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影に咲くもの


王都の玉座の間は、凍りついた空気に包まれていた。


討伐軍の帰還は夜更け、門の見張りに担ぎ込まれた数名の瀕死者だけだった。


そのうちの一人――白銀の鎧に血を滲ませた聖堂騎士は、床に膝をつきながら震える声で言った。


「……影の御方が……おりました……黒い刻印を胸に刻んだ連中が……私の仲間を……」


玉座の上で静かに話を聞いていた枢機伯爵が、その眉間に深い皺を刻む。


「その“影の御方”とやらは、どこにいた?」


「……屋根の上……街を見下ろし、まるで我らを――嗤っておられた」


その言葉に、玉座の間の空気がさらに冷え込む。


「嗤っていた、だと?」


「……はい……」


その瞬間、枢機伯爵は石のように硬い声で言い放った。


「――光の名において、王都軍全軍を動かす。黒影連盟とやらを根こそぎ潰す」


その決定は重々しく響き、宮廷の誰も異を唱えられなかった。


恐怖があった。


討伐軍を完膚なきまでに打ちのめした影の力に。

そして――その影の御方という存在に。


光の側にいながら、その影を恐れる自分たち自身に。


夜の街道の街。


第一幹部はまた一人の聖騎士を拷問台に縛り付けていた。


血で汚れた鎖帷子。

目を見開いたその瞳には、確かな怯えがあった。


「……光は強いはずだろう?」


第一幹部は穏やかに、子供に話しかけるように言う。


「なのにどうしてそんなに震えている?」


「お、俺は……王都の……聖騎士だ……!貴様のような――」


「俺のような?」


第一幹部はゆっくりと熱した細剣を取り出し、男の頬に触れさせた。


「影に拾われた俺のような人間が、そんなに怖いか?」


「ひっ……!」


焦げた匂いが小さく立ち上る。

聖騎士の肩が跳ね、無理やり耐える声が唇を噛んだ隙間から漏れた。


「光は恐怖を知らない。だから脆い」


第一幹部は微かに笑った。


「影は違う。影はずっと痛みを抱えて生きてきたからな。だから――こんなにも強い」


短剣を離した瞬間、聖騎士は堰を切ったように泣き崩れた。


「ひ、助け……許してくれ……」


「影は許しなど与えない」


第一幹部はその耳元で囁いた。


「御方の影を恐れぬ者は、生きる価値がない」


鋼鉄の爪がゆっくりと首へ滑り、血が温かく溢れた。


その夜、さらに数体の聖騎士の死体が路地に転がり、黒い刻印を焼き付けられた胸が月光を鈍く照り返した。


屋根の上。


俺はまた暗殺姫を抱きしめていた。


細い肩は冷たく、胸元には俺が刻んだ印章が赤黒く残っている。


その印章に、自ら刃を当て血を滲ませる暗殺姫の癖は、もう止める気にもならなかった。


「御方……」


暗殺姫がそっと顔を上げ、瞳を覗き込んでくる。


「お願いです……御方の子を、早く産ませてください」


「……」


またそれか、と苦く笑いそうになる。


だがその瞳は切実だった。

どこまでも狂っていて、どこまでも寂しそうで。


「御方の子を産んで、この影をもっと深くしたいんです。御方の影を、私の中で永遠にしたい」


その言葉は甘い毒のようだった。


逃げ出せば楽になるのに、俺は逃げられなかった。


(もういい。どうにでもなれ)


そっと彼女の頬に手を添えた。


「……お前は本当に、どうしようもないくらい影だな」


暗殺姫の目に涙が溢れた。


「御方……」


「好きにしろ。影は……踏まれるものだ」


そう告げると、暗殺姫は泣きながら笑った。


「はい……御方……」


血と涙と夜風が混ざり合い、いつの間にか体の芯まで冷えていた。


でも、その冷たさが妙に心地よかった。


その夜、街にはさらに影の印章を刻んだ新たな者たちが増えた。


商人、傭兵、逃げ遅れた聖騎士。


第一幹部は黙々と印章を刻み続け、魔科学者は王都へ新たな工作を仕掛けるために闇商人へ鉱液を流し始めた。


街は、いやもうこの国自体が、ゆっくりと影に染まりつつあった。


俺は屋根の上で夜空を見上げた。


月はぼやけ、黒い雲がその輪郭を隠そうとしている。


「御方……」


暗殺姫がそっと背中に抱きついた。


「御方の子を産んだら……私、もっと御方の影を踏んでいいですか?」


「……勝手にしろ」


その答えが許しだと知っているのだろう。


暗殺姫は嬉しそうに、でも泣きそうに頷いた。


「ありがとうございます……御方……」


夜の底で、血の香りがまた一つ濃くなった。


もうどこまで堕ちてもいい。


影は踏まれるために在る。


そうだろう――御方。



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