14 旅の始まり
アーカデム魔法学校の校長室での話し合いから一日が経ち、二日目の朝を迎えようとしていた。ザックは気持ち良く目覚める事が出来たが、パルドは緊張の余りに一睡も出来ておらず本調子ではなかった。二人は朝食を早く済ませ、探検用リュックサックの中身を確認して、校長室へと向かった。校長室には既にピティア、ヴァルテロ、セピナ、それにクルセトン校長が待機していた。
「お早う御座います。二人共、昨日は良く眠れましたか?」
「はい、良く眠れました」
「いいえ、良く眠れませんでした」
ザックが元気良く、パルドが弱々しく言うと、クルセトン校長はピティアの方へと目を遣った。
「ドークスさん、気付けの魔薬はありますか?」
「勿論、持参しています! 水を一杯貰えますか?」
校長がコップに水を注ぐと、ピティアはコップの水に粉末を掛けてスプーンで混ぜると、水は深緑色になった。
「これも混ぜた方が良いわ」
セピナが深緑の液体に別の粉末を混ぜると、液体は深緑色からオレンジ色へと変わった。得体の知れない飲み物が入ったコップをピティアはパルドに差し出した。
「はい、気付けの魔薬よ」
コップを受け取ったパルドは不服そうに顔を顰めたが、オレンジ色の液体を一口飲んだ。途端にパルドは渋面になった。
「パルド、良薬は口に苦しって言うでしょ」
「そんなに眠いんだったら一発殴ってやっても良いんだぜ、リーダー?」
ピティアやヴァルテロに追及される事を避ける為、パルドはコップの液体を全て飲み干した。心なしか、パルドの目に生気が戻った様にザックには見えた。
「大分、目が覚めたよ。二人共、有り難う」
パルドが礼を言うと、ピティアが溜息をついた。
「もう、リーダーがしっかりしていないと駄目じゃない!」
「そんなに怒らなくても良いんじゃない、ピティア? パルドはリーダーなんだから、不安や緊張に苛まれて当然よ」
セピナに諭されたピティアははっとして自身が口にした言葉を恥じた。
「そうよね、セピナの言う通りね。私、どうかしていたわ」
「俺だけが緊張しているんじゃないかと思ってたけど、皆一緒なんだな」
校長室の中央に描かれた魔法円が突如として光り出し、描かれた文字が回りだすと、次の瞬間にはリベラ―ク学園の生徒達、それにメルフィン先生にリオスタス学園長が魔法円の上に現れた。
「クルセトン校長、それにアーカデム魔法学校の皆さん、お早う御座います」
「お早う御座います。では、点呼を取ります」
ザックは校長が点呼を取っている間、見た事が無い不思議な乗り物に興味が湧いた。
「ジェロ、その乗り物は何?」
「ああ、これの事か。これはランナウェイだ。ネオパンゲアには自転車が普及してるって聞いたけど、ランナウェイも似た様な物かな」
「もしかして、ランナウェイってガロンが言っていた……」
ザックがガロンの名を言うと、ジェロは苦虫を嚙み潰した様に顔を顰めた。
「あの誇り高きラガルザーノ首相からザックの力を疑った詫びの証として、最新式のランナウェイを提供されたのさ。是非とも探検のお役に立てて貰えたらと、態々全員分送って来たんだ。一往、一人分多く持って来たからザックも乗れるぜ」
「有難う、ジェロ」
校長の点呼で探検隊のメンバーが全員集合している事を確認すると、校長が全員に呼び掛けた。
「それでは、全員が揃った様なので、煙移しで移動します。皆さん、魔法円の中に入ってください」
探検隊、メルフィン先生、学園長が魔法円の中に入ったのを確認すると、校長が大杖を片手に魔法円の内側に入った。
「決して魔法円の外に食み出す事の無い様に。では、参りましょう」
クルセトン校長は片手で指をパチンと鳴らすと、魔法円が光りながら回りだした。一瞬にして魔法円の上にいた十三名と二匹は校長室から消え去った。
次にザック達が目を開いた時、一行は山脈の麓に立っていた。
「あれが黄金山脈か! それに泡影砂漠も!」
パルドが感嘆の声を上げると、ザック達は西側に聳え立つ緑の山脈に見惚れた。
「銀山脈もそうだけど、黄金山脈って常に黄金色じゃないんだな」
パルドが残念そうに言うと、リザルがパルドの肩を叩いた。
「今は夏だから緑色だけど、秋になれば名の通りに山脈全体が黄金色に染まるよ」
「そうだな、次来る時は見る事が出来れば良いな」
一行が黄金山脈に見惚れていると、学園長と校長が皆に呼び掛けた。
「では探検隊の諸君、此処から東に向かい、大陸最東端のテルフォスを目指して進む様に。幸いな事に、私の見える範囲には動く骸骨は見えない」
「学園長は遠くの景色や物音が分かるのですか?」
ザックの問いにリオスタス学園長はにやりとした。
「私は五感が発達している。普段からサングラスを掛けているのは、力を押さえる為だ」
学園長は再びサングラスを掛けると、オブスが尻尾を振った。
「進む道は険しいでしょう。ですが、皆さんは敵ではなく仲間同士です。困った時は手を取り合えばどんな時でも道は開かれます」
メルフィン先生が校長と学園長の前で敬礼した。
「必ずや大地の杖を持ち帰って見せましょう」
「メルフィン先生、無理はしない様に」
校長はメルフィン先生の手を力強く握った。メルフィン先生の顔が一瞬だけ驚いた様に見えた気がしたが、ザックは気の所為だと思った。
「心配は無用です。こんなに頼もしい生徒達が付いているのですから」
「幸運を祈ります」
メルフィン先生は校長、学園長と話し終えると、ザック達にくるりと向き直った。
「それでは探検隊の皆さん、テルフォスを目指して出発します!」
探検隊はテルフォスに向けて出発した。軈て探検隊が離れて見え無くなると、オブスはしゅんとなった。
「オブス、これが最後では無いんだ。必ず全員戻って来るさ」
オブスを励ましながら撫でる学園長が険しい顔付きであったのをクルセトン校長は見逃さなかった。
「学園長、何か具合でも悪いのですか?」
「いや、具合は悪くは無いのだが……私の第六感が警鐘を鳴らしている」
「確かに雲行きは怪しくなっているのは私も感じます」
校長の言葉に学園長は目を丸くした。
「校長先生もですか!? 何故、彼等に言わなかったのですか?」
学園長の問いに校長は問い返した。
「何故、学園長は危険が迫っていると言わなかったのですか?」
「それは……」
「言葉とは不思議な物です。人を勇気づけたり、傷つけたり等言葉を発するだけで人の気分を動かせる力があります。私達が不安を口にすれば、彼等はきっと恐怖と不安に心を支配されてしまうでしょう」
「だから言わなかったのですね。でも、彼等もいるし、世間では公になっていないから影を纏う者も気付いていない筈だ」
「そうだと良いのですが……」
二人はルクスがオブスに追い掛けられるのを見て、探検隊が進んだ方角を見詰めていた。
「我々は只、祈る事しか出来ないのか……」
学園長が拳を握り締めると、校長は魔法円の方へと踵を返した。
「信じましょう、彼等が務めを果たして帰って来る事を」
「そうですね。オブス、行こう」
二人とニ匹は魔法円の上に立つと、瞬く間に姿を消した。
探検隊はメルフィン先生を先頭に、東に向かって移動していた。ザックはパルド、ピティアと共に箒に乗り、カポロメン兄妹はそれぞれの絨毯に乗って空を飛行していた。メルフィン先生を含んだ進化人達はランナウェイに乗って地上を走行した。
「メルフィン先生は未開地に行った事がありますか?」
「ええ、若い頃に何度か行きましたよ、ジョパルオン君。皆さんは未開地は初めてですか?」
どうやら全員初めてだったらしく首を縦に振ったり、「はい」と返事をしたりした。
メルフィン先生は未開地の地図を取り出し、自分達の辿る道筋を確認した。
「この先の浄刹の湖には一週間あれば辿り着けるでしょう。取り敢えず、湖が見えるまで東に移動しましょう」
探検隊は日中の間、移動し続けた。生徒達は初めての未開地に心が躍っていたが、夏の日差しを受けながら長距離を移動するのは学生にも大人にとっても辛かった。太陽が真上に上った頃、パルドが提案した。
「メルフィン先生、そろそろ昼食にしましょう」
「分かりました。皆さん、一旦昼食を挟みます」
へとへとになっていたザック達はリュックサックから保存食が入った袋を取り出した。ジェロが浮き浮きしながらメルフィン先生に聞いた。
「メルフィン先生、ビスケットと干し肉とドライフルーツは一回の食事でどの位までなら食べても良いですか?」
「ビスケットと干し肉は一枚ずつ、ドライフルーツは二粒までです。二ヶ月分の食糧なので少しずつ食べないといけません」
「分かりました」
ジェロがしょぼんとすると、ヴァルテロが集団から離れて一人で歩いて行こうとした。
「ヴァルテロ、余り遠くまで行くなよ」
ヴァルテロは片手を振って応えると、探検隊から数メートル離れた所まで移動した。
「何で一緒に食べないんだろう?」
「ザック、気にするな。ヴァルテロは一人になる時間が欲しいんだ」
全員で食事を摂っている間にも、太陽は探検隊を照らし続けた。
「リーダー、この暑い天気を魔法でどうにかしてくれない?」
「ジェロ、無茶な事を言わないでくれ。幾ら優秀な魔法使いでも、天気を変える事は出来ないぞ」
パルドがジェロに諭すように言うと、サエッタが指を鳴らした。
「ジェロ、あなたの力を使えば、皆涼む事が出来るじゃない!」
「こんなに暑いと、僕の力でも短時間しか涼めないよ」
ジェロはそう言うと、隊列の最後尾に回って両手を前に出した。すると、ジェロの手からひんやりとした冷気が放出され、探検隊の火照った体を冷やした。
「とっても涼しいわ。ジェロ、ありがとう!」
「やっぱり、八名門は違うわね!」
アーカデム魔法学校の生徒達から褒められてジェロの顔は赤くなった。
「凄いな、ジェロ!こんな暑い日に外で冷気を浴びられるとは。クーラーというのはこんな感じで冷風を浴びる事が出来るのか?」
「そうだよ。もしかして、西方三国にクーラーが無いっていうのは本当なの?」
ジェロの問いにパルドが応じた。
「その通りだ」
「じゃあ、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、携帯電話、パソコン、テレビも無いの?」
「ああ、魔法でどうにかなっているからな。そんなに便利なのか、電化製品って?」
パルドの答えにリベラーク学園の生徒達とザックは目を丸くした。
「信じられないわ……」
「魔法って凄く便利なんだね」
アーカデム魔法学校の生徒達はリベラーク学園の生徒達が驚いているのが理解出来ず、きょとんとしていた。
「でも、東方三国では生活の殆どを電気に頼っているって聞いたわ。若し、電気の供給が止まったらどうするの?」
ピティアの問いにジェロが反応した。
「そんな事は起こらないよ。だってロドワルザー家が発電所を稼働させてから一度も供給が止まった事は無いだろ、サエッタ?」
「そうね。発電所が乗っ取られない限り、心配する必要は無いわね」
「皆さん、食事は済みましたか? そろそろ行きましょう。移動出来る時間は限られていますからね」
ジェロの冷気を浴びて涼んだ探検隊は、未開地の風に当たりながらコンパスを頼りに東へと進んだ。
夕日が西の地平線に沈み始めた頃、メルフィン先生が全員に告げた。
「今日は此処までとしましょう。もう直ぐ日も暮れます」
「では皆さん、夕食と野宿の準備をしましょう。探検隊の皆さんはテントを張ってください」
ザック達はリュックサックから四角い布を取り出した。
「これがテントなの? 只の布切れにしか見えないけれど」
ザックが訝しむとサエッタが四角い布を地面に落とした。
「取り敢えず、一つ作ってみるわ」
サエッタは片手のグローブを外すと、数歩下がって四角い布に向かって手を向けた。すると、サエッタの手から電流が流れ、感電した四角い布はあっと言う間に膨らみ、テントに早変わりした。
「凄いな、丸で魔法みたいだ」
「これは、ナノテクノロジーと電気を用いた技術なのよ。この技術があれば持ち運べない様な物でも圧縮して持ち運べるの」
「でも、再び圧縮する時はどうするの?」
「その時はまた電流を流せばいいの。私とリーダーがテントを張るから、皆は先に夕食を食べておいて」
「えっ、俺も? 魔法使いでも出来るのか?」
突然の指名を受けたパルドがどぎまぎしていると、ピティアがサエッタの方へと歩み寄った。
「私も手伝うわ、パルドは危なっかしいから。呪文で電気を出せばテントは張れるのかしら?」
「多分出来ると思うわ。じゃあ、私は学園の生徒の分を、二人は学校の生徒の分のテントを張って頂戴」
パルド、サエッタ、ピティアの三人がテントを張っている間、ザック達は昼と同じ夕食を食べた。三人が夕食を食べに来ると、ジェロの提案によりザックは探検隊のメンバーにペンタファー街での買物の途中で影を纏う者に襲われたが、パルドとピティアに守って貰った事、リベラーク学園に向かう時に再び影を纏う者に襲われたが、運転手の御蔭で難を逃れた事を話した。ザックが話を終えた時、聞き手のメンバー達は興奮覚め遣らぬ様子だった。
「ザック、君の運の良さと剛胆さにはつくづく驚かされるよ。影を纏う者に二度も襲われて無事に生還する事は誰にでも出来る事じゃない」
「二十人の影を纏う者を足止めしたなんて、リーダーとピティアは凄腕の魔法使いなんだな!」
リザルがザックを、ジェロが二人を誉めちぎるとパルドとピティアは謙遜して言った。
「まあ、ピティアが居なかったら、俺だけではザックを守れなかった」
「そうね、私も一人だったら守り通すのは厳しかったわ」
皆でパルドとピティアを称えた後、セピナがザックに尋ねた。
「パルドとピティアも凄いけど、その運転手は何者なの? 影を纏う者から逃げ果せるなんて、普通の運転手じゃないわ」
「僕も運転手さんの事は良く分からないんだ。もしかしたら、レーサーだったのかもしれないね」
ザックが答えると、考え事をしていたスタンが口を開いた。
「僕、その運転手を知っているかもしれない。その人は最年少で競車の新記録を打ち立てて優勝した後に現役を引退したザヴェティオ・エスペトロじゃないかな?」
ザックはその名前に聞き覚えがあった。
「その名前、聞いた名前と全く一緒だ!」
「ザヴェティオ・エスペトロと言えば東方三国では名の知れたトップレーサーよ。確かに彼なら影を纏う者から逃げ果せても不思議では無いわね」
皆で和気藹々と話していると、空は漆黒の闇に包まれ星の光が輝き始めた。メルフィン先生が探検隊の方に向かって来てパルドとサエッタに告げた。
「明日も早朝に出発ですから早めに就寝する様にお願いします」
「了解です」
メルフィン先生がテントの方に向かうと、パルドは遠くにいたヴァルテロを呼びに行った。
「二人が戻ってきたらミーティングするから、そのまま待機しといてね」
パルドとヴァルテロが戻ってくると、探検隊でミーティングを行う事になった。
「明日は朝の七時には出発するからそれまでに朝食を済ませておく事。俺からは以上だ。副リーダーから言う事はあるか?」
「今日一日、皆が無事だった事をソナトルリア様に感謝して寝たいと思います! ランナウェイは私が充電しておくから、私のテント前に集合させといてね!」
探検隊のメンバー達は頷いたり、首を横に振る者達で分かれた。
「確かにサエッタの言う通りだ。この先、未開地の奥に進んで行けば危険に遭遇する事が多くなるだろう。毎日、生きていられる事に感謝だな。それじゃあ、ミーティングはこれで終了だ。解散!!」
探検隊は其々のテントに入って就寝する事になった。ザックはテントの中に準備されてあった枕に頭を乗せ、ブランケットで体を包んだ。未開地の夜は夏であるにも関わらず肌寒い事にザックは驚きを覚えた。ブランケットに包まれたザックは明日は何処まで行けるのかと思案を巡らしていたが、瞼が次第に重くなり、夜に誘われるようにザックの意識は闇の中に沈んでいった。