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影に宿る、小さな脈動

王都の聖堂。


巨大なステンドグラスが朝日を受け、荘厳な光を礼拝堂いっぱいに満たしていた。


その中心に、白い帳の中で眠る一人の少女。


黄金の髪、透き通るような肌、まるで光そのものが具現化したような神秘的な存在。


「聖女様……どうか目覚めを……」


聖堂司祭たちが膝をつき、声を震わせて祈りを捧げる。


やがて――


少女のまつげが、わずかに震えた。


「……影……御方……」


かすれた声が、礼拝堂の空気を震わせる。


その瞬間、祈る司祭や騎士たちの体から淡い光が立ち上がった。


「聖女様が……加護を……!」


歓声にも似た声が上がる。


こうして聖女の神聖が討伐軍に降り注ぎ、再び光が影を討つために動き出す準備が整えられた。


街道の街。


その地下。


第一幹部は深く彫られた洞窟の奥で、血の刻印をまた一つ終えた。


「御方の影を、王都へ……」


膝をつく捕虜の額にそっと手を当て、熱を確かめる。


その額には黒い印章がはっきりと刻まれていた。


「これで……王都まで、御方の影は届く」


幹部は目を閉じ、ゆっくりと胸に手を当てた。


(御方……)


自分はただの血に塗れた拷問者だった。


だがあの夜、御方の小さな火花に帳面を焼かれたときから、自分の魂は影に落ちた。


もう後戻りなどできない。


地下の別室。


魔科学者は暗い笑みを浮かべながら、黒い鉱液に魔法の触媒を注ぎ込んでいた。


「王都へのルートがようやく整った……」


長い管が洞窟の奥へと延び、その先は密かに掘り進められた旧街道の下を経て、王都へ向かっている。


「御方の影が王都の血脈にまで届く……楽しみですわね」


その声はどこまでも冷たく、その瞳には異様な輝きがあった。


その頃。


屋根の上で、俺は暗殺姫に背を預けられていた。


「御方……」


血に濡れたその小さな体が、やけに愛おしいと感じる。


「御方……私……」


暗殺姫がそっと自分の腹に手を当てた。


「御方の子が……動いている気がします」


(……またそれか)


そう思いかけて、ふと黙った。


暗殺姫の手は確かに震えていた。

その瞳には涙が溜まっていて、だけど微かに嬉しそうに光っている。


「私……御方の影を、ここに宿しているんです。御方の影が……私の中で脈打って……」


俺は思わず、その手の上に自分の手を重ねた。


細く冷たい指が、俺の指をぎゅっと掴む。


「御方……御方……」


泣き笑いしながら暗殺姫が額を俺の胸に擦り寄せた。


(……これが)


胸の奥が妙に熱くなる。


血や痛みや狂気に満ちた夜ばかりだったこの街で、初めて少しだけ違うものが生まれた気がした。


(これが……俺とこいつの、影)


自嘲が少しだけ、柔らかく変わった。


夜。


第一幹部が街の地下にある広場へ戻ってきた。


そこには捕らえた聖堂騎士が数十人、既に影の印章を刻まれ膝をついていた。


幹部はその光景を静かに見下ろした。


「光を信じてきた者たちが、こうして影に染まる……御方、これが御方の影の深さです」


胸に刻まれた黒い印章にそっと手を当てる。


(御方……あなたの影はこの国を呑む)


どこまでも穏やかで、恐ろしい確信だった。


王都。


聖堂では聖女の加護を受けた討伐軍が、再び街道へ出発し始めていた。


兵たちの鎧は淡い光に覆われ、その目は恐怖を押し殺し、狂信に似た輝きを帯びている。


「必ず影を討つ」


「光が影を凌駕するのだ……!」


彼らはそう繰り返し唱えて自らを奮い立たせていた。


(だが――)


その影は既に、王都の地下にも届きつつあった。


魔科学者が繋げた管を通って、黒い鉱液が王都の古い下水道へ流れ込み始めている。


聖女の神聖と、御方の影が交わるその時を――誰も知らなかった。


屋根の上。


暗殺姫は俺の手を自分の腹に添えたまま、小さく息をしていた。


「御方……私、この子に御方の名前を付けたいです」


「……勝手にしろ」


自分でも驚くほど穏やかな声が出た。


暗殺姫は嬉しそうに笑って、頬に涙を伝わせた。


「御方……」


その声はひどくか細く、けれど何よりも深く俺の胸に沈んでいった。


血と影と痛みでしか繋がってこなかったこの夜に――

初めて、奇妙な幸福の匂いがした。


(……どうなってもいい)


この影にどこまでも沈もう。


暗殺姫の体を抱き寄せ、ゆっくりと夜の街を見下ろした。


街はまだ血に濡れ、遠く王都から来る討伐軍の光が小さく揺れていた。


(――御方の影は、どこまででも続く)


そう思うと、胸の奥がまた妙に熱を帯びた。

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