ふざけんな!!」
あい子はその巨体をおぞましいまでにモジモジと揺らしながらこちらをチラチラと伺っている。
見つめんじゃねぇよ! そんな気持ちをはこれっぽっちもねぇよ!ってか曲がりなりにもスピリチュアルなんたら名乗ってる癖になんで何も気づかねぇんだよ!
「あわわ! あい子の知られざる能力が今明らかに! 結構な耐魔力なのじゃ! 道理で悪霊に普段から接している癖にピンピンしてると思ったのじゃ!」
「余計な所で能力発揮してんじゃねぇよ!」
のじゃーさんの分析結果に目の前が真っ暗になる。
が、真の地獄とはこの程度では生ぬるく、その片鱗を欠片も見せていないと言うことに僕はこの後気づく事になる。
そうして、絶望がやってきた……。
「な、何やってんだよ羽田……」
声のした方に恐る恐る顔を向ける。そこには驚いた表情でこちらを伺う熊谷と黒瀬さんが居た、いつの間にそんな関係になったのか二人は仲良く手まで繋いでいる……。
幸せそうで何よりですね! で、これ以上僕をどうしたいんですか皆さん!
「うげぇ! 熊谷、それに黒瀬さん!」
「あー、完全に誤解されているのじゃ。 主ー、どうするのー?」
(のじゃーさんってば今日は僕のこと全然助けてくれないよね!)
のじゃーさんはまるで他人ごとの様にその様子をぼーっと見ている。
あれだね、今日ののじゃーさんは全く役に立たないね! 僕を助ける気が全然ないよね!
僕は心の中で血の涙を流しながら、熊谷達に告げる釈明の言葉を考える。
「いや、おい。お前そんな趣味だったのか? 新妻さんとの関係は遊びだったのか……?」
信じられないと言った表情で熊谷が訪ねてくる、反対に黒瀬さんは無表情だ……、いや、これはあれだね、人を人として見ていない目だね!
僕は彼らの誤解をなんとしてでも解かねばならないと慎重に語りかける。
「まず最初に聞いておきたいんだがどこから見ていた?」
「僕の目を見ろって言ってそこのオバサンと二人で見つめ合った時からよ、このゴミクズが」
「アタシはマダム・あい子よ! 宜しくね!!」
黒瀬さんはそうドスの聞いた声で答えると、あい子の挨拶にチッと舌打ちをする。
怖えぇ! 何この子! 完全に僕の事をゴミ扱いしているし殺気が半端じゃないんだけど!?
何故かあい子と一緒にビクリと反応する僕、なんだかあい子と仲間みたいな感じになっているのが癪に障る。
僕はそんな黒瀬さんに心底ビビリながらもなんとかこの状況を説明しようと勇気を振り絞る。
「ご、誤解なんだよ! 話せば分かる! 僕達はクラスメイトじゃあないか!」
「あいにくゴミと喋る口は持っていないわ。……ねぇ、熊谷君?」
黒瀬さんは少しだけ甘えた声で熊谷にそう告げる、その声は僕に語りかけるものとはおおよそかけ離れたものであり、どこか男女の仲を感じさせるものだ。
ってか、今まで呼び捨てだったのに熊谷の事を君付けですか! お幸せに! ついでに僕も許しくれないかなぁ!?
僕は一縷の望みをかけて熊谷に慈悲を乞う。
お前と僕の仲だろう! ピンチなんだ! なんとかしてくれ!
「助けてくれよ熊谷! 僕達親友だろう!?」
熊谷は、少しだけ困った顔を見せると、黒瀬さんと僕を何度か見比べる。
そうして……。晴れやかな、何かを決心した男の表情を見せると元気よく――。
「悪いな羽田! 俺今日の事全部新妻さんにチクるわ!!」
「ド畜生がぁ! でもその選択は正しいと思います!!」
男の友情は男女の愛情の下位に存在する……。
僕はその日悲しき事実を見せつけられしまった。
しかしながら僕は熊谷を許そう、だって逆の立場なら僕は考える間もなく熊谷を裏切るだろうから……。
強い日差しが頬を差す、さんさんと照りつける太陽の輝きを他所に、極限まで暗い気持ちに包まれた僕は全てを諦め、ただただ乾いた笑いをあげるのであった。
そして……話に飽きたのじゃーさんは流れるプールでそれはそれは楽しそうに流されていた。




