繭を煮る
目の前の鍋は、蚕の繭をどっさりと入れて煮立っている。
ここから絹糸を取り出すのに、繊維の表面に絡んだ余分な膠を溶かし出して、かつ、繭の中にある蚕の蛹を殺すためだ。
相手が虫なのでそれをしばしば忘れてしまうが、この仕事はなかなかに非情な仕事だと思う。
桑の葉に蚕は留まれない。人が都合のよいようにひとつの虫を何百代も選抜し続けた結果、野蚕は蚕となって、木に登り、しがみつく脚の力さえも失って、ヒトの手で養われなければ命を繋ぐことのできない種に成り下がった。そして哀れな蚕たちは、卵を産ませる何匹かを選り分けたあと、羽化を待たずに茹でられて、大方の蛹は塚を掘って埋めてしまう。
「糸が欲しいから、な。……どうか、恨みに思ってくれるなよ」
そのことを知りながら、私は遠い先祖の代からそうして生きてきた。
蚕のおびただしい死の山の頂に、私という人間はのうのうと生きている。
その報いだったのかは分からない。息子は齢15で命を落とし、妻とも息子の早世がきっかけで縁が切れた。そうして一人になってはじめて、ヒトと蚕を、大差なく扱ってきた自分自身に気がついた。
私は、絹を目当てに蚕に桑を食ませるように、家族にもまた、何か目当てのものを求めていた。
気立てがよいこと、容姿がよいこと、家の中の様々な仕事をこなせること、学業で優れていること、身体能力の優れていること、人柄が望ましく育つこと……求めるものに、果ては無かった。
大差は無い。蚕を煮て殺すことと、家族になにものかの役目を強いて、その人の本当の心に蓋をさせることは、同じことだ。少しばかり人に対しては、それをごまかして分かりづらくする。そうして、好ましい言葉で、その行為を飾り立ててしまう。白い蛾になった成体の蚕ではなく、蚕の吐き出した絹こそを愛するように、きっと家族のひとりひとりでなく、みなの発する能力や、獲得してくる様々な成果物ばかり、私は愛していたのだろう。
物思いにふける中、繭玉は煮上がってくる。あとはこの繭玉を、5つほど並べて糸を撚りあわせる。できあがった絹糸は、丁寧に織られて布になり、服になり、私に生きるための金をくれる。私はこれをやめることはない。あと、何年か、あるいは何十年か。私は蚕を無数に殺して、生活の糧に変えていくだろう。コンロの火を落とすと、すっかり中身の茹であがった繭が、ふわふわと湯のなかで揺れた。
暇庭の昔の作品。いつもそこに作品を入れていたUSBではなくなんとCD-ROMにこれだけがぽつんと保存してあった。なんでそんなことをしたか全く覚えていない。
たぶん文体からして高校生の頃のものだが、これを書いた記憶がほとんどない。制作時期的にはおそらく『滅びの蝶』の姉妹作品なのだと思われる。




