#8
消えた天使は戻らない。相田はぼんやりと彼女の事を考えながら海を見、その後、「ジクフリント」を読んだ。相田はこれまでの出来事に思いを馳せた。亞奴田は全く違う人間になったばかりか、これまで友達とも思われて無かったみたいだ。あくまで友達である事は「人類の願いを叶える」彼の利己心の満足でしかなかった。
その亞奴田によって、もう一人の友人瑠田は事実上奪われた。相田は苦しんだ。「なぜだなぜだなぜだ」とうめき、島の地面をもがいた。
「苦しんでいるのかい?相田くん。」
なつかしい声がどこからか聞こえた。相田は答えた。
「はい。」
「なにに?」
「全てです。」
「ひとりぼっちだね。」
「まあそうですね。」
「独りはたしかに苦しい。人は独りでは生きていけない。」
「なぜでしょう、先生。」
センセイ、そう、この声はホームルーム担任の先生の声だ。
「人はね、独りでは完成できていない生き物なんだ。普通生き物は自分が生きるためだけに行動し、誰かを生かすために殺される。その自然の流れに満足しているんだ。だが、人は生きててもなお満たす事のできない寂しさがある。」
「そうですか…」
「だから発信するんだろ?自分の意思を。なぜ、人は生きてる事だけに満足できないんだと思う?」
「…分かりません。」
「人間は、本来は、生き物じゃないからだよ。」
秋中先生。名前を突然思い出し、亞奴田に教室で刺されていた事を思い出した。振り返れば天使になった秋中が相田にのしかかり、封印の鍵のような短剣をつきつけた。秋中は言った。
「君は、この苦しみから解放されたいと思わないか?」
「余計なお世話だ!」
「そうか。」
秋中が突然輝き、熱を持った。相田は熱さで苦しんだ。
「ぐああああぁ」
「痛いだろう?熱いだろう?生き物の感覚だ。神経細胞が死を回避するために仕事しているんだ。」
「殺すな…」
「なぜ君は死の苦しみを味わいながらそこまでゴキブリみたいに生きる事に執着するのだ。痛くても生きたい魂があるからだろう?」
「やめて…」
相田の右手が横に伸びたがお構い無しに秋中は言う。
「嫌なら君はこの下らん肉体から解放され、真に霊的なエネルギーにならないか?君は本当の自分に返るべきなのだ!」
「…!!!」
相田は傍にあった吸射鏡を右手で握り、それを秋中にかざした。
「あぁぁぁぁ!!」
秋中は顔を押さえて倒れた。光に包まれた身体なのに、顔だけが吸い込まれるように黒々と暗く渦巻いていた。
「おのれぇぇ、闇が私を侵食した。闇が私をぉぉ」
「やっぱりそうか…今悟った。身体のある意味。」
「!?」
秋中の闇は顔全体に広がり、押さえた手にも遷った。
「確かにあなた方の言うように、人には生き物を越えた強いエネルギーを持った魂があるけれど。」
闇は無に還り、秋中の頭は消滅した。
「その魂は、光輝く時と闇に陥る時がある。」
胸から上は消滅していた。
「でもどんなに闇に陥っても、身体がある限りは生きてるんだよね。それを基盤に光に戻れる可能性があるんだよね。」
「…!……!」
声にならぬ叫びをあげるそれはもう片脚しか存在しない。
「でも、あなた方は身体がない。だから光になるか闇になるかしかない。それが怖いから皆一緒にいるんだね。人の魂は強いけど脆い。」
秋中は消滅した。相田は手を合わせて黙祷した。相田は思った。天使を殺すのはこんなにもあっけなく、汚なく辛いものか。だがこのまま放っといても、さらに呪われた事態となる。相田は考える。傍にあった開きっぱなしの「ジクフリント」その最後にはこう書かれていた。
“…帝国は滅び、天使らは今になって取り返しのつかない事をした事に気づいた。死は全土に及び、そこには何も産まれない。絶望に陥った天使たちは叫びながら光を失い、ある者は完全に消え、ある者は身体だけ遺して逝った。それを見届けた僧侶らは今後二度と起きないように封印の鍵を箱にいれ、死の山ボラズロックの頂上に置いた。当時は平和な山だったが、置いて一日経った時、ボラズロックは全身を切り裂く砂嵐に覆われた。何が起きたかは知る者はいない。”