#09 科学と魔法の狭間で
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ホテルに戻り、いつものように部屋を借りようとエントランスに足を踏み入れたそのとき、わたしは今までにない光景を目にした。
「利人、あれ……人がいる」
「本当だ。俺たち以外にもいたのか」
今まではわたし達以外にここを利用する人を見たことがなかった。しかし、今日は違った。先客――フロントでコンシェルジェと話している一人の女性がいる。
初めてのことに戸惑いつつも、わたしは平静を装って彼女の後ろに並んだ。すると、彼女がこちらに向き直って言った。
「初めまして。あなた方を待っていたわ。私はイリーナ・ジューコヴァ。唐突で申し訳ないけど、あなた方の手を借りたい」
「こちらこそ。わたし達以外にも利用客がいてホッとした。――手を借りたい、だって?」
本当に唐突だな、と思いつつ、わたしはイリーナと名乗る彼女に応答する。
「手を貸してもいいけど、内容に依る」
「スイートを一室奢るわ。そこで話させてくれる?」
「……だってよ。どうする、利人?」
「聞くだけならタダだ。聞くだけ聞こうぜ」
「オーケー、話を聞こう。――申し遅れたな。上領京だ。よろしく」
「ギブリール・利人・シモンズだ。――しかし、本当にいいのか? スイートなんて。かなり高いだろう」
「ありがとう。――別に問題ないわ。気にしないで」
翌日、わたし達はイリーナと共にUCバークレー校へとやって来た。イリーナ曰く、彼女はここで量子に関するなんちゃら――話を聞いてもわたしの頭ではよく理解できなかった――を研究していた。しかしこの騒動発生でその成果を置き去りにせざるを得ず、戦力を強化したいま、改めて回収しに赴くのだそうだ。
わたし達については前々からホテルのコンシェルジェより活躍を聞いており、今回協力を打診した次第(連中に個人情報という概念はないのか?)。
「ここがバークレー校? LAと違ってずいぶん前衛的なデザインだな」
現場に到着してその光景を見るや否や、利人がそう呟いた。
キャンパス周辺は朝っぱらに関わらず夕暮れのような赤黒い空に覆われていた。建物は一部が垂直や平行に浮遊したり反転したり、その間を発光する文字列や電子のスパークのようなものが這い、中空を階段や崩壊した教室、車が漂っている。グリッド状の空間が周期的にノイズのようにバグり、断続的に存在が読み込まれる建物もある。かつて物理学を学ぶ者たちが歩んだその地は、今や量子の亡霊と記憶の残滓が徘徊する墓場だった。
「半不可知空洞化したらしいわ。そうね……〈可視異域〉とでも呼ぶべきかしら」
「フムン。――それで、君の研究室はどこにあるんだ?」
わたしは彼女に尋ねる。
「地下三層目にある量子隔離室――そこがわたしの、わたしだけの研究室よ。そこに行けば全てがある」
「そこへ行くには?」
「工学部の建物から地下研究網に降りられるから、まずはそこを目指しましょう」
工学部棟へ向かうべく敷地内を歩いていた、そのときだった。「危ない!」とイリーナが叫んだ。その直後、わたしの真横から突如としてビーム状の矢じりが飛んできた。
「うわっ!」
シールドは間に合わない。咄嗟にAMフィールドを展開して防御。間一髪で矢じりは霧散され、消えた。
「なんだ今のは!? 何もない所から飛んできたぞ」
「〈量子崩壊個体〉だわ。近くにいるみたい。射程内なら任意の場所からビームを撃てるから、警戒して」
警戒しろと言われても、どこから来るのか分からないのでは警戒のしようがないではないか。
「おい、アイツか? 量子なんとかってのは」
と、利人が浮遊した講堂の壁面を指して言った。
「そう。あれが量子崩壊固体よ」
そいつは中に浮く壁面に、そこがさも地面かのように立っていた。残像のようなそれは、見た瞬間は人型だったが、すぐに別の形容しがたい姿に変わってしまった。
「消えた!?」
わたしが一度瞬きした瞬間に、そいつはそこからいなくなっていた。
「横……右よ!」
奴は一瞬にして利人の三時を占位した。出現と同時にビーム状の刃で刺突攻撃を繰り出す。
「コイツ……ッ!」
利人がシールドで防御。その隙にわたしはライフルを構え、攻撃したばかりのそいつを狙い撃った。が――
「なに!? 当たったはずなのに!」
わたしの射撃はあろうことか奴のボディを〈すり抜け〉てしまった。
「奴は確率の存在よ。いま見えている奴も、可能性の一つでしかないわ」
「どうしろってんだ、そんな奴を!」
「でも、そいつが攻撃する瞬間は一つに〈確定〉するわ。そこを狙い撃って」
「簡単に言ってくれる」
「分かった。京とイリーナは攻撃に専念してくれ。俺が攻撃を引き受ける」
「頼むぞ」
再び量子崩壊個体がわたし達の前に現れた。ビーム状刃を生成し、利人に向かって刺突――するかに思われたが、そうではなかった。
刃が四方八方から出現し、わたし達に襲いかかってきた。わたしは咄嗟にAMフィールドを展開して防御。
「クソ、もたないか……」
複数方向からの同時攻撃によって、フィールドがじわじわと削られていく。このままではいずれ貫通される。そう判断し、わたしはフィールドを解除。と同時に疾風翔を発動して空中に離脱した。
しかし、逃げた先にもビーム状の矢じりの弾幕が飛んでくる。AMフィールドは先ほどの防御による発熱を冷却する必要があり、使えない。
「ええい、この!」
一方向はシールドで防御できる。そちらはそれで防ぎつつ、わたしは身を捻ったり、疾風翔を微調整しながら軸をずらして回避。それでも幾つかは回避しきれずに掠めていく。
――服に対魔コーティングしたお陰で軽傷だが、これではジリ貧だ。早早にケリを付けねば……。
「奴はどこだ!?」
見ると、利人とイリーナも奴の変幻自在な攻撃に防戦一方だ。だが、先ほどイリーナは言った。奴が攻撃する瞬間は〈一つの確定した〉存在になると。
いま、奴はわたし達に対して猛攻を仕掛けている。それはすなわち、確かな一つの存在として在る時間が長いということだ。そこを狙い撃つことができれば、勝機はある。
――見つけた!
奴はいま、イリーナに近付いて刺突しようとしている。
「そこ!」
反射的にライフルを構え、射撃。命中。ピンクのビームが奴の胴体を貫いた。
「やったのか!?」
わたしは着地し、イリーナに聞く。
「やった……けど、これは――マズい、離れて!」
彼女のその言葉で、わたし達は一目散にその場から離れた。後ろを見ると、撃たれた量子崩壊個体が辺りを巻き込んで自壊していた。そこら一帯は滅茶苦茶になり、歪みに歪んでよく分からない状態になっていた。きっとあそこから離れるのが少しでも遅かったら、わたし達もあのようになっていたのだろう。
「これで今度こそ終わりか?」
「そうね。……あなたのお陰よ。ありがとう」
「なに、みんなも無事で良かったよ」
しかし、ここにはこんな厄介な奴らが他にもうじゃうじゃいるのだろうか。だとすれば、この探索は過去最高に厳しいものになるかもしれんな。
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