第93話
その後も慌ただしい日々が続き、満を持して受けた王立学院の講義にて、円形かつ階段状に並んだ長机の一席に坐しながら、基礎的な化学物質の精製法など聞き流して室内を見渡す。
従来、教養と共に “緩やかな洗脳” も与える教会系の初等学校を除けば、学びの場は教鞭を執る者の私邸くらいだったが……
市井に任せると体系的な知識の継承が難しいため、中央政府による講堂及び施設の提供を以って、教授と学生を一箇所に呼び込んだのが此処の原点らしい。
(まぁ、やることは変わらない、今も昔も)
幾らかの聖書をウェルゼリア領の機械で活版印刷しているとは謂え、“普通の書籍” は定量的な纏まった需要がないので、依然として 1~2 冊単位の手写しが基本の貴重品であり、媒体となる羊皮紙も同様。
それに代わって、比較的に安価な麻紙が王都で広まりつつあるものの、大半の学生達は教授が読み聞かせる文言の暗記に努め、先人達の叡智を受け継ごうと必死になっている。
省みると魂だけの存在になり、英霊達の生涯を追体験させられる “邯鄲の夢” は、非常に効率的な学習方法と言えた。
故に講義内容が既知の事柄であろうと不満はなく、快適な秋の気候も影響して矢鱈と眠いだけである。
年季の入った机に片肘を突いた姿勢で、熱心な者達に紛れて小さなあくびを嚙み殺していると、何やら年齢を感じさせない強壮な体躯の老教授と視線が交わった。
「そこの黒髪、先ほど授受した硫酸の用途を答えて貰おうか」
「金属の洗浄、有機化合物の脱水、乾燥剤の類にも使えたはず」
「ふむ… 聞いていた、若しくは知っていたか。皆も意識に留めておきなさい、錬金術の基礎となる薬物の一つだから、何かと役に立つ」
刈り込んだ白髪に浅黒い肌の御仁が多少の手振りを添えて宣えば、高価な羊皮紙を持っていた数名が羽ペンを忙しなく走らせる。
自身も小さな紙面に文字を隙間なく書き綴った経験がある手前、グラシア紙幣の導入という政治的要因が絡んでいても、製紙工場の誘致に応えたのは正しい判断だと、そう思えてしまった。
(単純な話でもないんだが、自国の発展には繋がりそうだな)
筋道が曖昧なまま漠然とした展望を考えている内に講義は進み、硝石と硫酸の混合物を蒸留して得る硝酸や、繊維への染料定着や下剤の効果がある硫酸塩にも内容が及んだところで、鳴り響いた鐘が講義の終わりを告げる。
「もう、こんな時間か… 今日はここまでだ」
「では、片づけを致しますね、アンダルス教授」
抑揚なく呟かれた言葉を拾って、傍に控えていた十代前半と思しき助手兼メイドの少女が臙脂色の髪を揺らせて動き、楚々と黒板などの始末を済ませていく。
長身で屈強な御老体との対比もあり、その華奢な容貌は強調されて印象に残った。




