#12 魔術的量子もつれと論理に基づく統合的異能解析中枢
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賢者の風車が出現し、この世に魔物が溢れだしたときからバークレー校は可視異域と化してしまい、その影響は地下研究網にも及んだ。イリーナもそのときその場におり、もう駄目かと思ったが、そのとき彼女の作成していた人工知能が作動――量子隔離室を時空から逸脱した絶対安全領域に退避させるための術式を算出した。
結果、イリーナと隔離室は無事。人工知能の補助のもと一度彼女はそこを脱出し、対策を練り今に至る。
「――これが量子隔離室に行ける唯一のポータル。私の生体認証でしか起動しないわ」
と、イリーナが一見すると何も無い地面を指さして誇らしげに説明する。
「ポータル? これが? ただの床にしか見えないよ。それによく場所を覚えられたな。わたしだったら次の日には『あれ、どこだったっけ』ってなる」
「目印があるのよ、私にだけ分かる」
「フムン」
イリーナがポータルがあるらしき地面に右の手の平を置いた。その瞬間、何でも無かったところが白色に発光し、サークルを形成した。
「この中に入って。量子隔離室に行くわよ」
「了解」
わたし達三人がサークルに入った瞬間、視界が真っ白になった。その後数秒でそれが晴れ、辺りの景色がよく見えるようになる。
「ここが量子隔離室――あんたのラボか……」
隔離室内は円形ドーム状で、中央の台座にポツンと一台のモニターとキーボードが置かれている。蛍光灯やLEDといった通常の照明は無く、代わりに床と壁の魔力回路が静かに光ることで光量が確保されている。光の波長が緩やかに変化し、室内にいる人間の脳波に合わせて最適化されている、とイリーナは説明した。
「なんか……ちょっと身体が軽い……?」
気のせいだろうか、わたしはこの部屋に来てから少しだけそう感じた。
「局所的に重力調整がされているから、一定領域では少し重力が弱まっているわ。魔術波の観測に必要だったの」
「なるほどね」
周囲には巨大なコンピュータ群が並んで壁を成しており、また東側セクションと西側セクションに続く通路がある。
「それで……目的のブツはどこにあるんだ?」
と、利人が言う。
「まずはこれ――〈魔術的量子もつれと論理に基づく統合的異能解析中枢〉、通称〈MELCHIOR〉を持ち帰りたいわ。これがあれば、色色なことがはかどる」
と、イリーナが中央の端末を指して言う。
「これが?」
「これはあくまで入出力デバイスだけどね。本体はこの下にある。――試しに動かしてみようか」
そう言うと、イリーナはモニターの電源をONに。すると画面に〈WELCOME HOME IRINA〉という文字が表示された。その下には文字入力用ボックスがある。
「二人とも、何か聞きたいことはある?」
「そうだな、じゃあ……」
わたしはおもむろにキーボードを叩き、メルキオールへの質問文を打つ。
〈不可知空洞について教えて〉
打ち終えてエンターキーを押すと、自動でキーボードが押され、次次とそれへの回答文が画面に入力されていった。
〈不可知空洞とは、観測不可能性が極限に達した領域である。情報は存在せず、存在もまた定義不能。賢者の風車によって生成された可能性が極めて高い。〉
「おお、凄い。これをあんたが作ったのか?」
「そうよ。最初はただのデータ処理AIだったけど、異世界の魔法にさらされているうちに自己進化を遂げて、意識的AIと化したわ。人格があるし、希薄だけど感情もある。私の相棒と言って差し支えないわ」
その後、利人もメルキオールに質問し、同様に返答が来て驚いていた。
「――これがメルキオールの、脳ミソと言えるものね。これさえあれば、デバイスを用意すればどこでもメルキオールを使える」
と、イリーナが手の平サイズの特殊ディスクを手に持って言った。それを専用ケースに慎重に収納し、銀行の貸金庫に転送して回収完了。
その他研究記録や結果を記した書類や実験道具、試作魔導装備などを次次と彼女の貸金庫にぶち込んでいき、全てのブツを回収し終えた。
「まあ、おおむねこんなもんね。二人とも、感謝するわ。私だけだったら、こんなに速く回収しに来れなかった」
「感謝なら無事戻ってからにしようぜ。帰るまでが遠足だって格言がわたしの国にはあるんだ」
来るときに使ったポータルに乗り、わたし達は隔離室の外に出た。空は晴天――ではなく赤黒いおぞましい空だが、しばらく娑婆の空気を吸えていなかったせいか外の空気が美味い。
「さ、用も済んだことだしとっとと帰ろうぜ――」
とわたしが二人に言いかけた、そのときだった。
地面や周囲の建物が不自然に脈動を始めた。最初は地震かと思ったが、すぐにそうではないことが分かった。
「おい、見ろ、空が――ッ」
利人が空を指さして叫ぶ。見ると、いつの間にか生い茂る木の枝のようなものが空を覆い尽くしていた。わたし達の真上にはポッカリと黒い穴が開いている。
「何か落ちてくるぞ!」
黒い穴から金色の物体が落下してきた。地面に落ち、砂埃が舞う。見ると、それは表面が導線やら歯車やらに覆われた繭のようだった。若干脈打っている。
その異様な物体に驚愕していると、中から何者かが繭を破って這い出てきた。それは白銀色の胎児のような肉塊を中枢に、脊髄めいたコイル、機械の子宮のような浮遊カプセル、生体コードが絡みついた一対の金属光沢を持つ翼がある。顔は無く、代わりに複数の回転型センサー群があり、常に逆再生されたような十人十色の人の声で囁いている。関節は歪んだ逆関節で、その姿は生物とも機械とも言いがたい――機械と人間の複合生命体とでも言うべき未知の存在だった。
「イリーナ、あれはなんだ!?」
「たぶん、魔法が使える人間を作るための実験用人造胎児が偏移したんだわ。辺りの機器とかを巻き込んで。でも……あまりにも変わりすぎている。一週間も経っていないのにこの変容ぶりは……」
などとイリーナが言っているうちに、人造胎児の周りに多数の魔法陣が出現した。そこから真っ黒い追尾機能のある魔法弾の弾幕が放たれ、わたし達に迫ってくる。
「来るぞ!」
幸い追尾性能はそこまで高くない。不規則にある程度走り回れば簡単に振り切れる。が、問題はその数だ。一発振り切っても、次がどんどん押し寄せてくる。
わたしはシールドやAMフィールドで防いた。が、それを掻い潜って到達する弾が何発かあった。そのたびに激痛が走るのを気合いで堪えて逃げる。
――どうする。逃げるか? 目的の物はもう回収できた。必ずしもいまここでこいつを倒す理由はないが。
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