金の狐と、風見酒
とくとくとくと酒が小さなこに注がれ、ゆらゆらと水面を揺らす。その水面には歪んだ三日月と、玉藻前の顔が映っている。
玉藻前は私を置いて小さなこを持ち上げ、実にゆっくりとその中身を飲み干した。
「……ふぅ……久し振りに使ったが………やはり、美味いな」
玉藻前はゆったりとした笑みを浮かべてそう言った。まあ、喜んでくれるのならば道具冥利につきるといったところだが。
玉藻前は、これでかなり酒には強い。永琳が居た頃の酒ならともかく、あの頃の酒では酔うこともできなかったろう。
だが私はそのような強さとは無関係に酔わせることができる。それも、私にとって都合よく。
その事を知らない玉藻前は、再び私から小さなこに酒を注ぎ、ゆっくりと飲み干した。
そして、ゆっくり過ぎるほどゆっくりと、長~く息を吸って、同じくらいゆっくりと息をはいた。
玉藻前がどこを見ているのかは知らないし、何を思っているのかもわからない。私はただの徳利だからな。
だが、徳利だからこそこうして様々な者と出会ってこれたわけだし、特に問題ではないだろう。
―――さあさあ、夜は始まったばかりだ。何を思い、何を見るのかは知らないが、このときばかりは背負った荷を降ろして、ゆっくりとしていくがいいさ。
……やはりこの酒器はいい。いつも飲んでいる酒と同じはずなのに、いつもより数段美味く感じる。私はそう思いながら、酔呼の酒器に酒を満たす。あの時飲んだ酒と同じ、無色透明の酒に私の顔と欠けた月が映り込んでいる。
飲むでもなく杯の水面を見つめていると、不意に風が吹き、水面に漣がたつ。
欠けていた月も私の顔も、さらに歪んで見えなくなった。
顔を上げると、森の樹が風に揺られているのが見える。マヨヒガではまず見られない光景だ。何しろあそこに生物はまずいないし、風もなければ月もない。あるものと言えば趣味と気味の悪い目程度だ。まあ、それにももう慣れたが。
また杯を干す。そして徳利から酒を注ぎ、またその水面を見つめる。
誰かが言っていたが、私の酒の飲み方は独特らしい。
誰が言っていたかは忘れたが、その言葉とそいつの酒の飲み方は覚えている。
私は水面に映る自分の顔から見える過去の思いと周囲の景色を肴に、それらを一息に飲み干すように酒を呷る。
そいつは確か、他人との話を肴にちびちびと飲んでいくはずだ。今では顔も名前も思い出せないが、確かそうだった。
まあ、私の酒のたしなみ方が独特だろうがなんだろうが、誰に迷惑をかけるでもないし構わないだろう。そいつもこの言葉に納得し、そして頷きながらちびちびと酒を飲んでいたはずだ。
……あいつの名は、なんだったか。種族すらもよく覚えていないが、酒を飲んでいるときに種族も男女も年齢も関係無いと言っていたはずだ。
そこまで思考を巡らせて、また酒を呷る。そしてすぐに次の一杯を注ぎ、また古い思い出に意識を向ける。
……風が私の髪を撫で、ひゅるりとなびかせてすり抜けていく。………ああそうだ、お前は風の妖怪だったな。
初めに、その頃は九尾でもないただの妖狐だった私が名乗ると、そいつは自らを風の妖怪だと笑いながら話していたのを思い出した。
そいつは確か、風の妖怪でありながらに自由ではない自分の生き方に嫌気がさして、大陸中をまわっていたはずだ。
……一つの事を思い出すと、連鎖するようにそいつの事を思い出す。かすれてしまっていた記憶の中から、あいつの声が滲み出してくる。
薄れた記憶の中から、あいつの顔が色をつける。
……ああ、あいつは今、どこで何をしているのやら。
そう考えながら、私はまた杯の酒を干す。
……私は元気でやっているよ。そっちはどうだ?
風に問いかけても、返事は帰ってこなかった。




