#02 始まりの日
毎日15時から20時の間に投稿予定
風車型オブジェクトの出現から一週間後――カリフォルニア州、ロサンゼルス。
アラームが部屋中に響き渡る音でわたし、上領京は目を覚ました。わたしはカリフォルニア大学ロサンゼルス校に通う大学二年生だ。祖国日本からこちらへ留学し、大学の寮で一人暮らしをしている。
やかましいアラームを止め、わたしは枕元に置いていたスマホを拾い上げて見る。時刻は午前七時半。今日は九時半から講義があるので遅刻はまず有り得ない。
スマホの画面ロックを解除してLINEを立ち上げると、そこには母親からのメッセージが一件届いていた。内容は大したものでない。今日も気を付けていってらっしゃいと、ただそれだけ。昔から少々過保護気味な人だ。わたしがアメリカに移住してからは毎日欠かさずこのメッセージが届いている。それまでは玄関口で母の口から直接だったので、その代わりというわけだ。
わたしはそれに定型と化した返事をし、寝巻から着替える。スマホに入れていたお天気アプリによると、今日は最高気温が華氏七七度、最低気温が五四度――摂氏にして一二~二五度くらい――と、五月上旬の例年通りの気温だ。天候は一日中晴れ模様。五月グルームの影響で曇りがちなこの時期にしては珍しい。久々に晴れ晴れした気分で講義を受けられそうだ。
タンスを開けて今日着て行く服を引っ張り出す。トップスは半袖の白Tシャツの上にデニムジャケット、ボトムスは黒レギンスの上にショートパンツを履けば今日の気候に対応できるだろう。
オートミール主体の簡単な朝食を摂り、リュックサックに講義で使う参考書などを詰め込み、サングラスを装着して登校用意は完了。買ったばかりのアディダスのスニーカーを履き、わたしは寮を出た。
今日の一限はエンジニアリング四号館で行われる。ロボティクスやナノテクの研究室がある最新の工学部棟だ。
そこへ向かう道を、お気に入りのジャズをウォークマンで聞きながら歩いていると、向かいから学生がどっとこちらに押し寄せてくるのが見えた。ジャズに混じって微かに悲鳴のような声も聞こえる。
――なんだ?
イヤホンを外すと、その悲鳴が決して気のせいではないことが分かった。向こうで、なにか異常事態が起きている。
――銃撃事件か?
日本だったら有り得ないが、ここはアメリカだ。その可能性は十分有り得る。もしそうならわたしが直接狙われなくとも流れ弾に当たる可能性がある。早早に距離を置いたほうがいい。
などと考えてるうちに走ってくる集団の先頭がわたしを通り抜けた。
わたしはそのうちの一人を捕まえて何があったのか尋ねる。
「ヘイ、あっちで何かあったのか?」
だが、学生の応答はいまいち要領を得なかった。
「ぶ、豚の人間が、く、食ってるんだ!」
「はあ?」
結局よく分からずに学生はわたしを置いて逃げていってしまった。
――あいつ、なんて言った。豚の人間が、食っている? なんのこっちゃ。
だが、ただの銃乱射事件ではないらしいということはなんとなく分かった。とすると、なんだ。彼の言葉に忠実に解釈するなら、フェンタニル中毒者が豚のお面をかぶってなにかを貪っているのか?
なるほど分からん。が、まあここは右にならえの精神で逃げたほうが良さそうだな。
そう結論づけてわたしもこの流れに乗ってその場から離れようとしたそのとき、ふとわたしは一人の人物が頭に思い浮かんだ。
――そうだ、あいつは大丈夫なのか? どこにいるんだ。
わたしの幼馴染み、ギブリール・利人・シモンズ。小学生のときまでは日本でわたしの実家の隣に住んでいたのだが、中学に上がると同時に親の仕事の都合で渡米した。以来手紙やメールでのやり取りだけで対面することは無かったのだが、彼もわたしも偶然UCLAを受験し、入学したことで再会した。
と、噂をすれば奴が来るではないがちょうど彼から電話が掛かってきた。
『京、無事か? いまどこにいる』
「ハロー、利人。どういうことだ? わたしはなんともないが」
『詳しい説明をしている暇はないんで結論だけ言うと、化け物があっちこっちで暴れ回っている。で、どこにいるんだ? 俺は第七多層駐車場の二階にいる。ここはまだ無事だ』
利人の声からはかなりの焦燥感を感じる。よく分からんが結構ヤバいことになっているらしい。
「わたしはブルーイン・ウォークを南に歩いてる最中だ。サイエンス四号館に行こうとしたんだが……」
『ブルーイン・ウォークか。ちょうどいい。いますぐこっちに来てくれ。俺の車で脱出する』
「分かった。すぐ向かう」
『念のため電話は繋いだままにしろ。くれぐれも気を付けて』
「ああ」
第七多層駐車場に向かうにはブルーイン・プラザを通過、数学科学館の横を通ってウェストウッド大通り方面に行けばいい。さっそく向かおう。
――なるほど、確かにこりゃヤベえな。
わたしはいま数学科学館の横を通過したのだが、数学科学館からも恐慌状態に陥った学生が多数逃げ出してきた。それから、獣の咆哮のような音が建物内で響いていた。
――こいつは、ヤバい。
人々の悲鳴や咆哮にかき立てられ、だんだんと徒歩から早歩き、早歩きからジョッギングへとわたしの移動速度が速くなっていく。
そしてウェストウッド大通りに出たところでわたしは、見てしまった。
豚……というより猪の顔をした人間――猪人間とでも言うべきか――が一人の学生を押さえつけ、その肉体に齧り付いている。
その光景にわたしは思わず立ち止まり、息を呑んだ。
猪人間の大きな口が学生の腹にガブッと噛みつき、肉を引きちぎり血飛沫が舞う。臓物を口から垂らし、モシャモシャと咀嚼している。
――こいつが……化物……!?
異形の存在、食われている人、二つのショックで腰が抜けそうになるのをどうにか堪え、正気を取り戻し、わたしはこっそりと猪人間の背後を通り過ぎようとした。が、猪人間がグリンと首をこちらに曲げる。
目と目が合う。
「ハ、ハハ、それ、美味しいですか? わたしはさっさと消えますからどうぞお気になさらず――」
なんてのが通じるわけがないことは分かりきっていた。
猪人間はわたしを見るなり血まみれの牙を剥き出しにし、咆哮を上げてわたしに襲いかかってきた。
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