巫女の料理は、酒料理
今日は珍しく、霊夢が厨房……と呼ぶにはやや粗末な物ではあるが、台所に立っている。その手に持っているのは包丁などではなく私であり、私に蒸留酒の中でも癖の無い物をと頼んで出している焼酎を、先代のいたころには主に水が入っていたはずの甕に流し込んでいた。
もしもこれがただ酒を無駄にする行為であるならば私は即座に酒の供給を辞めているところなのだが、今回は無駄にしているわけではなく次回以降の酒を楽しむための下準備であるようなので協力しているのだ。
甕の中にはいくつかの調味料に浸された大根や人参などが入っており、そこに酒を入れることで酒によく合う漬物を作ろうとしているようだ。料理自体があまりにも久し振りであるようなのでその手つきはややゆっくりとした物ではあるが、それでも一度も止まったり迷ったりする姿を見せないのは流石博麗の巫女であると言えよう。
萃香はそんな霊夢の姿を見てすぐに身を翻して縁側の日向でうとうとし始めているし、今の霊夢の行動を邪魔する者はいないだろう。
漬物の具が酒に浸ったところで霊夢は一度酒を注ぎこむのをやめて甕の中身をかき混ぜる。最後にその汁の味を見てから納得したように頷いて、甕の蓋を閉じた。
それから今度はまた別の料理に取り掛かっていく。どうやら今日の食事は奮発するつもりであるらしく、酒に暫く漬け込んでふやかした小豆を潰して酒を水の代わりに使って練り上げた皮に包んで酒で蒸し始める。……どうやら、霊夢の作る料理は酒に合うものか、あるいは酒を使ったものに限定されてしまうらしい。
私としては、持ち主が自分で自分の口に合う料理を作り、そしてその料理をつまみに酒を飲む事は歓迎するべき事なのだが……それは女性としてはどうなのだろうと思ってしなわなくもない。
確かに今まで私を使った者達の中には自分では料理ができないものもいたし、それに比べればよほどましと言えるのだろうが……私の産んだ酒を使うことを前提とした料理を作ろうとする者は霊夢が初めてだ。
……まあ、それも料理の一つの形。酒に合うと思い、それで酒を楽しめるのならば、私から言う事など一つもない。そもそも私は道具なのだから、持ち主に何かを語るなどと言うこともあり得ないのだがな。
それはそれとして、霊夢はどうやら本格的に料理に取り組もうとしているらしい。全ての料理に酒をふんだんに使っているあたりにのんだくれ巫女と呼ばれる原因があるのだろうが、それでもそうして料理を作っているその姿は様々なところで予想外の影響を与えていくものらしい。
まずは、アリス・マーガトロイド。前々から通い妻か心配性の母親のようにこの神社に来ては霊夢のために料理を作っていたのが、料理をしている霊夢の姿を見て心底嬉しそうな、しかしどこか寂しそうな表情で喜び、霊夢に言われて居間できっちりと正座していた。
そうしている間にも霊夢が料理を作る後ろ姿や包丁が俎板を叩く軽い音に目頭を熱くさせ、実に嬉しそうに何事か呟き続けていた。
次に来たのは、霧雨魔理沙。いつもなら縁側で酒を飲んでばかりの霊夢が厨房に立っているのを見た魔理沙の一言目が
「霊夢が料理とか……これは異変だ!幻想境が滅びるぜ!」
だったせいで、今は頭から煙を上げて倒れ伏している。自業自得なのだろうが、加減はしてあったようなので暫くすれば目を醒ますだろう。
「……ん、まあ、こんなところかしらね」
料理の味付けが終わったのか、霊夢は小皿を取って鍋の中身を少量掬い入れる。そして味を見て……頷いた。
「……よし、久し振りに作ったけどそれなりに食べられるわね」
霊夢は満足そうに呟いて、できたばかりの料理を人数分の器に取り分け始めた。
……さて、この料理を見てどのような反応を返すのか……そして、これらの料理は酒によく合うのか。個人的には後者の方が特に気になるのだが、その確認は霊夢本人にしてもらうことにしよう。
さあ、酒宴の時間だ。
目の前に並ぶのは霊夢が作った料理。なんと言うか……凄く『らしい』料理と言うか……。
「うぉっ!? 酒くさっ!? なんだこの料理!?」
「何って……見てわからない?」
霊夢が不思議そうな顔で作ったばかりの料理を見渡すけれど、ある意味魔理沙の反応が一番正しい。
ふんだんにお酒が使われた、云わば『酒料理』。ご飯を炊く水の代わりに度数が低くて香りのいいお酒を使い、ほんのりをした甘味を演出している。少し濃い目に味付けされたお肉は、何度も叩かれて柔らかくなった状態でお酒につけられてさらに柔らかくなったものを酒蒸しに近い状態で焼いてある。お漬物は当たり前のように粕漬で、人参、大根、胡瓜等の野菜が殆ど単色のお膳に彩りを与えている。
……正直なところ、この神社でお肉が出てくるなんて思ってもいなかった。巫女なのに肉を食べてもいいのかという疑問は、相手が霊夢だからと言うことで納得できることはできるけれど、いつもいつもいつもいつもお酒ばかり飲んでいる姿を見ているせいで想像することすらしていなかった。
美味しそうではあるのだけれど、なんと言うか違和感が凄い。博麗神社が貧乏……と言うか、必要なものすら面倒がって買わないことがある霊夢のせいでそう見えるだけなのだけれど、とにかくなんでか凄く贅沢に見える。
「はいはい、見てるだけじゃなくて食べるわよ。冷めるとあんまり美味しくないんだから」
「……飲み物は?」
「酒」
「……この飲んだくれ巫女」
「魔理沙。今日は泊まってきなさいよ。一緒に呑みましょう? 萃香も一緒にね」
「鬼とお前に囲まれて宴会とか間違いなく死ねるぜ!? 酒にトラウマできるぜ!?」
「そんな時には甘酒を飲めばいいわ。違う刺激でゆっくりとほぐしていけば」
「霊夢、貴女酔ってるわね?」
霊夢はいつだって酔っているけど……今回は特に酷く見える。なんでかしら……?
霊夢は酔うと明るくなる。常識等から浮いて、色々と変なことを起こすようになる。それを霊夢自身も知っているから本気で酔いつぶれようとはしていないはずなのだけど……。
霊夢は魔理沙の頭を抱えて料理を口に放り込み、感想を聞いているのに後から後から放り込んでいるから魔理沙は答えられずにもがもがと暴れ、萃香はそんな二人を見て笑いながらお酒を飲み、料理をつつく。
……とりあえず、これからも私がご飯を作りに来ましょう。霊夢にご飯を作らせるのは不安だわ。
酔いとは酒によるものだけではない。
空気に酔い、血に酔い、雰囲気に酔い、水に酔い、流れに酔い、自らに酔い、言葉に酔い、音に酔い、風景に酔い……この世には無数に酔えるものが存在する。
『酔い』とは謂わば『正気を失う』こと。正気とは条理。正気とは常識。それらを失った結果が、目の前にある宴である。
酒にあまり強くないだろう白黒の魔女が料理から立ち上る酒気にやられ、一見普通に見える七色の魔法使いは頬を朱に染めながらすでに空になった皿と口の間で箸を往復させる。霊夢は笑いながら萃香の杯に酒を並々と注ぎ、自分は茶碗に酒を注いで飲み干す。萃香も笑ってそれに付き合い、最早正気であるものはこの場にいない。
……実に混沌とした場だが、これもまた少々刺激的な日常の一つ。楽しめるうちに楽しむのがよかろうよ。
私はそれを、もっとも近い場所から眺めさせてもらおう。この私の身が砕け散るまで……。