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忍び寄る影

初冬の晴れた空の下、ドラゴンの形をしている醜い黒影が、村の中でひどくがさつな声を張りあげた。

周囲にはドラゴンらしき生き物の姿は見えず、ただ影がそこに動いているだけなのに、場の空気はドラゴンの恐ろしいさに怯え、今にも凍りつきそうだった。


しかしすぐに、そのドラゴンの影は翼を振って周囲のあちこちへ飛び回り始める。そこから猛烈な風が巻き起こり、空気を引き裂いた。

割れた空気の破片からは、獣が肉や骨を——村中を埋め尽くすほどの無惨な死骸を——むさぼるする音が聞こえてくる。

がつがつ、むしゃむしゃ。

血にまみれた村の中に、ねっとりとした湿った音が響き渡る。


その音がいつ消えたのか、誰にもわからない。

ただ一つ、明らかになった事実がある——この村には、もはや生きている者は一人も残っていない。

散らばった赤い血と白い肉や骨。それらが村の至る所に横たわり、悪臭を放っている。それ以外に残されたのは、風に揺れる草の音だけ。これらが、今の村に残されたすべてだった。


遅れて、村の外から馬の蹄の音が響いてきた。

間もなく、狼耳を持つ十数人の騎馬の姿が現れた。

彼らが村に踏み入れた瞬間、当然この凄惨な光景が目に飛び込んできた。

「くそっ!間に合わなかったのか!」

先頭に立った青年が歯嚙みをして、声を荒げた。

「状況を確認しろ!痕跡を必ず見つけ出せ!」

すぐに青年を追い越してきた中年の男性——狼耳を持つ者たちの長が、冷静かつ力強く命じた。

その命令を聞いた青年は、すぐに馬を駆って村の奥へと向かっていった。


「こんなに悲惨な状況でも、助けられる人が一人や二人くらいはいるかもしれない……!」


彼はそんな優しい思いを胸に抱いていた。しかしそれは、あまりにも楽観的であり、彼の未熟さを如実に示すものだった。

現実は残酷だった。彼がどこへ行っても、目に映るのは血と肉と骨の山ばかり。それらはかつて人間だったはずの肉塊であり、獣に噛み砕かれた痕跡が生々しく残っていた。

今、彼の目の前に横たわる肉塊の惨状——

皮膚はまるでマットのように地面に貼り付いており、筋肉や内臓は無惨にも引き裂かれ、無造作に食い荒らされている。


「この傷痕......影竜ドラゴンに違いない!こんな酷い有り様、俺は雪山であいつらと戦ったとき、嫌というほど見てきた!」

青年は肉塊に目を凝らし、唇を噛みしめながら独りごちた。

(だが、なぜあいつらは突然雪山から下りてきて、人間の村を襲ったんだ?ずっと雪山の中で、俺たちウルフ族と戦っていたはずじゃなかったのか!?)

「まさか、また聖狼オオカミ様の予言通りに現れ、人々を襲い始めたのか…...?先代の聖女と騎士が儀式を行ってから、まだ二十年しか経っていないというのに!影竜ドラゴンの封印が、だんだん短くなってきているというのか!?」


そう独り言を漏らしていたとき、一人の細身の青年が近づいてきた。

「レノ!どうだった?まだ生きている者は見つかったか?」

「レノ」と呼ばれた青年は、声の主であり親友でもあるキャロルの方に目を向けた。

「ダメだった。お前は?」

「僕も。結局、間に合わなかったね.....」

キャロルは嘆きながら、レノのそばへ歩み寄った。そして、その無惨な肉塊を目にした瞬間、顔がさっと青ざめる。

「うぅ…!」

キャロルは思わず視線をそらし、吐き気を堪えるように口元を押さえた。

その様子を見て、レノは思い出した。キャロルはこうした生々しい光景が極端に苦手だった。いつも狩りに出ても、ウサギの死体さえ直視するのをためらうほどだ。

レノはそんなキャロルのことを、いつもは冗談まじりに「臆病者」だと笑っていた。だが、今回ばかりはとても笑えるような状況ではなかった。


「二十年前に影竜ドラゴンが封印されてから、皆は数百年にわたる過去の記録から、『次に現れるのはきっと百年後だろう』と判断してた。でも――その判断は間違ってた。今は山の麓にあった人間の村すら守れなかった......完全に、僕たち『守護のウルフ族』の失態だよね」


キャロルは苦笑を浮かべ、吐き気をこらえてながらそう言った。それに対して、レノは何も言葉が出なかった。

結局、ウルフ族の人たちは村中をくまなく捜索したものの、やはり一人の生存者も見つけることはできなかった。

その後、長の命令により、全員が村の入口に再集合することとなった。

「なんて酷いことだ」「二十年も経たないうちに、なぜまた」

ウルフ族の者たちは、ひそひそと不安げに呟き合っていた。

だが、一族の長はその声を断ち切るように、揺るぎない口調で今後の方針を語り始めた。


「――起きてしまったことは仕方がない。俺たちがすべきことは、ただ一つ。二十年前と同じように、聖女と騎士を選び、王都へ送り、封印の儀式を執り行わせることだ」


「レノ、キャロル。お前たちはラリサの友人だ。彼女が聖殿へ向かい、聖狼オオカミ様に騎士の選定を仰ぐ際、同行してやってくれ」


「この村はもうどうにもならん。俺たちの村へ戻るぞ」


そう言い切ると、ウルフ族の長は馬にまたがり、来た道を引き返していった。皆は事態を受け入れきれずにいたが、それでも長の後を追うしかなかった。


「聖女と騎士を選んで、王都へ送って封印の儀式を行うのか!聖狼オオカミ様の予言に出る封印の儀式って、どんなものなんだろうな?楽しみだ!二十年前に儀式が行われた時、俺はまだ子どもだったから、ほとんど覚えてないんだ。今度こそ、しっかり見届けるぞ!」

馬を駆りながら、レノは隣を走るキャロルに興奮気味に話しかけた。

「レノは期待しているのか?あの封印の儀式に」

キャロルはなぜか少し戸惑うように尋ねた。

「もちろんさ!封印の儀式を行うのは、きっと良いことなんだろう?」


「でも……僕の記憶が正しければ、確かあの儀式には重い代償が必要だったはずだよ。レノはそれを忘れたのか?」

「たしかに何かを犠牲にするって話は聞いた気がするけど、でもそれは、名誉ある犠牲なんじゃないか?聖女だからこそできることさ!ラリサだって、昔、『聖女になりたい』って言ってたしな。聖女の血を引く者として、覚悟もできてるはずさ。まあ……あの頑固で、ちょっと抜けてるとこもある娘が聖女になるってのは想像しにくいけど、でも俺は、やっぱり友人として誇らしく思う!」


「……そうか、レノはもう代償のこと、忘れてるんだね。僕も記憶はあやふやだけど、あの儀式の代償は、確かに、とても重かった……それだけは覚えてる。でも、そうだね、レノの言う通り、名誉なことなのかもしれない。ラリサ自身も望んでいることだし、僕に止める権利なんてないよね......」


キャロルの声は、次第に小さくなっていき、やがてひとりごとのようになった。

レノはその声に気づかず、ただ儀式への期待に胸を躍らせていた。親友の胸に落ちた小さな影に、彼はまだ気づいていなかった。


レノがその時知っていたのは、ウルフ族が再び影竜ドラゴンを封印するために、聖狼オオカミ様の予言に従って戦わなければならないこと。そして、自分の親友ラリサが、聖女としてその予言の中心に立つということ――それだけだった。


その時のレノは、ただあの太陽のようにまぶしく輝く「予言」という名の希望の光だけを見つめていた。「自分の友人が聖女となって、英雄になり、悪を打ち倒す」と信じ、無邪気に笑い、喜んでいた。


その強い光の裏に、忍び寄っていた小さな影に、彼はまだまったく気づいていなかった。

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