#3
「亞奴田…?」
「おおお相田、久しぶり。」
久しぶりとは言え、亞奴田の姿は何も変わらなかった。
「なんか家に強盗入ったって聞いたけど…」
「気にするな。あれはもう大丈夫だ。」
「もう大丈夫…?」
「そ。大丈夫。」
また以前と変わらぬ生活が来るんだなと相田は思った。瑠田も思った。だが違った。
「そういえばさあ。」
ある日瑠田が相田に訊ねた。
「何?」
「また私たち二人きりじゃない?」
「あ。」
「亞奴田のやつ、こんところつれないじゃない。話しても聞くだけ。笑ってるけど作り笑いで、本当はずっと無表情。」
「そうだね。」
「どうしたのかしら彼。」
「分からない。こんところ僕ら、ずっと分からない分からない言ってるなあ。」
「亞奴田の奴が不可解な事し過ぎなのよ。変な事件呼んじゃったし。何かあるわ。このままで終わるはずがない。」
「うぅむ、それはなんとも言えぬ。」
とは言え姿すらあまり見ない。奇妙なくらい見ない。ある日廊下で相田が「おはよう」と亞奴田に声をかけ、亞奴田が会釈し、すれ違ったあとに相田が振り返ったら彼の姿はなかった。あれ?と相田は思ったが見逃したのだろうと思いながらその記憶をふと思い出した。
「でさあ。」
瑠田は話を続ける。
「最近私たちといないかわりに、妙な集団作ってない?」
「あぁそうだねえ。」
「あいつらの接点なんなの?」
「他クラスだし…あまり共通点もないよね。」
「体育館とかであいつらが彷徨いてると気色悪い。」
「まあまあ、そんな言わなくても…他人の友達関係に口突っ込むのはナシだよ。」
「でもなんか不気味じゃない?皆最近の亞奴田に似てきてる。宗教団体かに見えて怖いんだよね。いなくなる前の彼の言葉考えても。」
「ううむ…」
「みんな!」
HRの授業前に亞奴田が突然叫んだ。クラスの皆は静まり亞奴田を見た。
「そう言えばずっと話してなかったね!あの9日間どこにいたか。」
静寂。亞奴田は快活な虚無の笑顔で話を続ける。
「僕は皆を救うため旅に出たんだ!皆が常日頃感じている苦痛を無くすために!」
「それってどういう事?」
瑠田が突然質問したのでクラスの皆は瑠田を見た。亞奴田は答えた。
「全ての怒り、全ての抑圧、全ての苦しみ、全ての破壊から解き放つ事さ。」
「死ね、て事?」
瑠田の過激な質問に一同は騒然とするが亞奴田は平然と答えた。
「あながち間違ってもないが不正確だ。」
クラスが一斉に騒ぎ立てた。
「なに言ってるのよ亞奴田くん!」「死ぬほど苦しくないわい!」「あの時どこに行ってたんだ!」「賛成!賛成!」「誰かあいつを黙らせろ!」
「静粛に!」
亞奴田は叫んだ。その異様な震えるような響きで皆が黙ってしまった。
「言葉で言うより実際に見せた方がいいね…皆、僕を見ろ。僕のようになるのだ。」
クラスの皆は亞奴田を見た。突如、亞奴田の頭が光りだし、その光は頭上へと浮かび、エンゲージリングとなった。同時に背中から光の翼のようなものが広がっていった。だんだんと彼の姿は神々しいものとなり、皆はその光景に悲鳴を上げた。
ドアが開いた。
「なんだなんだなんだ、どうしたんだ?」
ホームルーム担任の秋中先生の恰幅のいい姿が現れた。亞奴田は元の姿に戻っていた。
「変な悲鳴が聞こえたが…何かあったのか…?」
「先生…亞奴田くんが…」
「亞奴田くんが?」
「亞奴田くんが…訳の分からない事言って天使みたいな格好に…」
「天使?」
「頭に輪っか、背中に翼…うわあああぁん」
秋中は泣き叫ぶ女の子鮫田から亞奴田に目を移し、言った。
「タチの悪いイタズラだ。なんか服の裏にでも仕込んでたんだろう?見せなさい。」
「分かりました。」
亞奴田は両手でYシャツを裂いた。
「ぬ…」
亞奴田の胸に刃物で刺されたような傷痕があった。微笑を浮かべた美少年亞奴田は、やぶいたシャツを持ちながら言った。
「先生…この胸の傷…共に分かち合いませんか。」
「な…なにを…」
秋中が戸惑ってる時に、いつの間にか現れた他クラスの人たちが秋中を倒し、体を地面に押さえつけた。彼らはそう、最近の亞奴田が常に共にしていた人々だ。
「ぐおぉ…」
「聴きたまえ!」
亞奴田はそう言いながら懐から短剣を取り出した。クラスは一斉に息をのみ、秋中は悲鳴を上げた。その最中、亞奴田は何やら演説をした。
「聴きたまえ!我々人間は根本的な欠陥をはらんでいる…」
「やめろ、やめろぉぉ!」
「…を持ちながら不完全な肉体を有するためだ。怒り、不満、我欲、創造と破壊の衝動、それらは…」
「先生にそんな事しないで!」
ある女子生徒芹谷が勇敢に立ち向かったが、突然火花が散って弾かれた。
「うわあぁ!」
「…結果である。肉体から魂が解放されるには、ただ一つ、この剣でその肉体の、」
次の言葉は亞奴田と秋中を押さえつけてる連中が一斉に言った。
「死をもって償うべし。」
短剣が秋中に降り下ろされた。彼らの頭上で天使の輪のようなものが輝いた。悲鳴。
しばしの沈黙。まさかの事態にクラスの皆はどうすればいいのか分からず、ただ座っていた。
秋中が起き上がった。まるで眠りから覚めるように表情がまどろみで緩んでいる。頭からふわっと天使の輪っかが現れた。かつての貫禄はもうどこにもなく、ふにゃふにゃと先生は呟いた。
「ん…むにゃあ…なんか気持ちが楽だ…僕は…天使になったのかな…」
亞奴田が答える。
「その通りだよ。解放されたんだ先生!」
秋中の背中から長い翼が生えてきた。亞奴田は言った。
「僕たちは本当はエネルギー体で、体はただその表面を彩ってるだけに過ぎないんだ!その表面の秩序と体裁を整えるために物理法則がある。でも、先生はそれを考えなくていい!ごらん!」
秋中は地面から浮遊し始めた。
「本当だー!空飛べるー!もう何も考えなくていいのか!あはは、あははは、あはははははは。」
秋中が笑い転げながらふわふわ飛び、亞奴田は再びクラスの皆を見据えた。そして言う。
「君たちも解放されるんだ!」
パニック、叫び、そして相田は瑠田の裾をつかんで言う。
「逃げよう!」